第18話:伝えなくちゃいけない

 渡辺さんから衝撃的な告白をされてからの記憶はほとんどない。

 気が付けばお祖母ちゃんの家どころか自分の家に戻ってきていた。


 妹が言うには帰省三日目には親戚一同が集まって、豪勢な料理が振舞われたと言う。

 それを僕は親戚のおじさん、おばあさんたちに勧められるがまま料理をパクパク食べたらしいけれど、その味どころか何を食べたのかすら覚えてない。

 でも本山家の長男らしい堂々としたその食べっぷりはみんなを喜ばせたらしいので、まぁそれは良しとしよう。


 問題は――やっぱり渡辺さんからの告白だった。


「まったくモブ男のどこが好きになったんだろうねぇ、ひかるんは」


 僕のベッドにいつものように全裸で腰掛けながら、十二単じゅうにひとえさんがしみじみと言う。

 この話をするのはもう何度目だろう。女の子は恋バナが好きだとは聞いていたけど、本当なんだなぁと思った。

 もっともこの一件を恋バナと言っていいのかは微妙なところだけど。


「だってモブ男だよ? コクられてピカソの絵みたくなるような奴だよ?」


 それを言ったら十二単さんだってピカソってたけどね。


「あたしはいいの。部外者なんだから。でも、あんたはコクられた張本人。いい、女の子が勇気を出してコクってきたんだよ? なのにピカソって……あたしだったら顔面をぶん殴ってる」


 まぁ、十二単さんならそうだろうなぁ。

 でも渡辺さんは違った。

 驚きのあまり声も出ずに固まった僕に辛抱強く我慢してくれた挙句、「返事はいつでもいいから」と考える時間までくれたのだ。


 ありがたかった。

 なんせこんなことは生まれて初めてのことなので、咄嗟に返事なんか出来るはずもない。

 一度社に持ち帰って十分検討した後に、ご返事させていただくという方向でどうかひとつ。


「でも、いくらひかるんが待ってくれるとは言っても、そろそろ返事してあげないとダメだよ、モブ男」


 うっ、そうだよね。

 告白されてから一週間あまり、渡辺さんからは何も言ってこなかった。

 LINEを交換したからやろうと思えばいつでもメッセージを送ったり、電話をかけたりして返事を催促できたはずなのに、彼女はそれをしなかった。


 冷静になって考え直してみたら本山君にコクるなんてどうかしていた……なんてことは、きっと渡辺さんに限ってないだろう。

 この瞬間も僕から連絡が来ないかと待っているはずなんだ。

 だけど……。


「はぁ、そんなに加藤が怖いかなぁ」


 バカにしたような、いや完全にバカにした言い方だけど、反論は出来なかった。

 渡辺さんの相談に乗っただけであんなに怒り狂った加藤君だ。もし僕が付き合ったりなんかしたら、どんなことをされるか分かったもんじゃない。


 でも、それだけじゃないんだ。

 僕が返事を迷ってしまう理由……それは加藤君の件以外にも対人恐怖症とか、恋人になっても何をやったらいいのか分からないとか、渡辺さんと僕では釣り合わないとか色々あるんだけど一番はやっぱり。


 ――どうして僕を好きになったんだろう?


 結局そこだった。

 どう贔屓目に見ても、女の子に好きになってもらえる要素が僕にはなにもない。

 そりゃあ落ち込んでいる渡辺さんを励ましてあげたり、相談に乗ってあげたりしたよ。

 でもそれは十二単さんに言われて仕方なくやったことだったり、伊原君に丸投げしたりして、僕自身はこれと言って何もしていない。

 渡辺さんに好きになってもらえる資格なんて僕にはどう考えてもないんだ……。


 その時だった。

 床に置いていたスマホが震えた。

 画面には一週間前に登録したばかりの渡辺さんの名前が表示されていた。




「ごめん、本山君。待った?」


 人混みをすり抜けるようにして、渡辺さんが手を振って駆け寄ってくる。


「う、ううん。ぼ、僕も今来たところだから」


 いつも以上に声が上ずっているのが自分でも分かった。

 それは返事待ちにしている渡辺さんと久々に会うってこともある。さっきまではそれでドキドキしていた。


 でも、渡辺さんの浴衣姿を見た途端、そのドキドキが一気に高まった。

 白字に群青や紫の朝顔が一面に咲いている浴衣に、鮮やかな橙の帯。お団子に纏め上げた髪の毛には、動きに合わせてしゃりんと小さく鳴るかんざし。手には浴衣と同じ柄の巾着袋。足元も菖蒲色の鼻緒が爽やかな下駄を履いている。

 米子で見た私服姿もいいなと思ったけれど、今日はそれ以上に見とれてしまうほどに綺麗だった。


「ほら、モブ男。モブ男の為に浴衣を着て来てくれたんだよ。何かいってあげたら」


 十二単さんがニマニマしながら僕に囁く。

 そ、そうだね……。


「渡辺さん……」

「うん? 何、本山君?」

「えっと、その……とても似合ってる、浴衣」

「ホント? おかしくないかな?」

「全然! すごく……綺麗だ」


 渡辺さんの顔が、夜空に咲いた花火で照らされたみたいに俄かに色づく。

 でも花火はまだ上がっていない。

 だったらどうしたんだろうと思って、ようやく自分が何を言ったのかに気が付いて途端に僕も恥ずかしくなった。


「あ、ありがと……本山君」

「う、うん」


 ふたりして照れる僕たちの横で十二単さんが「いやー、青春だねぇ」なんて言いながら、夏祭りに集まった大勢の人の中を全裸でふわふわ浮いていた。


 渡辺さんからの連絡は、夏祭りへのお誘いだった。

 人混みが苦手な僕にはこれまで縁のなかったイベントだ。だけど今回は行くことにした。

 だってそろそろ告白の返事をしないと渡辺さんに悪いから。


 ただ、その返事はまだ決めていなかった。




「本山君、頑張って!」


 後ろから応援してくれる渡辺さんの声に僕は小さく頷いて、僕は頑張ってぎゅっと握りしめたポイを出来るだけ静かに水中へとくぐらせる。

 狙いは大量に泳ぎまくっている金魚の中でも一番大人しそうな、まるで僕みたいな奴。こいつなら僕でも取れるだろうと思ったんだけど。


「……あ」


 ちゃんと掬い上げたと思ったのにポイの紙が破れてしまった。


「あー、残念! もうちょっとだったのに!」

「モブ男、手首の返し方が下手すぎなんだよー」


 悔しそうな声をあげる渡辺さんと、その横で「こう! こうするんだよっ!」とおっぱいを揺らしながら実技指導を始める十二単さん。

 そんな僕たちに店主のおじさんがニヤリと笑って「惜しかったなぁ、にいちゃん。どうだい、カノジョの為にもう一回やるかい?」と僕に問いかけてくる。


 僕は愛想笑いを浮かべて頭を左右に振ると力なく立ち上がった。


「本山君、もういいの?」

「う、うん」

「こらモブ男、逃げるな! 金魚すくいから逃げるな!」

「じゃあ次はあっちの射的をやってみよっか。それとも本山君も何か食べる?」


 そういう渡辺さんの右手にはりんご飴。お祭りには絶対これを食べることに決めてるらしい。


「ううん。そ、それよりちょっと、や、休みたいかな」

「は? なに言ってんのモブ男? まだ見てない屋台がいっぱいあるじゃん!」

「え……。あ、うん、分かった。だったらちょっと早いけど花火の見えるところへ行こっか。私、毎年来てるから穴場を知ってるんだよ」


 不満たらたらな十二単さんとは違って、渡辺さんは僕を気遣って賛成してくれた。

 でも、一瞬しゅんと気落ちしたような表情を浮かべたことからも、きっと渡辺さんももっと屋台を楽しみたかったんだと思う。

 なんだかすごく申し訳ない気分になった。

 でも多くの人が集まるお祭りとかを敬遠していた僕は楽しみ方がよく分からなくて、それに渡辺さんへの返答を考えたりしてたら、自分でも情けないほど早く限界が来てしまったんだ。


「こっちだよ、本山君」


 人混みの中、渡辺さんが先導するその後ろを、僕は黙ってついていった。

 隣で十二単さんが深くため息をつく。

 うん、分かってるよ、こういうのも本当なら男である僕の役目なんだよね。はぐれないように手を繋いであげたりしてさ。


 だけど今の僕は渡辺さんの背中を付いていくだけで、その手を握ってあげる勇気もない。

 ホント、どうして渡辺さんはこんな僕に好きなんて言ってくれたんだろう?


「……ね、ねぇ、渡辺さん」


 賑わう屋台の群れを抜けて、行き交う人も少なくなってくると僕はもう我慢が出来なくなった。


「ん? どうしたの、本山君?」

「あのね、き、聞きたいことがあるんだ」


 振り返って顔をかすかに傾ける渡辺さん。しゃりんと鳴るかんざしの音が妙に大きく聞こえて、おかげで僕が飲み込んだ唾の音をかき消してくれた。


「こ、こんな僕のどこを……す、好きになったの?」

「え?」

「だ、だって僕……こ、こんな情けなくて、か、格好悪くて、一緒にいても面白くない奴なんだよ? な、なのにどうして?」


 こんな質問をすること自体がとてつもなく格好悪いと分かっていながらも、僕は震える声を懸命に押し出した。

 だけど渡辺さんの顔を見れるほどの勇気はなくて、僕は思わず下を向いてしまう。

 ちゃんと顔を見て言わなくちゃいけないとは思うんだけど、さっきみたいな表情を――僕に幻滅したような様子を見せられたらと考えたら怖くて顔を上げられなくて、ただただ渡辺さんの鼻緒で分けられた足の指を見つめていた。


「……あのね、私もよく分からないんだけど」


 渡辺さんが近づく音と一緒に、その声が聞こえてくる。


「本山君と一緒にいると私、不思議と安心できるの」


 続いて感じたのは僕の手を握ってくる渡辺さんの手の暖かさと、りんご飴の甘い匂い。


「あ、安心できるって……ぼ、僕、そんな頼りになるような人間じゃないよ?」

「ううん、そんなことない! そんなことないよ、本山君! 私、いっぱい助けてもらったもの。結衣ちゃんが死んじゃった時も。加藤君に困っている時も」

「で、でも、じゅ、十二単さんのことは……ぼ、僕の勝手な想像だし……か、加藤君のことは……い、伊原君のおかげ、だと思う……」

「本山君!」


 それは怒ったような、悲しそうな声だったから。

 だから僕は渡辺さんを、今度こそ失望させてしまったと思った。

 でも、それも仕方がない。だって僕はこういう人間だもの。渡辺さんが僕のことを勘違いしているのなら、もっと深い仲になる前にその誤解を解いてあげた方がお互いに……。


「それでも私を助けてくれたのは本山君だったの! だから私は本山君が好き。大好き!」

「……え?」

「私ね、こう見えてすごく優柔不断な性格なんだ。不安症で、自分に自信がなくて、ちょっとしたことでも落ち込んだり、悩んだりして。でも、そんな私の背中をいつだって結衣ちゃんが押してくれた。私に頑張れって勇気をくれた」

「…………」


 僕は顔をあげた。

 顔をあげて、渡辺さんを見てあげなきゃと思ったからだった。

 そして出来れば教えてあげたかった。

 今も渡辺さんに寄り添うようにその肩を優しく抱きしめる十二単さんのことを。


「そんな結衣ちゃんが死んじゃって、私は悲しむことしか出来なかった。みんなが励ましてくれたけど、ダメだった……。結衣ちゃんがいてくれないと私はダメなんだって思っていたその時、本山君が現れてくれた」


 ああ、そうだったのか――。

 僕はようやく理解した。彼女がどうして僕なんかを好きになってくれたのかを。

 そして彼女の告白に応える前に、僕がなにをすべきなのかも。


「――わ、渡辺さん、し、信じてもらえないかもしれないけれど」


 それを言ってどうなるかは分からない。

 最悪、僕は頭が狂ったと思われるかもしれない。

 だけど僕は伝えなくちゃいけない。彼女の告白に応えるためにも。


「じゅ、十二単さんは今もいるんだ、ぼ、僕の近くに」


 ☆ ☆ ☆


 モブ男は本当にいろんな意味で純粋な子なんだなぁって思います。

 好きだっていってもらえているのだから、素直にそれを受け止めたらいいのに、どうして僕なんかを好きなんだろう、何か勘違いしているのだったら今のうちに誤解を解いておいた方がいいよな、なんてなかなか考えないような気もします。

 でも人付き合いが苦手ってこういうことなんだと思うんですよね。他人のことに鈍感じゃなくて、むしろ敏感過ぎて下手に動けないというか。

 さて、それはともかく結衣さんのことを話されて渡辺さんはどういった反応をするのえしょう? ふたりの行方は次の話に続きます。

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