第3話 『迫る』
北通り 駐在騎士団の本営
息を切らしたベナが街に駐在する騎士団の本営前に到着した。
スティーの雑貨屋が南通り方面にあるので、丁度正反対の方向から休まず走ってきた事になる。
騎士団の訓練で普段から鍛えているとはいえ、流石に疲れたベナは膝に手を付いて息を整える。
その間に、騎士団の施設に目を向ける。
正面扉には見知った同期と先輩の二人が真面目に見張り番をしている。右手に見える騎士団の馬房で、ベナが見かけた早馬と同じ馬が私服の団員に世話されているのが確認できる。
「やっぱり、ここに来てる……」
呼吸が落ち着いたベナが身なりを軽く整えてから、正門扉に向かう。
ベナに気付いた見張り番の二人が堅苦しい挨拶を寄越す。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
自分も返事を返した後、同期の見張り番の方に近付いてヒソヒソと話しかける。
「……ねえ、早馬が来た筈なんだけど」
ベナが秘密の会話をするように聞くと、同期も顔を近付けて仕事中の口調ではない砕けた感じで答える。
「ああ、来た。どっかの役人だ。もう中に入ってるぞ」
「ンンッ!」
「やべ。俺が知ってるのはそれだけ」
「ありがと」
同期に礼を言うと、ベナは騎士団本営の施設に入った。
施設内では普段、後方支援の団員たちが市民から寄せられる通報や相談の窓口で受付業務のような事もやっていた。
しかし、今は窓口の人員が少ない。
どうやら、ある程度の歴のある団員が居ないようだ。
何かが原因で、本営が慌ただしい証拠と言える。
新人には大抵事後報告が回って来る事になるが、ベナは悠長にそれを待つつもりはなかった。
一目散に騎士団団長の部屋を目指す。
急ぎの伝令、であれば内容が急を要するものである可能性が高い。そういう場合は迅速な対応が求められる為に、直接トップに話しが通される。
目指す部屋は施設の三階、一番大きな扉の部屋。
ベナが団長の執務室の前に辿り着いた時、中から声が漏れ聞こえた。
「……ドの伝……山が……」
部屋の中で、誰かが何かの報告をしているようだった。
盗み聞く為、扉に耳を当てているベナが渋い顔を浮かべる。
「この扉分厚いな……増幅するか」
ベナが固有魔法を発動させる。
彼女の固有魔法はあらゆる効果を増幅させる補助を得意としている。
ベナの両親は二人とも攻撃系統の固有魔法なのだが、ベナはそれを引き継げなかった。父方の祖母の系統を受け継いでいたのだ。
昔は魔法の遺伝で悩みやトラブルを抱えていたが、今は便利な効果の魔法だと考えている。
ベナは自分の聴覚を強化し、部屋の中の会話を盗聴する。
メリジルの騎士団本営にある団長の執務室で、モーフォードからの伝令が険しい表情をして報告を続けている。
同室には団長のオーガスタス・ウーランドと副団長含む、騎士団の指揮系統を担う者たちが詰めていた。
「モーフォードの所有する山が動いたのです」
「動いた? 山が?」
副団長が伝令の話に難色を示した。
「山鳴りではないのか? それか地滑りか。モーフォードではよくあると聞くが」
「その程度ではないのです! 本当に山そのものが動き、中から砕けたのです!」
事の重大さを理解してほしい伝令が大きな声を出す。
小さく謝罪した後、気持ちを落ち着けて報告に戻る。
伝令自身、その瞬間を目撃したのだろう。
あり得ない光景を思い出し、冷や汗を流しながら順を追って話出す。
「最初は山鳴りが起きたんです。仰る通り、頻繁ではないですが珍しくはない。ですが、次第に山から動物やモンスターが逃げ出したんです。それ自体、前例のない異常でした。しかも、別の土地からもモンスターが合流してきて、モーフォードの街がモンスターの『大移動』に襲われた。その時点で、私は救援を求める為にエイヒルの街に向かいました」
「大移動……前兆もなく?」
「海向こうの大陸で、虫系のモンスターによる大移動が確認された事があったな」
「いや、あれは渡りの時期が重なっただけと聞く。大移動が最後に確認されるのは遥か昔だ」
部屋中に緊張感が広がり、団員たちが口々に『大移動』について意見を交わす。
モンスターの大移動。
自然災害などにより食糧が得られなくなった動物が、食糧を求めて集団で生息域外に移動する現象と基本は同じである。
だが、モンスターの場合は生態系における強者であるから、こういった現象が起きるのは極めて稀であった。
ましてや、二つのモンスターの大移動が合流するなど前例がない事態だった。
部下が戸惑う中、執務机に座るオーガスタスが軽く咳払いし、場を仕切り直す。
オーガスタスは部下に目配せして、メリジルやモーフォードが載る地図を広げさせた。
伝令の言うエイヒルはモーフォードから一番近い大きな街だった。
地図上の街に戦術駒を置いて、さらには大移動を示す駒も配置して状況を整理しながら、オーガスタスは伝令に確認する。
「君が次に向かったのは、ここから街道を二つ南下した街エイヒル。間違いないな?」
「はい。最初はそこに向かったのです。街には半日経たずに到着できました。すぐにエイヒルの駐在騎士団が救援に向かってくれて、私も安心したのです。しかし……」
伝令は一度、そこで言葉を切った。
生唾を飲み込んだ後、信じてもらえないかもしれないが、と前置きしてから話を再開する。
「モーフォードの方角を見ました。丁度、エイヒルから街が見えましたから。……すると、またしても大きな山鳴りが起き、山がひな鳥が孵る卵のように内から割れて、見た事もない聞いた事もない巨大な獣が山の中から現れたのです」
大移動の時とは比較にならない衝撃に、部屋に居た全員が息を呑む。
山からモンスターが現れる。それはある。
地中から魔物が出現するというのも、モグラ系やワーム系のモンスターの出現方法としてはある。
しかし、山と同じ大きさの存在など聞き馴染みもない事例だった。
オーガスタスも眉間に皺を寄せて、伝令の言葉をすぐには飲み込まなかった。
団員たちが口々に疑問を伝令にぶつける。
「……巨大というが、山と同じなのか?」
「はい」
「モンスター、例えばドラゴンなどではなく?」
ドラゴン。
それは太古から存在する強大な力を持つモンスターの種類。長命かつ特別な魔法を使える言語を持ち、かつては人間と交流もあったと伝えれている。今は個体数も減り、人間の前に姿を見せる事も無くなった。
この世界で大きなモンスターとして一番最初に思い浮かぶ存在であった。
向けられた疑問に伝令を首を振る。
「あれはドラゴンではありません。翼がなかった」
ドラゴンには必ず翼があると伝えられている。だから、それが無かったと伝令は答えた。
伝令の答えを聞いても、団員たちは納得できないと唸る。
ドラゴンであっても、山と同じ大きさの存在など伝承にも登場しない。
つまり、この世界にそんな巨大な存在は居ないと考えるのが普通だ。
だからこそ、伝令の話を鵜呑みに出来なかった。
「見間違いではないのか? 山と同じ大きさのモンスターなど、あり得ない」
「幻覚……あるいは、大移動で砂煙が上がってそう見えたとか……」
適当な理由を付けて、伝令が見たものが間違いであったと団員たちは言う。
すると、伝令が強い調子で声を上げる。
「お気持ちはわかります。ですが、全て事実なのです! その巨大生物がモーフォードの街に向うと、そいつから逃げるように今度はエイヒルに大移動が迫りました。私はすぐにここメリジルに向かいました。この地域一帯では一番大きな騎士団が居る場所だからです! どうか、大移動とあの巨大生物が全てを蹂躙する前に、我がモーフォードとエイヒルを助けてほしい!」
伝令が必死に懇願する。
その様子は真に迫るものだったが、どれだけ同情が喚起されようとも、団員たちは難色を示した。
「……」
彼らとて、信じられない気持ちがあれど、伝令の言葉を頭ごなしに否定している訳ではない。
伝令の懸命な訴えを嘘とは思えないからだ。
しかし、伝令とメリジルの騎士団では優先順位が違うのだ。
最優先すべき事柄はメリジルの街を守る事で、恐らくすでに壊滅しているであろうモーフォードやエイヒルに貴重な戦力を割いて調査する事ではない。
しかし、それを伝令に伝える者は居ない。
伝令に気を遣っているのではなく、自分の役目ではないと弁えているから。
そして、最終的に判断する立場にあるオーガスタスが重い口を開く。
「ご苦労だった。君の頑張りのお陰で、我々は君が伝えてくれた脅威に対して備えられる」
「では、救援を――」
「それは出来ない。メリジルの騎士団は今日中に防衛線を構築する」
「そんな……!?」
「君が嘘を吐いていないというのは、その必死さを見ればわかる。状況の確認が必要となるが、どちらも予断を許さない脅威だ。だからこそ、まず大移動がメリジルを襲う前に防衛線を街の外に築く」
オーガスタスの決断に、伝令が異を唱える。
「ま、待ってくださいオーガスタス団長! それではモーフォードとエイヒルはどうなるのです!? 今救援に向かわねば、街を守る騎士団は壊滅して住民に被害が!」
オーガスタスは表情を変えずに答える。
「モーフォードから君が到着するまで一日経っている。既に壊滅したと想定せざるを得ない。最悪エイヒルも陥落したと想定すると、大移動がメリジルに到達する猶予は二日あるかどうか。救援隊を編成しようと間に合わん」
「ならば、せめて偵察を。避難民がいる可能性もある。生き残りは街道を通って、メリジルを目指すはずです。この街の規模なら避難民も受け入れられるでしょう。どうか!」
伝令はモーフォードを救う為にメリジルまでやってきたのだ。どれだけ絶望的であろうと、救う道を諦める気にはなれない。
伝令の言う通り、仮に街が壊滅していても、生き残りや避難民が発生している可能性は非常に高い。むしろ、エイヒルまで被害を受けていると想定すれば、メリジルから一つ南下した街にモーフォードとエイヒルの生き残りが向かっていると予測できる。
そして、その街も状況を理解して避難民を出し、全ての生き残りがメリジルに向かうのだろう。
膨れ上がった生き残りの集団の動きは遅い。
大移動の方が早いとすれば、いずれ生き残りの集団が追いつかれるのも時間の問題だった。
それを理解した上で、団長は首を横に振る。
「決めるのは君ではない、私だ。大移動と巨大生物の動向調査の偵察は出すが、仮に避難民や生き残りがメリジルに到着したとしても、メリジルは受け入れを拒否する」
冷酷な判断を下した団長は視線を副団長に向ける。
副団長は頷きを返して、部下の一人を連れて隣の部屋に入っていく。偵察隊の編成と防衛線構築の人員配置について打ち合わせをする為だ。
伝令が食い下がる。
「何故です!? 大移動に巻き込まれたら、抵抗する力の無い彼らはひとたまりもないんですよ! 死ねと言うのですか!?」
「受け入れにどれだけ時間が掛かると思う? その間に大移動がメリジルに到達したら? 無防備な避難民は背後から蹂躙され、受け入れの為に解放していた門からメリジルにモンスターの大群が流れ込む。襲撃を受けた街の二の前になるだけだ。君こそ、理解したまえ。状況は切迫しているんだ」
オーガスタスは極力感情を殺し、冷静に想定しうる最悪のケースを告げた。
「ッ……」
伝令はそれ以上何も言えなかった。
故郷や生き残りの事を思えば文句の一つも言いたいが、自分では目の前の屈強な男の決意を動かせないと悟ってしまったせいで、何も言葉が出なくなった。
自分の無力が悔しくなり、拳を固く握るしかない。
だが、伝令の代わりに声を上げる者が居た。
執務室の扉が開け放たれ、怒りの表情のベナが無遠慮に入ってきた。
「今すぐ生き残りの為に団員を派遣すべきです!」
「だ、誰だ……?」
伝令が困惑の表情を浮かべるが、部屋に居るメリジル騎士団の面々は困ったような呆れたような表情をしている。
勇んでオーガスタスの執務机の前まで進み出たベナ。
無礼な娘に、父であり上司であるオーガスタスが語気を強めた。
「ベナ・ウーランドッ。また魔法で盗聴をしたのか、二度は無いと忠告していた筈だぞ」
「処分ならば受けます。しかし、今は襲われた街の生き残りについてです。今すぐ団員を派遣し、彼らを助けるべきです!」
「ならん。前例のない危険が迫っている可能性がある以上、戦力を分散する事はできん。ましてや、受け入れのリスクは背負えん」
「ならば、生き残りが街道を逸れて別の街に向かえるよう先導するべきです! 何も知らない彼らがメリジルに来てしまえば、防衛線の前が行く先を失った者らで溢れかえる! そうなれば、防衛どころではありません」
「小娘に言われるまでもなく想定している。だが、それは仮に先導しようと同じだ。ならばこそ、初めから避難民を拒否し集団が滞らないように対処する方が早く事が済む」
オーガスタスが拳を固く握る。
面に出す事は決してないが、彼とて街や市民の生活を守る騎士団の長、出来る事ならば生き残りを助けたいと思っていた。
だが、彼は責任ある騎士団長という立場。
伝令の伝えた情報が真実だとすれば、脅威の規模は大きく未知数である。
防衛線力は少しでも多い方が望ましく、抱えるリスクは少ない方が良い。
それがメリジルの騎士団長オーガスタスの最終判断。
ベナは頭で父の苦悩を理解していても、心では彼の判断に納得できなかった。
「せめて、街道から避難させるべきです。このままではモンスターの大群に巻き込まれるんだから!」
感情を高ぶらせて言うベナに、オーガスタスが厳しい表情を見せた。
鋼のように固い意思が宿る黒い瞳で、ベナを見据える。
団長は感情を殺した声で試すようにベナへ尋ねる。
「ならば問おう、大勢の避難民を救う手立てはあるのか?」
「だから、団員を派遣して街道から逸れるよう先導を――」
「具体的な計画はあるのか?」
「ッ……」
ベナが口ごもる。
生き残りを街道から逃がさなければならないのはわかっている。
だが、どこに避難させるのか、安全確保をどうするのか。
具体的な計画は何も思いついていなかった。
彼女よりも歴が長く、詳細な情報を持っている騎士団員たちが作戦を立てられなかったのだ。
経験の浅いベナに救助計画など立てられない。
簡単に言葉が続かなくなる事に歯噛みするベナ。
己はなんと平凡で、両親のような魔法の才も人としての才覚も受け継げなかった無能なのだろう。
そのせいで、ここに居る冷徹な連中を説得できない。
ベナも己が無謀なのは百も承知していた。
それでも、オーガスタスが伝令の希望を打ち壊した時、扉を開けて立ち向かわずにはいられなかった。
大勢の命が大事だし、何より伝令の想いを無駄にしたくなかったから。
――目の前の頑固な男が望むのは、感情論の正しさじゃない。
――合理的な作戦だ。そんなわかってる。
――でも、きっと私の役目はそれじゃない。
だから、オーガスタスを睨みつけ、絞り出すように発された言葉は感情優先の決意表明だった。
「私が、先導役をします」
「決意表明のつもりか。要望だけ伝えて状況が好転する事はない、ましてや、果たすべき役目をはき違えた者に成し遂げられる事はない」
「私の役目は命を見捨てない事です」
ベナの言葉にオーガスタスは眉間に皺を寄せた後、関心を失ったようにベナから目を逸らした。
団長はベナとのやり取りがなかったかのように部下たちに向かって指示を出す。
「メリジル駐在騎士団は副団長の指示に従い、今すぐ防衛線の構築に着手しろ。後方支援の部隊に兵站の確認と補充を徹底させ、自警団と連携して市民に緊急事態における警戒態勢を取るよう警告するんだ。偵察隊には馬を与え、出来る限り早く出発させるんだ。早期の情報がメリジルに生きる全ての者の命を繋ぐ鍵と心得させよ」
言葉を紡ぐ間、オーガスタスがベナに目線を向ける事は無かった。
その態度がベナを更に逆撫でた。
部屋に詰めていた部隊長クラスの部下たちが返事を返し、すぐにその場で打ち合わせを開始した。
オーガスタスが伝令の方を向く。
「メリジル騎士団の方針は決定した。君には残念な事だろうが、我々が君の希望通りに動く事はない。……出来る事なら、今後もメリジルの防衛の為に君の協力をお願いしたい」
団長の言葉に伝令は首を横に振った。
「お伝えできる事は全てお話しました……もう、お役に立てないかと……」
伝令の顔色は真っ白でどこか呆然としていた。
団長は一度頷いて、部下の一人を呼び寄せた。
「そうか。この者に君の部屋を用意させよう。伝令の任、誠にご苦労だった」
「……はい」
伝令は力なく一礼した後、部屋を後にする。
ベナは伝令の背を目で追い、口惜しそうな顔でオーガスタスを一睨みした後、伝令を追って部屋を出た。
部下たちも打ち合わせで決まった作戦内容を行動に移す為、ぞろぞろと部屋を退出していった。
執務室には、団長と伝令の報告と打ち合わせの議事録をまとめる副団長だけが残された。
しばらくすると、議事録をまとめ終えた副団長が報告書を持って団長の前に来た。
執務机に報告書を置くと、くだけた調子で口を開く。
「お嬢さんはご立派な精神をお持ちですね。若さのある勢いは羨ましいですよ」
先程までの緊張感を少し解いて、オーガスタスが答える。
「アレがもう少し現実とのすり合わせが上手くなれば、若さや高潔さも意味を持つ。まだまだ、わがままな子供のままだ」
「団長の漢くさい顔に似ずお顔も可愛らしいですし、意思が強い所も可愛らしく感じますね」
アゴに手を当てて得意げに頷く副団長。
団長はそんな部下に、微妙そうな顔で苦言を呈する。
「父親の前で娘に色気づくな馬鹿者。ナンパ好きも大概にしておけ」
「ここ最近、ご無沙汰なもので。……冗談は終わりにして、もう少し父親らしく歩み寄ってあげたらいいのでは?」
「アレには私よりも父親らしい相手が居る。むしろ、アレは私を恨む方が奮起するんだ。私たち親の魔法を継いでいないと知った時、私は大いに失望した。その時の事を今も恨んでいるよ。だが、娘は恨みを理由に見返そうと活力を漲らせ、今や私には出来ない道を歩もうとしている」
オーガスタスは口角を上げた。
「ならば、それでいい。心に正義があるならば、私の意思など継ぐ必要はない」
「団長は本当に仕事人間ですね。家族でさえ、ご自身の理想の一部と捉えていらっしゃる。お嬢さんが聞いたら、もっと恨みが深まりそうだ」
「だろうな。まあ、アレを正しい道に導くのは父親代わりの奴がやってくれる。私はアレの生きる活力になる事が役目なんだ」
「団長は騎士としてはご立派ですが、親としては失格ですね」
「知っているとも。……さあ、休憩は終わりだ。お前も防衛線構築に着手しろ。私も後で向かう」
副団長は一礼をした後、執務室を後にした。
一人部屋に残された団長が深い溜息と共に、椅子の背もたれに身を預けた。
実の娘の事を考えると、自然と眉間に皺が寄る。
皺を指で伸ばしながら、疑問の声を漏らす。
「……何が起こっている?」
メリジルに迫る危機、それらに思考を巡らせる。
――大移動の同時発生、山から出現した未知の巨大生物……。
――それらがモーフォードとエイヒルを襲った理由は?
――不明。だが、彼の言葉通りなら全てに関連があるように思える。
――大移動にも巨大生物にも、何か意図があるのか……?
団長は沈思を止めて、目の前に広げられた地図に視線を落とす。
地図の上には、伝令の報告に沿う形で、かつ時間による変遷も加味して戦術駒が置かれている。
大移動を表現する駒の集合はメリジルに続く街道上に配置し、モーフォードとエイヒルを示す駒は倒されていた。巨大生物を示す駒が無いので、代わりに剣のモチーフのオブジェを配置していた。
地図上の配置を見て、オーガスタスは一連の異常事態がメリジルを目的地としているように感じていた。
彼が何かしらの意図を感じ取っているのも、この指向性からだった。
「……メリジルに何があるというのだ?」
オーガスタスの呟きに答えを出す者は居ない。
少なくともこの時点では、誰もメリジルにモンスターの大移動と巨大生物を呼び寄せている黒幕が居るなど考えもしなかった。
翌日の早朝、モンスターの大移動がメリジルの南正門前に殺到する。
どうしてこんな事に。
騎士団本営のとある部屋で、伝令の男は天井を見上げて立って、今の状況を不思議がっていた。
口が半開きで腕が力なく垂れて、顔色は団長の執務室に居た時よりも酷い。まるで血の通っていない陶器人形のようだ。
自分がどうしてこの部屋に居るのか、必死に思い出そうとしても浮かばない。
執務室を出た後からの記憶がない。
気付けば、ひと気のないこの部屋で突っ立っていた。
状況の理解も出来ず訳が分からないが、身体が本能的に危機を察知して、逃げ出したい気持ちに駆られている。
しかし、拘束もされていないのに指一本動かせない。
身体がいう事をきかない。
声を上げたくても、舌さえ動いてくれなかった。
許されている行動は、眼を動かす事と呼吸だけ。
大量にかいている汗のせいか、身体が酷く冷えている。
寒くて仕方ない。まるで冷水に漬けられているようだ。
すると、部屋の隅――窓から差し込む夕日の影になっている部分に、二つの赤い点が目のように浮かび上がる。
眼だけを動かして、赤い点の方を見る。
赤い点はじっとこちらを観察している。
視線を天井に戻すと、そこにも赤い点が二つ、こちらを観察している。
赤い点と目線を合わせたくなくて、忙しなく眼を動かすけれど、部屋のどこを見ても二つの赤い点がこちらを観察している。
不快なプレッシャーと理解できない金縛りに気が狂いそうになる。
やがて、奇妙な声が頭に直接響く。
――よくやってくれた。
――君が導いていた避難民たちはつつがなくメリジルに向かっている。モーフォードからメリジルまで大移動を誘導する導線は完璧だ。
――情報も正確に伝えた為、騎士団の全ての戦力を引き出せた。
――素晴らしい。
――君の役目が終わった。
頭に響く声により、伝令の失われていた記憶が蘇る。
声の言う通り、そもそも自分はモーフォードの避難民を先導していた。
しかし、あの山が割れる光景を見た後、頭の中の声に導かれて一人でメリジルに向かった。
生き残りへメリジルに向かうよう言付けて。
自分は声に操られて、何故か一人でメリジルまで来たのだ。
自分は一体、どうしてしまったのだろう?
あんなに皆を助けたかったのに。
最期まで疑問の答えが出ないまま、伝令は干からびて床に倒れた。
ベナは伝令の背を追っていた。
だが、伝令が階段に差し掛かった所で見失い、下の階に行ったに違いないと当たりを付けて階段を駆け下りる。
二階へ降り、さらに一階へ。
一階に到達したベナがフロア全体をぐるりと見回す。
一日の業務が終わりに差し掛かり、受付前は静かだった。
すぐ後を追ったというのに、どこにも伝令の姿は無い。
「嘘、早すぎ……」
伝令と協力して生き残りを街道から逃がす作戦を立てようと思っていたベナは、諦めがつかずに一階の色々な部屋を見て回った。
しかし、伝令の影も形も見当たらず、他の団員に聞いても誰も見かけていなかった。
人ひとりがまるで消えてしまったような状況に、ベナは椅子に座って溜息を吐く。
「どうなってんのよ。どんだけ早歩きなの……?」
意気消沈して椅子の背にもたれかかるベナ。
すると、受付に太った中年男が顔を見せ、受付の女団員と数度言葉を交わす。
やがて、男は憤った様子でフロア全体に響く大声を張り上げる。
「俺はしっかり案内したんだ! あの薄情野郎、騎士団に金を払わせるって言ってたのに。もう一度調べてくれ、モーフォードからの伝令だよ!」
「ですから、そのようなお話は伺っておりません……!」
女団員が困った様子で中年男を落ち着かせようとしていた。
ベナは男の言葉を聞いて飛び起きた。
すぐに男の下に駆け寄り、声を掛ける。
「それって、今日来たモーフォードの伝令の事よね?」
「そうそう! キャラバン隊の足止めで困ってたソイツを、俺が街道の抜け道使って南門まで案内したんだぜ。途中で聞いたけど、モーフォードが大変な事になってて、生き残りを連れてたんだと。あの野郎それまで普通だったのに、街に着いた途端急に人形みたいに無反応になって一人でここまで先に行っちまってよ。やっとの思いで追いついたら、金の話をしてねえんだよ。そりゃねえぜ」
キャラバン隊の隊長を名乗る男が不満をつらつらと語る。
一通りの話を聞いたベナは自分の知る伝令の話と隊長の話に違和感を覚えた。
「……あの、正式な聴取を取らせて欲しいんです。ご協力お願いします」
「う~ん、つってもなぁ。二度手間じゃねえか」
キャラバンの隊長は渋る。
「そうですか……ご協力していただけたら、こちらとしても報償を出せるんですが……」
「是非、協力させてくれ!」
報償をチラつかせたベナに、快く協力する姿勢を見せたキャラバンの隊長。
ベナは近くの団員に聴取を任せると、隊長は団員に連れられて奥の部屋に去った。
その途中、大きな声で団員に何度も報償の値段について尋ねていた。
ロビーに残ったベナは考えを口にしながら、思考を巡らせる。
「どうして伝令はキャラバンの隊長さんの事を話さなかったの? それに、隊長さんが聞いた伝令の話じゃ、彼はエイヒルまでモーフォードの避難民と一緒に居たはず。どうして、置いてきたの?」
伝令の奇妙な行動とメリジルに到着してからのおかしな様子に、ベナは疑問を感じた。
「……もう一度、彼から話を聞かないと」
降って湧いた疑問の答えを求めてもう一度伝令を探そうとするベナに、ねえ、と声を掛けて女団員が近寄ってきた。
その人物はベナと同期で主に後方支援を担当している女性。同期中で数少ない同性だからとよく話す相手でもあった。
手には一枚の紙が握られていた。
「どうしたの、何かあった?」
「それが……」
同期の女が言いづらそうに口ごもっている。
ベナは首を傾げつつも、落ち着かない様子で催促する。
「何? 今急いでるんだけど……」
「あ、そうなんだ。えっと、言い難いんだけど。……この子って、ベナの友達だったよね?」
そう言って、その女団員がベナに差し出した紙――指名手配書には、昨日学生相手に重傷を負わせる傷害事件を起こした犯人として、レムナ・スティーの名が書いてあった。
ベナは驚いて、女団員の手から手配書を掴み取りマジマジと文面を見る。
「……私の居ない間に何してんのよ、レムナ」
親友が犯罪者となり指名手配された事実を前に、思わずそう言わずにはいられなかった。
心配よりも、憤りの方が大きい。
ベナは手配書を握り潰した。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
好評価等、よろしくお願いします。
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