第14話 酒と牛乳と男と女

 一坪ほどの小さな店で、太一は縮こまるようにして焼き鳥をつついている。食べっぷりのいい太一を目の前に、奈々子はチューハイを傾けていた。


「酒強いなー」


 奈々子はまるで酔った様子がない。酒が弱く、ビール一杯でも顔が真っ赤になる太一は、まったく顔色の変わらない奈々子に感心していた。


「女の子が強いと、かわいげがないでしょ」


 と言いながら、奈々子は何杯目になるかわからないチューハイを注文した。すでにかけつけのビールは飲み終わっていて、口をつけただけの太一はまだ少し赤味が顔に残っているが、奈々子は素面である。


「父の血なの。父はお酒が強くて、でも、母は下戸」

「俺んとこと逆だな。親父は下戸だけど、お袋は強くてさー」

「お父さんの血が強いんじゃない? お父さんも背が高いって言ってたよね?」

「親父もアニキもでかいから、正月とか集まると暑苦しくてさ」

「うちと逆だなあ。うちは弟だけが大きくて、親も私もこじんまりとしてる」

「弟、身長いくつ?」

「んーんと…180あるのかな? 牛乳が大好きで、水みたいに飲んでたわよ。私は苦手だったけど」


 牛乳を飲めば身長が伸びると言われている。現に、成長期に毎日飲み続けた弟は、それこそ1日1日と背が伸びていった。苦手だが、背が伸びるならと、奈々子は飲もうと努力した。だが、体に合わないので、結局、飲まなくなった。上原家では、奈々子の身長が伸びなかったのは牛乳を飲まなかったせいということになっている。


「牛乳は関係ないと思うぜ」

「そう?」

「俺、牛乳苦手で全然飲まなかったけど、でかくなったし」

「遺伝なのかなぁ」


 奈々子の両親は、ふたりそろって平均そこそこの身長でしかない。どういうわけか、ひとり背の高い弟は、牛乳を飲み続けたからだと思っていたが、牛乳嫌いの太一の背が高いのは遺伝のせいだと知ると、奈々子はがっかりした。


 持って生まれた以上のものは得られないのだとしたら…奈々子の背が遺伝子で決められた高さで伸び留まったように、どんなに努力しても、奈々子は自分の能力以上のものを手に入れられない。


 5センチのヒールで、望んでいた身長160センチの世界をのぞいているが、しょせんはごまかしに過ぎない。ヒールを脱いでしまえば、みじめな現実が待っている。


 香水プロジェクトは、しょせん、5センチのヒールでしかなかった。プロジェクトに関わっていた時に見えていた世界は、自分が本来手にするものではないのだ。


 奈々子は悔しさをチューハイとともに胃の底へと流し込んでしまった。



 どんなに飲んでも酔った気がしないとおもっていた奈々子だが、あまりいい酒の飲み方をしなかったらしい。店を出た時には、めずらしく足元がふらついていた。


「あー、もう、めんどくせっ」


 千鳥足で歩く奈々子を見かねて、太一はひょいと奈々子を肩に抱き上げた。抵抗する間も気力もないままに肩車された奈々子は、だらしなく顎を太一の肩に乗せていた。


 酔いのひいた白い太一の耳たぶが目の前にある。整髪剤のムスクの香りが奈々子の鼻をくすぐった。うっすらとヒゲが伸び始めている。奈々子は手をのばして太一の頬に触れた。チクチクとした感覚が手の平をくすぐった。


「おい、やめろって」


 口ではそう言いながら、太一は奈々子のしたいようにさせていた。


 太一に肩車されて見る世界は、未体験のものだった。視界が広い。街灯が縮んで、アスファルトの地面が遠くにある。これではアリや虫が歩いていても気付かない。


世界が奈々子の(正確には太一の)足元にひれ伏している。


 195センチの太一の世界、奈々子のみているものとは違う世界。


いつもこんな世界をみているんだ ―


 並んで歩いたら、頭の上が見えるだけで、人の顔なんか見えないんだろう ―


 頭の上のほかに、彼は私の何をみているんだろう……

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