≪ chapter2 Pom pom mum ≫

06 ≪デイジーの様な日≫

 鬼灯ホオズキユリ、という人間が失踪した。

なんて話は、巷の隅々を探しても一度も聞いた事はない。

もしかすると、巷のどこかを見落としているのかもしれないけれど、そこまでして「鬼灯ホオズキユリ」の行方不明ポスターを記念にもらおうとする気なんんて、楓にはない。


 ユリはしばらくの間、新しい環境に戸惑っていたりもしたけれど、やがて楓の家と、楓を安心して信頼できる存在と場所だと思える様になったのか、楓がいないうちに家事をするようになった。


「おかえりなさい。楓さん」


 夜の七時から八時。その時間帯に家に帰ってくる楓の事を、玄関でそう言って待つのがユリの日常になりつつあった。


「そういえば、ユリって家を出る時いつもマスクしてるよね」


「まぁ、その、なんというか。風邪を引きたくないので」


「へぇ……まぁ、私もユリの事は五体満足健康な状態で親御さんの所に返したいから、そうしてくれるのは助かるよ」


 初めの数日間は、確かに上手くいかない事もあった。


「おかりなさい楓さん……って、それなんですか?」


帰ってきたばかりの楓の手に握られたビニール袋について、ユリは質問する。


「ん? お弁当だけど」


そんな事は分かっている。聞きたいのはそうじゃなくて。


「一つしか、ないですよね?」


「だって、ユリが食べれたらいいから」


「え」


「私は……ほら」


そう言って楓はビニール袋の中から、ポテトサラダとフライドポテトが入った透明なフードパックをユリに見せる。


「まさか、それだけ?」


「だから、ユリの分はお弁当とコロッケと、あとポテトサラダと……」


「じゃなくて……」


どうしようかと、戸惑ってしまう。

なんとかして、ちゃんとしたものを楓に食べてほしいと思いながらも、どんな風にすればいいのか、ユリには分からない。


「お肉は、食べたくないんですよね」


「食べれるけど。えっとじゃあ……私の指とかにナイフ差してくれる?」


「嫌ですよ。そこまでしてほしいなんて、思いませんよ!」


「じゃあ、自分でするか」


「待ってください! 話がおかしいです。一旦落ち着きましょう」


「とりあえず、上がっていい?」


「あっ、はい」


 玄関で靴を脱ぎ、リビングへ行くとテーブルの上に買ってきたものを全て並べる。


「楓さんがお肉を食べないのは、自由にしてください。わたしに強要してくる事もないので、それはありがたいんですが……だから、ですよ? だからと言って、もっと食べられるものはあるでしょう?」


「あるのかな」


「ありますよ。見てください、現にわたしに買ってきてくれたお弁当だって、白ご飯やちょっとした野菜と揚げ物、おさかながあるお弁当です。おさかなはともかくとしても、他のものは楓さんでも食べるでしょう?」


「食べれる……うん。そうね、食べれる」


「だったら、食べましょうよ」


 その日は、お魚だけはユリが食べ、それ以外のものは、二人で分け合った。

しかし、ずっと楓に晩御飯の買い物を任せても、きっとまた楓は何か違う事をしてしまうだろうと。

そもそも楓が食に興味がなさする。

そう思ったユリは、翌日から本格的に料理を始めた。


 そして今日も昨日も、その前の日も、ユリはずっと楓の為に料理を頑張っている。

楓は別に絶対にお肉を食べたくない、という訳ではなく、その日楓が死んだ動物と同じ苦しみを味わった場合だけ、お肉を食べられるという、不思議な事をしている。

その基準は曖昧で、正直言ってユリには理解しきれない。

だから、あまりお肉は使わず、だけれどいつかは美味しいお肉を一緒に食べたいなと、そんな夢を見ながら、ユリは料理をしていた。


「例えば、ですけど」


「うん」


「わたしが晩御飯を作る時にお肉を使ったり、楓さんにバレない様にお肉料理を作ったら、楓さんは怒りますか?」


「別に? なんにも気にしないよ。あれはなんていうか……まぁ、私の自己満足だから。別にお肉を食べたら拒絶反応を起こすとか、そいうのもないからさ」


「自己満足、ですか……」


「そう。こんな私がわざわざ他の生き物の命奪ってまで生きてるのもなぁっていう。まぁ、そんな事言い始めたらきりがないのは、自分でも分かってるんだけどね。せめてもの贖罪? 償い? みたいな」


「じゃあ、その……」


 晩御飯の片付けは、二人でする。

食器洗いも隣に並んで、綺麗になった食器を拭くのだって、隣に並んで。


「明日から、楓さんのお昼のお弁当も作ってもいいですか?」


「私の、お昼ご飯?」


「いつも食べていないでしょう? だからその、少しでも食べてほしくて、お肉とかちゃんと三食食べるとか」


 あの時の恩返し、なんて言うとおかしいかもしれない。

けど、自分が楓さんにできる事が一つでもあるのなら、わたしはそれをしたい。


「作ってくれるなら……甘えちゃおうかな」


「ありがとうございます! 頑張りますね!」


 そう言って、ユリが頑張って作ってくれたお弁当も、楓以外の人が見る事はなく、そのまま日の目を浴びずに食べ終わってしまうのかと、そう思っていた。


「あれぇ? せんぱーい」


けれど、そうしてしまうのはあまりにも勿体ない。


「珍しいじゃないですか、図書室にお弁当食べにくるなんて」


「会長。こんにちは」


「やめてくださいよぉ、会長だなんて」


 ゆったりとした時間の中で生きている後輩の女の子。

マイペースとスローペースを、人生の基盤にして生きている少女。

そして彼女が、楓の所属する「本を読もう会」の会長だ。


「でも、先輩が来てくれて嬉しいです」


「そう?」


「だって、いつも一人で、ここで食べてたんですよ? 私」


 本に囲まれた、学校一日当たりが悪い場所。

昼間からとても暗く、そんな部屋の中にある広い机に、二人はお弁当を並べる。


「先輩珍しいですねぇ、お弁当なんて。しかも手作りじゃないですかぁ……もしかして、彼氏さんと同棲……キャー! 先輩おっとなぁ」


「違う違う。しばらく親戚の妹がうちに住む事になって、その子が作ってくれたの」


「へぇ、その子。どんな子なんです?」


「その子は……アイドルみたいな子かな」


「アイドルみたいな子? ですかぁ?」


「あぁ、容姿がね。そんな感じなの」


「なるほどなるほど……それは相当な美人さんですねぇ」


「三日見ても飽きないくらいには美人で可愛いかな」


 小さなお弁当箱の中ら、着実に確実におかずは減っていく。

小さな卵焼きから、沢山のスペースを占領している白ご飯まで全部、全部、無くなっていく。


「でもよかったです。先輩とお昼食べれて」


「え? なんでよ」


「だって、この部活。部員は先輩と私の二人だけ……なのに先輩は幽霊さんしちゃうし……」


「それは、君が幽霊でもいいから部活に入ってって、無理矢理私を連れてきちゃんじゃない。ここに」


「だってぇ、私先輩の才能に気づいちゃったんですからぁ、私!」


「私の才能?」


「そぉ、読書のさいのーってやつに」


「なにそれ」


 私達がどんな関係なのか、と聞かれた簡単に「知り合い」だと答えられる。

ただ一つ、私達に特別な事があるとすれば、私が副会長になるよりも前に「本を読もう会」に入る前に、私はこの後輩に告白されている。

しかも、罰ゲームで。


 当時はまだ高校二年生だった楓。

そんな楓には色々な噂がたち、更には楓自身の態度も悪かった。

そんな異質な存在の二年生に告白する。

そんな罰ゲームの生贄にこの後輩は選ばれてのだ。


「ごちそうさま」


「ごちそうさまでしたぁ」


もちろんその告白は断った。

だって、それはただの罰ゲームだったのだから。


「じゃあ、私行くから」


「えぇ、もうちょっとゆっくりしていきましょうよぉー」


「でも、邪魔じゃない? 一人で本読みたいでしょ?」


「邪魔じゃないですからぁ……」


「分かったよ……あとちょっとだけね」


「えへへーやったぁー」


そこに愛はないと、知っていたから。

だから私は告白を断った。

きっとそこに愛があったとしても、私はその告白を断っていただろう。


 遠いあの日からずっと、私は異性も同性も、どこか苦手だ。

特別「恋」や「愛」が絡む面倒事になれば、なおさら。

どうしても、遠いあの日の事を思い出す、

あんな思いは二度としたくないと、私の脳が強い痛みを出して、訴えて来るのだから仕方ない。

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