第19話 海岸にて

「登れそうか? レイ」


 彼女は空中に張り付く飛行機の残骸の上にいた。バラバラになった破片は絶妙に地続きになっており、うまくすれば後ろに連なるほかの飛行機にも辿り着けそうだった。


「大丈夫、ここから機体に入れるみたい」


 瓦礫に足をかけながらレイが答えた。


 数秒ごとに時間を切り取ったみたいに、いくつもの飛行機が空に続いてる。ある飛行機は断片的に翼だけ残して消えており、ある飛行機は同じく機首だけ残してほかの部分は無い。空間が壊れているとレイは言ったけど、まさにそんな感じ。背景の透明な写真を何枚も重ねたような光景が海岸から一直線に空に向かっているのだ。


 身軽なレイと違って運動不足である俺は、恐る恐る残骸の上を進む。こんな危険な場所を年下の女性に先に行かせるのもどうかと思うが、正直レイに追いつくのもやっとだ。というか足場が高くなるにつれて冷や汗が止まらないんだが……。


「大丈夫? 賢太」


 レイが手を差し出しながら尋ねた。


「ああ……遅くてごめん。こういう所を登るのは慣れて無くて」


「壊れた飛行機に登り慣れてる人なんていないって」


 まあそれもそうだ。

 手を引かれ、ようやく原形をとどめた機体の中によじ登る。


「時間違いのすべての飛行機が同時に存在しているってことよね……バラバラになった機体を登っているとき、搭乗していた人たちが見当たらなかったのは神様の気遣い?」


 そういや見なかった。……いや出来れば見たくはないけども。


「どうだろうな。もう一度地図を見てみる」


 親指を擦り合わせて地図を開くと、いくつか先の機体に点滅があるようだ。


「もっと進んでみよう。搭乗していた人たちはそこにいるらしい」


「分かった。いちいち搭乗者を消す必要が無くて良かったわね」


 淡々と答えながらレイが尾翼に向かって進む。


 少し前の時間軸と機体同士の内部でつながっているようだ。

 つなぎ目にかすかな空間のズレがあったが、気にしなければ気づかない。


 機体の損傷が徐々に少なくなっていく。シートの間の狭い通路をひたすら進んでいくが、しかし豪華な飛行機だ。革張りのシートはリクライニング付きだし、通路に敷かれたカーペットも柔らかくフカフカしてる。プライベートジェットじゃないにしても、これをチャーターして無人島に向かうくらいだ。乗っている人たちが富裕層であることは容易に想像できる。


「レイ、この先だ」


 いよいよ点滅に近づいてきた。


「分かった」


 空間の継ぎ目を越えると、問題の機体に到着した。


 シートに何人か座っている。機体の損傷具合からしてまだ生きているはずなので、それぞれに触れて置き換えをすればいいはずだが……。なんか様子がおかしい。


 シートにもたれかかっていたり、床に倒れ込んでいる人もいた。


「気を失ってる?」


 レイが床に倒れている一人に駆け寄った。


「にしては顔色が普通ね。ただ眠ってるの? でも……」


 ぐるりと機内を見渡す。


「全員が一斉に眠くなるとすれば、何か……睡眠薬とか……」


 確かに、疲れて眠ったにしては寝相が壮大だ。地理的にそれほど長いフライト時間でも無さそうだし。


 レイはシートに倒れた女性の元へ行く。窓際にジュースの入ったグラスが置かれていた。


「ドリンクに睡眠薬を混ぜたのかな。……でも全員が飲んだとは限らないし」


 状況を理解するため必死に頭を回転させているようだ。

 レイにとっては家族かもしれない人たちだ。詳しく状況を知りたくなって当然だとは思うが……睡眠薬? 何だかきな臭い話だが、これは人為的な事故なのか? そういえば新聞に事故の原因は最後まで書かれていなかったな。


 真相はともかく、俺に出来るのは対象者に触れて置き換えることだけだ。地図を見るとまだ赤い点滅のままだし、これが黄色の点灯に変わるまで置き換えは出来ない。


 どのみちレイかもしれない女の子を探すのだ。そう広くはない機内をひとまず見回してみる。


 レイの目の前にいる女性は、行方不明になっている女の子の母親では無さそうだ。新聞の写真はインクが古く見づらいので参考にならないが、年齢がずいぶん上だから。小さな子どもがいるようには思えない。通路を挟んだ隣の男性は彼女の夫だろうか。白髪交じりで恰幅の良い体型をしている。すでに定年を迎える年齢かもしれないな。


 なら機体の後方にいる家族がそうだろう。案の定近づくと、女の子が一人シートにもたれていた。新聞に乗っていた姉の方だ。後ろの席に座っているのが両親か。


 ……でもそれだけだ。もうひとりの女の子がいない。


「レイ、こっちに来てくれ」


 彼女は一旦思考を止め、「どうしたの?」そう言いながらこちらへ来る。


「この人たちが女の子の両親だと思う。……見覚えはあるかな?」


 無表情のままじっとシートに座る男女をレイが見つめた。


「どうだろう……。見覚えがある気もするし……ない気も……あれ、でも」


 何か思い出したようだ。視線の先にはもう一人の女の子がいる。


「この子は……覚えてる……。一緒に遊んだ記憶があるよ……ずっと昔に」


 女の子の頬に触れ、確かめるように顔をじっと覗き込んだ。


「お姉ちゃんだ……」


 顔をくしゃっとさせ、女の子の手を握りしめた。


「両親よりもお姉さんの方が覚えているんだな。きっと仲が良かったんだね」


「……うん。でも、顔を見るまで思い出せなかった。……姉がいることを。新聞にもう一人女の子の写真が写っていたけど、なぜだかそれを姉だとは思わなかったの」


 子供の頃の記憶だからな。曖昧なものだとは思うが……。


「そういえば……この子の顔、俺もどこかで見た記憶があるな。気のせいかもしれないけど」


 目を閉じて窓にもたれかかっている少女。小学校の中学年くらいだろうか。見覚えがあるとか、ちょっと間違えれば誤解されてキモいおっさんに成り下がるが……でも確かにどこかで……。


 そのとき彼女の足元に置いてあるリュックに、ネームホルダーが付けられているのが見えた。女の子が好きそうなキャラクターのネームホルダーだ。

 何気なくそこに書かれた名前を読む。新聞では名前がかすれて読めなかったのを思い出したからだ。


「神下花音……かのん……カノン?」


 レイがはっとしたように俺を見る。思わず俺もレイを見返す。

 そうなのだ。見覚えがあると思ったら……この女の子、カノンにそっくりなんだ。


 あれ……どういうことだ?

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