額にボタン

三屋城衣智子

額にボタン

 高校生の朝は早い。

 特に近所にレベルに合う高校がなく、ちょっと離れたところの学校しか受験できなかった俺――香川かがわ真人まさと――みたいな奴には、早くしなければ公共機関も敵になっちまう。


 なんで親父とかーさんはこんな辺鄙へんぴなとこに家建てたんだ! って文句言ったら、「ここは注文住宅じゃない」って親父にはへこまれ、かーさんには「だって好みに合うデザインの建売たてうりはここしかなかったんだもの」と拗ねられた。

 確かに俺の住む家は小洒落こじゃれた、北欧風のたたずまいだ。かーさんは趣味がいいらしく、家の中もシンプルだけど温かみがあって、ほのかに可愛い雰囲気――とは妹の談だ――にまとめて、季節ごとの移ろいをインテリアに取り入れながら暮らしている。

 けど可愛いは正義かって言ったら、一端いっぱしの高校生男子の俺には良くわかんねーし、俺の部屋は割と無骨に鉄アレイなんかもあって、雑多で男臭かった。……実際は臭ってなんてねぇぞ?


 今日もいつもと変わらず起きて髭を剃ろうと洗面所に向かった。

 その時だった。

 鏡を見ると――


 額に謎のボタンが生えていた。



 ボタンが生えていた。



 大事な事だからよく聞いてほしい。


 俺の、額に、黒くて五ミリ大の円柱形のボタンが、生えていた。一見するとただの黒子ほくろだが、押さないように慎重に触ってみると、つるりと硬い。色はマットだが、手触りはことほか良いようだ。

 けど何なんだコレ。昨日までは無かったそれに好奇心をそそられたが、今は時間に間に合わせる方が先だ。俺は即決断すると額のそれはさておき、学校に行く準備を終わらせることを優先したのだった。


 ちなみに朝食は散々だった。謎のこのボタンの如き黒子ほくろ? に、親父もかーさんも、


「…………まさお」

「……ぷっ」


 と、なったっきりずっと笑いかけてて。見るたびに吹き出さんばかりに笑いかけては我慢する、というかもう半ば吹いてたし心の中で大笑いなのが明らかにわかる。子供に向かってそういう態度は良く無いと俺は思う。何か悪いものだったらどうするんだ。まあ、こんな変なもんついてたら俺も笑うけど。




 ※ ※ ※




 笑い上戸になった両親を捨て置き、俺は学校へ向かうために家を出た。通学は大概友人と二人で、待ち合わせ場所は固定だ。奴の反応は怖かったが、毎日の約束なので突発で断るわけにもいかなくて、俺はいつもの場所へと向かった。

 友人――竹本たけもと元気げんきは既にバス停で待っていた。


「っぶっ!! おっ、お前、何額にけったいなモンつけてんの?!」

「うるせー気にすんな」

「お前、改宗したの?」

「俺は無宗教、かーさんは浄土真宗のまんま」


 案の定しょぱなから突っ込まれる。俺にだって何が何だかわかんないんだから聞いてくれるな。つったって、こんなことになってたら俺だって突っ込むわ。むしろイジんないと変な空気になるんじゃね? じゃあひとしきりイジった後受け入れて、何でもない風にした方がいいだろう。少なくとも俺はそう思う。


「奈良のアイツに惚れ込んじまったか」

「ああ、俺アイツみたいにでっかな男……って大仏ちげーし」

「じゃあ牛久か」

「どうせなら飛鳥目指す」

「最古かよ」


 シシシ、と笑った竹本は腐れ縁だ。中学一年の時に同じクラスになってからずっとつるんでる。容姿も学力も普通の俺と違って、結構美丈夫で運動が出来るが、天は二物を与えなかったらしい。学力が俺と似通っていて、受かった高校が偶然同じだったからまた高校の一年半ほどを一緒に過ごしている。


「なんかありがたそうで、教祖にでもなれそうだな?」

「え、やだよ人の人生背負えねぇし」

「何いってんだよ、俺たち成人したらいずれ嫁と子供の人生背負っちゃうんだぜ?」

「まだそんなの実感わかねぇよ。つかそういう話題今までなかったのに、さては好きな子でもできた?」

「え、や、そそそん」


 ブルォオオオオオオ

 プシュー


 ちょうどいいところで俺たちが乗るバスが来てドアが開いた。動揺した竹本は我先にと乗ってしまったので会話ができなくなってしまう。流石に他の生徒がいるかもしれないバスの車内で言及する程、TPOがわからないわけじゃなかった。惜しい、ゲロるの後ちょっとだったのに。

 少し残念な気持ちを連れて俺はバスに乗った。さっきのは好奇心もあったけど、それとは別に聞きたい理由があった。今俺は、恋しちゃってるのだ。




 ※ ※ ※




 あれは今年の四月だった。

 進級後すぐの席替えの時間、俺はうっかりポケットに手を入れたのを抜く時にハンカチを落としてしまったのだ。

 パサリ、という音は誰の隣になるかそわそわガヤガヤした教室の音にかき消されたのか、俺は落としたことに全く気付いてなくて。それをとても綺麗な所作で、しゃがんで拾ってくれたのが俺の女神――明石あかし響子きょうこさんだった。彼女は髪を肩まで伸ばし、少し色素の薄い茶色い髪と瞳が涼しげな子だ。しゃがんだ時に彼女が左耳へとかけた横髪になりたいだなんて思った訳だけど、決して俺は変態じゃない、普通の高校生男子だ。誰だって人生の中で一度や二度、相手が座るその椅子になりたいだとか相手が吸う空気になりたいだとか、考えるんじゃないかと思う。俺のもその類なだけだ。

 何はともあれ彼女に「落としたよ? はい、どうぞ」と言われて手渡されたハンカチはその日から俺の宝物になり、洗濯機へは二度と入ることはなく今日まで来ている。隣のアドバンテージがあったからその後も少しは話をしたりもして、その会話から窺える考え方に二度目惚れしたのは記憶に新しい。ま、そんな栄光も一学期で終わったんだけど。

 そんなことをつらつらと思考しながら竹本とも毎日のルーティーンである馬鹿話や、テレビの話をしながらバス通学の道中を過ごした。


 俺の恋心も連れてバスは学校の前の停留所に着く。


 ついでに竹本の恋心も多分ついて来ていた、なにせ奴はわかりやすい、さっきのジャブでまだドギマギしているらしくバスのステップで転けかけていた。これはもしかしたら、注意深く観察すれば相手がわかるかもしれない。俺はその未来にちょっとだけワクワクしながら校門をくぐった。


 俺と竹本は今年同じクラスになった。なので向かう先も同じだ。俺達は教室に着くとまず鞄を置くためにそれぞれの机に向かう。俺の席は黒板向かって左後ろ、奴は右前で羨ましいことに二学期から女神の隣だった。


 彼女はもう来ていた。朝の光がまつげに反射する麗しの目元は、しっかりとした意思を宿している。


 今日こそ竹本の席が隣なのを良いことに話すチャンスかもしれない、何故か突然そう思って、俺は慌てて鞄を机に引っ掛けると竹本の元へと向かった。




 ※ ※ ※




 現場に着くと既に竹本が女神と話を始めていた。心なしか奴の目元が緩んでいる気がする。というか口元も緩んでいる、こいつ、好敵手ライバルか!!


「お、おはよう!」


 しまった、慌てたから声が上擦っちまった。

 俺は少し後悔したが後の祭り、せめてこの気持ちには今は気付かないで欲しいと思いながら相手の返事を待った。


「おはよう、香川くん」


 春風を思わせる軽やかな声で女神が応えてくれた。思わずとろけそうになる顔に叱咤激励しったげきれいをする。竹本に気付かれたらきっとこの恋心は終わりだ! 俺はそんな謎の使命をびて、そこに立つ。竹本は目を泳がせながら「おう、さっきぶり」だなんていう間抜けな言葉を寄越してきた。バレバレなんだよお前のムーヴ!!

 気にしたら負けな気がして一生懸命奴の不自然さを頭から追い出すことにして、俺は明石さんへと集中した。

 すると何だか彼女が俺の顔をちらちらと、うかがっているのが見えた。


 すわ春か?! とも思ったが、そんな訳がないと冷静になったら理由がわかる。今朝に授かりし例のアレだ。アレのお陰で今俺は明石さんからの興味関心を一手に受けているのである。嬉しいんだか悲しいんだか一周回ってやっぱり好きな子に関心を持ってもらえているのがとてつもなく、滅茶苦茶めちゃくちゃ嬉しくって興奮した。だってそーだろ? 彼女が、自分を、見つめてるんだぞ?? これに喜ばなくて、いつ喜ぶんだ。

 俺は一気に陽キャにだってなれる気持ちで女神に声を掛けた。


「あ、気になる? コレ。よかったら押しても良いよ」


 我ながら破廉恥はれんちでも良い提案だと思った。竹本は驚いていた。明石さんは、驚きながらも少し嬉しそうで。


「良いの? じゃあ、押す、ね?」


 と、ほんの少しだけ躊躇いつつも好奇心には勝てなかったようで、その白くほっそりして、まるで名匠の作った手打ちうどんのような綺麗な指を、俺の額へゆっくりと近づけた。




 ぽち




 かくして今朝額に突如現れたボタンは押された。


 その途端俺の頭上にはバリア出現、ケツからはガスが出て引火し、あれよあれよと学校の天井を何個もぶち破り上空に躍り出て成層圏へ突入。




「好きな子がボタンとはいえ俺の一部に手を触れてくれた……これが天にも昇る心地ってやつなんだな」




 天高く俺昇る秋、十月。




 俺の気持ちは星になった。



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