第12話:船上桟敷の人々

 修学旅行の行き先は関西だった。

 高校生にもなって関西なんてと結構多くの生徒が抗議活動をしたらしいけれど、既に旅館などの手配も終わっていて覆らなかったらしい。

 まぁ、モブな僕としては関西だろうが、北海道だろうが、海外だろうかどこでもいいんだけど。


「ついに来たぞ! 琵琶湖だー!!」


 その最終日の自由行動日。昨日までやれ金閣寺だ、延暦寺だ、宇治平等院鳳凰堂だ、東大寺だと散々お寺巡りに振りまわされたうっ憤を晴らすように、十二単じゅうにひとえさんが桟橋から身を乗り出すようにして大声をあげた。


「いやぁ、昨日までは辛気臭いところばっかりで、危うく成仏しちゃうところだったよー」


 いや、だったら成仏してよ。

 というか、僕からしたら神聖なお寺を全裸で参拝するなんて、すごく罰当たりなことをやってるなぁと気が気でならなかったけど。


「でもさすがは琵琶湖! でっかい! 綺麗! 気持ちいい! くぅー、生きてるって感じ―!!」


 いや、死んでるよ、とっくに。


「おいこら、モブ男! さっきからなんなの、あんた? この琵琶湖を前にしてなんでテンション上がらないの!?


 むしろ十二単さんこそハイになりすぎのような気がするけど。

 そんなに琵琶湖が好きなの?


「当たり前でしょ! だって琵琶湖だよ! 日本一の湖だよ! 同じ日本一を誇る富士山が嫌いな人がいる? いないよね! それと同じ、琵琶湖が嫌いな人なんてこの日本にはいないんだよっ!」


 そうかなぁ。その割には十二単さん以外、みんなテンションが低いんだけど?

 そう、琵琶湖を前にして盛り上がっているのは十二単さんだけで、伊原君や渡辺さんたちはみんなどこか浮かないような表情を浮かべるのだった。


 あれから結局、僕は伊原君たちと同じグループに入った。

 伊原君から声を掛けられた時は本当に驚いた。

 だって伊原君や渡辺さんたち人気者と一緒のグループに入りたいと願う人は大勢いる。一つのグループの最大人数は6人と決まっていたので、とっくに定員になっていると思っていた。


 ところがどうやら十二単さんが死んじゃったことで、ひとり欠員が出ていたらしい。


 それでも僕は断るつもりだった。

 だって伊原君のグループには僕を下僕のように扱う加藤君がいる。

 彼とは一年生の時も同じクラスだったけれど、なにかにつけて僕をパシリに使っては「これじゃない!」「遅い!」「なにやってんだ!」と叱りつける人だった。

 パシリに使われるのは仕方ないとしても怒られるのは嫌だよ。他の人たちは形だけでも感謝の言葉をくれるのにさ。


 だから断るつもりだったのに、そんな僕の判断をふたりが覆した。


 ひとりは渡辺さんだ。てっきり加藤君が僕をパシリ要員として呼び寄せたんだと思たんだけど、実際は渡辺さんが僕を伊原君に推挙してきたらしい。

 これにはびっくりした。なんで渡辺さんが? そりゃあ渡辺さんとは十二単さんの件でちょっと話したけど、それぐらいしか接点がない。

 にもかかわらず、彼女がどうしても僕をと言って聞かなかったそうだ。


 そしてもうひとりが、僕の隣で琵琶湖におおはしゃぎする十二単さん。

 彼女に「ひかるんと一緒に修学旅行行きたいー! 行きたいんだよー、お願いモブ男!」と、顔をおっぱいに埋もれさせられて(ただし感触はない)は断ることなど出来るわけもなかった。


 おかげでこの数日「モタモタしてんじゃねーよ!」とか「だから頼んだのと違うじゃねぇかよ、モブ男!」と加藤君に怒られる羽目になったけど。

 それでも十二単さんが渡辺さんの周りをふわふわ浮いて楽しそうにしているのを見ていて嬉しかったし、そんな様子を伺っている僕の視線に気づいた渡辺さんと目が合うとなんだか不思議と心がドキドキした。


「おーい、もう乗れるらしいぜ! お前らも来いよ!」


 桟橋に留まる遊覧船のデッキから加藤君がこちらへ手を降ってくる。

 応じて伊原君たちもぞろぞろと乗り込んでいった。勿論、十二単さんも渡辺さんと一緒だ。最後に乗り込んだのは僕だった。


「おい、モブ男!」


 と、加藤君が僕に声をかけてくる。なんだろう、船の中のは高いだろうから、今のうちに自動販売機で飲み物でも買ってこいって事かな?


「な、なに?」

「てめぇは空気読めねぇ野郎だからよ、今のうちに言っておいてやる。いいか、遊覧船の中では絶対渡辺さんに近づくなよ?」

「え?」


 どういうこと?


「なんでか知らねぇけどよ、渡辺さんがてめぇを気にしてやがるんだ。あの巨乳四天王の渡辺さんが、だぞ。ありえねぇだろ」

「あ、うん……」

「だからよ、渡辺さんが変な気を起こさないように、てめぇは船の片隅でじっとしてろ。安心していい。渡辺さんは俺が相手しておいてやる」

「え? で、でも……」

「ああん!?」


 加藤君がいきなり怖い声を出して睨んできた。

 僕は「ひっ」と引き攣った声を出すだけで、もう何も出来ない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。


「てめぇは俺の言うことを黙って聞いてればいいんだよ! 分かったか!?」

「わ、わかった」

「ったく、モブ男のくせに口答えするような真似をするんじゃねぇよ! ったく渡辺さんも渡辺さんだ。なんでこんな奴を気にするかねぇ」


 そんなことを言われても……。


「そもそもなんでせっかくの自由時間なのに琵琶湖なんかに来なくちゃいけねぇんだよ! 普通は大阪のミナミとかに遊びに行くもんだろうがよっ! ったく伊原も渡辺さんも死んじまった十二単に変な義理立てしやがって」

「え? そ、それってどういう……コト?」

「十二単が琵琶湖に行きたいって言ってやがったんだ。生きてた頃によ。なんか知んねぇけど『日本人にとって琵琶湖は母なる海! 見なきゃ絶対損するよ!』とか言ってな。アホか」


 珍しく加藤君と同意見だった。


「で、死んじまった後も伊原たちが『これは十二単の供養だ』とか言ってな、琵琶湖くんだりまで来る羽目になっちまったんだよ」


 そうだったんだ。

 渡辺さんはともかく伊原君まで……。やっぱり伊原君って十二単さんの事が……。


「まぁそれより、とにかくてめぇはキャビンの片隅でスマホゲーでもやっとけよな」


 そう言って加藤君は僕の肩をどんと叩くと、渡辺さんたちの後を追って船首の方へ歩いて行った。

 その足取りが何だか緊張しているように見えたけれど、別段気にしたりはしない。


 それよりキャビンでスマホゲーとな?

 望むところです!




 遊覧船が琵琶湖を進む。

 幸いなことに天気が良くて波風良好。人波にも弱いが乗り物にもめっきり弱い僕でも平気でスマホゲーに興じることが出来た。


「ちょ! なんで琵琶湖まで来てスマホゲーなんてしてるかな、モブ男は!?」


 なのに十二単さんが邪魔をしてくる。

 てか、いきなり窓の外から覗き込んで、にょきっと顔を出すのはやめてもろて。心臓に悪いから。


 そもそもなんでこんなところに来たの? 渡辺さんと一緒に大好きな琵琶湖の景色を堪能したらいいじゃん!


「そのつもりだったよ! でも加藤が邪魔してきたんだよ!」


 加藤君が?


「なんなのよ、あいつ! 私たちが楽しくやってるのにいきなり割り込んできてさ。ひかるんにアプローチしてきやがるの!」


 十二単さんによると一緒にいた女の子ふたりも追い払って、今は船首にふたりきりらしい。


「あれ、絶対ひかるんにコクるつもりだよ。伊原のバーターのくせに生意気!」


 バーターって酷いことを言うなぁ。女の子、怖い。


「バーターじゃなかったら金魚のフンじゃん、あんな奴! あるいは伊原の威を借るキツネだよ!」


 よっぽど腹に据えかねたのか、十二単さんがめちゃくちゃ加藤君のことを罵りまくる。


「ああ、もう腹立つなぁ。ちょっとモブ男、あんた今からあいつを殴ってきて!」


 無茶言わないでよ! 出来るわけないだろ!


「なんでよ! 加藤なんてチョロいよ! モブ男でも勝てるって!」


 どこにそんな根拠が!?

 確かに加藤君は伊原君みたいに背は高くなくて僕とあまり変わらないけど、仮にもサッカー部員なんだ。僕みたいな運動苦手な帰宅部員が勝てるわけないだろ!


「もう、情けないなー! やる前から諦めてどうすんのよ!? 男なら当たって砕けろ!」


 砕けたら痛いじゃないか! 他人事だと思って好き勝手言わないでよ。


「それにひかるんだってモブ男のことが……」


 と、不意に十二単さんが口を閉ざしたかと思うと、キャビンへ誰かが降りてくる音が聞こえてきた。


「こんなところにいたし!」


 ひょいと顔を出したのは、同じ班の女の子ふたりだった。

 僕を見つけて呆れたように指差し、ついでふたりしてこっちへおいでおいでしてくる。


「モブ男、ちょっとこっち来るし!」

「え? な、なんで?」

「ひかるがモブ男君を呼んできてって。なんか話があるらしいよー」


 えっ!? と驚く僕の傍で、十二単さんがふたりの女の子たち同様にニマニマと妙な笑顔を浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る