女心
ホテルを出発すると、S県に向かう国道をひた走った。赤い点滅はそこまで多くない。途中で数回寄り道をして事故を置き換えたりしたが、大事件も無く順調に先へ進んでいった。やっぱり三人いると違うね。点滅がいくつか集中していても、手分けすればあっという間に処理できる。
驚いたのは、いつの間にかレイも地図を開けるようになっていたことだ。本人いわく、こっちのレイは1年前から時間の止まった世界を旅していたわけだから、ある意味で俺の先輩にあたるそうだ。……だからって何をするわけでもないが、ようは人助けに関しちゃレイやカノンの方がベテランだから、まあ何でも聞けよってことらしい。
「この街はここで最後ね。……で、誰が行く?」
レイが建物の外観を見上げながら言った。
カラフルな風貌からしてラブホテルなのは間違いない。この中で点滅しているのだから……まあ高い確率で裸の男女がいるんだろう。俺やレイたち、どちらが行っても気まずい思いをするのは間違いない。
「あ、じゃあ俺が行くよ」
こういう微妙な問題に迫られたときは、自ら手を挙げる方が良い結果になる、と俺は経験で知っている。押し付けあって渋々やるよりも、進んでやるほうが周囲の評価が高くなるからだ。どうせ最後にやることになるのなら、自分から手を挙げた方がいい。
「ちょっと! レイちゃんがいるのにあなたって人は……!」
と、カノンが謎の言いがかりを付けてきた。
「いやいや……レイとカノンは外で待っていれば問題ないだろ? 俺ひとりでさっさと片付けてくるよ」
「でもここは……いかがわしいことをする場所なんですよね!? 賢太さんはそれを覗き見するつもりなんでしょ!?」
結果としてそうなる可能性もあるが、決して覗きたくて行くわけじゃないんだが……。
「賢太さんが捕捉されちゃったらレイちゃんが悲しむでしょ!?」
なんで捕捉される前提なんだよ。大体そんなんで捕捉されたとしたら、レイは悲しむどころか俺を軽蔑して終わりだろうよ……。
「心配ならあたしが行くよ。女だし、そういうのに興味も無いからさ」
レイがめんどくさそうに言った。
「レイちゃんはダメ! ここは大人の人しか入れない場所なのよ!?」
「……あたしだって子供じゃないけどね。そこまで言うなら賢太でいいじゃん。むしろ誰でもいいから早くしようよ」
呆れたようにレイは言うと、わざとらしくため息をつく。S県の祖父の家に向かうという目的があるからな。彼女としてはここでモタモタするのが嫌なんだろう。
「でも……賢太さんがもし捕捉されたらレイちゃんが悲しむし、でも……私がひとりで行くのも……きゃっ」
なぜ照れる……。
「じゃあ2人で行ってくればいいでしょ? 賢太は点滅を消して、カノンは賢太が悪いことをしないよう見張ってれば?」
悪いことってなんだ。
「ふぇ!? ……わ、分かりましたけどぉ……」
なぜだか納得のいかない顔をしているが、もういいや。放っておこう。
「じゃあ行くぞ」
「あ……ま、待って。レイちゃんはいい子で留守番してるのよ?」
「はいはい。早く行って」
レイのドライな見送りを背に、カノンとふたりでホテルの中に入る。
そして狭いエントランスをくぐった瞬間、ふいに外が夜になった。重ためな事件が起きている証拠だ。
カノンも気づいたようだ。不安げな目をこちらに向けた。
「……大丈夫だよ。やることは変わらない。カノンは目を伏せてればいいよ」
こちらとしても一気に気持ちが沈む。しかし俺までカノンのように不安がるわけにはいかない。気持ちを奮い立たせ、点滅の場所に向かった。
通路の両側にはドアが規則的に並んでる。それぞれ個室になっているが、そのうちのひとつに目的地があった。
よく見れば古いホテルで、壁のあちこちにひび割れがある。照明が少ないのはホテル側の気遣いかもしれないが、おかげでホラー感たっぷりだ。カノンはいつの間にか俺の背中に密着しており、怯えたようにあたりを見渡している。
点滅のある部屋の前に行くと、そっと扉を開いた。
中には2人の男女がいた。幸い……というか残念というか……服は着ている。
時間が止まっているので分からないが口論をしているようだ。痴話喧嘩にも見えるしそれほど深刻な様子は無いが……。
そう思いながら部屋に入り、ぎょっとする。
床には頭から血を流した女性がぐったりと倒れているのだ。しかも胸には果物ナイフが刺さっており、服におびただしい血が滲んでる。
「不倫関係のもつれですねぇ……」
背中越しに部屋の様子を覗き込みながらカノンが言った。
「……そうなの?」
ドロドロした感じは確かにするが。
「間違いないですよぉ。口論している女性の方は結婚指輪をしているじゃないですか? 男の人の指にも指輪をしていた跡があります」
よく見れば確かに。意外に鋭いな……。
「結婚の事実をつかの間忘れて、若い女性との情事に溺れる……。ドラマによくあるやつですよぉ!」
ドヤ顔はいいが、いささか不謹慎な気も……。
「まあ状況はともかくさっさと終わらせよう。事件の理由を考えたって想像の域は出ないからな」
「うーんまあ、そうですね。私はぜぇったい不倫だと思いますけどぉ。賢太さんも気をつけてください?」
何にだよ。
地図を見ると点滅が黄色に変わったので、あとはこいつらに触れれば置き換え完了だろう。
口論している男女に触れると「捕捉シマシタ」という機械音声が流れ、2人の体が宙に消えた。
床に倒れた女性に手を下したのはどちらか分からないが、ふたりとも捕捉対象のようだ。どちらにも問題があったのだろう。
最後に床に倒れた女性の腕に触れる。「捕捉シマシタ」と再び音声が流れる。
「あれ? “置き換え”じゃなくて“捕捉”だ。被害者のはずなのに……」
「既婚者なのを知ってて人の旦那に手を出したんですねぇ。喧嘩両成敗ってやつですよぉ」
カノンの中では不倫確定なんだね。あながち間違ってもいなさそうだが。
加害者も被害者も捕捉されるというレアパターンではあったが、これで一通り終わりのようだ。時間も元に戻っているはずだが、いかんせん窓が無いので分からない。相変わらず古びたホテル特有の陰鬱な空気が流れたままだ。よくこんなホテルに来る気になったな、あの人たち。
さっさと帰ろうときびすを返すと、カノンが何やらじっくり部屋の中を見回している。珍しいものでもあるのか?
「どうした、カノン?」
「はうぁ!!……な、何でもないです」
いきなり顔を赤くしてうつむいた。
「こういう場所に来たのは初めてだったので……ものめずらしくて、つい」
あー、箱入りっぽいもんな。かくいう俺もこういう場所には馴染みが無いが……。
「でも初めて一緒に来た男性が妹の彼氏なんて……複雑ですぅ」
彼氏だと?
「あのぅ……カノン。誤解してるようだけど……」
そう言いかけるとカノンが首を振りながら答える。
「分かってますよ! 18歳と27歳は犯罪じゃないって言うんでしょ!? レイちゃんから聞きましたよ……もう」
いやいや、そういうことじゃない。
「あのな、カノン……」
「心配しなくても野暮なマネはしませんよーだ! ……でもちょっとくらい嫉妬したっていいでしょ? 大事な妹なんだもん」
「いや話を聞いて……」
「そのかわり! レイちゃんを泣かしたら承知しませんよっ! いいですねっ」
そう言うと、なぜだか清々しい笑顔で部屋を出ていく。
まったく話を聞く気が無いな、オイ。いったいぜんたい何でそんな誤解が生まれてるんだよ……。確かにきれいな子ではあるが、恋人じゃなく妹みたいな感覚なんだがなぁ。
まあいいや。カノンが勝手に言ってるだけだろうし、レイ自身も何とも思っちゃいないだろう。めんどうだし放置しておこう。
ホテルを出ると、レイが待ちわびたように車の外に立っていた。
「遅い」
ふくれた顔で言うが、15分もかかっていないと思うけど……。
「何してたのよ、こんな場所に2人で」
「何って……殺人事件が起きていたから捕捉して……って、説明必要か?」
むしろ2人で行けと言ったのはレイじゃなかった?
「はいはい、分かったわよ。この辺りは全部終わったし、さっさとおじいちゃんの家に行きましょう。ほら早くしてよ」
なぜか不機嫌なレイは、そう言いながらそそくさと助手席に乗り込んだ。カノンは特に気にする様子も無く「おじいちゃんち楽しみぃ」などと陽気に後部席に乗り込む。
女心は本当に謎だ。……それか、この姉妹が特殊なのかもしれないけど。
まあいいや。そう思い、運転席に乗り込み車を発進させた。
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