第15話 トイレの電球
金属のこすれあう音で、奈々子は目を覚ました。寝ぼけた目に、ドアノブがくるりと回転したのが見えた。
玄関の鍵を開けて入ってきたのは、太一だった。
「悪りぃ、起こしたか」
玄関をあがってずかずかと歩いて部屋に入ってきた太一は、奈々子がいつもそうするようにキッチンのテーブルに鍵を置いた。
「ちょっと、何、人んちにあがってきてるのよ。ってか、何で鍵もってるの?」
「昨日、お前が渡したんだろ」
最寄駅の近くの焼き鳥屋で悪酔いし、太一の肩車に揺られて気持ちよく寝入ってしまってからの記憶が奈々子にはない。
とっさに布団をめくって、奈々子は身につけているものを確かめたが、昨日と同じ洋服のままだった。カーテンからは薄い朝の光が漏れ入ってきている。
「ねえ、もしかして、昨日うちに泊まった?」
緩めてあるものの、太一のネクタイは昨日と同じもので、見た目にもはっきりとわかるほどにヒゲが伸びていた。
「まあな」
「『まあな』じゃなくってっ! 自分ち、すぐ近所じゃないの?! どうして帰らないで、一人暮らしの女の部屋に泊まったりしたのよ!」
太一の住んでいる場所は、奈々子のマンションの先をいった曲がり角の先のはずだった。
「俺だって、泊まろうとしたわけじゃないぜ。帰ろうと思ったんだけど、鍵がさ」
「鍵がなによ」
「俺が鍵をおいて出てったら部屋に鍵がかかってなくて不用心だろ? かといって俺が外から鍵かけて出ていったら、お前が部屋から出られなくなるし」
「で、しょうがなく、うちに泊まったってわけ?」
「言っとくけど、俺、何もしてないからな」
太一に言われないまでも、すでに何もなかったと奈々子は確認してある。太一はリビングのソファーで寝たらしく、クッションが片側に寄っていた。
「鍵のことがあって泊まったのはわかったけど、何で出ていってまたうちに戻ってきたの?」
朝になったなら、奈々子を起こして部屋を出ていけばいいだけの話だ。それなのに太一は奈々子を寝かせたまま外出し、再び部屋に戻ってきた。
「電球、かえようと思ってさ」
太一の手には電球の球がにぎられていた。朝早く、コンビニで買ってきたらしい。
トイレの電球が切れたままなのは奈々子も知っている。かえないといけないと思っていながら、椅子にあがって電球を取りかえなければならない手間を面倒くさがって、奈々子はほったらかしにしていた。
「まだかえてなかったんだな」
と言うなり、太一はトイレに入っていった。
ユニットバスの低い天井に今にも頭のつかえそうな太一は、ひょいと手を伸ばし、くるくると切れた電球を取り除き、新しい電球に付けかえた。奈々子にはちょっとした一仕事を、太一はいとも簡単にやってのけた。
「朝飯、食えるか?」
「たぶん」
胃がもたれた感じはあったが、何か食べておかないと身がもたない。
「一応、作っておくから、食えたら食っとけよ」
まるで自分のうちのように、太一は奈々子の部屋のキッチンに入って朝食の仕度を始めた。
奈々子には広いキッチンが、太一のせいでプレイハウスのように小さくみえる。奈々子には少し高いシンクは太一には低すぎて、洗い物をする太一は使いづらそうにしていた。
奈々子の目の前でたちまち卵焼きができあがっていった。食欲はないはずだったが、ふわりとした卵の匂いにつられて口の中につばが湧いてきた。
「コンビニでおにぎり買ってきておいたから食えるなら食っとけ。味噌汁も買っといた。二日酔いには味噌汁が効くらしいから、飲んどけよ。じゃ、あとでな」
コンビニの袋から取り出したものをテーブルに並べ終わるなり、来た時と同じようなあわただしさで、太一は奈々子の部屋を後にした。時計は7時をまわっていた。
窓から太一を見送る奈々子は、再び自宅があるはずの方向とは反対にむかう太一の姿をみた。太一は駅へとむかって走っていた。
(昨日と同じ格好だといろいろ勘ぐられるから、家に帰って着替えてくればいいのに―)
そんなことをまだ酔いの残る頭で考えながら、奈々子も身支度にとりかかった。
「おはようございます」
奈々子が出社した頃には、太一はすでにオフィスにいて、美香のワークステーションで話しこんでいた。そのシャツもネクタイも、昨日とは違う。ヒゲもきちんと剃られていた。
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