第5話 『防衛線①』

夜 南門の城壁前


 騎士団の寝ずの作業により、防衛線の構築が順調に進んでいた。

 三層構造の防衛線になっている。

 一番外側の層――敵と最初に衝突するだろう部分に、人力で溝を掘り土砂を魔法で固めたり除去したりして、木組みの柵を外向きに固定していく。

 柵の上部は尖っていて、突っ込んできた敵を串刺しにする事が出来る。柵自体にも補助魔法が掛けられ、強度が補強されている。

 柵の内側に、浅い堀も作られ、長槍と盾が並べられている

 そこには近接戦を役目とする騎士たちが控え、攻撃用の柵を突破したモンスターを始末する役目を担っている。

 二層目には、網目の広い木柵が並べられ、等間隔に盾が立てかけられていた。

 この柵に攻撃の仕掛けはなく、軽い衝撃で動かないようハンマーで地中深くに突き立てられていた。

 このラインには遠距離攻撃の者が並び、モンスターの群れを先制攻撃したり第一防衛線の仲間を支援する。

 三層目は最終防衛線デッドライン

 オーガスタス団長他指揮系統を担う騎士が構えて戦場全体を鼓舞し、補充の団員などが控え常に援護の体勢を万全に整えている。

 この層の後ろはもう南門の目の前であり、ここを抜けられたら街に魔の手が伸びるのを許す事になる。

 防衛線の完成までわずかという所、南門の内側に設営した臨時拠点では、後方支援の部隊が忙しく団員全員分の夜食を準備していた。

 一人の若い団員が完成したスープの入った木皿を、オーガスタスが詰めているテントに運び、入り口の布をめくり上げた。


「失礼します! 団長、お夜食をお持ちしました!」


 テントの中で、テーブルの上に地図を広げ、戦略駒を並べて戦略を練っていたオーガスタスが声に反応して振り返る。

 緊張の面持ちの若い団員に頷き、言葉を掛ける。


「ありがとう。悪いが、そこのテーブルに置いてくれ」


 団長が指し示したのは、テントの隅に置かれていた小さな机。

 若い団員は元気な返事を返した。

 それを聞き、すぐに団長は視線を地図に戻す。

 おずおずとテントに入り、小さな机の空いた所にスープの木皿を置く。

 その時、ちらりとテーブルの上に置かれている物を見た。

 中央に紙が広げられ、街の各方面だけでなく領主や国への手紙がいくつも書き上げられていた。隅の方に飲み水のカップも置かれていたが、表面が水に濡れているだけで、中身は少しも減っていなかった。

 ずっと仕事に集中しているのだろうと思うと、若い団員は己の事のように誇らしく思えた。

 若い団員は出ていく際、深く一礼してからテントを後にする。

 それに気付かない程、団長はじっと地図を見つめて黙考していた。

 

「……」


 今、騎士団が注力すべきは街を守る事。

 だが、命を懸ける騎士団を纏める立場である団長が考えるべきは、何が街にとって脅威なのかを見極め、それに対して部下たちの命をどう使うか。

 街を守る正義の為、必要ならば非情に徹し、死を利用して益を生む。

 それを肝に銘じているからこそ、団長は一人の時は慎重になって、何度も状況を再確認する癖があった。

 気にかかるのは、メリジルに向かう一連の流れが出来過ぎている事。

 駒で表した三つの集団――避難民、モンスターの大群、巨大生物。全てが連鎖的に起きている事態が、団長に背後の意思を感じさせた。

 その意思こそが、街にとっての脅威、騎士団の本当の敵なのではないか。

 このように考えると、頭ごなしに伝令の言葉を信じる訳にもいかない。

 しかし、違和感や疑念があれど、明確な疑いの確証が何もない。

 先程から何十回と思考する度、同じに結論に辿り着く。


「今は防衛に専念するしかない……」 

 

 疑念がある分、自分の決断が後手に回っている感覚があり、歯噛みする思いだ。

 一度息を吐く。

 ふと、誰かが持ってきていた物があったのを思い出す。

 隅のテーブルに振り返ると、木皿に注がれたスープがあった。既に湯気は消えており冷めていると遠目からわかる。

 団長はまた地図に視線を戻し、疲れて目頭を押さえる。

 すると、テントの外に気配を感じた。


「団長、ご報告が」


 それは副団長の声だった。

 団長は振り返って入室を許可する。


「入れ」


「はっ。防衛線第一層からの報告です。遠目に人影のようなものを発見したと」


「詳細は?」


「恐らく避難民かと。既に防衛線は大部分が構築済みで、今から受け入れ用の穴を開けて誘導するのは小一時間かかります。準備だけはさせております」


 副団長の状況報告を受けて、団長はしばらく黙考する。

 地図上の避難民を示す駒を南門まで移動させて、口を開く。


「規模は?」


「夜分の為、遠巻きに確認ができません。偵察を出しますか?」


「いや、良い。……だいぶ早いな、想定では朝か昼前だったのだが」


「はい。伝令の報告から推算した時間と合いません。避難民が皆、そうとうな足腰の強さがあるのか、はたまた……」


 呆れたように言う副団長がそこで言葉を切った。

 団長が続きを引き継ぐ。


「伝令の話に誤りがあるか、か……困った状況だ」


 眉間に皺を寄せた団長が腕を組む。

 その隙に副団長は隅にあるテーブルの水と夜食を持参していた盆に載せる。オーガスタスが口を付けていない事を想定していたのだ。

 副団長は片付けを続けながら、団長からの密命の結果を報告する。


「伝令の捜索は続けておりますが、発見されておりません。報告の後、姿を消したようです」


 状況に違和感を覚えた団長は判断材料を集める為、副団長に伝令の身辺調査や追跡を命じていた。

 しかし、団長への報告を終えた後、既に伝令は始末されている。

 だが、それを知らない追跡班には、伝令が忽然と目の前から姿を消した事になっていた。

 それを不審に思った団長が追加調査を命じていたが、結果は副団長が述べた通りである。

 報告を受け、団長は更に眉間の皺を濃くする。副団長が相手だからか、不機嫌さを微塵も隠す気が無い。

 

「彼は獅子身中の虫だったという訳か?」


「本人が見つからない以上はどうにも。それで、避難民の件はいかがされますか?」


 しばらく黙って思考し、団長は腹を決めた。


「……受け入れを拒否しろ。伝令のような例がまた発生するかもしれん」


 副団長は団長に何か言いたげな顔を浮かべるも、それを飲み込んだ。

 己が差し出がましく言うまでもない事だと判断したのだ。

 身を引いた副団長に代わり、異議を唱える声が上がる。


「それで良いのですか?」


 声と共に、テントにアッサムが入ってきた。

 すぐに警戒を強めた副団長を手で制し、オーガスタスが来訪者を鋭い眼で見る。


「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。今聞いた内容も秘匿性の高いもの、このまま逮捕も出来るぞ?」


 歴戦の威圧感を肌で感じ、アッサムも息を呑む。

 しかし、ここに来た目的――ベナとの約束の為に意を決して言葉を返す。

 

「……ッ。貴方の娘が既に危険に飛び込んでいる。私も、覚悟を決めてここに居るんですから」


 娘という単語にオーガスタスの眉が動く。

 すぐに視線で副団長に説明を求めるが、副団長も見当もつかないと首を振る。

 大きく息を吐き出し、オーガスタスが改めてアッサムを見た。


「説明を」


「まず結論から。ベナはモーフォードからの避難民を救いに行きました」


 


メリジル 森の中の獣道


 夜の森の闇の中、魔力で火を維持するランタンを鞍に括りつけた二頭の馬が駆け抜ける。

 先頭の馬には膨らんだ革袋を手に持つベナが跨り、後ろの馬にはキャラバン隊の隊長トットが乗っていた。

 トットが叫ぶ。


「本当に払ってくれんだろうな!?」

 

「何度も言ってるでしょ! 謝礼は払うし、アンタの部下の治療費も含めて全額支払うって!」


「あの伝令にはそれで騙されてんだよ! あんたら役人は信用できねー!」


 騙された不満と聴取の名目で待機させられていた怒りで、トットががなり散らしている。

 それに対抗して、ベナも大声で叫ぶ。


「あーもう、うるさいッ! 騎士団は役人じゃなくって治安維持組織だって何度言えばいいのよ!?」


「知るか、んなもん! 金払え!」


「後で払うって言ってるでしょ!」


 歳の差を感じさせない堂々巡りの言い合いを続けながらも、二人は南街道に向かって馬を走らせる。

 彼らが走っている獣道は、朝方にトットが伝令のジーロをメリジルまで案内した抜け道――正確には、南門のすぐ傍に通じる旧街道の脇道跡だった。

 騎士団本営での事件の後、ベナは部下に怪我をさせた謝罪の為にトットと面会した。その時、聴取内容にも目を通し、この抜け道の事を知った。

 そして、この道ならば防衛線を通らずに街まで避難民を誘導できると思いつき、トットに案内をさせて南街道へ向かっていた。

 トットの部下ワカが持ってきた手紙の内容はアッサムに頼んで父に伝えてもらっている。自分がこうして、無茶をやっている事を含めて。

 トットが文句を止めて、不安を口にする。


「本当に間に合うのか!? 避難してる連中だってどこに居るかもわからないのに」


「だから急ぐの! もう来てる筈だから!」


 言葉通り、先を急ぐベナは枝で服や皮膚が裂けるのも厭わない。

 頭にあるのは救えるかもしれない命を助ける事だけ。

 先の方の木々が開けてくる。

 同時に人の声のような騒がしさも聞こえてきた。


「居る!」


「マジか!?」

 

 二人は馬の速度を緩め、森を抜け切り、現在使われている南街道の傍に出た。

 そこには、突然現れた馬に乗った二人に気付かないで、前の方で「騎士団が居る」と叫んだり後ろからモンスターの大移動が上げる土煙に恐怖したり、とにかく取り乱している避難民たちが居た。

 彼らの顔は疲労と汚れで酷くやつれて見えた。

 ベナは手紙で把握していた数よりも少ない人数だと認識し、心の中で歯噛みした。

 いつの間にか望遠鏡を覗いていたトットが後ろから叫ぶ。


「お、おい! あれ、土煙の方!」


 トットから望遠鏡を受け取り、ベナも土煙の先頭を見る。

 夜の暗がりでも、はっきりとわかる。

 この辺りでは見かけない、強力なモンスターの群れが眼を血走らせ口に泡を吹いていながらも足を止めずに激走している。

 先頭を走る犬型のモンスターがスタミナを切らし、足をもつれさせ転倒する。

 しかし、後続の同種と思われる群れや別種のモンスターは倒れた仲間など見向きもしない。何度も踏みつけ、絶命した死体で足を滑らせた他個体を更に踏みつけてでも前に進む。

 狂気じみた大行進。後先など無い全速力のパレード。

 それが迫っていた。

 ベナはあまりの光景に唾を飲み込む。


「おい嬢ちゃん! こいつらどうすんだ!?」


「ッ!?」


 トットが叫んで、ベナを現実へ引き戻す。

 同時に、傍に居た避難民の数名が二人の存在に気付いた。

 

「だ、誰……? た、助けて」


 疲れて虚ろな表情の子供を抱いた母親がそう呟く。

 その姿を見たベナは大きく頷いた。

 深呼吸をしてから、固有魔法で補助バフした声帯で大声を張り上げる。


「注目!!」


 魔力の込められた声の音圧に、混乱の渦中にあった避難民たちが一斉に正気を取り戻す。後ろに居たトットが耳を押さえて、憎らしげな眼でベナを睨む。

 注目を集めたベナが更に言葉を続ける。


「私はメリジル騎士団のベナ・ウーランド! あなた達を助けに来ました! 今から街道の側壁を壊します。離れて!」


 戸惑いながらも避難民たちは言う通りに動いた。

 ベナとトットも馬を連れて側壁から離れる。

 街道の側壁は馬ならば飛び越えられるが、人が乗り越えようとすると大変な程度の高さがあった。

 メリジルまで避難を続けて疲れ切っている彼らがここを乗り越えるのは時間が掛かり過ぎる。

 だから、ベナは側壁を破壊する秘密兵器を持ってきていた。

 トットが不安げな声色でベナに尋ねる。


「ほ、本当に後で弁償とか言わないよな? 俺は材料売っただけだぜ?」


「大丈夫、とにかくするよ!」


 ベナは持参していたパンパンの革袋に火を点け、側壁に向かって放り投げる。

 革袋の中身は、アッサムが錬金した爆薬。それをベナが補助バフを掛けて威力を調整している。ちなみに材料はトットのキャラバン隊が持ち込んでいた物をアッサムが購入している。

 革袋が側壁の傍に落ちる直前、小規模の爆発が起きた。

 木の影に身を隠していた二人が街道の方を覗く。

 

「ど、どう……?」


 爆破の衝撃で街道の側壁が崩れ、通り道が出来ていた。

 ベナがガッツポーズを取る。


「よしっ!」


「あんた……滅茶苦茶だな!?」


 トットの叫びを無視して、ベナは爆発に驚く避難民の下に駆ける。

 



 防衛線の第三層から望遠鏡でベナが避難民を街道から逃がす様子を確認していた団長は、もう充分だと言わんばかりに望遠鏡をたたむ。

 そして、傍に居たアッサムを見て口を開く。


「娘の跳ねっ返りは君のせいか?」


「あの子の個性だと思います。そして、正義感は貴方譲りだ」

 

「よしてくれ、父親らしくないのは自覚している」


「私もです」


 自嘲する言葉を吐き、アッサムが肩を竦めた。

 団長は傍に控えていた副団長に視線を向ける。


「後方支援の部隊に避難民の受け入れを指示しろ。それと全体に通告、敵が来た」


「はっ!」


 副団長はすぐに各方面に指示を出す為に移動した。

 その背を見送るアッサムにオーガスタスが避難を勧告する。


「伝達、感謝する。娘が読んだ手紙の内容が確かなら、敵は想定を遥かに超えていた。ここはすぐに戦場になる、市民は下がってほしい」


「はい」


 素直に受け入れ、その場を去ろうとしたアッサムが振り返る。


「ベナにもっと声を掛けてあげないのですか?」


「何?」


「彼女が悩む時、よく頼ってきます。けれど、私は彼女の父親じゃない。それは貴方の役目では?」


 自分よりも体格がよく、更に鎧で大きく見えるオーガスタスに怖気る事無く、自分の意見をぶつけた。

 オーガスタスはじっとその顔見て、興味なさげに視線を逸らした。

 

「オーガスタス・ウーランドの役目は未熟な小娘を導く事ではなく、騎士団を導き街を守る事だ。それが私の答え、納得できないか?」


「ええ」


 父親ではなく、団長としての答えを返したオーガスタスにアッサムは険のある顔を見せる。

 しかし、それを無視して、オーガスタスの方がその場を去ろうとする。

 通り過ぎざまに、アッサムに向かってぼそりと呟く。


「慕いたくて慕っているのだろう。好きにさせてやればいいじゃないか」


 そう言って、団長は騎士団に更なる指示を出す為に去っていく。

 放任主義とも違う、実の娘に興味さえ無いような物言いにアッサムの怒りがふつふつと湧く。

 それは自分もこれまで、実の娘に対して似たような意見を持っていたからかもしれない。


「……ベナが悩む訳だ。やっぱり、親子の繋がりなんて言う程強い訳じゃないな」


 その呟きを残して、アッサムは戦場に変わる前の防衛線を後にした。

 


_____


 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 好評価等、よろしくお願いします。

  

 


 

 

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