第2話 『魔法嫌いのレムナ・スティー』
伝令が街に到着する一日前
メリジルの中央区には街の市役所や騎士団の駐在所が建ち、図書館や文化会館なども同区にあり、文化や行政の両面でメリジルの心臓部とも呼べる地区である。
そして、中央広場は市民の憩いの場でもある。
メリジルの中央広場は四方の門と直通である四つの通りと繋がっている。
中央広場にある噴水は妖精の像――星を掬いあげる女性のモチーフで作られており、星を載せる手から水が溢れる構造をしていた。
妖精像の由来はメリジルに伝わるおとぎ話。
『ほしのおちた湖』
おおきなほしがおちた
だいちにおおあな
あめがみずうみ
ようせいメリジルがうたい
みずうみがほえる
このおとぎ話は街が出来上がる前から存在し、かつて湖はメリジルと呼ばれていた。
街の名前は湖から貰ったもの。
噴水の周囲に集まる昼食を楽しむ役人や散歩の休憩をしている人の間を抜け、レムナ・スティーは一路北に向かって歩いていた。
――早く行こう。
彼女の右耳で琥珀に似た石で作られたイヤリングが揺れ、後ろ髪を刈り上げた髪型とよく似合っている。
レムナは肩に掛ける鞄から飛び出したスコップの柄が左右に揺れないよう押さえつけながら、腰に魔法の火を閉じ込めたランタンを装着している。
このランタンは魔法が使えないレムナでも使える数少ない魔法アイテム。
カバーを開けば、発光する部分の魔晶石が自動発動して火を出し、下段の油によって長持ちする仕掛けになっている。
かなりの骨とう品で、昔は鉱山採掘員や洞窟探検をする冒険者用の道具だった。
最先端の物だと、油を使わずとも自前のマナをごく少量消費するだけで、一日中発光するランタンなどがある。今の主流はこちらである。
しかし、どれだけ効率的な最先端の道具だろうと、マナを必要とするならマナの血管がないレムナには縁の無い品だった。
むしろ、古めかしい道具はマナの消費を抑える思想の物が多い。
まだ魔法が複雑な儀式や大量のマナ消費を必要とした時代の魔法道具は、レムナの知る異世界の言葉で『科学』と呼ばれる知恵でマナを消費しない機構を持つ物が多かった。
彼女の持つランタンもその一つだ。
カラカラ、と腰のランタンが揺れる度に音が鳴る。
――鬱陶しいなぁ。これも鞄に突っ込んどけばよかった。
――ベルトが重くなるし、お尻に当たって気になるし……。
――これでわざわざ持ち出したスコップが要らなくなったら最悪。
もしものために持ち出したスコップを邪魔に思うレムナ。
重装備のレムナが目指すのは北――街の人間が聖域だと思っている湖。
彼女は湖に『異世界の何か』が眠っていると感じ、それを確かめに行くのだ。
そう思う根拠は、彼女が耳に付けているイヤリング。その素材となっている琥珀に似た石が伝えてくる予感だ。
イヤリングの石は彼女が手に入れた異世界の物品で、彼女の手でイヤリングに加工されていた。
そのイヤリングが、メリジルの湖に眠る何かと惹かれ合っている。
それが感覚的に、装着しているレムナにも伝わっていた。
今でも、湖を信仰しているメリジル出身の大人は多い。メリジル生まれの人間は例のおとぎ話を子供の頃から聞かされて育つし、今の老人世代は大事にしてきた自然崇拝を文化として遺したいという団体を作っていた。
そういった団体の働きのせいで、湖は街の保護区とされて一般人の立ち入りが禁止されていた。
レムナは今日、誰にも告げずに湖へ忍び込むつもりだった。
――父さんに言えば小言がウザいし、これでいい。
――言えば、『何しに行くんだ?』って言った後、『お前は将来何をしたいんだ?』っていつもの調子で聞いてくるに決まってる。
――このイヤリングが導きなんだ。
不注意と言えばそうなのだろう。
父アッサムの事を考えると、彼を疎ましく思うからか、いつもそちらに気を取られてしまう。
スコップを押さえる手が緩み、スコップの柄が外套を羽織った通行人の腕に当たってしまった。
男が手に持っていた瓶が地面に落ちて割れた。
「あ?」
「……?」
男がレムナの方に振り返る。いかにも冒険者という風体をしている。
割れた瓶の中身から強烈な酒精が漂ってくる。どうやら度数の高い酒のようだ。
すると、男がレムナの鞄を引っ掴んだ。
「おい。嬢ちゃん、謝りな」
「……悪かったわ」
「あぁん? なんだ、その態度は!?」
怒鳴る男の口から酒の匂いがする。
昼間から飲んだくれているようだ。
よく見れば、羽織る外套の下に覗く冒険用の装備は質素で、満足に整備もされていない。冒険者の仕事が上手くいっていないと思わせる。
赤ら顔でレムナを睨む男があご髭を掻く。
面倒な相手に掴まってしまった、とレムナは思っていた。
相手の反応が気に入らない男がさらに怒鳴る。
「てめえ、舐めた態度取るんじゃねえぞ! 謝れつってんだよ! 見下しやがってよぉ!」
レムナが何も言わずとも、男は誰かへの不満を不当にぶつけ始める。
二人の起こした騒ぎに、穏やかな昼の空気がざわめきに変わる。
遠巻きに野次馬が集まり始めた。
レムナとしては、自分がこれから向かう先を考えると目立ちたくはなかった。
「チッ、面倒ね……」
「ッ! 上等だ、受けてやるよお!」
「は? 違うわ、違うって」
野次馬相手の不満を思わず口に出してしまい、それを挑発と勘違いされたレムナが弁明しようとするが、冒険者の男は聞く耳を持たずにレムナを突き飛ばす。
たじろぐレムナに、男がよろけながら外套を翻して、儀式短剣を抜く。
「手っ取り早く、魔法の決闘でケリつけようぜ」
顔の前に儀式短剣の切っ先を向けられるレムナは怪訝な顔を見せる。
「は? あんた、学校行ってないの? 街中での決闘禁止の法律、基礎教育でしょ。第一いつの時代よ、決闘って」
酔った男はひひ、と笑う。
「俺はダンジョン攻略も経験してるベテランなんだよぉ。小娘ごときが舐めやがって。俺は魔導士だあ! 魔法じゃ負けねえよ!」
儀式短剣をレムナに向けて、勝ち誇るように語る冒険者の男。
男は法律を破ってどうなるかなど考えてもいない。目の前のレムナを倒す事しか興味がないのだ。
酒のせいで、まともな思考力が残っていないのかもしれない。
「ダメな大人。お酒は飲みたくないわ……」
頭を振って状況が悪くなるのを嘆くレムナ。
すると、野次馬の中から恰幅の良い中年の女性が飛び出して声を上げた。
「逃げな、レムナちゃん! あんた、魔法使えないじゃないか!」
「マーマさん……どうしてここに。いや、というか何で言っちゃうかな……」
声の主は鍛冶屋のオーナーをやっている女性マーマ。
夫婦で営む鍛冶屋を切り盛りし、レムナの作る小物を気に入って店に置いてくれる事もある。
鍛冶屋、防具屋、道具屋などの冒険者の利用客が多い店は少しでも価格を抑える為に連携が必要になる場面も多く、横の繋がりが強くなる。結果、経営者も家族ぐるみで顔見知りになるのだ。
彼女がどうして昼間の中央区に居るのかは不明だが、偶然騒ぎを聞きつけ、騒ぎの中心に偶然見知った顔のレムナを見付けたのだ。
マーマもレムナの体質の事を知っているからこそ、親切心でレムナの為に叫んでくれたのだろう。
それはレムナにもわかる。
だが、それが火に油を注ぐ行為だとレムナは知っていた。
思わず、大きなため息を吐いた。
「こういう輩って、それを知ると調子に乗るのよ……」
案の定、冒険者の男は呆けた顔を見せた後、肩を震わせて笑い出す。
「……ひひひひ! 魔法が使えない? なんだそりゃあ? じゃあ、お前無能じゃねえか!」
ピクリ、とレムナの眉が動く。
「……」
「世界には弱い魔法しか使えない奴も、使えない魔法しか使えない奴も居る。冒険じゃ邪魔になる、そういうのを無能って呼ぶんだと思ってたがよぉ。……ひひひ、魔法が使えないなんてゴミが、世の中には居るんだなあ!」
心底嬉しそうに冒険者の男が天を仰ぎ見る。
「魔法の神様ってのは実在したんだなあ! お前みたいなゴミを生んでくれて感謝したいぜえ。仲間から無能呼ばわりされてパーティーを追い出されたのなんか、お前の惨めに比べたら何て事ないぜ」
「……黙って聞いてれば言いたい放題ね。いいわ、決闘受けてあげる」
マーマがビックリした表情で叫ぶ。
「何言ってんだい、レムナちゃん! そんな奴の挑発に乗るんじゃないよ、騎士団が来るまで待つんだ! 魔法が使えないんだから!」
「黙ってて、マーマさん。……だから嫌いなのよ。魔法がどうとか、クソくらえ」
親切という言葉で美化しても、結局マーマの心配も『魔法が使えないレムナが下』だという認識を押し付けているだけに過ぎない。
だから、レムナは周囲の『異生物』全員が嫌いなのだ。
レムナと冒険者の男を中心にして、周囲に人だかりができていた。
口では「止めなよ」や「ヤバいだろ」などと言うが、誰も騎士団に通報する様子も止める様子もない。
彼らは魔法が使えない若い女と酔っ払いの冒険者の決闘が始まるのを、ただ見世物が始まったぐらいの気持ちで待っていた。
通常の決闘と同じように、魔法による決闘には作法がある。
そもそも、決闘は大昔においては騎士や貴族にだけ認められた特権だった。
彼らのような人種は行為の全てに
それが上流階級の『位を保つ』という困難だった。
ゆえに決闘にも
決闘を誘う合図に始まり、始まりと終わりまでの所作、決闘を行う際の距離、挨拶、相手への敬意の示し方に至るまで。
剣や槍などの武器を使う決闘の作法は細かく決まっており、相手との位の違いで内容が異なるほどだった。
比べて、魔法の決闘の作法は簡単なものである。
それは魔法にとっての最高が『より合理的に、より効率的に』を目指すからだろうと言われている。
対象者が両者とも決闘を了承した時点で決闘の作法が始まる。
互いに同じ数だけ後ろに下がり、距離を取る。
後退を止めたら、魔法の触媒があるなら用意する。なくても構わない。
名乗りの挨拶の後、開始の合図は無く、互いの好きなタイミングで攻撃を開始する。
以上が魔法における決闘の作法。
彼らもそれに倣う。
冒険者の男は魔導士という仕事をする自負から。
レムナは相手の舞台で負かしてやりたい気持ちから。
レムナが数歩後ろに下がる。
男もそれを見て、同じだけ数歩後ろに下がる。
後退を止めたレムナが鞄を肩から下ろした。鞄が武器なのだ。
同じく後退を止めた冒険者の男が儀式短剣をくるりと回し、喜悦の笑みを浮かべてレムナを見る。
「俺は『小石のモガジョ』。ゴミ、お前に生きる場所なんかねえんだよお。つまり、生きる意味がねえんだあ」
「レムナ・スティー。知ってるわ、ここが私の生きる場所じゃないって事ぐらいね」
モガジョが儀式短剣の切っ先をレムナに向ける。
彼の持つ短剣は刃が無い。しかし、刀身に刻まれている刻印は魔法の効果を増幅させる儀式の呪文で、わざわざ儀式をしなくても同様の効果が得られる仕組みになっている。
少量のマナで魔法を強化する新しい魔法具の一つだった。
その短剣自体はモガジョで買える程度の廉価品だが、魔法の触媒としてはそこそこ使える。それこそ、冒険をするには持って来いだ。
魔法の決闘は溜めの速さを競う、早撃ち勝負になる。
どちらが相手よりマナを溜められるかが勝負のカギである。
魔法の威力を高めるにはマナを溜める為の時間が必要となり、それを上手に行える方が結果として、より早くより強い魔法を放てる。
モガジョはその溜めを、儀式短剣で短縮しているのだ。
勝ちを確信したモガジョが吠える。
「石をその顔面にぶつけて、ぐちゃぐちゃにしてやるぅ!」
「ッ!!」
瞬間、モガジョが魔法を発動させるより速く――
――レムナの投げたスコップがモガジョの眼前に迫っていた。
魔法の早撃ち勝負なら溜めの時間は十分あったろうが、溜めの必要ない投擲が相手の場合は遅すぎた。
「何ぃぃ!? ぎゃあ!?」
スコップの柄がモガジョの目元に直撃する。
モガジョはそのまま倒れた。
すかさず、レムナが駆け寄って鞄をモガジョの顔面に叩きつける。
「ぐべ」
スコップを拾い上げたレムナが鼻が折れて気絶しているモガジョを見下ろす。
「――ざまあみろ、馬ぁ鹿」
モガジョの言葉に腹を立てていたレムナは、ついでに儀式短剣を持つ彼の指を踏みつけ折ってやった。
決闘が終わった。
周囲の野次馬は一瞬の決着に呆然としている。
マーマが駆け寄って来る。
「レムナちゃん! やるじゃないか、冒険者相手に勝っちまうなんて!」
バンバン、とレムナの肩を叩くマーマ。
鍛冶屋で働く彼女の張り手は一撃が重い。
「痛い、痛いって!」
「あんた、すっごく慣れてたね? 決闘の作法なんて学校じゃ教えないだろ」
鞄の中身を確認しながら、レムナはマーマの言葉に答える。
「学生時代に何度もふっかけられたから。こんな相手は簡単だよ。学生と変わらない。自分が絶対の優位に居ると思ってるから、魔法具に頼る」
「けど、魔法具は強力だよ。料理にしか使えない弱い火魔法を、大火炎に変えちまう」
「それだけの強化にはそれだけの時間が必要になる。魔法具の優れた点は儀式が簡略化されてる点とマナ消費が少ない点。直接魔法を発動させるより遅いのには変わりない。後は、その隙を狙って物を投げればいいだけ」
そう言うと、レムナはスコップをこれ見よがしに見せつけてから鞄に仕舞い込む。
マーマが何度も頷く。
「そうなんだねえ。見直したよ、魔法について詳しいんじゃないか」
「違う。父さんの影響」
「ああ、アッサムは錬金で魔法具も作るからね。レムナちゃんもよく勉強してるよ。店を継げるぐらいじゃないか」
ピタリ、とレムナの手が止まる。
「……そんな気はないから」
「そうなのかい? まあ、あんたは小物作りも上手い。きっと、あんたにピッタリの役割があるんだろうね」
マーマはすっかり上機嫌になってレムナを褒める。
しかし、当のレムナ本人はそれを疎ましく思っていた。
――ウザい。
――ここに居場所なんかないんだ。あの男が言ってたみたいに。
――魔法の無い世界にしか、希望はない。
整理の終わった鞄を肩に掛け直し、レムナは立ち上がる。
「じゃ、私は用事があるから」
「ん? そうかい、こいつは任せときな。あたしがふん縛って騎士団に引き渡すよ」
「そう。ありがと。それと、今日の事は父さんには言わないで。……心配するだろうから」
「わかったよ。秘密にしとく。……あ、そうだ! これを」
マーマは服のポケットから何かのチケットを取り出し、レムナに差し出した。
それは屋台で使える商品券。
「さっき貰ってね。丁度昼時だ、あんたも動いて腹が減っただろ。そいつで貰ってきな」
ニカッ、と笑みを見せるマーマ。
正直、マーマの好意は疎ましいと感じている。
だが、彼女の言う通り、腹が空いているのも事実だった。
レムナは湖に向かう北通りを歩きながら、貰った商品券で買った焼きバケトカゲを頬張る。
出来立てはホクホクで湯気が立っている。
肉と濃い味のタレの風味が口に広がり、香ばしい匂いが鼻に抜ける。
柔らかい肉の触感だけでなく、固い小骨とカリカリの皮で歯が楽しい。
バケトカゲは森に入ればすぐに遭遇する程度の弱小モンスターで、毒も無く数が多い。なので、初心冒険者の練習台にされる。
そのモンスターが食用として狩りの対象にもなっている。内臓は不味いが、しっかりと調理すれば旨いのだ。
冒険者の小銭稼ぎの仕事に『食用バケトカゲの狩り』があったりする。
「……」
中央広場での事を思い出す。
許せない言葉を吐かれたとは言え、騒ぎを起こしてしまったのは良くない。騎士団に捕まり、湖に行けなくなっては元も子もないのだ。
この世界では、自分は真っ当に生きられない。
先程のように、魔法が使えないという理由で不当な扱いを受ける。苦しくは無いが理不尽に腹が立つ。
魂の記憶が蘇り、転生者だと自覚した時から、この世界の住人を『異生物』のように感じてしまう。
自分はここに居るべきではない。その感覚は歳を重ねる度、理不尽に遭う度に強く感じる。
求めるのは、魂の記憶で見た異世界。
魔法の無い世界。機械と科学の世界。
そのためなら、今を犠牲にする事だって惜しくないと思っていた。
けれど、――
「……旨」
――食べ物はやっぱり美味しい。
そう思いながら、レムナは道を北上していった。
ふと、レムナの耳に遠くから荒っぽい声が届く。
「おら、来いよ!」
「ホントに魔法が使えないか試してやる!」
『魔法が使えない』。
それはレムナと同じ体質であり、転生者の証だ。
聞き逃せない言葉に、レムナが声の方を向く。
声は丁度、レムナの右手にある路地裏から聞こえてきた。
「……」
今日の目的は湖。
先程の決闘でかなり時間を無駄にしてしまっていた。これ以上の寄り道はよろしくない。
しかし、手掛かりの少ない転生者探しに関わるなら、それがどんな小さな事だろうとレムナにとって最優先事項であった。
残っていたバケトカゲを食べきり串を鞄に突っ込んで、レムナは真相を確かめるため路地裏に足を踏み入れる。
北通りの路地裏
高等部の制服を着た学生二人が気弱そうな中等部の男子学生を壁に突き飛ばす。
中等部の男子は肩から壁にぶつかり、小さな呻きを漏らす。
「ぅっ……」
学生鞄を抱えて、怯えた上目遣いで年上の二人を見つめる中等部の男子。
目元が隠れるぐらい長い前髪の一部が黄色で、髪の隙間から覗く眼はこの状況の出口を探して左右に動いている。
しかし、男子学生の一人が足で壁を踏み、中等部の男子を脅かす。
「ひっ」
短い悲鳴を上げる中等部の男子の反応に、男子学生たちはニヤニヤと声無く笑い、逃げられないようさらに追い詰める。
髪を遊ばせている方が顔を近付けて、間延びした声で言葉を発する。
「そんな怖がるなよぉ~、なんて事はないだろぉ?」
もう一人の真面目そうなタイプが頷く。
「ああ。オレらはお前に魔法を使って欲しいだけなんだよ。お前が魔法を使う所を見たら、それで解散だ」
「オレらはよぉ、お前に魔法を教えてあげたいんだ〜」
「そうそう。『体験』させてやろうって親切心で言ってるんだぜ」
そう言うと男子学生たちは鞄を近くに置いて、空いた手を開く。
彼らの手に体内のマナが集まり、赤い紋様が刺青のように浮かび上がる。
二人で浮かぶ紋様の細部に違いこそあるが、共通して淡い赤色で発光するライン。
マナを通すと赤く発光する、ゆえにマナの血管と呼ばれるのだ。
「俺らの『固有魔法』を、その身体で味わわせてやる」
固有魔法はマナの血管を励起し、描かれる紋様が意味する術式を無詠唱で展開する事を指す。
しかも、固有魔法は系統的な類似こそあれ、一人ひとり必ず詳細が異なる。紋様の象る形によって、使用可能な魔法が変わるからだ。
マナの血管が描く紋様の違い、それが固有魔法を生む。
「俺は火の系統。指のそれぞれから火球を出せる。同時に五発撃てる」
真面目そうな学生のマナの血管が描く紋様は火の形。
「風の系統。手のひらサイズの竜巻を発生させる。お前にぶつけりゃ皮膚をねじ切れる威力だ」
髪を遊ばせてる学生のマナの血管の紋様は風の形。
固有魔法を発動させた学生たちは、それを見て怯えている中等部の男子に選択を迫る。
「どっちがいい?」
「え?」
「選ぶんだよ、お前が。火か」
そう言うと、小さな火球を発生させた人差し指を中等部の男子の顔にわざと近付ける。
熱から逃げるように中等部の男子が顔を背ける。
「風か」
もう一人が小さな竜巻を壁に放つ。
壁の表面に竜巻が衝突し、風の塊が弾ける。
弾けた風で中等部の男子の頬が切れ、血が垂れる。
小さいとは言え、竜巻には変わりない。台風よりもエネルギーが高いと言われる竜巻が弾け、刃のような突風が発生すれば、それは人体を易々と切り裂くだろう。
自分にあの竜巻がぶつけられた場合の悲惨なイメージを想像して、中等部の男子は泣きそうな声で懇願する
「い、嫌だ。どっちもやめてよ……」
学生たちが顔を見合わせる。
「おいおいおい。わがままだな、折角の親切だったのに」
「ああ、選べば火傷か裂傷か、どっちかで済んだのになぁ」
言いながら、男子学生たちはニヤニヤと下卑た笑みを見せる。
一人が空いた片手で中等部男子の襟首を掴み、壁に押し当てる。
「うっ!?」
高等部の力で持ち上げられ、中等部男子の身体は軽く浮く。逃れようにも力では敵わず、足をジタバタさせるしかない。
男子学生たちは興奮気味に圧倒的弱者の中等部男子をあざ笑う。
「このまま魔法の実験台にしてやる。良いんだぜ、魔法を使ってもよ。使えるんならな!」
「ああ。その時は学校中にウソつきだってばらしてやるし、容赦なく魔法をぶちこんでやるけどな!」
自分たちが絶対の上位に居る優越感から、男子学生たちは目的を取り繕う事も忘れ、中等部男子を自分たちの魔法で痛めつけられる期待に笑う。
親切など嘘っぱち。初めから、自分たちの魔法を他人に試したいだけだった。
その生贄にされた中等部男子は恐怖に染まった顔で、加虐に笑う連中に乞い願う。
「やめ、て……手を離して……」
「やぁだよ」
学生たちが固有魔法をあわれな生贄に近付ける。
中等部男子は顔に迫る炎と竜巻を前に、必死に拘束する手から逃れようともがく。
危機的状況でも魔法を使わない。
あるいは、魔法が使えないのか。
魔法が使えないという少年。
それが真実味を帯びた。
すると、ダダダ、と駆け寄って来る足音がして。
足音の方を向いた竜巻の学生の顔面に、勢いよくスコップの背が叩き込まれた。
「ぶべっ!?」
バコンッ、と金属が鳴る音がして――レムナは力を込め、そのままスコップを振り抜いた。
竜巻の学生は折れた鼻から血を吹き出しながら、反対側の壁に吹き飛ばされた。
突然現れたレムナに面喰う火球の学生は状況が理解できていない。殴り飛ばされた友人の方を見て、何故見知らぬ女がそんな事をするのか混乱している。
捕まっている中等部男子も驚きの表情で唖然としていた。
一瞬遅れて危機を理解した火球の学生は人差し指をレムナに向けた。
火球が発射され、レムナに迫る。
「っと!」
振り抜いたスコップをもう一方の手に持ち替えてから、レムナは身体を使って勢いよく振り下ろした。
火球がスコップに打たれ、かき消えた。
「何っ?」
さらにレムナは容赦なく、男子学生の横腹を蹴った。
「ぐえっ」
火球の学生がくの字に曲がった体勢で倒れる。
その衝撃で少年を掴んでいた手が離れ、少年が地面に落ちた。
「うわっ!?」
少年は痛みで顔をしかめるも、すぐに状況を思い出して顔を上げる。
「……! ひぃっ!?」
血に汚れたスコップを肩に乗せたレムナが少年の事を見下ろしていた。
その眼は品定めするように少年を観察する。
相手が怖がっていると理解したレムナは極力、優しい声を意識して言葉を発する。
「安心して。私は味方よ」
「え……?」
きょとんとする少年に、レムナが手を差し出そうとした。
すると、小さな竜巻がレムナの足元に飛来する。
「うおっと!」
後ろに飛び退いて竜巻を回避すると、レムナが立っていた場所に竜巻が衝突して、また弾けて突風が舗装された地面を少し抉った。
最初にやられた学生が鼻を押さえて、涙目のままくぐもった声でレムナを威嚇する。
「クソ女、よくもぉ。竜巻で抉ってやる……!」
火球の学生も起き上がり、片手で横腹を押さえながら、もう一方の手に五つの火球を生成する。
「二対一だ。魔法で勝てると思うなよ!」
レムナはスコップを路面に突き立て、鼻を鳴らす。
「魔法なんか使えないわよ。この子と同じようにね」
「え?」
学生たちは顔を見合わせ、怪訝そうな顔をする。
少年も同じく、レムナの方を見上げた。
彼らはにわかにレムナの言葉が信じられない。
だが、学生たちは疑いながらも挑発の言葉を返す。
「……そいつと同じ役立たずなのかよ」
「無能同士、助けたくなっちゃったのか?」
レムナが深い溜息を吐く。
「一日に二度も同じような馬鹿に出くわすなんて、ホントにツイてる日だわ」
皮肉を漏らしたレムナと魔法の発射準備を終えた学生たちが向き合う。
怒る学生たちとレムナの板挟み状態になった少年が、頭を抱えてうずくまる。
「ど、どうしてこんな目にぃ~……」
レムナに憎しみの視線を向ける学生たちは、互いに顔を見合わせて、同じタイミングでそれぞれの固有魔法を発射した。
五つの火球と小さな竜巻が別々の方向からレムナに迫る。
「小賢しい糞餓鬼」
忌々しげに呟いたレムナは鞄を肩から下ろす。
そして、鞄を竜巻に向かって放り投げた。鞄は竜巻にぶつかり、表面の革がボロボロに引き裂かれた。
レムナ自身は五つの火球に向かって走り出す。
腰のランタンを手に持ち、蓋を開けて火球の一つに向けた。
ランタン内の魔晶石がギミックにより発火し、ランタンが発光する。
魔晶石は魔法を閉じ込める性質を持つ鉱石。一回の使用で封じ込まれている魔法がその都度消費される。ちなみに、大きさにより使用制限がある。
レムナのランタンに組み込まれている魔晶石なら合計五回。
そして、ランタンを灯した事で使用回数が一度消費され、魔晶石に閉じ込められていた魔法が消費された。
今、魔晶石は空になっている。
レムナに迫る火球の一つはランタン内の魔晶石にぶつかり、吸収された。
残り四つの火球はレムナ自身が接近した事で狙いが逸れて、レムナの背後に飛んでいった。
「ああ!?」
攻撃が失敗した火球の学生はスコップを振りかぶるレムナに悲鳴を上げ、頭を
「クソッ!?」
悪態を吐き出した竜巻の学生がもう一発をレムナに放とうとするが、レムナは振り返って牽制するように固有魔法の詳細を解き明かす。
「竜巻が何かに衝突すると弾けて、皮膚を裂くほどの突風を生む。それがあんたの固有魔法の特徴。発生する突風は副次的なものだから、あんたにも制御ができない。だから距離を取る。でしょ?」
「だから、なんだってんだよ! 魔法も使えないクソ女が!」
レムナは学生に憐れむ視線を送る。
「魔法だけに頼るから馬鹿なのよ。ホント、お前みたいな魔法馬鹿が一番嫌い。頭の中が空なんじゃないの?」
竜巻に切り裂かれた鞄、竜巻が弾けて生じた突風により鞄の裂傷から串が飛び出した。
突風に運ばれた串は学生に向かって飛来し、彼の腕に突き刺さった。
「ぎゃああああ!?」
竜巻の学生は痛みに集中を切らし、魔法の維持が出来なくなった。発生させていた竜巻がかき消えてしまう。
串の刺さった腕を押さえて、叫びながら転げまわる学生。
レムナはゆっくりとそちらに近付いて、冷たい目で見下す。
「……高等部のいじめってね、魔法に自信がある奴に多いの。魔法授業が実践形式に変わるタイミングだからか、自分の魔法がどれぐらいの威力なのかを、人を的にして確かめたくなるみたい」
突然、魔法といじめの関係について語り出したレムナは怯える学生を見つめながらスコップを振り上げる。
なおも言葉を続けるレムナ。
「ナイフを持って調子に乗るみたいな? 性質が悪いのは、普段は不良じゃなくて真面目な学生も、攻撃魔法が固有だと陥りやすい感情って所。思春期に武器を持たせるとロクな事にならないよね。……まあ、より性質の悪い他人を痛めつけたいタイプっぽいし。自業自得よ」
「や、止めて――」
吐き捨てたレムナは学生の懇願に耳を傾ける事なく、振り上げたスコップの背を学生の顔面に叩き込んだ。
鈍い音がして、学生は気絶した。
レムナは大きく深呼吸をして、ゆっくり息を吐き出した。
「ふうー…………やっちゃったー!!」
そして、大きな声で後悔の念を叫ぶ。
「スカッとしたけど、スカッとしたけどさ! これ、どう考えても傷害事件じゃん。言い訳のしようがないじゃん。やりすぎちゃった~……」
頭を抱えるレムナが愉快な動きで悶える。
傍で事の顛末を見ていた少年は先程までのレムナが見せた恐ろしい冷酷さと、今の様子の違いに困惑する。
そんな視線を知ってか知らずか、レムナはまるで少年に語り聞かせるように言葉を紡ぐ。
「昔からそうなのね。こういう手合いを相手にすると、イライラしてやり過ぎちゃうのよ。いや、そりゃ特に罪悪感はないわよ? 自分とは違う生き物だし。だからって、ここまでは無かったのよ。自制が効いたのよ。これは今日2回目なせいよ。あ~あ……こりゃお尋ね者ね私」
また溜息を吐き出したレムナ。
そこで踏ん切りがついたのか、立ち上がりボロボロの鞄を回収しに行く。
少年はレムナを怖がって後退るも、後ろはすぐに壁だった。
レムナは少年を安心させようと、疲れた笑みを見せる。
「流石に怖いわよね。嘘っぽく聞こえるかもだけど、君に危害を加えるつもりは無いの。本当に」
レムナはボロボロの鞄の中身を漁り、応急処置に必要な治療道具を取り出していく。
一通り揃えると、竜巻の学生の傍にしゃがみ込んで治療を始める。
「折角見つけたかもしれない同族なんだからね」
腕の治療を続けながら、小声でそう呟くレムナ。
レムナの言葉が聞こえた少年は学生たちを打ちのめす前の彼女の言葉を思い出す。
『魔法なんか使えないわよ。この子と同じようにね』
「あっ……」
レムナの『同族』という表現の真意を悟り、少年は焦る。
鞄を抱えて、ぶるぶると震える。
――ど、どうしよう……?
――ば、バレたら、僕も
あのいじめっ子たちのようになってしまう。
そう思うと、さらに恐ろしくなった。
一度身震いして、気付かれない内に逃げ出そうとした。
すると、よし、とレムナが治療を終えて立ち上がる。
振り返ったレムナと少年の眼が交差する。
彼女は鞄の所に戻って、使った道具を丁寧に整理する。勿論、スコップの血は拭き取ってから鞄に突っ込む。
準備が終わった後、立ち上がって鞄を持ち上げた。
しかし、傷だらけの鞄は所々穴が空き、ついには肩から吊り下げる帯が切れた。
「……結構気に入ってたんだけどなぁ」
また溜息を吐き、中身がこぼれないよう穴を手で塞ぐレムナが少年に近付く。
少年は固い笑みを浮かべて壁際に逃げた。
レムナはしゃがみ込み、少年に期待のまなざしを向ける。
「でさ、本当に魔法が使えないの?」
相手にしてみれば実に失礼な物言いだが、当の本人にその自覚はない。
そもそも、レムナは薄情だ。
少年がいじめられているのを見た彼女はすぐに止めに入らずに、少しの間観察していた。
少年が本当に魔法が使えないのか確かめる為、追い詰められる瞬間まで待っていたのだ。
いざ危害を加えられる直前になっても、少年は魔法で身を守ろうとしなかった。
だから、レムナは少年が本当に同族なのかもしれない、と期待していた。
しかし、当の本人である少年は青ざめた顔で歯を鳴らしている。
「ご、ごめんごめん。まず自己紹介するね。私はレムナ・スティー、マナの血管が無い身体で魔法が使えないの。そして、前世を記憶を持ってる。君が、同じかもしれないって、思ってるの」
レムナは誠実に想いを話して、少年の答えを待った。
それを感じた少年は申し訳なさそうに俯いて、一息に真実を吐き出す。
「ぐ、グエン・ヴァイオレット! 魔法が使えないのは嘘です毒だから誰も傷つけたくなくて魔法が使えないって嘘ついてましたごめんなさいごめんなさい殴らないで」
「……」
レムナはしばらく呆然としていたが、グエンと名乗る少年が期待外れであり、現在の自分がやらかしてしまった状況が最悪だと理解して、思わず天を仰ぎ見た。
二人の呻くような悲痛な声が路地裏の静けさに溶け込んだ。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よければ、好評価等よろしくお願いします。
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