ある男の戯言

淳平

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洒落た燭台にそびえる三本の蝋燭の光が照らす部屋の中、私は一人椅子に座っていた。夏の始まりだからか、薄暗いが陽はまだ落ちていない。外はまだ日中のじめじめとした暑さをもっている。


暑がりの私はクーラーをつけなければこんな涼しい顔をして椅子に座っていることは無理だろう。そう思いながら、私は水を一口飲んで視線を落とした。


目の前のダイニングテーブルには食事が二人分用意されている。食事といっても、いつものような質素なものではなく、豪華絢爛なものだ。普段は絶対買わないような高級ワインも、開けられる時をテーブルの上で静かに待ちわびている。


私は時計を見て彼女が帰宅する5分前であることを確認すると、冷蔵庫からケーキを取り出した。駅前の美味しいケーキ屋さんのものだ。この日のためにオーダーメイドのものを用意した。


テーブルの上に乗せたそのケーキには、HAPPY BIRTHDAYと描かれている。そこに25歳分の蝋燭を指し、火を着けた。彼女を祝福するには十分なサプライズ演出だ。


今日は彼女の誕生日だ。私と祝う初めての誕生日。彼女と出会ったのは、今から半年前だった。


私が仕事の日にいつも昼飯のパンを買っているパン屋さんがある。老夫婦が経営者している少し古びた店だが、味は間違いない。それに加えてその老夫婦はとても良い人で、たまに愚痴を聞いたりしてもらっている。そこで私はいつもシュガートーストとあんぱん、そしてメロンパンを買う。コーヒーは店の前にある自販機で済ませる。そんな昼飯をもう何年も食べている。


そんなある日、その店に一人のアルバイト店員が現れた。かわいい女性で、そこの老夫婦の孫だそうだ。彼女は社会人だが、暇な土曜日だけ、パン屋さんを手伝いにくることになったといっていた。私は初対面ながら、その彼女に、彼女の笑顔に、見事に心を奪われてしまったのだ。


それから土曜日は必ずパン屋さんに行くことにした。仕事のない日でも、足繁く通った。彼女の虜になった私には、その行動を止めることはできなかった。そしてしばらくして、私と彼女は付き合い始めた。


私はゆっくりと部屋を見渡した。

彼女の部屋はいつも綺麗だ。整理整頓されていて、いつも掃除が行き届いている。棚の本は五十音順に並べられ、床には埃一つ落ちていない。そんな彼女の部屋が私は好きだ。


窓から外をふと見れば、もう日は沈んで街灯が続々と灯りを灯しはじめた道を歩く、暑そうにTシャツをパタパタしている少年たちがいた。サッカーボールを持っているから、遊び疲れて帰る途中なのだろう。今夜はカレーだと一人がうれしそうに言っている。


こんな風景も悪くない。そう思いながら少し笑みをこぼした。


今日が彼女の誕生日ということは彼女に贈るプレゼントもある。今は彼女が座るはずの椅子に、メッセージカードを添えて置いてある。中身は彼女の好きなブランドのバッグ。普段はなかなか手が出せない値段のため、プレゼントとしてはふさわしい代物だろう。


私はあまり女性にプレゼントを贈ったことがないから、パン屋さんの老夫婦に知恵を貸していただいたのだ。果たしてこのサプライズは成功するのか、あともう少しでわかる。


ガチャ。


玄関の鍵を回す音が聞こえた。ついでドアを開ける音。私は慌ててクローゼットに身を隠した。


玄関の明かりをつける音がして、靴を脱ぐ音も聞こえる。疲れた身体から自然と溢れ出たような、はあ、というため息を一つついた彼女は、重い足を引きずるようにこちらに歩いてくる。


私の心臓はばくばく音を立てていた。もし、彼女が驚かなかったら?そんな不安が頭にあったからだ。だがそれと同時に、期待も持っていた。彼女が私を、、、。


ガチャ。


リビングのドアを開ける音が静かな空間に響いた。私はクローゼットの隙間から息を殺して様子を伺う。


リビングに足を踏み入れた彼女は、蝋燭の火とそれに照らされた物を見て動きを止めた。そして彼女はテーブルに並べられた料理を見つめ、そっと手に持つ鞄を落とした。それと同時に、頬にスッと涙を流した。


「え?」


どうやらサプライズは成功したようだ。

安堵の中、私は蝋燭だけが照らす彼女に後ろからそっと歩み寄り言う。


「誕生日、おめでとう」


彼女はゆっくり振り返った。まるで自身の表情を見せたくないように。


涙があふれる彼女の目が私をとらえ、まばたきが再び涙を落とした。

そして、彼女は震える声でいった。


「あなた、一体誰なの?」

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ある男の戯言 淳平 @LPSJ1230

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