新しい記憶
「置キ換エマシタ」
機械音声が流れ、幼いレイの体が宙に消えた。そっと後ろを振り返ると、そこにいたはずのレイもいない。機内は静まり返り、俺の息遣いだけが聞こえていた。
やはり彼女は消えてしまったのだ……。幼いレイが消えたと同時に、彼女が歩むはずだった過酷な未来が置き換えられたということだろう。
喜ばしいことかもしれないが、言いようのない寂しさが胸を満たした。高い確率でこうなるだろうと予想はしていたんだけどな……。
しばらくそこを離れられずにいたが、いつまでも立ち止まってるわけにはいかない。レイ無しでこの空中から脱出しないといけないのだ。また機体をつたって下に降りる? 登ってくるときよりも遥かに怖い。
コックピットを抜けて通路に出ると、空間のゆがみがあった。他の機体に移動できるのだろう。深く考えずくぐり抜けると、そこは砂浜だった。
あれ……何で?
さくっと砂を踏む音とともに、思わず体がよろめく。飛行機の残骸はどこにもない。空中に浮かんでいたはずの飛行機たちも。空はいつもどおり土曜の朝8時30分に戻っている。14年前の過去とともに、すべて消えてしまったのだ。束の間をともに過ごしたレイも一緒に。
すぐ行動する気になれず、砂の上に座り込んだ。時間の止まった世界は穏やかで静かだが、時折猛烈な孤独感に襲われる。今がまさにそうだ。
レイがいなくなったことは、想像していたよりもずっとショックだ。数少ない話し相手でもあったから。
……というか待てよ。彼女がいないと、船が動かせないんだけど。
乗ってきたエンジン付きボードに駆け寄った。レイのために用意したリュックはそのまま残されている。食料も十分だ。だからっていつまでもこの無人島にいるわけにいかない。このエンジン……船外機とレイは言っていたが……をどうにか動かさないと。
幸いなことにボートの説明書が備え付けのクーラーボックスに入っていた。それを見ながらどうにかエンジンをかけると、わずかな焦りとともにボートに乗り込む。もう少し感傷に浸っていたかったが、それよりもやることがたくさんあるんだ。ここで立ち止まってる場合ではないよな。
もしかしたら、幸せな未来を生きているレイをどこかで見かけるかもしれない。そう考えると旅も少しは楽しみに思える。
◆ ◆ ◆
レイはかすかな頭痛とともに目を覚ました。
空は明るく、やわらかなベッドの上で見覚えのある女性が隣に眠っている。
「カノン?」
何気なく名前を呼ぶ。するとカノンがうーんと背伸びをしながら目を開いた。
「もう起きたのぉ? お姉ちゃんはまだ眠いよ」
「……? カノン、どうしてここにいるの? ていうかあたしは今まで賢太と……」
カノンが不思議そうな顔で体を起こした。
「どうしたのよレイちゃん。いつもはお姉ちゃんって呼んでくれるじゃない」
「は? あたしがいつあなたをお姉ちゃんなんて……」
なぜだか心当たりがあった。眠りにつく前までカノンを姉と認識していた記憶があるのだ。それはレイをひどく混乱させる。
「カノンがあたしのお姉さん……?」
「お姉さん、じゃなくてお姉ちゃんって呼んでよぉ。その方がかわいいし」
カノンが頬を膨らませ腕組みをする。
「レイちゃん何か……雰囲気変わった? 急に大人っぽく見えるよぉ?」
「ちょっ……と待って」
レイは目眩に襲われた。これまで見聞きしたことのない記憶が一斉に頭に流れ込んだせいだ。犯罪グループの一員として各地で罪を重ねていた記憶の上に、裕福な家庭で不自由なく暮らした別の記憶が重ねられていくのだ。二人分の人生が混ざり合い脳がショートした感覚を覚える。
再びベッドに倒れ込むと、「ごめんカノン、一回寝る」と言って目を閉じた。
「え? ちょ、ちょっと大丈夫なの?」
カノンが慌てるが今は彼女を気にしている余裕は無い。さきほどまで一緒にいたはずの賢太のことを思い浮かべながら、脳を再起動すべくいつの間にか眠りに落ちていた。
次に目が覚めたとき、カノンはベッド脇のテーブルでホットミルクを飲んでいた。
外は相変わらず、午前中のように明るいままだ。
「あ、起きた? ねえ大丈夫?」
心配そうにこちらを覗き込むカノン。幼い頃から知る姉の顔だ。
「カノン……」
「何かあった? 体調が良くないのかな」
「心配ないよ。色々思い出して混乱しただけ」
「思い出す?」
レイは説明しようと口を開いたが、思い直して口をつむぐ。うまく説明出来る自信が無かったし、カノンとともに生きてきたレイの記憶には賢太の存在が無かったのだ。
ここは時間の止まった世界だ。それは変わらない。しかし今のカノンとレイは、賢太にはまだ出会っていない。
ここは旅の休息所に選んだビジネスホテルだ。2人はどういうわけか時間の止まった世界に取り残され、姉妹だけで旅をしている。
当初はほかに男女が一人ずついたが、罪を犯そうとして世界から捕捉されてしまった。それから一年間も旅を続けているのだ。
「ここは賢太のいる場所と同じ世界線なのかな」
ぼそりとつぶやいた。
「けんた? ってだれ? もしかしてレイちゃんの彼ピ?」
カノンが少しだけ寂しそうに尋ねる。妹を取られた姉の顔だ。
「違うよ……もしかしたらあたしたちみたいにこの世界で人助けしてるひと」
「ほぅわ! そ、そうなの? 私たち以外にも動ける人がいるのぉ!?」
「……まだ分かんないけど」
そう言いながら何気なく親指の関節をもう片方の親指でこする。
突然視界に地図ウインドウが開いた。
――そうか、あたしも地図を見ることが出来たんだ。
思い出したレイは地図を縮小しながら、先程まで賢太とともにいた無人島を探した。
「……いた」
「え? 誰が?」
カノンの質問には答えず、地図に浮かぶ緑色の点を凝視する。
まるでGPSのように、一度認識した相手ならば地図上に位置が表示されるのだ。
無人島から港に向かって緑色の点が海上を移動している。
「賢太……やっぱりこっちにいるんだ」
賢太はおそらくカノンと合流するためにこちらへ向かうだろう。
突然目の前から消えてしまってどう思っているだろうか。もしかしたらカノンのように出会った記憶が無いのだろうか。
それでも気持ちは変わらない。
一緒に家族を探してくれたこと、幼い自分と姉のカノンを助けてくれたこと。まずはどうしてもお礼を言わなければ。
「カノン、しばらくこの街で待っていようよ?」
「ま、待つって何を?」
「賢太だよ」
「誰よぉー!?」
騒ぐカノンを尻目にレイは窓の外を見つめた。この街にも赤い点滅はまだ残っている。賢太を待つには丁度良いかもしれない。
レイは再び3人で旅出来ることが不思議と待ち遠しくてたまらなかった。
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