第10話 気まずい空気
太一の怒った顔を、奈々子は初めて見た。怒らせたのは奈々子だが、仕事を手伝ってやって怒鳴られたのだから、たまったものではない。
(私なら、手伝ってもらって喜ぶのに……)
そう思いながら、奈々子は暗い夜道をマンションまでとぼとぼと歩いていた。
背後には、ひたひたと後をつける足音が聞こえている。
少し遅れてついてくるのは太一だった。
何もこんな時にまで帰りが同じ時間にならなくてもいいものを、オフィスを出てから奈々子と太一は少し距離をおいて駅までむかい、同じ電車を乗り継ぎし、駅を降りてからも、少し離れてではあるが、同じ道のりをそれぞれの自宅へとむかっている。
この時ほど、太一が近所でなければいいのにと奈々子が思ったことはなかった。
奈々子の歩くスピードにあわせて、ゆっくりとした太一の歩調は地面を踏みつけるようで、まだ怒りがおさまっていないようだった。
感謝されようとおもって、奈々子は太一の仕事を手伝ったわけではない。太一にも言ったように、できる人間がやれることをやったほうが効率がいいと、奈々子はそうおもって太一の仕事に手を貸したまでだった。
(私だったら……)
自分が太一の立場だったら、どうおもっただろうか。
初めて関わる大きなプロジェクト。任された仕事に対する責任感。空回りするほどのやる気。仕事をやり終えたときの達成感。
奈々子は自分が新人だったころを思い出していた。美香は決して奈々子を手伝おうとはしなかった。アドバイスはくれるが、手は出さない。当時は厳しいとおもったが、今となっては、どうにか一人前に仕事ができる人間に育ててもらって、奈々子は美香に感謝している。
どんな困難な状況にあっても、自分でやり遂げていかなければならない仕事というものがある。太一の場合はリスト作成だった。太一が成長する機会を、奈々子はむざむざと奪ってしまったのである。
(自分でリストを作ってみたかったんだろうな……)
太一が怒ったのも無理はない。自分が太一の立場で、自分の力でどうにかしようとしているのを横から手を出されたりしたら、やはり気分を悪くするだろう。奈々子は自分がしでかしたことの大きさに、今さらながら気付いて、気持ちが重くなった。
(悪いこと、しちゃったなあ……)
奈々子は、メール便を取ってくれた太一を思い出していた。手も届かないのに取れるはずだからとおもっていた奈々子は、上から手を伸ばした太一に感謝するどころか、頼んでもいないのに、と失礼な態度をとったのだ。
対して、太一は、『背が高いから取っただけ』『できないことはできないで、できるやつに頼めばいいんだ』と、リストを勝手に作成してしまった奈々子と似たようなことを言ったのだった。
(私の場合は、単なる郵便物だけど、仕事で同じことをされたらイヤだし……)
考えてこんでいるうちに、奈々子はマンション前についてしまった。
いつもなら軽く挨拶して分かれるのだが、今日は少し遅れて歩いている太一がマンション前につくころには、奈々子は自分の部屋までたどりついてしまっているだろう。
謝ろう。
奈々子はエントランス前で足をとめ、太一を待った。
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