第24話 もうひとりのカノン

 ホテルの最上階にあるレストランで優雅に朝食バイキングを取り分ける。エレベーターが動かせず階段を昇ったせいでかなり疲弊したことも、美味しい料理の前ではいい思い出に変わった。……でも帰りも階段か。


「あのさ、とりあえず全部のメニューを食べようとするのカノンの悪いクセだよ」


 レイが呆れたように言う。


「な、何でよぉ! 前はそんなこと言わなかったのに、レイちゃんてばどうして急にこんな性格になっちゃったのぉ!? ……それもこれも……」


 カノンが俺をきつく睨んで来るが、俺にはまったく心当たりが無い。


「なあレイ……。カノンは一体どうしたんだ?」


「気安く私の名前を口にしないでくださいっ! ……そもそも自己紹介もしてもらって無いですよね!」


「ああ……うん、俺は……」


「時永賢太。27歳。あたしたちと同じで突然時間が止まり、この世界を人助けしながら旅してる。これで納得? カノン」


 つまらなそうにレイは言うと、大きく切り分けたローストビーフを口に頬張る。

 

 カノンは少し考え込んだあと、それでもやはり警戒しているらしく訝しげに尋ねる。


「……賢太さんは時間が止まってからどのくらい経つんですか?」


 そう尋ねられ、昨日ウインドウで見た日付換算を思い出す。


「大体1ヶ月かな」


「1ヶ月!? そ、そうなんですかっ?」


 分かりやすくカノンの表情が明るくなる。出会ったときと一緒だ。なにせ時間の止まった状態で犯罪をおかせば、他の犯罪者と一緒でたちまち捕捉されてしまう。1ヶ月何事も無く旅を続けていること自体が高潔の証となるのだ。警戒が緩むのも無理はない。

 だがカノンは思い直したように首を振り、再びジロリと睨むように俺を見る。

 そして立ち上がって言った。


「……でもですよぉ? あなた27歳って言いましたよねぇ?」


 言ったのはレイだけど。


「27歳のあなたが18歳のレイちゃんと付き合うのは……犯罪じゃないんですか?!」


「は……?」


 付き合うって何?


「何か誤解してないか? 俺とレイは別に……」


「レイちゃんを呼び捨てにしてる時点でアウトですぅ!! どうしてあなたは捕捉されないんですか!? ロリコンのくせにぃ! 大体どこで出会ったんですかぁ……私のかわいい妹ちゃんを返してくださいぃ……うぅ」


 情緒不安定すぎるんだが……。レイは我関せずといった様子でネギトロ丼を食べてるし。説明するんじゃなかったんかい。


 あれ……待てよ。


「今、妹って言ったのか?」


「言いましたけど! それが何ですか? 言い逃れしようって魂胆ですかっ」


 取り付く島がないな……。しかし妹?


「カノンはあたしの姉よ。飛行機事故で死ぬはずだったあの女の子。あれはカノンだったの」


 レイが口元をナプキンで拭きながら言った。


「……あの子がカノン?」


 驚きというより納得感が湧き上がる。やっぱりそうか……。でもそれならカノンはどうして生きていたんだ? 新聞では亡くなったと報道されていたのに。


「2人して何を言ってるんです? ……飛行機事故?」


 カノンが首をかしげる。

 ようやく食事を終えたのか、レイがお茶を飲みながら「座りなよ、カノン」と言った。


「賢太も来たことだし、色々確認したいからさ」


 カノンは何か言いたげな表情をしていたが、レイに促されおとなしく椅子に座る。


「カノン、まずはあなたに言っておかなきゃいけないの」


 まるで秘密を打ち明けるようにレイが言った。実際そうなのだろう。カノンが緊張したように目を見開く。


「あたしはカノンの知っているレイとは少し違う」


「……? どういうことなの?」


 カノンが眉にシワを寄せ目を細める。


「あたしには2つの人生の記憶がある。ひとつはカノンと一緒に育ち豊かで不自由なく暮らした記憶。……もうひとつは……」


 レイがわずかに言い淀んだ。無理に言わなくてもいいと思うけど……。

 だが、考えを見透かしたようにレイは俺を見て小さく首を振る。


「もうひとつは、家族を失い、とある犯罪グループに拾われて罪を犯しながら生きてきた記憶よ」


 カノンが怪訝そうに首をかしげる。


「……どうしてそんな記憶があるの?」


「それもあたしの人生だったからよ。カノンは覚えていないけど、あたしが賢太に出会う前、カノンは賢太と旅をしていたの」


 カノンは理解が追いつかないらしく、困ったように俺とレイの顔を見比べていた。

 ……ひょっとしてだけど、ここにいるカノンは俺が以前出会ったカノンとは別人なんじゃないか? ここに来てふとそんな疑問が心の中で持ち上がった。


「私がこの人と旅を? それってどういうこと? レイちゃんは何をしてたの?」


「金庫破りよ」


 レイよ。言葉足らずなせいでカノンが混乱しているぞ。


「出会いのきっかけはこの際どうでもいいの。言いたいのはあたしが2つの人生の記憶を持っているということ。どちらが本当のあたしとかってのは無いの。どちらも本物よ。ただ、犯罪者として生きていた未来では……カノン、あなたはもう死んでいたわ。飛行機事故でね」


「ちょ……ちょっと待ってね? いったん話を整理して…………って無理!」


 カノンが頭を抱えて立ち上がる。


「分けわかんないよぉ! 私は死んでたの? でもそこの賢太さんと私は旅をしてたの? そしてレイちゃんは金庫破りをしていたの? ごめんなさい、私の頭じゃキャパオーバーですぅ……」


 力尽きたように再び椅子に座り込んだ。

 そうだよな。いきさつを知ってる俺でもわけわからん。


「あたしだってそうよ。分かんないことがたくさんある。周りの時間が止まっているのだってそうよね。もう慣れちゃったけど」


 レイが辺りを見渡しながら肩をすくめる。


「でね? 二パターンの人生の記憶を持つあたしにとって、どうしても不可解なことがあるの」


 もしかして俺と共通しているかもな。


「……最初に出会ったカノンの存在か?」


 レイが無表情で指を鳴らし、「そうよ」と言った。


「正確にはそれらを含む色々ね。……ここにいるカノンはあたしを知ってるわ。当然よね、一緒に育った姉妹だもの。けど、最初に出会ったカノンはあたしを知らなかった。彼女は飛行機事故で死んではいなかったけれど、なぜだか彼女の人生にあたしの存在は無かった」


「もしかしたら死んだという報道が間違っていたのかもな。本当は生きていて、レイが連れ去られたことを知らずに生きてきたとか」


 俺が言うとレイは首を振る。


「墜落した機体の残骸を実際に見たでしょ?」


「……ああ」


 まあ確かにな……。万が一が無いとは言い切れないが……あれで生きてる確率はゼロに等しいだろう。


「だから推測はこうよ。この世界は複数の未来が隣り合わせに存在していて、ふとしたきっかけで異なる未来に移動してしまうの」


 んーと。どういうこと?


「つまりあたしと賢太、カノンで旅をしていた時と、今この時では違う世界に変わっているのよ。ここは14年前に飛行機事故が起きなかった未来の世界。そしてあたしたちが出会ったあの場所は、あたしの知らない別の未来を生きるカノンのいる世界。そこでは飛行機事故があったかもしれないし、無かったかもしれない。でも少なくともカノンとあたしが一緒に暮らしてはいなかった。だからカノンはあたしを見ても妹だとは思わなかったの」


 分かるような……分からないような。隣にいるカノンは考えるのを放棄し始めたようだ。遠い目をしながら紅茶をすすり出した。


「……俺たちが最初に出会ったのがここと違う世界だとして、一体いつ世界が切り替わったんだろう」


「少なくともあたしは、賢太が子供のあたしを置き換えた瞬間よ。意識が切り替わったときには隣にカノンがいて、あたしは二人分の記憶を持っていた」


 なるほど。じゃあ俺はいつだろう? 飛行機の中から一瞬で砂浜に移動したときだろうか。


「途中で別れたカノンは、別の未来世界で今も一人でいるってことか?」


「分からない。複数の未来世界の境界線は、あたしたちが思うよりずっと曖昧なものかもしれないし。……少なくとも、パラレルワールドみたいに平行世界が切り離されて並んでいるわけじゃないと思うわ。もっと複雑で、もっと混ざり合ってるものだと思う」


「レイちゃん……。賢くなったわね」


 カノンが遠い目のままつぶやいた。もはや完全に思考を放棄してるな……。


「二回分の人生を生きてるからね。こっちのあたしは高い教育も受けていたようだし、おかげで文字を読むのに苦労しなくて済むわ」


 そうだった。以前のレイは、外国で育ったせいで文字を読むのが苦手だった。


「言ったように推測よ。実際がどうか確かめる方法はまだ思いつかない。とにかく、ここにいるカノンは賢太が知るカノンとは別人よ。あなたを忘れたんじゃなく、そもそも会うのは今日が初めてなの」


「そういうことですか……」


 彼女が別人に思えたのは気のせいじゃなかった。もちろん、同一人物なのは間違いないのだが、違う未来を生きているカノンだということだ。

 寂しいというか何というか……複雑な気分だ。


「それとね、賢太」


 少し思い悩んだ表情でレイが続けた。


「あの飛行機事故のこと。……もう置き換えてしまった過去だし今さら蒸し返す必要はないかもしれないけど……」


「何か分かったの?」


 レイを拾った犯罪グループの男が絡んでいた事件だ。終わったこととはいえ、何か分かるなら知っておきたい気持ちはある。


「なぜ家族が死ぬことになったのか。もうひとりのレイの記憶を持ったことで心当たりが出来たの」


 そしてレイが息を軽く吸い込んだ。


「たぶん……あたしたちの家系が原因ね」

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