第9話 衝突
夜は退社時間が重なり、同じ電車に乗って奈々子のマンションまで同じ道のりを歩く太一と奈々子だが、朝は顔をあわせたことがない。同じ駅を使っているのに、とおもっていたら、太一は朝早くに出社していた。
残業しないで済むよう朝のうちに仕事を片付けてしまおうと、いつもより早めに出社するようになってわかったことで、朝のオフィスには、大抵美香か太一が一番に出社していた。
ジェーンのプロデュースした香水は、クリスマスプレゼントとしての需要を見込んで12月頭に発売される予定だった。その発売日が間近に迫り、広報プロジェクトはいよいよ大詰めをむかえつつあった。
奈々子の担当する特設ウェブページはすでに最終OKが出ている。美香が関わってきたジェーンの記者会見も、場所をすでに押さえて後は本人が来日するだけとなっている。太一が担当している記者会見や一連の情報についてのプレスリリース関係の処理が少しスケジュールから遅れていた。
無理もない。経験も浅いのに、太一はいきなり大きなプロジェクトにかり出されたのである。仕事に対しては厳しい美香は、太一にも厳しい指導であたった。太一が用意したプレスリリースは、美香の指摘にあって、もう何度書き直されたか分からない。美香に注意されるたび、太一はワークステーションに戻って黙々と仕事を続けるのだった。
そんな太一を、奈々子はイライラしながら見ていた。分からないことがあったり、問題にぶつかったりしたら、美香や自分に聞くなり、相談するなりしてくれたらいいのにと奈々子は思う。何といっても新人なのだから、分からないことがあって当たり前で、恥ずかしがることはない。だが、太一ときたら、誰に助けを求めるわけでも相談するでもなく、ひとりでデスクにむかうだけなのだ。
(手伝ってやるかなー)
奈々子はPCにむかった。
この数日、連日で美香から、奈々子にはCCで、太一あてにプレスリリースを投げる先のリストを出すようにと催促のメールが送られている。
主だったメディア関係の連絡先のリストはすでに作成されているのだが、今回は特別にいつもはプレスリリースを出さないところにも投げると決まっていた。
香水をプロデュースしたジェーンは、年代を問わず女性たちから圧倒的な支持を得ている。メルローズ社の主だった顧客は20代の女性たちだが、今回は上下ともに年齢層をひろげ、30代、40代やティーンをターゲットとした雑誌などにもプレスリリースを送ってみようということになった。
女性誌など読みそうもない太一に、送付先のリスト作成は難しかったかもしれない。だが、奈々子にはどうということのない作業で、かたっぱしから連絡先を調べ上げ、さっさとリストを作成してしまった。
(こんなものかなー)
出来上がったリストを、奈々子は太一にメールで送った。
メールを受け取った太一は、奈々子のデータをコピーして美香に送るだろう。奈々子はそう思っていたが、夕方になっても太一から美香へのメールは送られず、CCで来るメールときたら、美香から太一へのリスト提出について催促するものばかりだった。
太一からの返信はなく、しびれを切らした美香が太一のワークステーションにむかった。
「鈴木くん、リスト、今日中に出してくれる?」
「はい」
「もうずっとリストを出して、って言ってるわよね?」
「はい」
「私、今日は出張の飛行機の都合で早く出ないといけないけど、メールで送っておいてくれたら、出張先で確認するから」
「はい」
というやりとりがあった後、美香は飛行機の時間がせまり、太一からのメールを受け取らずに退社してしまった。
リストは、奈々子が作成して、太一に送ってある。どうしてそのリストを使わないんだと奈々子は疑問におもった。
(メール、届いてないとか?)
太一から受け取ったという返信はもらっていない。奈々子は送信記録を確かめた。メールは確かに太一に送られている。添付し忘れたかと疑ったファイルも、きちんと添付されている。届いてはいるようだが、何通ものメールに埋もれて見逃されてしまっているのかもしれない。
それなら口で直接言っておこうと、奈々子は太一のワークステーションにむかった。
「あのさ、さっきリストを送ったんだけど、メールみた?」
椅子に座ったまま、太一は奈々子の方を向こうともしない。不機嫌なオーラがただよっている。
「メールなら見た」
「あのリスト、使っていいから」
すると、それまでPC画面にむかっていた太一は、くるりと奈々子をふりかえった。
「なあ、あれ、俺がやらなくっちゃいけない仕事だろ? 人の仕事に手を出すなよ」
太一はせいいっぱい感情を抑えていたが、あきらかに低い声には怒りがこもっている。
手伝って感謝されるどころか、怒られたかっこうになってしまった奈々子は、むっとしていた。“俺の仕事”というが、厳密にはチームの仕事である。チームメンバーの奈々子が太一の仕事を手伝って文句を言われる筋合いはない。
「何よ、その言い方。私ならリスト作成は簡単にできるから、手伝ってあげたのよ。できないことはできないで、できる人間に頼ればいいじゃないの! それがチームワークってものでしょ!」
奈々子は太一をきっと睨みつけた。椅子に座っている太一と、立っている奈々子とでは同じ高さに目線がくる。
太一は何か言い返したそうだったが、いきなり立ち上がったかとおもうと、すたすたと廊下に消えていってしまった。
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