05 ≪ヘリコニアとは彼女の事?≫


 ユリがゆっくりお風呂に入っている間に、楓はユリから借りた携帯電話。スマートフォンを見る。

電話帳の一番上にしっかりと「母親」という名前で登録されていた番号があったので、楓は自分のスマートフォンと取り出し、その番号に非通知で電話を掛ける。


「もしもし! 猫! 猫なの!?」


 電話をかけ、耳元にスマートフォンを持ってくるよりも早く、すぐに向こう側から声が聞こえてくる。


「ごめんなさい。その、猫じゃないんですけど」


「え……貴方、誰よ。うちの猫をどこにやったのよ!」


「え? は?」


 ユリの母親に電話をかけると、猫を探している女性に出会ってしまった。


「非通知なんかで電話かけてきて、いい? うちの猫はね! 今とても大事な時期なの! だから!」


そう言いながら、電話の相手はひたすら「猫」がどれだけ特別で「猫」がどれだけ必要なのかを楓に対して感情的に語り始める。

そして電話の相手は全く楓の話を聞こうとはしない。


 楓はだんだんと諦めはじめ、呆れ始める。

どう頑張っても話が通じそうにない。

こんな時どうすべきか、

それは簡単。


「ごめんなさい。間違えました」


そう言って、面倒な事になる前にそそくさと逃げてしまう事だ。


 きっと間違い電話だ。

後でユリに確認して、正しい番号を教えてもらおう。

突然の「猫」発言に驚きながらも、ある程度は冷静に脳を動かし、そう楓は決めると急いで電話を切ってしまった。


 気持ちを切り替えて、楓は明日とその次の日に連なるそれ以降の未来について、ソファーに座って考える。


「お金に余裕はある。だから、二人で生きていく分には問題なくて……私は今まで通り学校に行くとして……」


 普段通りの生活をしていれば見つかる事はないし怪しまる事もない。

テレビが家にない、スマートフォンを見る習慣がないせいで、最新のニュースが中々楓の元に届かない。

とは言え、今の前にスマートフォンはある。

だから、それを使って。


 楓は試しに「行方不明事件」と検索をしてみる。

しかし出て来るのは、もう何十年も前に発生した未解決の行方不明事件に関する記事ばかり。

試しに「行方不明」や「鬼灯ユリ」と入力しても、何も出て来る事はない。

試しに「猫」と入力しても、出て来るのは可愛い猫の、文字通りただの猫の可愛らしい写真ばかりだった。


「今日行方不明になったんだから。まぁ、出てこないか」


 適当に電子の世界を彷徨っていても、それらしい情報は何一つ出てこない。


「出会い系」

「繋がりたい」

「裏垢女子」

「女子中学生」


どこにも、何も、何もない。


「あっ」


一つ、あった。


「今日会う約束してた女、会った途端にわけわからん女が口挟んできたんだけど、あれ何? 俺の事警察に連れていきたかったみだいだけど、バカだろあのガキ。まぁ、顔可愛かったから二人とも持って帰ればよかったわ」


という、四十代くらいのサラリーマンが頑張って自撮りをした写真がアイコンになっている人からの、ありがたいお言葉が転がっていた。


「意外と見つかるもんだ……思ったよりも、世間は狭いみたい」


 探してみれば出会い系の愚痴、みたいなのは結構ある様で、その大半が会った時の態度が悪かったとか、その後の夜の事に関する愚痴ばかりだった。

もう二度と会う事のない様な二人なのに、何を求めているんだと思ったけれど、意外と二度目、三度目があるタイプの人もいるようだった。


「そんなにシたいかなぁ……そんなに必死になるくらい、普通はシたいのかな」


 恋愛になんて、色恋になんて興味がない。

手を繋いだって、一緒に遊びに行ったって、結局相手が望んでいるのなんて、最後にまっている性のご褒美だけ。

と、汚い事をいつも思ってしまう。


「恋愛か……」


それもこれも、全部アイツのせい。

だけど。


「まぁ、どうでもいいんだけど。今の私にとっては」


 しばらく触れていなかったインターネットの世界には他にも色々なものが転がっていた。

有名人の不倫、有名人の結婚、妻から夫への不満、新作ゲームの情報、テクノロジー、政治、数年ぶりに新刊が出た漫画のネタバレ、自殺未遂、イジメ。


「SNSの更新が止まった人気アイドルの女の子……か」


 お風呂から上がってきたユリは、バスタオルを抱きかかえながら、下着一枚と靴下を履いてリビングに戻ってくる。


「お帰り。ちょっとは休めた?」


「はい。すごく休めました」


「何か飲む? そんなに種類ないけど」


「えっとじゃあ、お水を……」


「おおいいセンス。実は私の家にはお水しかないんだよねぇ」


「そんなに種類ないって、一種類だけじゃないですか!」


「ごめんごめん。また何かユリが好きそうなもの買ってくるよ」


 丸いグラスに注がれた冷たいお水を飲みながら、ユリはリビングを見渡す。


「本棚……あれだけ、なんですか?」


リビングにある二段のカラーボックスの二段目に、無造作に置かれた本。


それは全て、料理系雑誌だった。


「いや、他に本はあるよ。別の部屋だけど」


「じゃあなんで料理系雑誌だけをここに? というかやっぱり広いですね、この部屋」


「なんでって……まぁ、単純に扱いに困るから、だよ」


 楓もワイングラスにお水を入れ、ユリの隣に座る。


「あのごめんなさい。楓さんをみていると、色々と聞きたい事が溢れ出てきます」


どうしてワイングラスで水を飲むのかとか。

どうしてこんな広い部屋に住めるのかとか。

どうして助けてくれたのかとか。

ほんとうに色々。


「話題の尽きない女、って事?」


「まぁ、そういう事ですけど……その、扱いに困るってどういう事なんですか?」


そう聞かれると、楓は水を飲みユリの方を見て言う。


「私、一度読んだ本は全部破ったり燃やしたりして、殺しちゃうから」


「え?」


「でも、料理雑誌には結末がない。だから、困っちゃって。ここにある料理全部作れば終わりなの? それとも最後のページまで行けば終わりなの? って、そう思ってからは雑誌系は買わない様にしてるよ、終わりが分からないから」


「じゃあ、楓さんがなんとなく法律を知っているのは?」


「それはほら、刑法とか民法とか、そこら辺の事が書かれた本を読んでたから。でも、あれも終わりが分からなくて、まだ殺せてないんだ」


 本を殺す。

という、楓の独特な表現にユリはしばらくついていけずにいた。

頭の中にクエスチョンマークを敷き詰めて、それでもなお真剣に楓の話を聞いていたユリに、楓はもう一つ、言葉を投げかける。


「私さ、本は人間と同じだと思ってるんだよね」


「人間と同じ……ですか?」


明るい灯りの下にあるソファーはとても柔らかく。

ガラス窓から見える世界は煌びやかで。


「とある人間の、人生について書かれたもの……そう、思っているから。だから私は、物語の終わりは、その人物の死と同じなんじゃないかって」


「続編が出る。という事もありますよ?」


「つまり復活か」


「そういう事なんですかね?」


「まぁ、人間が生き返る事くらいよくあるでしょ? 多分」


「そんなにない事例だと思いますけど……」


「まぁ、ともかく! だから私は一人の人間が死んだ時みたいに、バラバラにしたり燃やしたりしてるの。でも、簡単に燃やせない事が多いから、結構散乱しちゃってるけど」


「読み終わった本を、全て……ですもんね?」


「そう。ちなみに、こんな私は本を読もう会副会長をしてるよ」


「なんです? 本を読もう会って」


「私の学校にある部活。まぁ、私は幽霊さんなんだけどね」


「副会長なのに幽霊部員って……」


 やっぱり不思議な女性だ。

やっぱり、どこか浮世離れした様な女性だ。

何が何だか分からない。ただの優しさでわたしを守ってくれた訳じゃない、のかもしれないけれど、もしかするとただの優しさでわたしを助けてくれたのかもしれない。

分からない。

楓さんがどういう人なのか、つかめない。


「そうだ。言い忘れてた」


「何かありました?」


「あのね」


「はい」


「ユリのお母さんに電話したら、猫探してた」


「えっと……はい?」


「キャットを探してたの」


「あぁ、なるほど……?」


一瞬どこかに消えてしまったユリの冷静さは、すぐにユリの元に戻ってくる。

そしてそれはユリの中で落ち着こうとはせず、ユリにさらなる不安を与える。


「あぁえっと、間違い電話。ですね」


「だよね? やっぱりそうだよね?」


「えぇ、じゃないと、そんな、猫を探すねんて……ねぇ」


明らかな焦りと動揺。

左右に自由気ままに泳ぐユリの目も、その全てを楓は見てはいなかった。

気にしてなんていなかった。


「でもどうしよ、親御さんに許可をもらわないと本格的に誘拐なんだけど」


「大丈夫ですよ! きっとなんとかなりますよ!」


「法の前に我々は無力だよ?」


「楓さんはわたしよりも法律の方が大事なんですか」


「当たり前でしょ、中学生を誘拐、監禁したなんてくだらない事で前科なんて嫌だよ」


「くだらない事って、結構くだる事だと思いますけど」


「そうかな……まぁそれに、もし私に前科がつくなら……」


 楓はしばらく斜め上を、真っ白な天井を見て、唾をのみ、息をする。


「楓さん?」


そして、楓は思い出したかのように言葉を吐露する。


「殺人がいいな。私が人生で初めて犯す罪は」


その言葉に、ユリは体が動かなくなってしまう。


「なんて……ね」


その言葉の後に楓が見せた笑みが、嘘の様に思えてしまって。

笑う事すらままならなくなってしまう。


「私もシャワー浴びて来るね。寝たいなら洗面所で歯を磨いて、私の部屋のベッドで寝る事。いい?」


「その、待ってますよ?」


「いいよ、疲れてるでしょ」


「まぁ、少しは」


「じゃあ、好きな様にしてて、私は何も言わないし、言うつもりもないから」


 それから少し経って、楓は浴室の中へと消えていく。

ユリはその間に、本があまりないと聞く書斎へと足を踏み入れる。


 そこはリビングから少し離れた場所、ドアを開けて廊下を少し歩けば見つかる部屋。


「お邪魔します……」


 真っ暗な部屋の電気をつけると、暗い茶色に近い木目が付いた壁や床がハッキリと見える。

それと同時に、この部屋の中に四段も本を置く場所がある本棚が二つ、この部屋に置かれている事も分かった。


「すごい荒れよう……」


暗い茶色、といったものの、その床には様々な本の亡骸が散乱し、そのせいで白や黒の模様が入った床の様にも見えてしまう。

ぱっと床を見ただけでも、その散らばっているものに関連性はなく、全てが違う本だった。


 本棚を見てみると、楓の言っていた通り、並んでいるのは六法全書や雑誌、辞書や教科書などばかりだった。

そんな本棚の中にある小説なども全て、途中までは読んでいるようで、まだ一切手のつけられていない本というのは、どこにもなかった。


「たくさんスペースが開いています…こんなに本棚があるのに」


 ここが書斎だと、ある意味一目で分かるかもしれない。

これだけの大きな本棚、辺り一面に転がる本の細切れ達。


「これは推理小説でしょうか……こっちは恋愛もの……あっ、こっちはホラーものですね」


 切れ端を拾って見ると、意外とどんな作品なのかが、なんとなく分かる。

でも、どれを見たって楓の趣味嗜好は分からない。

イケメンが大量に出て来る恋愛小説から、人がたくさん死んでしまうサスペンスまで、ありとあらゆる本の切れ端が、ここに落ちていたからだ。


 人が死ぬ時と同じ様に、そう楓は言っていたけれど。

だったらこれは人の遺骨を床に撒いている様なものなのだろうか。


「よく分からないです……楓さんが私には、よく分からないんですよ……」


そんな独り言が、冷たく暗い部屋の中で漂う。

そしてユリは「不思議な人」と、そんな感想を持って静かに部屋をあとにした。

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