第26話 女心

ホテルを出発すると、S県に向かう国道をひた走った。赤い点滅はそこまで多くない。途中で数回寄り道をして事故を置き換えたりしたが、大事件も無く順調に先へ進んでいった。やっぱり三人いると違うね。点滅がいくつか集中していても、手分けすればあっという間に処理できる。


 驚いたのは、いつの間にかレイも地図を開けるようになっていたことだ。本人いわく、こっちのレイは1年前から時間の止まった世界を旅していたわけだから、ある意味で俺の先輩にあたるそうだ。……だからって何をするわけでもないが、ようは人助けに関しちゃレイやカノンの方がベテランだから、まあ何でも聞けよってことらしい。



「この街はここで最後ね。……で、誰が行く?」


 レイが建物の外観を見上げながら言った。

 カラフルな風貌からしてラブホテルなのは間違いない。この中で点滅しているのだから……まあ高い確率で裸の男女がいるんだろう。俺やレイたち、どちらが行っても気まずい思いをするのは間違いない。


「あ、じゃあ俺が行くよ」


 こういう微妙な問題に迫られたときは、自ら手を挙げる方が良い結果になる、と俺は経験で知っている。押し付けあって渋々やるよりも、進んでやるほうが周囲の評価が高くなるからだ。どうせ最後にやることになるのなら、自分から手を挙げた方がいい。


「ちょっと! レイちゃんがいるのにあなたって人は……!」


 と、カノンが謎の言いがかりを付けてきた。


「いやいや……レイとカノンは外で待っていれば問題ないだろ? 俺ひとりでさっさと片付けてくるよ」


「でもここは……いかがわしいことをする場所なんですよね!? 賢太さんはそれを覗き見するつもりなんでしょ!?」


 結果としてそうなる可能性もあるが、決して覗きたくて行くわけじゃないんだが……。


「賢太さんが捕捉されちゃったらレイちゃんが悲しむでしょ!?」


 なんで捕捉される前提なんだよ。大体そんなんで捕捉されたとしたら、レイは悲しむどころか俺を軽蔑して終わりだろうよ……。


「心配ならあたしが行くよ。女だし、そういうのに興味も無いからさ」


 レイがめんどくさそうに言った。


「レイちゃんはダメ! ここは大人の人しか入れない場所なのよ!?」


「……あたしだって子供じゃないけどね。そこまで言うなら賢太でいいじゃん。むしろ誰でもいいから早くしようよ」


 呆れたようにレイは言うと、わざとらしくため息をつく。S県の祖父の家に向かうという目的があるからな。彼女としてはここでモタモタするのが嫌なんだろう。


「でも……賢太さんがもし捕捉されたらレイちゃんが悲しむし、でも……私がひとりで行くのも……きゃっ」


 なぜ照れる……。


「じゃあ2人で行ってくればいいでしょ? 賢太は点滅を消して、カノンは賢太が悪いことをしないよう見張ってれば?」


 悪いことってなんだ。


「まあ別にいいけどな……」


「ふぇ!? ……わ、分かりましたけどぉ……」


 なぜだか納得のいかない顔をしているが、もういいや。放っておこう。


「じゃあ行くぞ」


「あ……ま、待って。レイちゃんはいい子で留守番してるのよ?」


「はいはい。早く行って」


 レイのドライな見送りを背に、カノンとふたりでホテルの中に入る。

 そして狭いエントランスをくぐった瞬間、ふいに外が夜になった。重ためな事件が起きている証拠だ。


 カノンも気づいたようだ。不安げな目をこちらに向けた。


「……大丈夫だよ。やることは変わらない。カノンは目を伏せてればいいよ」


 こちらとしても一気に気持ちが沈む。しかし俺までカノンのように不安がるわけにはいかない。気持ちを奮い立たせ、点滅の場所に向かった。


 通路の両側にはドアが規則的に並んでる。それぞれ個室になっているが、そのうちのひとつに目的地があった。

 よく見れば古いホテルで、壁のあちこちにひび割れがある。照明が少ないのはホテル側の気遣いかもしれないが、おかげでホラー感たっぷりだ。カノンはいつの間にか俺の背中に密着しており、怯えたようにあたりを見渡している。


 点滅のある部屋の前に行くと、そっと扉を開いた。


 中には2人の男女がいた。幸い……というか残念というか……服は着ている。

 時間が止まっているので分からないが口論をしているようだ。痴話喧嘩にも見えるしそれほど深刻な様子は無いが……。


 そう思いながら部屋に入り、ぎょっとする。


 床には頭から血を流した女性がぐったりと倒れているのだ。しかも胸には果物ナイフが刺さっており、服におびただしい血が滲んでる。


「不倫関係のもつれですねぇ……」


 背中越しに部屋の様子を覗き込みながらカノンが言った。


「……そうなの?」


 ドロドロした感じは確かにするが。


「間違いないですよぉ。口論している女性の方は結婚指輪をしているじゃないですか? 男の人の指にも指輪をしていた跡があります」


 よく見れば確かに。意外に鋭いな……。


「結婚の事実をつかの間忘れて、若い女性との情事に溺れる……。ドラマによくあるやつですよぉ!」


 ドラマにありがちなシチュエーションなんだろう。ドヤ顔はいいが、いささか不謹慎な気も……。


「まあ状況はともかくさっさと終わらせよう。事件の理由を考えたって想像の域は出ないからな」


「うーんまあ、そうですね。私はぜぇったい不倫だと思いますけどぉ。賢太さんも気をつけてください?」


 何をだよ。


 地図を見ると点滅が黄色に変わったので、あとはこいつらに触れれば置き換え完了だろう。


 口論している男女に触れると「捕捉シマシタ」という機械音声が流れ、2人の体が宙に消えた。 

 床に倒れた女性に手を下したのはどちらか分からないが、ふたりとも捕捉対象のようだ。どちらにも問題があったのだろう。


 最後に床に倒れた女性の腕に触れる。「捕捉シマシタ」と再び音声が流れる。


「あれ? “置き換え”じゃなくて“捕捉”だ。被害者のはずなのに……」


「既婚者なのを知ってて人の旦那に手を出したんですねぇ。喧嘩両成敗ってやつですよぉ」


 カノンの中では不倫確定なんだね。あながち間違ってもいなさそうだが。


 加害者も被害者も捕捉されるというレアパターンではあったが、これで一通り終わりのようだ。時間も元に戻っているはずだが、いかんせん窓が無いので分からない。相変わらず古びたホテル特有の陰鬱な空気が流れたままだ。よくこんなホテルに来る気になったな、あの人たち。


 さっさと帰ろうときびすを返すと、カノンが何やらじっくり部屋の中を見回している。珍しいものでもあるのか?


「どうした、カノン?」


「はうぁ!!……な、何でもないです」


 いきなり顔を赤くしてうつむいた。


「こういう場所に来たのは初めてだったので……ものめずらしくて、つい」


 あー、箱入りっぽいもんな。かくいう俺もこういう場所には馴染みが無いが……。


「でも初めて一緒に来た男性が妹の彼氏なんて……複雑ですぅ」


 彼氏だと?


「あのぅ……カノン。誤解してるようだけど……」


 そう言いかけるとカノンが首を振りながら答える。


「分かってますよ! 18歳と27歳は犯罪じゃないって言うんでしょ!? レイちゃんから聞きましたよ……もう」


 いやいや、そういうことじゃない。


「あのな、カノン……」


「心配しなくても野暮なマネはしませんよーだ! ……でもちょっとくらい嫉妬したっていいでしょ? 大事な妹なんだもん」


「いや話を聞いて……」


「そのかわり! レイちゃんを泣かしたら承知しませんよっ! いいですねっ」


 そう言うと、なぜだか清々しい笑顔で部屋を出ていく。

 まったく話を聞く気が無いな、オイ。いったいぜんたい何でそんな誤解が生まれてるんだよ……。確かにきれいな子ではあるが、恋人じゃなく妹みたいな感覚なんだがなぁ。

 まあいいや。カノンが勝手に言ってるだけだろうし、レイ自身も何とも思っちゃいないだろう。めんどうだし放置しておこう。


 ホテルを出ると、レイが待ちわびたように車の外に立っていた。


「遅い」


 ふくれた顔で言うが、15分もかかっていないと思うけど……。


「何してたのよ、こんな場所に2人で」


「何って……殺人事件が起きていたから捕捉して……って、説明必要か?」


 むしろ2人で行けと言ったのはレイじゃなかった?


「はいはい、分かったわよ。この辺りは全部終わったし、さっさとおじいちゃんの家に行きましょう。ほら早くしてよ」


 なぜか不機嫌なレイは、そう言いながらそそくさと助手席に乗り込んだ。カノンは特に気にする様子も無く「おじいちゃんち楽しみぃ」などと陽気に後部席に乗り込む。


 女心は本当に謎だ。……それか、この姉妹が特殊なのかもしれないけど。


 まあいいや。そう思い、運転席に乗り込み車を発進させた。

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