10 ≪ラナンキュラスの心を知る≫
知らない世界に迷い込む。
どこが始まりで、どこが終わりかなんてそんな些細な事は微塵も眼中になく。
煌びやかで眩しい世界の中で、少し迷子になりながら、がむしゃらに歩き続ける様な、ただただ二人でいられる些細な日常の中で流れるこの時間が、少しでも良いものになればなと、そう思う。
「ねぇ、このお店どう?」
二人は再び地下へ入る。
そこには落ち着いた雰囲気のお店が多く、人もあまり多くないため、騒がしくもない。
何か特別な事があるとすれば、温かい照明と立ち並ぶお店の雰囲気に安心して、少し眠たくなってしまう事くらいだろうか。
そんな中、ユリが興味を示したのは、今楓が着ている様な服や、楓の部屋にあった服の様なものがたくさん置かれていそうな店。
店の外には様々なネオンの看板や装飾がされおり、入り口は輝くネオンの看板がついた岩の様なデザインのアーチだった。
それを二人がくぐると、天井も、床も、壁も、全てかコンクリートの打ちっぱなしという、コケると痛そうな店内に辿り着く。
「なんかこう……カッコいいっ! て感じのお店ですね」
「ストリート系の店かな?」
「ストリート系?」
「あぁえっと……ダンスやってそうな感じ」
「結構ざっくりまとめましたね……でも、言いたい事は分かります」
「でしょ?」
商品が置かれているのは、木製のテーブルか壁一面につけられたハンガーラック。
ちょっとした靴や靴下、アクセサリーなどは店の奥の方にあるレジ近くに置いてあった。
「お嬢様、気に入ったものはございますか?」
「それ、からかってるつもりです?」
「ごめんごめん」
「もぉ……でも、なんだか不思議ですね。普段見ないような、着ない様な服ばかりですから……」
ユリはどこのお店よりも興味を持って、ここにある様々な服やズボン、スカートやアクセサリーなどを見ていた。
「いっそ、ユリもズボンにしてみるのは?」
「ズボンですか……なんだか、楓さんとお揃い、みたいになりそうですね……」
「いい組み合わせが思いつかない?」
「ええ、これも自分で服を選ぶことがなかった弊害ですかね」
そんな事を言いながらも、どのお店に入った時よりも、ユリは目を輝かせながら、ハンガーラックにある服や少し高い所に飾られた服を見ていた。
「ユリって、こういう服が好きなの?」
「こういう服?」
「んーなんて言うのかな。ちょっとヤンチャな服、っていうか……ほら、ユリと同い年の子達はあまり着なさそうな服、みたいな」
「さぁ、どうなんでしょう……でも、色々な服をもらったり、選んだりしてもらいますけど、その中から着る服を選ぶと今着ている様な服になりますね。わたしのお母さんもこういう服よりは、落ち着いた色合いの服が良いと、そう思っていますから」
そう言ってユリは自分の着ている服を楓に見せる。
ピンク色のパーカーと黒色のスカート、系統としてはこういうところに置いている服に近い気がするが、貰った服の中からユリがその組み合わせを決めていたのであれば納得できる。
結局、母親に何を言われようが、ユリは自分の好きなものがあるんだと、楓もなんとなく知れる。
「楓さんはどうしているんです?」
「私はなんだろう……昔の自分に抗いたい、をコンセプトにしてるかな」
「昔の自分に抗いたい……ですか?」
「そう。短かった髪を長くしたし、女の子だからってスカート履いてたのもやめたし。あとは残ったものから直観で! かな?」
「結構色々と考えているんですね。楓さんも」
「なにそれ、私だって色々と考えて生きてるんですけどー」
「あぁ、ごめんなさい。違うんです、なんていうか、その、楓さんは不思議な感じがしていたので、つい」
「別にいいよー私の事、簡単に理解された気になられても嫌だし」
ユリはレジの近くにあったワイヤー製の買い物かごを持って、もう一度ハンガーラック見る。
「直観……で、私の好きなもの……」
小さな声でそう呟きながら、ユリはもう一度店内を一周する。
そして、直感で、気に入った物をカゴに入れていく。
「いいのはあった?」
「似合うかどうか……自信はないですけど」
「いいじゃん。好きなものを好きな様に着れば」
「ですかね……」
ユリにはまだ自信はないけれど。
ユリの持っているカゴに服とズボンが揃ったら。
「せっかくだから、靴も選んだら?」
「え? でも……」
と、そう言いながらユリは自分のカバンを触り始めたので。
「あぁ、もしかしてお金の事心配してる?」
「だって、その……家出の為の貯金というのもあまりないですし」
「いいからいいから、今日の分は全部私が出すしさ」
「流石にそれは……」
「いいよ。なんていうか、普段家の事してくれてるお礼……みたいなものだからさ」
「じゃあ、その……お言葉に甘えて」
「はーい甘えられまーす」
そう言ってレジ近くにある靴が置いてあるコーナーを、ユリはしばらく眺める。
そんな様子を楓はじっと見ながら、ユリにお金の心配をさせていた事に初めて気づかされる。
今までの食費とか、日用品の分とか、全部気になってたのかな。
ちゃんと大丈夫だって、伝えないと。
ユリにはその心が落ち着くまで、安心して私の家にいてほしいから。
家に安心して帰れないのは……安心して家に入れないのは、やっぱり苦しいから。
「靴は、楓さんと似たのにします」
「似たの? 私に?」
「はい、これです」
そう言ってユリが指を差したのは、足首辺りまでを隠す事ができる黒色のヒールの付いたブーツだった。
「分かった。じゃあちょっと試着してみよっか」
「お願いします」
楓はすぐ近くにいた店員に声を掛け、試着室へ案内してもらう。
店の奥の方にあった試着室に行き、ユリは個室の中へと入っていく。
その間、楓は店員と少し話をして時間を潰す。
「あの子、初めてなんです。自分で服を選ぶの」
「そうなんですか? えっと、妹さんですか?」
「あーはい。私の妹です。あの子、自分に自信がないところがあって、自分で選んだものが自分に合えば、ちょっとは自信を持ってくれるかな、って」
「きっと似合いますよ。妹さん、とても可愛らしいですし」
「ですよね? やっぱり可愛いですよね? あの子」
そんな他愛もない話をしているうちにユリが試着室から声を出す。
「あの……楓さん?」
「どうしたの? 上手に着れない?」
「いえ、着れたんですけど……その」
「大丈夫だって、絶対可愛いから。ちょっとだけでもいいから、顔出してほしいな」
「じゃあその。ちょっと、目を瞑っててください」
「緊張する?」
「自分では結構いい感じなんですよ?」
「ならいいじゃん。私に見せてよ」
「うぅ……わっ、分かりました。せっかく楓さんにそう言ってもらえている訳ですし……頑張ります」
「うん。頑張って」
ユリは、ゆっくりと、慎重に、尚且つ丁寧にカーテンは開いていき、段々とユリの姿が見えだす。
「おぉ……いいじゃん」
そしてカーテンが全て開くと、顔を赤らめて恥ずかしそうにするユリの姿が見えてくる。
「可愛い」
オーバーサイズの紺色のパーカーでせっかく選んだダメージデニムの短パンは見えなくなっている。
その代わりに、足首辺りまでを隠した黒色ブーツがしっかりと見える。
「うん。可愛い。すごい似合ってるし」
「そうですかね……その、可愛いとは思いますけど、似合ってます?」
「私は好きだけどなぁ……ユリはあんまり?」
「いえ! 好きなタイプの服ですよ? でも、慣れなくて……」
「自信もったらいいのに、こんなに可愛いのに」
「そう……ですかね」
「そうだよ? それにサイズも、合ってるみたいだし。ねぇ?」
と、楓は店員の方を見た。
「そうですね。サイズも問題ないと思います」
と、店員は言ってくれた。
「その……楓さん」
昔から、可愛いと言われる事は何度もあった。
でもそれは、誰かに作られた「可愛い」で、自分で見つけた「可愛い」じゃなかった。
けれど、今私に向けられている「可愛い」は、自分で見つけ出して、大切な人に認めてもらえた「可愛い」だから。
そう、なんだとしたら。
「ありがとうございます……たくさん、可愛いと言っていただいて」
「別に? それよりどう? 気に入った?」
「はい……とても、新鮮で。わたし、好きです。こういうの……」
「そう。ならよかった」
ユリはもう一度更衣室に戻り試着していた服を全てカゴに入れる、
「ごめん。先に払っとくから、カゴだけ頂戴」
そんな楓の言葉通りに、試着していた服や靴が入ったカゴをユリは楓に渡す。
楓はそれをもらうと、試着室から離れていった。
しばらくしてユリは着替え終わり、試着室の前にある小さな椅子に座って楓を待っていた。
「おまたせ」
そう言って大きな紙袋を持った楓がユリの前へやってくる。
「あぁ、ごめんなさい。わたしが持ちますよ」
「いいからいいから、次行こ次」
「あぁ、でも!」
こんな楽しい時間は、今での人生に一つもなかった。
きっと楽しい事はたくさんあった、楽しいと思えるはずの事はたくさんあった。
はずだった。
だけど、どうしてだろう。
わたしにとっては今が、一番楽しい時間だって思える。
家出をして、よくわからない男性の相手をし続けるよりも、きっとこっちの方が、わたしにとっては良かったんだ。
楓さんにありがとう、って言わないと。
たくさんのありがとうとうを、伝えたいな。
「ほら、次どこ行きたい?」
「そうですね……じゃあ、次は」
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