第8話 『突貫怪獣トリロン』
その時、メリジルの街に聞いた事もない轟音が響いた。
住民は音の正体が何かわからず、ただ一様に南門を眺めた。
そして、南門の外に城壁とは違う、透明で青い壁が出来ている事を知ったのだ。
南門
怪獣の射撃した角は結界によって弾かれ、くるくると回って森に落下した。
怪獣が悔しげに地面を叩く。
赤い眼が怪獣の顔の横に浮かび上がった。
「……予想外だ。魔法にこれほど強力なバリアがあるとは。やはり、実証は必要だな。次の実証だ」
赤い眼の言葉に応えるように、怪獣が腕に力を込めて地面から身体の残りを出そうとする。
騎士団の生き残りの中にはそれを防ごうと攻撃を加える者も居たが、もはやそれを意に介する事もなく、怪獣が徐々にその全貌を明らかにしていく。
その姿を言い表すなら、二足歩行で身体の各部分に角が生えたトリケラトプス。
身長百メートルを越える巨体は、メリジルの城壁よりも頭一つ分大きい。
城壁から覗く怪獣の顔を見たメリジルの住民たちは悲鳴を上げ、北に逃げ出した。
確認するように赤い眼が声を発する。
「やはり建築技術はあちらの世界よりも低い。だが、魔法が使われていると考えると、強度は同等かそれ以上の可能性も考えられる」
怪獣が歩を進め、南門に近付く。
一歩一歩が大地を揺らし、尻尾が木々をなぎ倒していく。
団長が声を上げ、生き残りの部下たちに指示を出す。
「退避しろ! 散り散りとなり、別の門から街に戻れ!」
団員たちは指示通りに南街道から退避する。
もはや、それしかやれる事が何もないというのが現実だった。
足元の人間など意にも介さず、怪獣が南門と城壁に張られている結界の正面に立った。
怪獣の意思を代弁するように赤い眼が声を発する。
「質量にどこまで耐えられるか、耐久性実験といこう」
怪獣が頭の角を立て、結界に頭突きを食らわせる。
――バチバチバチィ!!
結界の加護は強固で、あらゆる障害を跳ね除ける。
発光する結界が障害と判断した怪獣の角を押し止める。
しかし、怪獣は何度も何度も、執拗に頭突きを繰り出す。
頭突きと結界が衝突する度に轟音が響き渡り、それを聞いていた街の住民は終末の鐘が鳴っているという感想を抱いた。
結界の効果は如実に表れている。
だが、結界は未完成であり、維持する神官たちのマナにも限界がある。
やがて、その時は訪れた。
怪獣が何度目かの頭突きを食らわせた時、結界が端の方からポロポロと崩れ、青い粒子となって霧散していく。
怪獣が駄目押しにもう一発。
頭突きが炸裂すると、ガラスのように結界が砕けた。
突然結界が無くなった為、怪獣はバランスを崩して城壁に倒れ込んだ。
怪獣の体重に耐えきれなかった壁が崩壊し、瓦礫ごと怪獣が街に転倒した。
怪獣が倒れた先は南区の特区と呼ばれている地域だった。
怪獣の転倒により、街が浮いたと錯覚するほどの地震が起きて、逃げ惑う住民たちはよろめいたり倒れたりと大変な事態になっていた。
しかし、運良く怪獣が倒れ込んだ地区の住民避難は済んでいたので、被害はゼロに抑えられていた。
怪獣が結界と攻防を始めた段階で、臨時拠点に詰めていた騎士団の後方支援部隊が主導して、避難誘導をしていたのが効果的に働いた。
彼らは団長であるオーガスタスのメリジルを守る意志を理解し、自分たちの判断で住民を守る行動を取っていた。
現在、南区の住民はこぞって北方面に逃げ出している。
昼間なら目抜き通りとして和気あいあいとした賑わいのある中央通りが、今は悲鳴と恐怖の声で彩られていた。
そこにベナとトット、二人に合流していたアッサムが居た。
彼らは逃げ惑う人の流れに逆らって立ち止まり、アゴを突き出した姿勢でうつ伏せ状態のまま動かない怪獣を振り返る。
「……」
「デケェ……」
まるで眠っているような顔だけで、そこらの建物ぐらいに大きい。扇状の襟を含めれば、あるいはそれ以上かも。
クチバシに似た形状の口。前に突き出した口元の先端付近にも角が生え、その少し下に斜めった鼻の穴が開き、鼻呼吸の度に中央通りに強風が吹く。
湿り気と土気の混じった嫌な臭いの鼻息に全身を煽られながら、ベナは目を細めて怪獣を観察する。
「こいつを……どうすればいいの……?」
死んでいるとは思えない。
騎士団の攻撃が遅れて効いたとも思えず、結界の作用とも思えない。
だが、どうして寝転がったままなのか、何を目的としているのか、何一つ理由が想像できない。
自分の認識、理解を超えている存在を前にベナは茫然としていた。自分の世界が根幹から崩れていくような気がした。
すると、今度は怪獣が深呼吸をする。
ゆっくりと閉じていた怪獣の目が開く。
怪獣は目を動かし、最後には中央に寄せた。
偶然、ベナは怪獣と目が合った気がした。
「ッ」
ベナはその時、怪獣にもしっかりとした自我があり、興味関心があると知った。
怪獣は自分を見ている小さな存在に関心を持ったのだ。
怪獣に魅入られていたベナの手を、アッサムが掴んで引っ張った。
「逃げるぞ!!」
アッサムに手を引かれながらも、ベナは怪獣に後ろ髪を惹かれ何度も振り返る。
怪獣はあくびをするように口を開け、手をついて起き上がる。
支えの為に出した手がいくつもの建物を押し潰す。踏み出した一歩が誰かの家を蹴り壊し、整備された道を砕く。尻尾が振り回されると、壊れた建物の瓦礫が街に飛び散る。
魔法の技術も、整備されて綺麗な街並みも、人々の息遣いが見える家も。
何もかもが破壊され、瓦礫になって同化していく。
怪獣が少し動くだけで、メリジルに甚大な被害が広がる。
その光景を見て、ベナは少しだけ怪獣という生き物を理解した。
「そこに居るだけで……全部を壊すんだ……」
文明の破壊者。
それがこの生き物の在り方なのかと、中央広場に向かいながらベナは感じていた。
怪獣は遊ぶように街を踏み歩き、尻尾を振り回す。
既に南区は半分以上が壊滅状態だった。
怪獣は瓦礫同然の街並みに飽きたのか、まだ街並みが残っている街の北部に向かって動き出した。
メリジルが滅びる。
誰もがそう想い、巨大な破壊者の威容を目に焼き付けていた。
メリジル 北区
誰かの家の屋上に登って怪獣が街を破壊する様を観賞している正和。
怪獣が足を踏み出す度、まるでヒーローショーを見る子供のように腕を振り上げて大喜びする。
「やれー! イケイケ! ひひひ、最高だぞトリロン!!」
突貫怪獣トリロン。
正和は転生前の記憶にある怪獣の名前を叫んだ。
トリロンという怪獣は本来、正和の生きていた転生前の世界に出現した怪獣だ。
しかし、トリロンは人間の科学技術が生み出した兵器に撃退されていた。
確実に死んでいる。自分はそれをニュースで見ていた。
それが何故、自分と同じように魔法の世界へ転生しているのかは理解できない。
だが、赤い眼の力を使って、自分はモーフォードの山で眠っていたトリロンを発見し、そして目覚めさせた。
つまり、トリロンも己の力だ。
その力が今、魔法と関わりの深いメリジルを滅茶苦茶にしている。
それが楽しくて仕方ない。
「ひひ、何で怪獣までこの世界に転生してるかなんてどうでもいい。やっと俺の時代が来た! 何でもいい、やっと俺の世界が動き出すんだ! ……っとと」
一人盛り上がり過ぎて、危うく屋根から足を滑らせかけ慌ててバランスを取る。
いつもの得体の知れない不安はどこにもない。
絶対的な力を得た優越感に身体の芯が熱くなり、今までの魔法への劣等感が反転し息苦しさが無くなった。
今なら空でも飛べそうだと想う程、正和の気持ちは大きくなっていた。
正和は興奮する気持ちのままトリロンに向かって叫ぶ。
「やっちまえ、トリロン!!」
そう言うと、元気に拳を振り上げた。
瞬間、トリロンが何かに撃たれて仰向きに倒れる。
――ドオォン!!
正和はポカンと口を開けたまま、トリロンを撃ち抜いた何かが飛来した湖の方を振り向いた。
湖の中央、その湖面に首をもたげた蛇のような何かが出現し、トリロンにその口を向けていた。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
好評価等よろしくお願いします。
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