03 ≪ホオズキユリと名乗りましょう≫
「傘……ありがとうございます。飛んでいったみたいで」
「いいよいいよ。気にしないで……それよりさ、あれってやっぱそういう奴?」
「まぁ、はい……」
「自分から望んで?」
「そう……ですね。わたしが、望んで」
「じゃあ、やっぱり」
楓は遠くの方にある適当な広告を涼し気な目で見つめ、軽く言う。
「私は余計な事をした訳だ」
と。
「え?」
「ごめんね勝手に同情して、勝手に助けてあげようとなんてして」
そう言うと楓はカバンから財布を取り出し、一万円札を五枚ほど取り出す。
「体はいらないから、これ持って家帰りな。都会は危険がいっぱいだから」
「でも……その……」
ただ男遊びがしてみたくなったとか、失恋したからとか、そういうバカげた理由でしようとした訳じゃない。って事くらい、私にだってなんとなく分かる。
でも、こういう子供はきちんと家に帰るべきだし、どんな悲惨な家庭であっても一定の年齢になるまでは、子供は家族の奴隷で居るべきだ。
それは私がそう思う、とかじゃなくてただ社会がそうしろと勧めているので、それに従った思考、というだけ。
「じゃあ、ごめんね。余計な事して」
そう言って楓は女の子のパーカーのポケットに一万円札を五枚入れると、傘を持たせ女の子に背中を見せる。
進行方向はあの男性と同じ道、向かう先は小さな女の子をロリコンから守った身勝手な奴という恥ずべき明日。
「まっ……て……ください……」
小さな声と共に、楓が着ていた制服のジャケットの袖を握られる。
「なに、足りない?」
なぜか、嫌な予感がする。
あたってほしくない予感。
これが当たるくらいなら、宝くじで三等辺りを当てたい気分。
「ちが……くて……その」
女の子は大きく息を吸って、吐く。
その吐いた息の後にできた言葉は、簡単で。
「身勝手な事をしたと思っているなら!」
精一杯の大きな声、そのせいで先ほどの騒動よりも二人は注目されている。
「ちゃんと……責任、取ってくださいよ……」
なんだろう、当たってしまった。
一番、最悪な賞が。
責任とりま賞が、当たってしまった。
「責任って、私何かした?」
「わたしの完璧な家出と親への反抗作戦が失敗しました」
「何、私に君の親を殺せと?」
「そんな物騒な、ただちょっとの間わたしをお姉さんの家に住まわせてもらえれば、それで」
「難易度高いって……ていうか、やっちゃダメな事なの、それって」
「なんでですか」
「なんでもだめなの。刑法二百何条かの、未成年なんたらかんたら罪になって、私の人生終わるから。もとから終わってるみたいな私の人生が、本格的に終了しちゃうの」
「随分と曖昧ですね」
「一回目を通しただけだもん、そんな完璧には覚えてないって」
楓は女の子を振り払い、一度離れる。
そして楓はもう一度振り返り、女の子の目をじっと見る。
その、今にも泣きだしてしまいそうな、ずっと揺れている、不確かで曖昧な意思が宿った目を。
「はぁ……」
別にズルい女だなぁなんて思わない。
こういう生き方も全然ありだし、きっとこの子はこれを無意識でしているんだろうなぁと思うと、むしろ愛らしい気さえしてくる。
「いいよ。分かった、責任とる」
「ほんとですか!」
「ただし」
と、女の子が感謝の言葉を述べるよりも早く、楓は言葉をかぶせて言う。
「私から一度、親御さんには連絡するから」
「それは……」
「ごめんだけど、それだけは諦めて。非通知でかけるし、居場所を言うつもりもない、ただ相手が女の人だって分かれば多少は安心して……」
いや、女の子同士でもなぁ。
「もらえないかもしれないけど、前科者をこれ以上この社会に増やす訳にもいかないし……そこはギャンブルしよう」
少し不貞腐れた女の子の顔を見ながら、楓はもう一度女の子の手を握る。
そこにある傘を握る。
「とりあえず、何か食べにいかない?」
あの光はいつの間にか消え去り、世界は薄灰色どころか、ただの黒一色に染まり始めていた。
「私、お腹空いちゃったから。付き合ってよ」
そう言ってまた楓は笑う。
曇り空の世界の中で。
二人が入ったお店は、駅の近くにあった適当なファミレス。
別に何処に行ったっていいし、なんなら駅ビルの中に入ればたくさんのお店がある。
それでも、二人の目に入ったのはご近所でよく見かけるような、ありふれた、当たり前の日常にあるファミリーレストランだった。
「昔ね、ファミリーレストランって家族としか来ちゃいけない場所だと思ってたんだ」
「それはえらく限定的なお店ですね」
「そう、だから友達とファミレスに行くってなった時思わず言っちゃったの『私達が家族になるには結婚するしかないけど、したっけ?』って」
「その友達、だいぶ困っていたでしょう……」
「いや、よだれたらしながら『楓からそんな言葉が聞けると思ってなかった、嬉しい』って、相当お腹が空いていたんだろうね」
「わたしはそのお友達の事は知りませんけど……でも、楓さんがそうとうな勘違いをしている事は分かりますよ……」
「そう?」
案内されたのはシックな店内によく似合う、煌めくネオンの海が見渡せるガラス窓が隣にある四人掛けのソファーテーブル席。
二人がソファーに座れた事を安堵する前に別のウェイトレスがやってきて、最近新しくなった注文方法を粗雑に教えてくれた。
「好きなもの食べて。今日はお姉さんがおごったげる」
「その……」
「遠慮しないで……それに頼んできたのは君じゃん」
「そう、なんですよね……だから余計に気を使ってしまうというか……」
そういうと、楓はメニュー表の適当なページを開いて。
「わがまま言わないなら、私がここから勝手に決めるから」
そんな横暴な事を言い始める。
「分かりました。分かりましたから……その」
「うん。ゆっくり選んで」
楓さんのペースがつかめない。
何を考えているのかも、全く分からない。
それでも、信用できる人だって、心のどこかで思えるのは。
きっと、駅前でただおどおどしていただけのわたしに、同情して、哀れんでくれたから、かな。
「じゃあその……ハンバーグを、いただけますか」
「うん。ちゃんと食べる決断ができてお姉さん嬉しい、じゃあ私は……」
ボタンを押して少ししてウェイトレスが来ると、女の子は自分が決めた物と楓が決めた物を伝える。
そしてウェイトレスが去った後、楓は思わず言ってしまう。
「君、声通るね」
「え?」
「いやー凄い聞きやすいなぁって、綺麗な声って言うか、水みたいに透き通ってるな、って」
「ありがとう……ございます?」
「素直にありがとうでいいよ……ほら、先に飲み物取ってきなよ、カバン見とくから」
女の子は楓に促され席を立ち、近くにあるドリンクバーの方へと歩いて行った。
ドリンクバーという、なんでも好きなものが飲めるシステムを使い、楓はアイスコーヒーを、女の子はリンゴジュースをテーブルの上に並べた。
それから少しして、ハンバーグと大盛りのフライドポテトがテーブルの上に並ぶ。
「楓さん、それだけですか?」
「うーん。なんか今日はポテトが食べたい気分でさ、一日中ポテト食べてるかも」
「大丈夫なんですか? そんな食生活で」
「知らなーい。どっちみちいつか死ぬんだし、好きなものばっか食べてて死にました。って幸せな方じゃない? そうでもないか、どっちみち死んでるし」
「勝手に突っ走って、自己完結しないでください。ついてけなくなります」
少し、考え方が極端な様な。
「でも、明日はちゃんと食べてくださいよ? お肉とかお野菜とか……そういうのをちゃんと」
「お肉かぁ……」
「あっごめんなさい。そういうの苦手でした?」
「いや、そうじゃないんだけど……まぁでも、お肉なんて滅多に食べないから」
「そうなんですか?」
「うん、私がお肉を食べられるのはその動物が死んだ時に味わった苦痛や、悲しみを味わった日だけって、そう決めてるから」
「不思議な決まり事ですね。その苦痛はどうやって、決めるんですか?」
「私の主観だよ」
「そんな曖昧な」
「イジメと一緒、どんな些細な事でも本人がイジメだと感じたらイジメになる。だから私も、私が苦しい、悲しい、死にたくない、そう思った日にだけ思いっきりお肉を食べるの、きっと彼らもそうだったろうなと勝手に同情してね」
女の子は熱々の鉄板の上にのったハンバーグをしばらく眺める。
しばらく眺めて、そのお肉をナイフで切る。
山盛りのフライドポテト、そこから一本、二本とポテトが消えた頃、思い出したかのように楓は言う。
「あっ、君の名前」
「え?」
「ほら、君の名前。まだ聞いてなかったなーって」
「あぁ、そうでたしたね。ぜんぜん自己紹介とかもせずに、色々と頼んでいましたね」
「それはいいんだけど。で、何て名前なの? 君」
「わたしは……その…」
どんな風に自己紹介をするのがいいだろうか。
せっかく知らない街に来て、知らない人に会ったんだから、わたしも知らないわたしの名前を伝えたい。
例えば……そう。
「わたしは、ホオズキ……ユリと言います。十四歳です……」
「うゎ、マジで未成年じゃん……で、えっと、ホオズキ、ユリちゃんね。分かった、覚える」
「はい。よろしくお願いします」
「あっ、どんな漢字書くか教えてもらってもいい?」
「あーその、まだ自分で漢字を書けなくて……だからその」
「そっか。分かった」
楓はあっさり納得し、バイト先の人や関係のある人と連絡を取る事以外には使う事のないスマートフォンをカバンから取り出し、何かを調べ始める。
「これ? ホオズキって」
そう言って楓が見せたスマートフォンの画面には「
「はい、それです。そう、それがホオズキです」
「鬼の灯りでホオズキって、凄い珍しい苗字だね」
そう言った後、一分もしないうちに楓は次の画面を鬼灯に見せる。
「
「はい。それでユリです。でも、わたしの名前のユリはカタカナですよ」
「カタカナなんだ……なんか、独特なセンスだね」
「そうです? カタカナの方が書きやすいと思いますけど」
「まぁ、確かに…あっ、百合って色々な意味があるんだね」
「わたしもあまり覚えていませんけど……あぁでも、黒百合が怖いくらいのイメージがありますけど、それがどうかしたんですか?」
「いやぁ、君の百合はどれなのかなーって」
と、楓は右手に赤、ピンク、オレンジ、を左手に白、黄色、黒の文字を手の平に書き、ユリ見せる。
「直観で、自分はどれだと思う?」
そう言って両手の手のひらをユリに見せる。
「わたしは……」
と、ユリは楓の左手を指差し、しかしどの色が具体的に自分に合っているのか、という名言はしなかった。
「それにしても器用ですね。右手でも左手でも綺麗な文字が書けるなんて、両利きですか?」
「うーん。元は右だったと思うけど、色々あって左手も使える様になったのかな」
「すごいですね。カッコいいです」
「そんなに褒める事じゃないと思うけど」
そんな話をしながら、お皿の上にはだんだんと空いたスペースができはじめる。
気づかぬうちに、二人は多少気兼ねなく話ができるくらいにはなっていた。
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