第4話 『手紙』

夜 騎士団本営のロビー


 ロビーの椅子に座るベナは皺くちゃの手配書を握りながら、隣で脚を広げて俯いて座るアッサムに手配書の内容について語っている。

 公表される前に被疑者の親族に手配内容を明かすなど規律違反なのだが、ベナは手配の事を黙っている事などできなかった。


「昼間の決闘事件の相手は騎士団の方で捕まえてる。レムナが怪我を負わした学生は、一人は耳の鼓膜が破れて、もう一人は右腕の傷と鼻を骨折する重傷。……二人はレムナが突然襲い掛かって、無抵抗の自分たちを暴行したって証言してる」


「……」


「彼らの証言だと、もう一人中等部の少年が居たらしく、その子はまだ家に帰ってない。騎士団はレムナがその子を攫ったと見ている」


 事件の詳細を語るベナの声は怒りだったり戸惑いだったりが混じっていた。

 既に営業時間を過ぎているロビーは静寂に包まれていた。薄暗い中、二人の話し声だけが響く。

 事務的に報告をする意識と別に、発言する度にベナの感情がキリキリと痛む。

 親友がそんな事をする筈がないと言いたいが、今のレムナを知らないので、正直な所信頼できない。

 今ベナの心は、親友への疑念とそれでも信じたい友情がせめぎ合っていた。

 

――私はどうすればいいの……?


 正しい道がわからない。

 騎士団員としては、レムナを探して捕えるべきである。

 親友としては、事情を聞ききたい。これまでの空白を埋めたい。

 心と理性が一致しない、その軋轢でどうにかなりそうだった。

 それはレムナの父親も同じ。

 アッサムは手を組み口元を隠したまま、ベナの言葉の続きを待っていた。


「騎士団はレムナを危険人物として、傷害事件と決闘事件の犯人という事で手配した。あの子は今や、犯罪者になってしまった……」


「……」


「騎士団は今、南門の外で任務を行ってる。だから、捜索や逮捕に手を回す余裕はない。この手配も、正式に出回るのは明朝になる予定らしい」


「……そうか」


 アッサムが絞り出した一言はそれだけだった。

 彼は浅い呼吸のまま、組んでいた手を解いて椅子の背もたれに身を預けた。


「ふぅー……この時が来てしまったか、という感じだよ」


 疲れた顔のアッサムが顔に手を当てて、淡々と言葉は紡ぐ。

 

「あの子がいつか、こういう事をするんじゃないかってわかってた」


「私が街に居ない一か月で、そんなワルになったの?」


「そうじゃないよ。けど、レムナは僕には上辺だけ愛想よくしてるけど、心では何かに憤っているように思えた。それが爆発したのかもしれないな」


「……」


 ベナは何も言えない。 

 しばらくして、悲嘆に暮れる父親が重い口を開いた。


「レムナはどうなる?」


「街に戻ってくれば、見つけ次第騎士団が捕まえると思う。居なくなった子供の事があるから、騎士団としてはレムナ本人を早急に確保したい。けど、今はそんな暇もないんだ」


「昼過ぎから慌ただしいね。南門の外で何か大規模に動いてるみたいだし、朝のキャラバン隊の渋滞とも違うんだろ? お互い、今日は色々ある日だ」


「私、レムナを探したい。話がしたい。けど、騎士団の人間としてやらなきゃいけない事がある。どうすればいい?」


 ベナは思考をアッサムに委ねたかった。

 胸の内には、親友を探しに行きたい想いがある。

 だが、頭ではモーフォードからの避難民を助けに行く方法を探したいという使命がチラついた。

 友情か、使命か。

 自分が向かう先をどうすればいいのか。

 その指針が欲しくて、最も信頼する大人であるアッサムに意見を尋ねたくて、意思の弱さから規律を破ってでもアッサムに手配の事を伝えたのだ。

 昼間、父オーガスタスに言われた言葉がベナの脳裏に蘇る。


『要望だけ伝えて状況が好転する事はない。ましてや、果たすべき役目をはき違えた者に成し遂げられる事はない』


 父の言葉がまさに自分の弱さだと痛感しながら、ベナは答えを求めて縋った。

 アッサムがロビーの天井を見つめて、己の考えを口にする。

 

「僕は父親の役目と向き合うよ。だから、ベナはやるべき事をやるんだ」


「……うん」


 ベナが頷く。

 迷いが完全に晴れた訳ではない。

 だが、背中を押してくれた言葉に勇気を貰い、騎士団の使命を果たす決意を新たにする。

 すると、ベナはバチンッと自分の両頬を打った。

 赤くなった頬のまま力強く頷き、立ち上がる。


「気分を切り替えた! レムナの事は心配だし一発かましてやりたいけど……今は助けなきゃいけない人達が居る。だから、レムナの事、お願いします!」


 隣のアッサムに深々と頭を下げるベナ。短く揃えた髪がサラサラと落ちる。

 アッサムも姿勢を正して、薄い笑みを浮かべて頷いた。

 その時ロビーの扉が開く音がして、次いで男の控えめな声がする。


「ごめんくださ~い……あの~、キャラバン隊の者で、うちの隊長が来てる筈なんですけど……」


 とっくに営業時間は過ぎている。ロビーにはベナとアッサム以外の者は居ない。

 ベナは声の内容に顔をしかめた。


「あー……忘れてた」


「どうしたんだい?」


「えっと、伝令の人を案内してくれたキャラバン隊の人が居て、聴取を頼んでたんだ。けど、レムナの手配書を渡されて、それからずっと……待たせてたの、忘れてた……ごめん! 出ないと」


「あ、ああ。行ってきなさい」


 ベナはアッサムの返事も聞かずに、急いでロビーの玄関口へ向かう。

 もう一人の娘のように思っているベナの背を見送りながら、アッサムはまた天井を仰いだ。

 大きく息を吐く。


「父親になるって難しいな、グレイ。道を間違えた子供をどう叱ればいいんだ」


 亡き妻を想いながら弱音を吐く。

 決して今の弱音を娘たちに聞かせられないと、軽く笑う。


「いつもは気張って、ほんの少し良き大人を演じているだけ。本当の僕は弱気で優柔不断だしロクに善悪の判断もつかない。若い頃は錬金作業に没頭して徹夜なんてザラだったのに……今の僕を君が見たら、ちゃんとしろって叱ってくれるかな」


 哀愁に瞼を閉じる。

 そうする事で夢の世界に行けるかのように。

 しかし、思い浮かぶのは懐かしい妻の姿ではなく、真反対の表情をするレムナとベナの顔。

 自分はもう父親なのだと、改めて胸に刻まれる。


「……レムナの抱えてるモノがわからなくても、向き合う努力はしないとな」


 レムナの異変に気付きながら、そこから自分は目を逸らし続けた。

 それが原因だなどと、自惚れた事は想わない。

 ただ、親子としてやり直せる最後の機会だと感じている。

 だから、決意を固める為、あえて考えを口にした。

 アッサムはまた黙考する。


――とは言え、自分の出番などたかが知れているだろう。

――本当にレムナを正しい道に導けるのは……。


 ロビーの玄関付近でやり取りする影を見つめる。

 迷いながらも、正しい道を歩もうとする友の存在。それに勝る道しるべは無い。

 アッサムは困っている様子のベナへ助け舟を出す為に立ち上がる。 

 




 玄関では両開きの扉の片方が半開きの状態で、その隙間から首を出したヒョロリとした男が暗いロビーをキョロキョロと見回して人を探していた。


「誰も居ないのかなぁ? 隊長、今日の宿どうすんだ。一人宿なら安くなるんだけどな……ん?」


 男は近付いてくるベナに気付き、軽く会釈する。

 会釈を返したベナが慌てて扉を開いて、男を中に入れた。

 男はベナと同じぐらいの身長で、旅の定番衣装に身を包み、メリジルにやってきたキャラバン隊に支給される交通許可証を胸の辺りに付けていた。

 

「いや~、夜分遅くにすみません。あ、オレはワカ・イノっていう者です。トット。キャラバンに所属してます。うちの隊長トット・ドウィッチって言うんすけど、急いでる伝令の役人さんと一緒にメリジルに向かいまして。ここに居ます?」


「すみません! トットさんから、聴取を取ってまして。今、お呼びしますね」


「全然お気になさらず、がめつい人なんでほっといても図太い事言ってますよ。まあ、それは“ついで”みたいなもんなんで」


「はい?」


 男は腰の小さな鞄から土汚れの付着した手紙を取り出した。

 手紙を受け取ったベナは裏面を確認するが、差出人や宛先が書かれていない。


「これは……?」


「オレらの隊って今朝の渋滞で最後尾だったんですよ。で、そこにあの伝令の役人さんが来て。その時、役人さんが乗ってた馬とうちの馬を交換したんです。んで、世話してたら、鞍にそれが引っかかってましてね。多分、走ってる間に懐から落ちたんでしょうね」


「じゃあ、伝令が持ってた手紙……」


 ワカがヘラヘラと悪びれる。


「悪いと思ったんですが、まあ、気になるんで中身を確認しましてね。いやあ、こいつぁ届けた方がいいと思ったんですよ。みたいで」 


 男の話を聞いて、ベナは慌てて手紙を取り出して読む。

 手紙の中身はワカの言葉通り、モーフォードからの避難民が書いた物で二通あった。両方とも筆跡はキレイな字で文字を書き慣れた人物が書いた物だと思えた。

 内容はモーフォードを襲ったモンスターの大群の詳細とその様子、そして山から現れた巨大生物の事が記されていた。



 まず、地震がありました。

 モーフォードは木こりの街です。

 木を伐り過ぎれば山肌が滑る。

 それを私たちは知っているので、その日起きた地震も、地滑りが起きたのだろうと思いました。

 そういう時は木こりたちが山の様子を見に行きます。その日もそうでした。

 そこで木こりたちが目撃したのです。

 山から沢山のモンスターが降りてきたのを。

 街には冒険者や駐在の騎士団も居るので、木こりが活動する範囲はモンスターが寄り付かないよう工夫がされています。なので、山に大量のモンスターが居る筈がないのです。

 一匹二匹、モンスターが居る事はあります。迷い込むのです。

 しかし、その日山から飛び出してきたモンスターはそんな数ではなかったと言っていました。

 また、迷い込むようなモンスターは小鬼ゴブリンやバケコウモリなどで、群れからはぐれたような個体がほとんどです。

 山に居るのも、弱小モンスターばかり。

 見かけたモンスターは、魔狂犬マッドドッグやオオツノドリなど、もっと荒れた土地に居る筈の強力なモンスターだったそうです。

 それらがまるで山肌が崩れたような勢いで、とにかく山から離れる為にがむしゃらに走っていたように見えた、と。

 その勢いに追い立てられ、在来のモンスターたちも山を下って来たのです。

 経験した事のない事態に街は大混乱でした。

 街に居る冒険者や騎士団は必死に戦ってくれました。ですが、彼我のレベルが違い、街は蹂躙される結果となりました。

 私を含めた生き残りは全部で24人、子供や女ばかりです。戦ってくれた人たちのお陰で生き残れました。

 領主様の所からの出向役人のジーロさんが避難の先導をしてくれています。

 これを読む、責任あるお方にお願い申し上げます。

 どうか、彼の言葉を信じ、街に救援をお願いします。

 

(二通目の手紙、震える筆跡で書かれている)


 エイヒルに到着し、これを書いています。

 信じられない光景でした。

 モーフォードの山が内から砕けたのです。

 そして、崩れた山からが現れた。

 山から、一回り小さな山が産まれたような大きさでした。

 エイヒルからでも大きく見えました。エイヒルで一番大きな教会の塔よりも大きいのです。

 誰も知らない、見た事も聞いた事もない生き物は森林を踏み砕きながら、モンスターの大群を追いかけ始めました。

 こちらに近付いて来たのです。

 モンスターの中で巨大生物に攻撃を加える群れもありましたが、彼我の大きさの違いのせいで、アリと人間ほどの違いがありました。

 今ならわかります。

 モンスターの大群は眠っていたアレから逃げていたのです。地震の原因はアレが蠢く振動だったのです。

 今、エイヒルでは避難の準備を進めています。

 エイヒルの避難民も合わせて、生き残りは37人に増えました。

 それと、ジーロさんがおかしいのです。

 あの巨大生物を見た時から、狂ったようにメリジルに向かうと言い出したのです。私たちを置いて行ってでも向かうと言って、誰の制止も聴きません。

 あの人はそんな事を言う人ではなかった。

 何かがおかしいのです。彼の言動には何の理由もありませんでした。

 ただ、メリジルに向かうと言い続ける。

 しかも、途中から私たち生き残りにも、メリジルに向かうように言ってきました。

 私はおかしく思います。

 だって、まるで私たちが逃げて、それをモンスターの大群が追って、さらにその大群をあの巨大生物が追うような形になるのですから。

 それなら、横に逸れて逃げた方が良いに決まっているのに。

 

 この手紙はジーロさんの持ち物に忍び込ませます。どうか、これを読んだ人はメリジルの騎士団に伝えてください。

 モンスターの大群の事、巨大生物の事、私たち生き残りの事。

 どうか、お願いします。


(最後の方は焦っていたのか、文字が汚くなっていた)




 手紙を読み終えたベナは混乱していた。

 盗み聞いた伝令の言葉を思い出しながら、頭を抱える。


「彼は生き残りを連れてたなんて言ってない……けど、この内容を知ってた筈……どういう事?」

 

 困惑しているベナの姿を見て、ワカが何度も頷く。

 

「驚きますよねえ、山ぐらいに大きい生き物とか。実物見てみたいもんですよ。あ、そういえば手紙あった生き残りって街で受け入れるんすか? なんか南門の外で検問所みたいの作ってるし」


 ワカの声はベナの耳に届いていない。

 伝令の言葉と手紙の内容を頭の中で比較しながら、思考を巡らせる。


――タイミング的に伝令ジーロはモンスターの詳細も知ってる筈、どうして何も言わなかった?

――手紙に書いていたモンスターの種類はここからもっと東南に行った所に生息してる種だ。じゃあ、一番最初は別地域から強力なモンスターの大移動がやって来た? 

――それが在来のモンスターの生態系を滅茶苦茶にして……巨大生物を誘導して……


 思考がそこまで進んだ時、ベナは大移動と巨大生物がメリジルに向かっている流れに作為的なモノを感じた。

 一連の流れが計画された物と考え出すと、違和感が次々と繋がっていく。


「伝令ジーロは巨大生物を見て、メリジルに向かったと言った。彼は計画に加担していて、だからそのタイミングで……。生き残りをメリジルに向かわせたのも、誘導を完璧にする為だとしたら……」


 計画の一端を担う伝令の報告した事件発生の時間は、理由は不明だが騎士団を欺く為の嘘かもしれない。

 実際にはモーフォードが襲撃されたのが数日前で、既にモンスターの大移動がメリジルの眼前に迫っている可能性がある。

 ベナはそう推理して、

 騎士団は防衛線を構築する為に全員が南門の外に集まっていた。

 つまり、無防御な状態で最前線に居る。

 今襲撃を受ければ、騎士団はひとたまりもない。

 真っ赤な顔で冷や汗を流すベナに気付いたワカが、心配そうに声を掛ける。


「どうしたんすか? 寝てないんすか?」


「ベナ?」


 そこにアッサムがやってきた。

 声に反応して振り返ったベナの白い顔色を見て、アッサムも事態が飲み込めずに怪訝そうな表情を浮かべる。


「どうした?」


「ま、まずいの。大変、すぐに父さんに報せなきゃッ」


 焦るベナはアッサムの両腕を掴んだ。

 過呼吸気味のベナを落ち着かせる為、アッサムは彼女の両肩に手を添えた。

 ベナの唇が紫色に変色し、顔色も白から青白くなっていく。どんどんと体調が悪化しているように見える。

 アッサムが不審に思った時、自分の手から伝わる違和感に気付いた。

 服があるからわかりにくかったが、ベナの体が冷たい。


「ベナ!? おい、何だこの低い体温は!?」


「しら、報せないと、嘘、だった……来る、もうそこ、まで……」


 歯が鳴り、まともに言葉が続かない程に凍えている。だというのに、その眼は使命を果たそうと固まった手で握る手紙の束を一点に見つめている。

 アッサムが震えるベナを抱えながら、戸惑うワカの方を見る。


「おい、何があった!?」


「し、知らないっすよ。手紙を読んだら、何か気付いたみたいで……そしたら、突然そんな風に……」

 

 ワカの様子から、アッサムはそれが嘘ではないと判断した。

 腕に抱えているベナの様子を見る。

 さっきよりも震えが酷く、遂に声さえ出ない。目も虚ろで焦点が定まっていない。

 すぐに処置しなければならない状態だった。

 アッサムが叫ぶ。


「君、上着を脱いで床に敷け!」


「は、はい」


「固有魔法は火か?」


「いえ、オレは水系統っす」


「わかった。あそこの椅子の下に僕の鞄が置いてある。取って来てくれ」


「はい……」


 アッサムはワカの敷いた上着の上にベナを寝かし、服の胸元を開く。

 平均的な胸に片耳を押し当て、心音を確かめる。肌に触れるベナの体温はとても冷たい。

 

「……低い。こんな所で低体温症? 氷魔法の攻撃、彼か?」


 アッサムは自分の鞄を持って駆け寄って来るワカを見る。

 氷魔法は水系統に分類される魔法だ。ワカが犯人かもしれない。

 だが、すぐに考えを消し去る。

 犯人であれば、固有魔法を教えないし、こうして協力もしないだろう。

 アッサムが犯人を考えているのは、魔法の効果であれば、使用者に魔法を止めさせればベナを救えるからだ。

 だが、すぐに犯人捜しから応急処置に切り替える。

 ベナの意識が完全になくなってしまったのを確認したから。


「か、鞄ですっ」


「ッ!」

 

 アッサムは鞄を漁り、いくつかの薬瓶を取り出していく。中身はアッサムが調合した回復薬などだ。

 ワカが意識の無いベナを見て、当惑の声を上げる。


「こ、これ、死んでるんすか……?」


「馬鹿言うな! 死なせるもんか!」


 こんな急速に体温が失われていく症状は見た事が無い。

 だから、アッサムはまず魔法の効力を高める薬を自分で服用した。


「あ、あんたが飲むんすか!?」


「魔法効果を高める薬だ。僕の回復魔法ヒーリングは弱いんでね」


 そう言って、アッサムは自分の固有魔法を発動する。

 手の甲に鐘を象った回復系統の印が浮かび上がり、ベナの胸にかざした手から温かい光を放つ。

 本人の言う通り、本来弱い筈のアッサムの回復効果が薬で強化されて、癒しの光が当たっている箇所の熱が戻ってきた。

 謎の症状に対抗出来ているが、アッサムの固有魔法は手から発せられる光が当たる箇所にしか効果がない。

 全身の熱が奪われているベナを助けるには、効果範囲が狭すぎる。

 

「はあっ……!」


 ベナの意識が戻った。

 回復魔法ヒーリングにより多少熱が戻り、身体を少しだけ動かせる活力が戻っている。

 アッサムは汗をかきながら魔法を発動させつつ、ベナに語り掛ける。

 

「ベナ、君の魔法が必要だ。そこの君!」


「へ、オレですか?」


「右から2番目の瓶を取ってくれ。2番目だ」


 ワカが言われた通りの瓶を取り、アッサムの近くに持ってくる。

 それを確認すると、アッサムがベナに視線を戻す。


「これは体温を高める効果がある生薬をブレンドしたドリンクだ。君の魔法でこれの効果を高めるんだ。僕の魔法と強化したドリンクで君の体温を高める」


 説明しながらも必死に魔法を維持するアッサムだが、薬の効果が切れてきたのか、光が弱くなっていた。

 ベナはとてつもない脱力感と寒さで口を動かせないので、首をなんとか縦に動かした。

 アッサムもそれに頷きを返して、ワカに瓶をベナの手元に持って行かせた。

 そして、魔法を発動させている手を素早く動かし、ベナの手元にスライドさせた。

 その間にも温めていた箇所の体温が失われるが、こうしなければ手が動かせない。


「っ!」


 ベナも状況を理解し、すぐにマナの血管を励起する。

 彼女の補助魔法が発動して、手に握られた瓶の中身を強化する。

 程度を決めずにとにかく最大限に強化を掛ける。

 効果上昇、持続増加、付与率上昇、回復量上昇、即効効果。

 息苦しさと意識が遠くなる感覚の中、ベナは現状掛けられる補助バフを全て実行し魔法を止めた。

 それを合図と捉え、アッサムがすかさず手を胸の辺りに戻す。

 ベナの苦痛が少し和らぐ。

 しかし、すでにアッサムの薬による強化も切れかかっていた。

 

「すぐに飲ませろ!」


「は、はい」


 ワカが慌てて瓶の蓋を取り、ベナの口に流し込む。

 ベナが口内に広がる、独特の風味かつ強い刺激を感じるドリンクを飲み下す。

 ドリンクが食道を通っているのがわかるぐらい、通った後がカーッと熱くなる。


「くッ!!」


 アッサムがありったけのマナを手に集める。

 癒しの光が一層輝きを増した。

 同時に、ベナの体内をドリンクが内側からベナの身体を温める。



 カッとベナの両目が見開かれ、ガバッと起き上がった。


「カー!!! 喉が焼けるぅぅぅぅ……!!」

 

 涙目になりながらベナが喉を押さえたり、ぐねぐねとのたうったりする。

 さっきまでの死にそうな顔色ではなくなり、むしろ激辛料理でも食べたみたいに真っ赤な顔で汗だくだった。

 荒い呼吸のアッサムが疲れ切って腰を下ろした。


「ふぅー……元気になってよかった」


「こ、これ、いつ収まるの?!」


「さあ? ベナの掛けた補助バフによるとしか」


「そん、な……」


 舌を突き出し、燃えるような刺激に涙を流すベナ。

 元気になった姿を見て、アッサムは心から安堵の笑みをこぼす。

 同じく安心の息を漏らしたワカが感動して鼻をすする。


「本当に助かるなんて。オレ、こういうの初めてだよ。命を助けるって感動的だな……あ?」


 男がロビーの方に視線を向けると、奥の暗闇にが浮かび上がっているのを発見した。

 赤い点はまるで赤い眼のようで、ワカはそれから目を逸らせなかった。

 周りの音が遠のいていく。

 赤い眼しか目に入らない。

 意識が真っ赤に飲まれていく。

 意識が一色に染まっていく。

 

『コロセ』


 真っ赤な言葉が意識を染め上げた。

 ワカはゆらりと振り返り、安堵しているアッサムを見下ろした。

 そして、突然豹変してアッサムを押し倒し、その首を両手で締め上げる。


「ぐっ」


「おじさん!?」


 唐突なワカの行動にベナもアッサムも驚愕する。

 アッサムは咄嗟に防御も出来ず、首を絞める男の指を引き剥がそうとするが、きつく食い込んで振りほどけない。

 当の本人、ワカは怒りと憎しみの眼で奇妙な言葉を口にする。


「魔法……厄介……コロセ」


 明らかに正気を失っているワカの様子に、アッサムは未知の恐怖を感じた。

 

「離れろッ!」


 ベナが言葉と共に、ワカの顔面を容赦なく蹴る。

 復活したばかりとは言え、全力の蹴りを叩き込んだ。だというのに、ワカは鼻が折れて血を流しても、怯まずにアッサムの首を絞める手の力を緩めない。


「ちくしょう。こんのッ!」


 今度は足に力を溜め、渾身の力でワカの横腹を蹴り飛ばした。

 ワカが吹き飛ばされ、受付カウンターの方に倒れた。

 ベナは苦しげに咳き込むアッサムを助け起こす。


「大丈夫、おじさん?」


「あ、ああ。彼は……?」


 ベナがワカの方を見る。

 ワカは気を失って倒れていた。


「思いっきり蹴ったから気を失ってる。それより、どうして」


「わからない。わからないが、何かに操られてるみたいだった」


「まさか、赤い眼?」


「何だい、それ」


「寒くて仕方なくなる前に、ちらっと赤い眼を見た気がするの」


 二人が顔を見合わせて不審がっていると、屋内に吹く筈の無い風が吹いた。

 異常を前に、二人は周囲を見回す。


「あ、手紙!」


 ベナが叫んだ先には、風に巻かれて宙に浮かび上がった例の手紙があった。

 また風が吹き、手紙はそれに切り裂かれて粉々になってしまった。

 そして、風は扉を開け放って出ていった。

 二人は床に落ちた手紙の成れの果てを見る。


「……ベナ、何が起こってるんだ?」


「わからない。けど、メリジルは何かに狙われてる。今すぐあの手紙の内容を父さんに伝えないと、皆大変な事になる。それに、生き残りも助けないと」


「う、うぅ……」


 倒れていたワカが苦しそうな呻きを上げる。

 アッサムは黙考していたが、口を開いた。


「ベナ、まずは彼を治療しよう。その後、彼にも協力してもらって、今できる事をしよう」


 焦りが隠せないベナだったが、自分も万全ではない事を自覚して頷いた。




 ――キィキィ

 夜の闇に赤い眼が浮かび上がる。

 高音の鳴き声が共鳴し、『声』になる。

 

「魔法。この世界の人間が持つ独自要素、我等が学習できない謎の生態特徴。攻撃がああも修復されてしまうとは厄介極まりない」


の到着前に始末しておきたかったが失敗してしまった。我等は魔法を判断できないので不確定要素である。警戒は必要だが、計画を揺るがす程の懸案事項だとは認識しない」


「固有魔法と言う個人差のある戦力がこの世界の人間の特徴。記録しておこう」


「手紙という前時代的な伝達法で計画が気取られてしまった。対象の破棄には成功したが、あの女性個体が騎士団に伝達するのは確定だろう」


「問題ないと判断する。すでに怪獣は接近し、第一陣も残りわずかの距離にある。魔法を使う戦闘を得意とする集団の戦力を測定する方が重要だ。むしろ、警戒度を高めて最大限の戦力を引き出そう」


「計画に変更無し。滞りなく進行する」


 声がそう言うと、夜空に浮かぶ赤い眼が消えた。

 黒幕の一角である声の主は、計画を大きく揺るがす存在が湖に居る事に気付いていなかった。

 運命のような出会いを果たした女によって、湖底の神殿に眠る存在が起こされ、怪獣の街への接近を感知した。

 



______


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

好評価等、よろしくお願いします。

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