②アカウント名:デスク上の空論

「俺は雁首がんくび取ってこいって、命令したよな? 何で出来ねぇんだよ‼︎」

 JR宇都宮駅近くの鬼怒きぬ通り沿いのビル三階。日の出タイムス宇都宮支局のデスク席で綿貫秀夫わたぬき・ひでおは吠えた。どこかドーベルマンを思わせる風貌。唇をプルプルと震わせて、爪ではコツコツと机を叩いている。

 綿貫のデスク席のかたわらに立たされて面罵めんばされているのは、尋木彩花たずのき・あやかである。この宇都宮支局に五月に配属されてきたばかりの新人記者。夕刊が終わったタイミングで、綿貫は県警記者クラブから尋木を呼び出した。先ほどからずっと怒鳴り散らしている。

 宇都宮支局は、記者やアルバイト、スタッフを合わせれば総勢二十名を誇る中規模支局である。しかし、夕刊が終わったこの時間帯は数名の記者がいるだけだ。その数名の記者全員が、響き渡る怒声が聞こえないかのように、せっせと自分の業務に取り組んでいる。

「中央も、さきがけも、日日にちにちも、共同も、全社が雁首取ってきたんだぞ?俺らは新聞記事で御飯おまんま食ってんの! お前、それ分かっとるんか?」

 きっかけは、前日十九時に起きたオリオン通り商店街の中華料理店の火災。店舗兼住宅は全焼。二階に住んでいた一家五人のうち、逃げ遅れた小学二年生の男児が犠牲になった。放火の線が強いらしい。雁首とは、被害者の写真のことで、この場合は亡くなった少年の顔写真である。

 尋木はその新聞掲載用の雁首を取ってこれなかった。それに綿貫は烈火の如く怒っている。いや、その表現は正確でない。

「私……遺族の心情を考えたら……インターホンなんて押せませんでした」

 そう言って、暗に仕事すら放棄したことをほのめかしたからだ。

 写真を取れなかったことではなく、新人記者がトライすることもなく帰ってきた。そのことに綿貫は激怒している。

「バッカやろう! それでウチだけ朝刊にツラが載らなかったらどうすんだよ! 良いか尋木? 泣くのは遺族の仕事で、テメェの仕事じゃねぇ! それが辛えなら辞めちまえ!」

 そう言って、今朝の日の出タイムス朝刊を尋木に向かって突き出す。

「この朝刊の県版に死んだガキが載ってんのはなぁ、森藤もりとうが雁首を取ってきたおかげだ! 新人なんだから変な理想なんていっちょ前に掲げねぇで、森藤に雁首の取り方でも教われよ!」

 綿貫はバンと机を叩いて、勢いそのままに席を立つ。支局の隅にある喫煙ルームに消えていった。

 森藤岳彦もりとう・たけひこはその時、机が叩かれた音よりも、不意に自分の名前が出てきたことに驚き、思わず顔を上げた。その先には、デスク席横でしょんぼり佇む尋木の姿があった。目が合う。小動物のように森藤を見つめる目からは今、とめどなく涙が溢れて、全身から哀愁が漂っている。

「尋木、あの……もし、まだだったらだけどさ……ランチでも行くか?」

 その視線に屈して森藤は聞く。

 一時間後。ツイッターでは、一つの匿名記者アカウントの投稿が物議を醸していた。


 デスク上の空論@desk-kuuron

 一時間ほど新人記者を叱りました。私が怒ったのは彼女に期待しているからです。私も新人の頃、デスクから良く怒鳴られました。あの経験があったからこそ今があります。彼女は最終的に悔し涙を流しており、僕の思いは通じたのだと思っています。今後の彼女に期待です。

 14:44 2022/08/17 Twitter for iPhone


「俺はあいつに期待しているから怒ったんだ」

 財布を忘れて支局に戻った森藤に、綿貫が言った言葉がそのまま投稿されていた。

 だが、ツイッターでの反応は賛否両論。いや圧倒的な否。立派な炎上である。

〈悔し涙ってホント? 自分勝手に解釈しすぎじゃない?〉

〈新人が涙を流すほど叱るって、完全にパワハラじゃん。〉

〈時代錯誤感が半端ない。あなたの新人時代とは違う。〉

〈自分もやられたからやるって……本当に変わらなきゃなのは、あんたの方でしょ笑〉

 現実世界とは違う世界がツイッターには広がっていた。

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