幕間 『街に潜む者、湖に眠る物』

 観客が公演を観るその時が訪れる前に、既に役者は揃い、舞台装置の配置は済み、開演されれば全てが完璧に動き出す事が保証されている。

 メリジルを舞台にした活劇も、その例に漏れない。

 伝令がメリジルに到達するよりも前に、舞台は動き出していた。



 

メリジル 南区 


 南門近くには、商業を営む者向けの『特区』が出来ている。

 特区と呼ばれているが、メリジルの自治体が正式に整備した訳ではない。

 南門が一番大きな街道と繋がっている関係で商業関係者がよく集まる事実などが、南区に業者の傾向を生み、いつしか商人の間で特区と呼ばれるようになった。

 特区内では商人同士が卸しや一般向けでない商売をし合ったり、商人職人ギルドが建って公正な取引を取り締まっている。

 商人や職人の飲兵衛な気質故か、ギルドの周囲には酒場が沢山立っていた。

 特に人気の酒場のドアが内側から勢いよく開いた。

 癖毛が目立つ男が突き飛ばされ、店外に追い出されたのだ。

 男は力無く地面に転がる。身体は細く着ている服も質素で、一目で生活が上手くいっていないとわかる人物だった。

 男の後から、若い優男が仲間を引き連れて店の外に現れる。

 優男は汚れた男を見て、せせら笑う。


「カリマ、まるでゴミに塗れたネズミじゃあないか」


 取り巻きの仲間が同じように笑う。

 癖毛の男と優男はキャラバン隊の仲間だった。

 優男が若くして隊長で、癖毛の男は下働きをしていたのだ。取り巻きも癖毛の男と同じキャラバン隊の仲間の筈だった。しかし、誰も癖毛の男を助けようとする者は居ない。

 彼らとて、癖毛の男と同じ目に遭いたくないのだ。だから、優男をもてはやし、感情を飲み込んで胡麻を擦る。

 それに、こうも想っている。

 カリマなら良いだろう、と。

 癖毛の男――カリマ・ザザは身を起こす。


「……」


「カリマ、僕の父は温情でお前を雇っていたんだ。使お前を」


「……へい」


「マナの血管が無いお前は砂時計すら使えないし、力が無くて荷運びもまともに出来ない。何の為に居るんだ、お前は?」


「……すいません」


 優男が首を振る。


「あ~、すぐに謝る。お前はいつもそうだ、謝ればお前の無能さが許されると思ってるのか? 謝られた方も迷惑だってのにさぁ!」


 周囲の取り巻きに同意を求めるように最後を強めた優男。取り巻きたちは慌てて頷きを返す。

 満足げな優男がカリマを見下す。

 

「魔法が使えない無能。お前、生きてる意味あるのかぁ?」


 カリマは表情を変えないまま拳を固く握る。


「……」


 言い返してこない相手に舌打ちをし、優男が退屈そうに業務上の決定を伝える。


「お前、クビだから。今回分の給料はやるよ、この街に置いていくから好きにしろ」


 ズボンから財布を取り出して中から貨幣を摘まみ上げた優男は、それをカリマに向かって放り投げた。

 硬貨が石畳に転がった。

 カリマは黙ったまま、それを一つずつ拾い上げていく。


「あ、そうだ。餞別をやらなきゃな」


 優男は取り巻きに目配せする。

 すると、取り巻きの一人が持ち手の付いた小さな酒樽を優男に手渡した。

 嘲笑を浮かべる優男がカリマに近付く。

 カリマは足音にビクリと身を震わせる。

 優男はカリマの頭上で酒樽をゆっくり傾ける。

 中の白い泡と黄金色の液体が零れ落ち、酒精を漂わせながらカリマの頭を濡らす。


「ほら、俺の奢りだ。遠慮するな」


「……」


 カリマは一瞬、優男を見上げた。

 飢えた野犬のような眼がギラリと光るが、気分がイイ優男はそれに気付かない。

 優男に危害を加えようともせず、目線を落としたカリマは犬のように這いつくばって地面に零れた麦酒を舐める。

 優男が笑う。


「ハハハ! お前はドブネズミの生まれ変わりかよ!」


 気分を良くした優男が大手を振って酒場に戻る。

 取り巻きたちはカリマの行動を蔑む者や上司の優男を持ち上げる者などが居て、同じように酒場に消えていった。

 一連の出来事を見ていた道行く人々も、這いつくばるカリマを気持ち悪そうに遠巻きから見ていた。

 やがては興味を失くし、カリマの事など誰もが忘れてしまう。

 カリマは立ち上がり、拾った硬貨をポケットに仕舞い込んでから人混みに紛れる。


 彼は仕事を失くした事に驚きもせず、戸惑ってもいない。

 ましてや、絶望などない。

 これらは全て決まっていた事なのだから。

 俯きながら、恨みのこもった目だけは前を見て、目的地に向かって歩く。

 活気ある通りを抜けて、ひと気のない路地裏に入っていくカリマ。

 建物裏に置かれた木箱を避けて、湿気に濡れた石畳を抜ける。


 歩く、歩く。


 レンガ造りの壁を通り過ぎ、古く風化した壁を通り過ぎる。

 表の音が遠くなる。


 歩く、歩く。


 カリマの足元を虫が這って、それに驚くと、虫の後をネズミが追いかけていった。

 奥からカビ臭い空気が漂う。


 歩く、止まる。


 カリマは建物と建物の隙間に出来た、使い道の無い小さな空き地に出た。

 壁には湿気で緑色のカビが生え、空き地に棲むネズミの一家が突然の来訪者を警戒して首を上げている。

 汚れた空気に顔をしかめながら、カリマは日に焼けた頬を掻く。

 日焼け肌がポロポロと落ち、ボロい服の肩にくっついた。

 カリマは神経質そうな目で誰も居ない暗がりを睨みつけ、恨めしげに言葉を紡ぐ。


「お前の差し向け通り、僕はこの街に置いて行かれるよ。ビールを頭からかけられた。酒臭くてたまらない。……計画は順調なんだよな? 上手くいくんだよな?」

 

 お前と呼ぶ相手への怒りよりも、不安の気持ちが強い声色だった。

 すると、小さな空間に強い風が吹いた。

 カリマの癖毛が揺れる。

 緑色の光の粒がカリマを取り囲むように降り注ぐ。


 キィキィ――


 高音の動物の鳴き声が響き、その声は幾重にも重なって不協和音のような不快感を与えてきた。

 ネズミたちが異変に気付き、自らの命を守る為に小さな隙間に向かって逃げ出す。

 また風が吹く。

 まるで、逃亡を許さないという意思を持つかのように。

 その一瞬でネズミたちは全身の血を抜かれ、驚いたように大口を開けて、干からびた姿となって地に倒れた。

 カリマは無視された苛立ちを隠そうともせず、強い語気で返答を催促する。


「下らない事をやってないで、早く答えろよッ」


 男の不満に答えるよう更なる異変が起きる。

 高音の不協和音が徐々に意味を持つ『声』に変化していく。


「……キィ……キ、キィ……計画通り、進んで、いる……状況に不安要素は存在しない」


 声と共に、煌々と光る二つの赤い点がカリマの見つめる暗がりに浮かび上がる。

 それはまるで丸い目のように見え、カリマを無感情に観察している。

 男は赤い眼を睨み返し、眉間に皺を寄せたまま口元を歪めて皮肉を口にする。


「どうだか。僕にはお前が勝手に動いても、確かめる手段なんか無いんだからさ」


 カリマの右斜め後ろから声が答える。


「現状、精神感応の力は無く、言語でしか伝達手段はない。なので、誠実な言葉で疑問に答えよう。計画外の行動はとっていない。の望み通り、メリジルは破滅する」


「……都合のいい話だ。上手い話なんか信じられる訳ないだろ」


 カリマは赤い眼に変わらぬ疑いの目を向けた。

 今度は声が背後から言葉を紡ぐ。


「マサカズの過敏かつ神経質な不安症は鋭い洞察力の源でもあり、魂の覚醒の原因になった人格の要素だ。勿論、好感を持っている」


 更に横から声がする。


「だが、マサカズの極めて重大な精神面の問題でもある。マサカズは何事も警戒し過ぎている。既に計画は最終段階に進み、懸念は意味を為さない。それとも、この世界を破壊する事に今更の抵抗があるのか? カリマ・ザザとして」

 

 忌々しい名前で呼ばれ、男は苛立ちを込めて声に答える。


「その名で呼ぶなよ蛾。僕は伊織正和、この世界は僕のものじゃないんだ。後悔も罪悪感もないよ、壊れて当然だ」


 そう言うと、正和は慣れていないのか不格好な笑いを上げた。

 彼はメリジルを滅ぼす計画の首謀者であり、魂の記憶を取り戻した転生者。彼も体質的に魔法が使えない。

 カリマ・ザザはこの世界で付けられた名前。

 この世界との切れない繋がりだった。

 だから、名前を嫌う彼は転生前の名――伊織正和を名乗り、協力者である声の主と共に暗躍していた。

 この日、正和がキャラバン隊にこの街に置いて行かれる事も計画の内だった。

 彼らの計画の最終目標は山から目覚めた怪獣にメリジルを襲わせる事。モーフォードを襲ったモンスターの大移動もモーフォードの生き残りも、全ては怪獣を誘導する餌に過ぎない。

 正和が親指の爪を噛む。

  

「この計画は、僕がこの世界の絶対王者になるデモンストレーションなんだ」


 大言を吐きながらも消えない不安があるのか、マサカズは片方のまぶたを細めて正面の赤い眼を睨む。


「……裏切るなよ? 怪獣を知ってるのは、この世界で僕だけなんだからな」


 得意げな言葉とは裏腹にその顔は弱気だった。

 声が指摘した通り、正和は過度の不安症を抱えている。

 それは魔法が使えない体質のせいで子供時代から虐げられてきた事が原因で、自己防衛の為に形作られた悪癖。

 自分を守る為に常に気を張り、周りを疑い続けている。

 正和は怪獣を自由に出来る力を手にし気が大きくなっても、己の内から湧き上がる不安に打ち克てないでいた。

 すると、正和の周囲の暗がりにいくつもの赤い眼が浮かび上がる。

 そして、同じタイミングかつ同じ音程で、共鳴するように声が発声される。


「ああ。この世界の部外者同士、相利共生関係でいこう。明日には餌が到着する」


 協力者の言葉のような音を聞き、正和が下手くそな笑いを上げる。

 

「ひっ、ひはは」


 一人盛り上がる正和の背後。

 彼の死角に位置する赤い眼の一組が、進展を喜ぶようにその眼を細める。



 


北区 湖の湖辺


 メリジルの北に位置する巨大湖――かつてはメリジルと呼ばれていた場所――に地面を掘るレムナの姿があった。邪魔にならないよう髪を後ろで束ねて作業に没頭していた。

 何度も場所を変えているようで、ほとりにはいくつも掘り返した跡が残されていた。

 彼女の付けるイヤリングの石は今、彼女の耳元で淡い黄色の光を放ち、一直線に湖底を示している。

 その黄色い光は湖の底にある何かに強い反応を示しているようだった。

 彼女は石の予感と光の導きを信じた。

 石の導きに従って、レムナは湖底に続くを探していた。


「どこにあるの……? 神殿に続くトンネル……」


 湖にまつわる古い書物には、湖底に神殿があり、そこへ繋がるトンネルがあるとされている。

 イヤリングの光は神殿を示している。

 正確には、神殿に在るだろう『あの世界の異物』に。

 しかし、地道な捜索は暗礁に乗り上げている。

 事前に当たりを付けていた場所に移動し、柔らかて少し緩い地面を掘り起こし、目的のトンネルが無いか地べたを這って探す。

 地面に空洞は無く、今回の穴もハズレだった。

 

「クッソ、ここにも無い。トンネルは沢山あるはずなのにほとんど埋まっちまってるんじゃないの? この光も、せめて使えるトンネルの場所ぐらい教えなさいよ」


 使い難さを感じるイヤリングの石に悪態を吐きながら、レムナは土で汚れた顔を上げて、また別の場所に移動して地面を掘り始める。

 既に夕日が落ち始めて、湖のほとりを寒さが襲い始める。

 今日を逃せば、二度目のチャンスは無い。

 口止めしているが昼間の決闘騒ぎに加えて、学生二人をとある勘違いで負傷させてしまった。街に戻れば、騎士団に捕まるのも時間の問題だろう。

 気持ちだけでなく、社会的にも街に居場所がなくなってしまった。

 頭の隅にその意識があるせいで、レムナも無意識に焦っていた。

 もうイヤリングの石が示すあの世界の気配に縋るしか安心はない。

 レムナはその想いで、トンネルが見つかれと願いながら地面を掘り続けた。

 まるで逃げ込む穴を探すかのように。

 すると、彼女の立場が危ういものになる原因となった存在が控えめな声を上げる。


「まだ穴を掘るの……?」


 離れた岩に座るグエンが不思議そうに首を傾げている。

 その言葉を無視して、レムナは穴掘りを続ける。

 グエンはレムナの鞄と自分の鞄を抱えながら、所在なさげに足を動かしている。

 命の恩人を心配して口を開く。


「……もう日も落ちかけてるよ? 街灯が無いから、夜になると真っ暗になっちゃうよ。どうするの?」


「……」


「あ、喉乾かない? 僕、水筒持ってるけど――」


 言いながら、自分の鞄から水筒を取り出そうと手を突っ込むグエン。

 何度無視しても無駄な相手に業を煮やしたレムナが吠える。


「何で付いて来るのよ!? 帰れって何度も言ったでしょうが!」


 スコップを地面に突き立て、レムナは少年を睨む。

 突然の叱咤しったに少年が戸惑いながら水筒を掲げた。


「ご、ごめんなさい……あの、水筒」


「要らないッ」


 語気の強いレムナの圧に気圧され、グエンは水筒を鞄にしまう。

 少年はしゅんと俯いてしまった。

 気落ちした様子の少年が気にかかるレムナは沈黙を守りつつ、どうするか悩み抜いた後に大きなため息を吐いた。

 仕方ないといった感じで少年に声を掛ける。


「……もう遅い時間だから帰りなさい。見てても穴掘ってるだけよ」


 レムナの気遣いに少年が目を見開いて驚いた。

 学生相手に容赦のない乱暴な面を見ていたから、自分に優しい言葉を掛けてくれると思わなかったのだ。

 何度も視線を揺らしてから、少年は長身のレムナの方をうかがう様に見る。


「お姉さんは帰らないの?」

 

「帰らないし、もう帰れないわよ」


「さっきの事で捕まっちゃうから? 騎士団も説明すれば事情をわかってくれるんじゃないかな」


 レムナが短く鼻で笑う。


「あんたは知らないだろうけど、昼間に別件でもやらかしちゃったのよ。その場から逃げたし、もう騎士団じゃお尋ね者よ。問答無用で即逮捕、学生を痛めつけた社会不適合者として西の刑務所行きは確定ね~」


 あえて軽口で言うレムナに少年が食い下がる。


「僕が説明する。お姉さんが助けてくれたって言えば、きっと――」


 キッとレムナが少年を睨む。


「誰が信じるって言うのよ。魔法が使えないなんて嘘を吐く、オオカミ少年の言葉なんか」


「うっ……」


 痛い所を突かれてグエンが黙り込む。

 今度は勝ち誇る意味を込めて鼻を鳴らしたレムナ。

 年上からの嫌味に少年の反骨心があおられて、つい反抗的な言葉を返す。


「……でも、勘違いしてやり過ぎたのはお姉さんでしょ」


 少年の指摘に今度はレムナが、うぐっ、と苦い顔を浮かべる。

 レムナは少年の方を睨むが、拗ねたように顔を逸らされた。


「はあぁ……今日はツイてない」


 深い溜息を吐いて天を仰いだレムナ。

 その姿をグエンが横目で見る。

 レムナが意味もなく暴力を振るうような相手じゃないとわかり、少年の中で彼女の事がイイ人のように感じられてきた。

 空は夕焼けに混じって黒い夜空が混じり始めていた。



 レムナは沈思する。

 今日の暴力沙汰については、自分自身も抑えが効かな過ぎたと反省している。

 イヤリングの石から伝わる予感で気持ちが逸っているせいか、イラつきやすい日だと自責する。

 正直、今も地に足が付かないような不安定な感覚がある。

 きっと、久しぶりに魔法使いをぶちのめして高揚しているせいだ。

 あの中等部のガキにイラつくのも、それが理由だろう。

 昔、同じように前世の魂の記憶を想うあまり周囲の全てが嫌になって、暴力に頼り周囲に当たり散らした事を思い出す。

 今や犯罪者となった自分の状況はあの時よりも悪い。

 あの時ほどじゃないが、罪悪感と後悔を感じている今の気分は最悪だ。

 不意に一抹の不安に駆られる。


――何も見つからなかったら……石の導きが嘘だったら……

――もう街にも戻れない……家にも帰れない……

――……いいのよ、別に。私の使命はあの世界に行く事なんだから。


 思い浮かんだ不安を、この世界に自分の居場所が無いと思う事でかき消す。

 しかし、しつこくレムナの頭に残る残像があった。

 娘を想う父の心配そうな顔。

 ソレを思い浮かべる度に鬱陶しくてムカついて、息が詰まるような嫌気がさす。

 きっと、彼にも事件が伝わっているだろう。

 その事を想うと、少し胸がざわつく。


「……ッ」


 意味の無い感情を振り払う為、レムナは頭を振る。

 後ろ向きな考えを自分の中から消し去り、深呼吸で心を落ち着かせる。

 レムナは疲れからか集中が切れてきた事を自覚して気分を変えたいと思った。

 スコップを身体で支えて、髪を束ねている糸を解く。




「んー、休憩休憩!」


 わざとらしく大きめの声で言ったレムナはスコップを地面に深々と突き立てた。

 大きな態度で歩き、少年の隣に座った。

 レムナは自分の方を見つめてくる少年に手を上向きに突き出す。


「水筒」


「あ、うん」


 グエンが急いで水筒を取り出し、差し出されている手に渡した。

 受け取ったレムナは水筒に視線を落とす。

 少年の水筒は東から来る行商人が持ってくる竹製のそれだった。

 良いとこの子なのかなと内心で少年の家柄を推測しながら、レムナは飲み口を塞ぐ栓を抜く。

 口を付けないよう上を向いて中の水を飲む。

 レムナから視線を逸らし、グエンが疑問を口にする。


「お姉ちゃんは僕が魔法を使えたら、助けてくれなかったの?」


 水を飲むのを止め、レムナは少年の言葉の真意を確かめたくて横目でうかがう。

 しかし、少年の頭頂部しか見えなくて、仕方なく思ったままの事を言葉にする。


「勿論よ。魔法が使えないって聞いたから助けたの。自分と同じかもって期待したのに当てが外れて、いい迷惑よ」


「……酷い。薄情過ぎ」


「何とでも言いなさい。魔法が使える奴に何言われても、どうとも思わないもの」


 また水を飲むレムナ。


「デカ女オーガ……」


 ぼそりと悪態を吐く少年。

 飲んでいた水を噴き出しかけながら、レムナは少年の悪態に怒る。


「誰がオーガだっ」  


「怒るじゃん、どうとも思わないはずなのに」


「……アンタ、割に食ってかかるわね。いじめられる原因はそれなんじゃないの?」


「普段はこんなんじゃない。お姉さん相手だと何だか話易くて」


 グエンは楽しげに言う。

 対して、レムナの方は眉毛をピクピクと動かす。


「舐めてんの?」


「そうじゃないんだ。嘘だったけど、魔法が使えないって言ってた僕を見下さなかった人は初めてだから。不思議だよ、思ってる事を口にしやすい。押し黙る必要がないって感じで窮屈じゃない。とっても解放された気分」


 少年は恥ずかしげにはにかむ。

 レムナにその顔は見えないが、声の弾みからいい気分なのだと理解できた。

 しばらく黙っていたレムナが何かに気付いたように眉をひそめる。


「良い風に言ってるけど、私を『オーガ』だと思ってたって事じゃない。……やっぱ馬鹿にしてるわよね、アンタ」


 グエンの水筒を棍棒に見立てて、凄む為に自分の手に何度も当てるレムナ。

 もう彼女を怖がっていない少年は少しも悪びれずに言葉を返す。


「だって、ホントに大きいし乱暴だし……あ、でも! オーガって熟練冒険者でも警戒するぐらい怪力らしいよ」

 

「ホント、ああ言えばこう言う生意気なクソガキね。それが本性って訳?」 


 少年はアゴに手を当てて、迷惑だと言わんばかりに不満を漏らす。


「だって、弱く見せてないともっと酷い事されるんだ。魔法を暴発させないよう気を遣うのも大変だよ」


「あら~、ならその気遣いを少しでも私に向けてくれないかしら。怯えてる小心者を演じてるぐらいが丁度いいと思うわよ、オオカミ少年」


 笑顔を浮かべつつも眉尻が痙攣するレムナが忌々しそうに口にした。

 グエンが得意げにレムナの顔を見上げる。

 

「魔法を使えるってわかった瞬間に、ガラリと冷たくなったお姉さんよりマシな変わり身だと思うけど」


「ぐっ……!? 今日の事反省してなかったら絶対殴ってる……!」


 レムナは震える拳を必死に自制した。


「暴力は止めようよ、良い大人なんだから」


「アンタ、段々生意気さが上がってるのよ! あと距離感の詰め方が早過ぎ、もう友達感覚なの!?」


「お姉さんが勘違いで秘密を教えてくれたし、もう友達でいいんじゃない?」


 少年が無垢な眼でレムナを見つめる。

 グエンの言うレムナの秘密とは、魔法が使えないという点だけ。彼女が前世の魂の記憶を持っている事は知らない。

 本当は魔法が使える少年に魂の記憶までは口を滑らせなかった。

 重大な秘密を共有したと少年が勘違いしているだけなのだが、それを否定すると面倒な事になりそうだから、レムナは指摘せずに黙っていた。

 しかし、こんな風に打ち解けられるなら最初に否定しておくんだったと遅まきながら後悔するレムナ。


「アンタみたいな面の皮が厚いの初めてよ。鋼鉄のメンタルしてんじゃなの……?」


 レムナがため息を吐き、夜の暗がりで染まった湖を眺める。

 静かな闇に一人で居る心地よさを感じながらも、腰のランタンを手に取り、表面の窓を開く。

 封じ込めていた魔法の火が灯り、女と少年を温かい光が照らす。

 レムナは少年に水筒を返しつつ、気になる事を口にする。


「そんなに我が強い癖してさ、どうしてやり返さないのさ?」


 水筒を受け取った少年がランタンの灯りに陰る。


「僕の魔法は特殊傾向なんだ」


「は? 何それ」


「特殊傾向は遺伝に依らない突然変異。これが僕がやり返せない理由――」


 話す少年の手が紅く光った。固有魔法を発動させた光だ。

 彼の持つ水筒の中身が変質し、ゴポゴポと音を立てる。

 やがて、竹が腐り朽ちて底に穴が空き、中の強い毒性を持った液体が垂れる。

 地面に付着した毒はすぐに効果を失って揮発した。

 グエンは毒液の跡を見つめて、言葉を紡ぐ。


「これが僕の魔法。使い道の無い魔法なんだ」


 固有魔法の特殊傾向とは、先祖返りのようなもの。

 魔法の遺伝の流れの中で失われた魔法がいくつか存在する。

 彼の毒魔法もその一つで、突然変異的に失われた筈の魔法が発現する人間が居る。

 マナの血管が遺伝する為、血統の系統樹を遡ると特殊傾向で発現した失われし魔法を使っていた人間が居る筈だと学説では言われていた。

 だが、それを調べる手段が無いので、特殊傾向は突然変異の異常だとされていた。

 毒の魔法。

 巨体を誇るモンスターでさえ致死させるだけの強力な毒性を持つ反面、その消費は大きく効果時間は極めて短い性質を持つ。

 また、水を変質させる必要がある為、水が無ければ何もできない。

 グエンはそれを『使い道の無い魔法』と蔑む。

 そこには自分の固有魔法に対する憎しみが込められていた。

 俯いたままで少年がぽつぽつと呟く。


「人間には沢山の水分が含まれてる。もし僕の魔法が暴発して、人間相手に使ってしまったら相手は毒袋になる」


 そうなった人間がどうなるのか。

 腐り朽ちた竹の水筒を見れば、一目瞭然だった。

 相手を確実に殺してしまう魔法。

 そんな魔法を抱える少年の顔は暗い。

 グエンが怖がっていたのは、自分に振るわれる暴力以上に、自分が相手を殺してしまうかもしれない危険性だった。

 少年の恐怖の根源を感じ取るが、魔法関連である以上レムナに大した興味は無い。


「そろそろ再開しよ」


 話題を断ち切るように、勢いよくレムナは立ち上がった。

 グエンが無言で抗議の視線を向ける。


「何よ。別にアンタの魔法とか興味ないのよ、ちょっと時間潰しに聞きたかっただけだし。私は神殿に通じるトンネルを探さなきゃならないの。ガキはさっさと帰りなさい。あ。ただし、私の事は大人に言うなよ」


 少年に釘を刺してから、レムナは髪を糸で結びつつ突き立つスコップの所に戻る。

 女の背を見送りながら少年がぼやく。


「冷たく言っときながら、しっかり帰るよう言うあたりイイ人っぽいんだよなぁ。自分と同じ魔法が使えない人を探してるらしいけど、あの性格で友達とか居るのかな?」


 グエンにはレムナが寂しそうに思えて、傍から離れる気になれなかった。

 取り敢えずは彼女が穴掘りを止めるまで、その場で待つつもりでいた。

 レムナが自分のスコップの所に到達した瞬間。


「――ひゃッ!?」


 小さな悲鳴を残して、スコップとレムナが消えた。

 彼女の足が地面を踏み込んだ瞬間、すっぽり足元が抜けたのだ。

 しかし、辺りは暗いし一瞬の事だったので、グエンにはレムナが瞬間的に消えたように見えていた。


「お、お姉ちゃん!? え、瞬間移動!?」


 キョロキョロと辺りを見回すがレムナの姿は無い。

 何が起きたのか確かめたくて、グエンは鞄も持たずに岩を飛び降り、レムナが消えた辺りに駆け寄る。

 そして、――


「穴……? わッ!?」


 突如出現した空洞を少年が覗こうとした瞬間、彼が立つ地面も抜けた。



 湖底に続くトンネルは複数あると言われていた。

 ほとりの地下にはアリの巣のようなトンネルが広がっているのだ。

 しかし、その入り口のほとんどは長い年月で土の層が塞いでいた。どれだけ表層を掘ろうとも、到底、一人の発掘作業でたどり着ける深さではなかった。

 ならばなぜ、唐突に空洞が現れたのか。

 一つは必要なアイテム――トンネルの入り口を開く、キーの存在。

 レムナのイヤリングになっている石。石は発信機のような役割で、それが湖底に眠る物、ひいてはそこに続くトンネルを蘇らせた起動キーになっていた。

 ずっと光を放っていたのは、湖底にある受信装置に信号を送っていたから。

 長年の空白がある為、発信機側も受信装置側も劣化があり、通信が安定するのに半日の時間が掛かってしまった。

 もう一つは時間だ。

 湖底に眠っていた物が覚醒する為には、全て必要な時間だった。

 レムナが一人で作業をして途中で諦めてしまっていたら、グエンが自分の秘密を告白しなかったら。

 土の重みのせいで起動が遅れていたトンネルの入り口に気付く事なく、彼らは何の成果も得られずに街へ戻っていた事だろう。

 到達すべき定めがあるかのように二人は穴に落ちた。



 泥で汚れた硬質のトンネルを落ちていく。

 途中で何度も曲がって、その度に遠心力で身体が振られる。

 やがて穴の雰囲気が変わる。泥で汚れた壁でなくなり、人工的で鉛色の物に一変する。メリジルの街では見た事も無い、金属だけで出来た壁だ。

 トンネルを落下する時間は長いようで短い。

 終着点は唐突に訪れる。

 人工的な継ぎ目のない鈍色の壁に穴が開き、そこからグエンが飛び出してくる。

 

「うわあ!?」


 ピンボール球のように吐き出された少年が尻から落下する。

 硬質な床に打ちつけた尻をさすりながら、少年が立ち上がって周囲を見回す。

 

「何だ、ここ……?」


 そこはメリジルでも見た事の無い異様な空間。

 どこにもランタンや街灯がないのに空間全体が明るく、壁のどこにも継ぎ目らしきものが無い。

 見た事はないけれど卵の内側はこういうものなんじゃないかと、グエンは空間全体を不思議に感じながら思っていた。

 また、少年は空間から魔力を少しも感じなかった。

 つまり、湖底であるにも関わらず、この照明は全て魔力以外の動力で動いている。

 

「……」


 少年の顔が自然とほころぶ。

 未知の施設、信じられない光景。それを前に、少年の心が湧き上がっていた。

 何度もぐるりと見回し、その度に驚きを発見して喜ぶ。

 すると、壁に穴が開いて、少年と同じように長身の女が飛び出してきた。


「きゃあああ!?」


 高い悲鳴を上げて、レムナが硬質な床に背を打つ。

 先に落ちたはずのレムナがグエンよりも遅かったのは、彼女が通っていたトンネルが複雑に入り組んでいたせいだった。

 本人は知る由もないが、施設側が石を持つ生体のデータを採集する為にわざと遠回りのルートを通らせていた。通過の間に生体をスキャンして、健康状態や身体的特徴などの詳細な情報を分析していた。

 少年がレムナの方に近付く。


「大丈夫?」


 少年が手を差し出したが、それを跳ね除けてレムナは咳き込みながら起き上がる。

 

「げほげほ……。何でアンタが居るのよ……」


「僕も穴に落ちて……。そんな事よりさ、これがお姉さんの言ってた湖底神殿って奴!? めっちゃ凄いね!」


 興奮する少年につられて、レムナも施設を見回す。

 最初は彼女も驚愕と喜びの両方が浮かんでいたが、やがて顔が戸惑いの色で染まる。


「……ない。どうして無いの?」


「無いって何が無いの?」


 神殿の広大な空間。

 確かにその空間を作り上げている物は魔法ではない異物だった。

 だが、レムナはこの施設が自分の求める物だと本能的に思えない。

 なぜなら、空間は異様だがそこには何もない。ただ、この世界の魔法技術とは違う異質な空間が在るだけ。

 神殿と呼ばれるからには、ここには祭壇やそこに祀られていた御神体のような物が在ってもおかしくない。それが無かった。

 ここにはまだ何かある。そう強く感じている。

 レムナは床を叩く。


「絶対に何かある! 絶対……」


 少年は様子がおかしいレムナを心配そうに見つめる。

 すると、少年がイヤリングの石の変化に気付いた。


「ねえ、お姉さん。そのイヤリング、何か文字が浮かんでるよ」


「えっ?」


 急いでレムナがイヤリングを外す。

 手の中で淡く光る石を見ると、少年の言葉通り石の中に文字が浮かんでいた。

 レムナの肩越しにグエンが石を見る。


「知らない文字だ。何て書いてあるの?」


 石に浮かぶ文字。

 少年はそれを知らないが、レムナは知っていた。

 前世の魂の記憶を持つレムナは。


「これ、アルファベットだ……『ギジュウ』……?」 


 レムナの言葉に反応して、施設が稼働する。

 照明が白く明るいものから、オレンジ色のものに変わる。

 二人の立つ床だけを残して、他全てが沈み込んだ。

 彼らを乗せた床を支えるクレーンが動き出し、彼らを特等席に案内する。

 同時に、床下に広がる底の見えない暗闇から何か巨大な物がエレベーターに載せられて上昇してきた。

 オレンジ色の照明は光度が低く巨大なシルエットしかわからないが、それは何かの生き物のような形で、アゴを突き出したうつ伏せの状態に見える。


「な、何コレ……?」


 流石の少年も怯えている横で、レムナが乾いた笑みを浮かべる。


「私の世界が変わる瞬間よ」


 全ての移動が終了し、照明が元の明るいものに変わった。

 巨大なシルエットの全貌――完全に活動を停止している機械の怪獣『ギジュウ』が姿を現した。



_______


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 好評価等、よろしくお願いします。

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