第27話:変わらないな

 家に帰ると十二単じゅうにひとえさんが僕のベッドですやすやと眠っていた。

 最近の彼女はこうして眠っていることがよくある。

 それもまた彼女の召される時が迫っているからなのかもしれない。


「十二単さん、起きて。起きてよ」


 こういう時、触ることの出来ない霊体ってのは不便だ。

 身体を揺らすのが不可能だから、耳元でその名前を呼ぶしかない。


「んー? ああ、もう夕方なんだ? ふぁぁあああ、よく寝たー」


 しばらく声をかけ続けること数分、ようやく目を覚ました十二単さんが寝ぼけ眼のまま上体を起こして、おっぱい丸出しでうーんと背伸びをする。


「さぁて今日もひかるんと楽しいガールズトーク……って、ぎょわあああああああ!?」


 うわっ!

 いきなりこれまで聞いたことがないような声をあげるので、僕まで驚いてしまった。


「ちょっ!? なんで伊原がモブ男んちに来るのよ!?」

「あ、うん。なんか伊原君が十二単さんと話がしたいって」

「へ? なにこいつ、私が幽霊になってモブ男だけに見えてるって話を信じてるの?」

「そうみたい」


 と、それまで僕の様子を黙って見ていた伊原君が突然しゃがみ込んだかと思うと、ガバっとベッドへ顔を乗り出してきた。


「十二単、そこにいるのか!?」


 いつもクールな伊原君が必死な形相を浮かべて呼びかける様子を、僕はこれまで見たことがなかった。


「ぎゃあああああああ! ちょ、伊原、あんた、どこに顔を突っ込んでくるのさーーーー!!!」


 そしてその伊原君が十二単さんのおっぱいに顔を埋めている姿もまた、初めて見る光景だった。


「モブ男、見てないで伊原をなんとかしてーーーー!」


 あー、はいはい。

 僕は「大丈夫、ちゃんとそこにいるから安心して」と伊原君をさりげなく十二単さんから距離を取らせると、両者が落ち着くのを待って通訳を始めた。


「『あー、ごほん。えっと久しぶりだね、伊原』」

「ほ、本当に十二単なのか?」

「『そうだよ。なに、しばらく見ない間に疑い深い性格になっちゃったの?』」

「そ、そういうわけではないが……なぁ十二単、どうして死んだんだ?」

「『私だって死ぬとは思ってなかったんだってば』」


 その言葉にきょとんとする伊原君へ、僕は十二単さんが自殺ではなくて猫を助けようとしてトラックに轢かれたことを説明した。

 しばらく絶句して言葉も出てこない伊原君。

 でもやがてため息をつくと。


「なぁ十二単、中学生の頃に俺が告白した時、お前がなんて言ったか覚えているか?」


 いきなりそんなことを言ってきた。


「『ちょ、バカ! ひかるんやモブ男もいるのにいきなりなんてことを言ってるのさ!』」

「そんなのはどうでもいいよ。それより答えてくれ、十二単」

「『……………』」


 珍しく顔を真っ赤に染め、僕を恨めしそうに睨みつける十二単さんが小さく「……忘れた」と呟く。


「『覚えてる』だって」

「おいちょっとモブ男! ウソを伝えるなっ!」

「あの時、お前は俺がもっと大きくなってそれでも自分のことが好きだったら付き合ってやるって言ったんだ」


 十二単さんの「わっ、伊原のバカ! そんなことをふたりの前で言わないでよ! 恥ずかしいじゃん! おい、モブ男、こいつを殴って黙らせろ!」って言葉を僕は『もちろん覚えてるよ』と意訳する。

「モブ男! あんたあとで殺す! 絶対呪い殺す!」とか言ってるけど無視することにしよう。


「俺はその言葉を信じて、今でもお前のことが好きなんだぞ! なのになんで死んじまったんだ!?」


 もっとも伊原君のその言葉にさすがの十二単さんも怒りを収めて、しんみりとした表情になって伊原君を見つめなおした。

 そしてよっこいしょとベッドから降りて伊原君の後ろへ立つと、その背後から優しく子供を愛しむかのように抱きかかえる。

 伊原君にその感触はないはず。

 だけど同時に伊原君の目からつつーと涙が零れ落ち始め、ううっと小さな嗚咽が僕の部屋に鳴り響く。


 結局、伊原君が泣き止むまで十二単さんはその身体をずっと抱きしめていた。




「なんかみっともないところを見せちまったな」


 駅まで光ちゃんを送るその道すがら、一緒に歩く伊原君が少し照れくさそうに、でもどこかすっきりしたような表情を浮かべて言った。

 いきなり泣き出した先ほどといい、普段はクールな伊原君のそんな表情を見たのは初めてだった。


「ううん、みっともなくなんてないよ。私だって未来を約束した人がいきなり死んじゃったら伊原君みたいになると思うし」


 そう言ってちらりと光ちゃんが僕を見る。

 安心して、僕はそんなことにはならないよと微笑み返した。

 うん、トラックに轢かれそうになっている猫を身の危険も顧みずに助けようなんて勇気、僕にはない。きっと多くの人もそうだと思う。十二単さんが特別なんだ。


「うーん、でも十二単さんのことをこんなにも想っているんだから、伊原君にこそ彼女の姿が見えたらよかったのになぁ。なのになんで僕なんだろ? 神様も酷いことをするなぁ」


 それは嘘偽りない本音だった。

 前からどうして僕にだけ十二単さんの姿が見えるんだろうって疑問に思っていたけど、伊原君の存在でますます何故僕なんだって不思議な気持ちになる。


「本山には何か心当たりはないのか?」

「ないよ、ないない。だって僕はただのモブキャラだもん。十二単さんと何のつながりもないよ。そりゃあまぁ、可愛いなぁとは思ってたけど」

「へぇ、信男君、そうだったんだ……」

「あ、でも好きとかそういう感情はないよ! それに光ちゃんもずっと前から可愛いなと思ってたし!」


 危ない危ない、下手なことを言ってまた光ちゃんを怒らせるところだった。


「だったら結衣ちゃんが信男君のことを好きだった、とか?」


 って今度は光ちゃんがまた余計なことを。

 ほら、伊原君が僕のことを睨みつけてくるからやめてもろて。


「いやいや、それはないと思うよ。そもそも十二単さんが僕のことを好きだったとしたら、今と僕の光ちゃんの関係をああも歓迎してくれると思う?」

「うーん、それもそっか。私たちって結衣ちゃんが引き合わせてくれたようなもんだもんね」


 それでもまだ疑いの目で見てくる伊原君に、僕はこれまでのことを説明する。

 十二単さんのせいで光ちゃんに話しかけたこと。

 十二単さんのおかげで光ちゃんと仲良くなれたこと。

 十二単さんのことで危うく光ちゃんと別れそうになったけど、やっぱり十二単さんを通じて再び縁を戻せたこと。


「……そうか、相変わらずだな、あいつは」


 その甲斐もあってか、駅に着く頃には僕の言うことを信用してくれた伊原君がぽつりと呟いた。


「相変わらず?」

「ああ、あいつは……十二単結衣はそういう奴なんだよ、昔からな」

「そう言えば伊原君って中学生の頃に結衣ちゃんへ告白したって言ってたよね。昔からってことは、もしかして当時の伊原君がフられたのってもしかして?」

「ああ、別の女の子に遠慮したんだよ、あいつは」


 当時の十二単さんの友達に伊原君のことが好きな女の子がいたらしい。

だから十二単さんは伊原君の告白を断りながらも、その子のことを代わりに薦めてきたとか。


「勿論、俺は断った。だって俺が好きなのは十二単だからな」


それに十二単さんがしつこくその子を薦めてくるたびに、伊原君はもっと十二単さんのことが好きになっていった。


「だってまるで自分のことのように他人の恋愛に必死だったんだ、あいつは」

「結衣ちゃんはそういう子なんだよ。自分よりも人のことを優先しちゃうの」

「ああ。でも、だからって猫を助けるために自分が死ぬことはなかったのになぁ」


その一言になんだかまたしんみりとしてしまう僕たちだった。



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