魔法のある世界
第1話 『早馬が告げる』
『最前線』
メリジルの街はそう呼ばれていた。
北に巨大な湖を背負い、西にはモンスターが生息するダンジョンがいくつも残る大森林が広がっている。街の内部には、湖を水源とする水路が魔法による水流管理の下普及し、火魔法で維持される街灯が大通りの暗がりを失くし、土木工事に大量生産されたゴーレムが使われている。
領主の都市開発に賛同するメリジルは先端的な魔法技術が結集している。
街の中には、成長を管理しているが、自然の姿のままで環境が守られている自然公園も存在する。
人工物と自然物の調和がとれた街。
だが、それはメリジルが抱える強欲さから目を逸らさせる意図的な調和でもある。
都市開発の流れは周囲の自然を飲み込みながら街自体の拡大を続けていた。その過激さへ集まる世間の批判を回避するため、元々その土地にあった森や池を都市拡大の過程で飲み込んだのが、メリジル内の自然だった。
故に、その都市は先端的魔法技術という意味と自然を侵略する『最前線』という意味で、そのようにあだ名されていた。
しかし、メリジルも北の巨大湖を冒そうとはしなかった。
そこは街にとっても市民にとっても、聖域と呼べる場所。
言うなれば、自然物から昇華し、技術というもので穢してはならない神聖な物となっていた。
技術の拡大に伴う自然とのつばぜり合いがありながら、巨大湖という自然に聖なるを見ている。
周辺環境と矛盾を抱える街。
だが、そこに住む人々はそんな在り方を気にせず、自然の恵みと技術の恩恵をありがたく受け取っていた。
道路整備された街道はメリジルにやってくる人口を大幅に増大させた。
街に通じる街道全ては道路が完備され、モンスターの襲撃が起きないよう魔物除けの香が等間隔に設置されている。
爽やかな香りは人間には効果が無いが、モンスターには刺激の強い匂いに感じられる。それが風に乗って街道の周辺を安全地帯に変える。
結果、旅人など魔物と戦えない人の往来も増えた。
キャラバン隊は警護費用が浮くからと、商人らしい理由で積極的にメリジルに向かう街道を使用する。
特に朝早くはキャラバン隊の馬車が列を成して、メリジルに向かう。
その日は運悪く、前日の夜に降った雨のせいで馬が転んだ馬車があって、朝からずっとキャラバン隊の列が立ち往生していた。
最後尾のキャラバン隊の若い御者があくびを漏らす。
「ふあぁ~……あー、眠い。左の砂時計がもう三回もひっくり返ってますよ。いつになったら渋滞が解消されるんだか」
御者が横に置いた砂時計を見て、そうぼやく。
三つの砂時計が横に並んで上下から板で挟まれたアイテム。
タイムスケールという魔法アイテムで左から順に『時間、分、秒』をそれぞれ示す砂時計が並ぶ。秒の砂時計は60秒を刻んでおり、砂が落ち切ると自動的に回転してまた砂が落ちる。同時に、分の砂時計が回転して砂を落とし始める。
分、時間の砂時計も秒の砂時計と同じ機構を持つ。
砂時計の回転をカウントするカウンターが下の板に付いており、砂時計が回転した回数で正確な時間がわかる。
三つの砂時計が並ぶので横に幅を取るが、キャラバン隊や商人を中心に人気のアイテムである。
時間のカウンターが『3』を示し、分のカウンターが『10』を示していた。
御者の横に座るキャラバン隊の隊長があくびを堪えてから、御者の肩を殴る。
「……ッ。くそ、移っちまったろうがよ」
「痛っ。そういうの止めてくれません。古臭い」
「あのな、こんなの可愛いもんだ。俺が新人の頃なんか、親方に何度殴られたか」
「そういうのが古臭いんですよ。後、隊長のその愚痴、打ち上げの度に聞いてますよ。もう聞き飽きました」
「愚痴ぐらい聞いてくれよぉ~。若い連中じゃお前ぐらいしか聞いてくれないんだからさぁ~」
「隊長の酒癖が悪いからですよ。絡み酒は嫌がられますから、普段からウザいし。お酒、控えたらどうです?」
「……わかったよ。俺も若いのに嫌われたくないしな」
そう言いながら、隊長は後ろを振り返って、自分の荷物の中から酒瓶を取り出す。
酒瓶を大事そうに撫でまわし、「へへへ」と笑みをこぼす。
御者が馬車に頬杖を付きながら、冷ややかな眼で隊長を見た。
隊長は酒瓶を抱えて鼻を鳴らす。
「ふん、何だよ。いいだろ、明日から辞めるのさ。今日は最後の日だ」
「まだ昼前ですよ、仕事中だし。まったく、このおっさんは……」
嫌味も聞かず、酒瓶のコルクを抜いて直接口を付ける隊長。
喉を鳴らして瓶の中の果実酒を飲む。
「……ふぅ。偵察に出した若い連中がまだ戻らないんだ。結構前の隊から詰まってるんだろうな。動き出しても、間が詰まっちまってりゃ馬の動きは遅い。こりゃ昼を越えるぞ」
酒を飲んだ途端に真面目な意見を言う隊長。それに御者も同意する。
「そうっすねー……俺らも腹減りましたけど、こりゃ先に馬の世話しないとだな。ストレスで気が立ってら」
「そうだな、俺らまで転倒しちゃ目も当てられねえ」
二人が馬の世話をしようと馬車を降りた時、早馬が道路の石畳を蹴る音が後方から響いてきた。
二人は音の方を振り向き、遠くからやってくる馬影を眺める。
「何だ、ありゃ?」
「さあ……?」
二人が互いの顔を見合わせて首を
馬は必死の形相で走り、その背に乗る役人っぽい服の人物も疲労の色を顔に滲ませながら、前に現れた立ち往生するキャラバン隊の列を見て馬を止める。
脚を止めた馬は休みなく走り続けさせられていたのか、口の端に泡を吹きながら荒い呼吸を繰り返す。
役人風の男が馬上から先頭が見えない列を見て、苦い表情を浮かべる。
「クソッ、後もう少しだというのに……」
「どうかされたんですか、お役人さん」
酒瓶を背中に隠した隊長が役人に声を掛ける。
御者は役人の馬に怯える自分たちの馬をなだめていた。
「すまない、この渋滞はまだかかりそうか? メリジルに急いでいるのだが……」
「へえ。かれこれ3時間は経ってますんで。動き出しても、こうも詰まってちゃすぐには動けません」
「そうか……」
役人は悔しさに歯噛みする。
御者が好奇心から役人に問いかける。
「お役人さん、そんなに急いでどうしたんすか? 何かあったんすか?」
「コラ、止めないか!」
無礼をたしなめようと、隊長が御者の向う脛を蹴る。
足を抱えて痛がる御者の頭を掴んで謝罪させる隊長を他所に、役人は少し悩んでから口を開いた。
「……私はモーフォードからの伝令だ。すぐにでもメリジルの騎士団に遭わねばならん。街道に駐在している兵は居ないのか?」
モーフォードとは、メリジルから南に3つほど都市を越えた先にある小さな街である。山に囲まれ、木の切り出しなどが盛んにおこなわれている。
馬がどれだけ頑張ろうと、早馬でも一日は経ってしまう距離だ。
役人の焦った様子にただならぬものを感じ、道の先を思い出して隊長が首を捻る。
「う~ん……居ねえ、ですね。メリジルの街道は警備が無くても安全ってのが売りですから」
「そうか。しかし……」
役人は諦めがつかない顔で行列の先を見る。
「馬一頭ならば横の隙間を抜けれるか……?」
馬上の役人の独り言に、涙目の御者が答える。
「無理だと思いますよ。こんなに待たされてるから、どっかのキャラバン隊が荷物を広げてないとも限りません。先がどうなってるかもわからない。それにその馬はもう限界でしょう」
御者の指摘通り、役人が乗ってきた馬は先程から呼吸が落ち着いていない。
強い使命感がそうさせるのか、身体から湯気を出し精魂尽き果て首が下がってしまっているのに、背中の人間を落とすまいと踏ん張っていた。
焦りで馬の様子がわかっていなかった役人もようやく気付き、申し訳なさそうな表情で馬を撫でながらも、悔しそうな声を出す。
「しかし、私は行かねばならん。一刻を争うのに……!」
「……」
隊長が役人の乗る馬に触れる。
馬の身体は火が出そうなほど熱く、触る隊長の手がずぶ濡れになってしまうほど大量の汗をかいていた。
「……役人さん、この馬を売ってウチの馬を買ってくださいよ」
「何?」
訝しむ役人。御者も隊長の肩を掴んで問い質す。
「ちょ、隊長。何言ってんすか、そいつは軍用馬だ。馬車を引くようには調教されてない。しかもそんな状態じゃ、一日経っても馬車を引けるようにはなりませんぜ」
「うるせえ、黙ってろ!」
御者にほえた隊長は役人を見上げる。
「俺は何度もメリジルに品を届けてる。街道が出来る前からだ。危険だが街に通じる抜け道も知ってる。馬が走りゃ半日もかからない」
「本当か!?」
隊長は頷く。
「だがな、俺らも慈善活動やってる訳じゃない。大事な馬を譲るなら、金を貰わないと生きていけない。あんたが大事な使命があるのはわかるが、俺らもそこは譲れない。だから、馬を買ってくれ」
隊長は真面目な顔で役人を見つめる。
御者はこの表情が隊長が客から金をせしめようとする時のものだと知っていたので、がめつさに気付いた役人が激怒しないかと、二人の顔を何度もうかがう。
役人は一瞬の逡巡のあと、馬から降りた。
「私に手持ちはない。だが、メリジルに着いたら騎士団に金を借りてでも必ず馬代を払う。案内代もだ。それで構わないか?」
隊長がしたり顔で笑った。
「なら、金を貰うまで俺も付いてくぜ。道案内はサービスしてやる」
隊長が手を差し出し、役人の手を取った。商談成立の証だ。
隊長は御者を振り返る。
「そんじゃ、お前はこの馬の世話と荷物運びやっとけよ」
「はあ!? 一人で!?」
文句が言いたげな御者と肩を組み、役人に聞こえないよう隊長はヒソヒソと話す。
「あの様子見たろ? モーフォードからメリジルまで? 絶対におかしい。ただ事じゃねえんだ。こりゃ何かある。儲け話なら有難いし、ヤバい話なら情報を得るのは早い方がいい。どっちにしろ、金は手に入る。ふっかけられるだろうしな。な、一緒に付いて行った方がいいだろ?」
「いや、だからって……俺一人じゃ無理っすよ」
「いいからやるんだよッ」
渋る御者の頭を隊長が殴った。
御者は頭を押さえ、嫌々ながらも承服した。
役人が乗ってきた馬は御者が用意した水を飲ませながら休憩させ、キャラバン隊の馬車を
体重が重いせいで馬が多少嫌がっているが、それを抑え込んだ隊長が役人の方に振り返る。
「そんじゃ行きますぜ! 街道から外れた道だ、道が悪いけど舌噛むなよ!」
街道の柵を飛び越え、隊長と役人の馬が森の中に消えていった。
その背を見送る御者は疲れ切った馬にブラシをかけてやる。
「なーんか、騒がしい日だなぁ……」
御者はぼやきまじりに楽しい馬の世話を続ける。
その後、モーフォードからの伝令がキャラバン隊の隊長に案内されてメリジルに到着した頃、モーフォードの街は壊滅していた。
街は蹂躙され、人の暮らしていた痕跡は全て踏みにじられる。
跡に残った瓦礫には、大量の魔物の足跡が残された。
種族も大きさも違う、大量の魔物の群れ。
それが狂気じみた様子で街を襲撃したのだ。
モーフォードを滅ぼした災いはそのまま北上――メリジルを目指して、途中の街を破壊しながら一直線に進む。
だが、それはメリジルを襲う大きな災いの前兆に過ぎない。
モーフォードの伝令がメリジルに到達した一日後、超大型の魔物がメリジルの街を襲う。
同日 昼頃
メリジルの中央通りに面している店は、旅人や冒険者向けの店舗が軒を連ね、商品も冒険に役立つ物を多く取り扱っている。
中でも武器屋と防具屋は冒険者の利用客が多く、逆に一般客が少ない。
宿屋には外から来る人間全員が集まるので最も店舗数が多く、一番大きな宿屋以外にも大小含めて四つほどの店が看板を掲げていた。
対外的な店舗が並ぶエリアを抜けると、今度は街の市民向けの店が現れる。
そのエリアで、『スティーの雑貨屋』が店を構えている。
レムナ・スティーの父親であり、錬金職人でもあるアッサム・スティーが経営する店である。
冒険にも使える回復薬や便利な魔法道具、家事仕事の便利グッズまで売られている。メリジル市民だけでなく、この店でだけ取り扱っている錬金素材を目当てに外からの来客も多くある。
店の前に赤のチョークで『本日休業』と書かれている看板が立てられていた。
動きやすそうな丈夫な服を着た、茶色のショートカットの女性がその看板を見てから店のドアを開けた。
来店を告げる鐘が軽快な音を立てる。
女性は鐘の音に負けないくらい快活に挨拶をする。
「こんにちは! おじさん、居る?」
店内はオシャレな喫茶店風の内装で、普段なら商品が置いてあるだろう棚が空になっており、床にいくつもの木箱が積み重ねて置かれていた。
木箱にはポーションの瓶や錬金の素材が詰まっている。
すると、店の奥から「はいはい」と男の声と足音がした。
カウンターの向こうから店主――エプロン姿のアッサムが顔を覗かせた。
アッサムは女性の顔を見ると、喜びに顔をほころばせる。
「ベナじゃないか。久しぶりだね、いつ戻ったんだい?」
ベナは鼻を擦りながら答える。
「二日ぐらい前。もっと早く挨拶に来たかったけど、騎士団への報告書とかで忙しくて。入ってもいい?」
「ああ、ごめんよ。丁度、棚卸をやっててさ。木箱とか適当にどかしちゃっていいから、カウンターで座ってて」
木箱を避けながら店内に入り、ベナはアッサムの前にあるカウンター席に座る。
アッサムが客用の紙コップを用意し、カウンターに設置してある樽から、アッサム特製の調合ドリンクを入れた。
さらりとした緑色の液体がコップに注がれる。
アッサムはコップをベナに差し出した。
「どうぞ」
ベナは眉根を寄せて警戒の色を示した。
「ナニコレ……」
「回復効果のある薬草と除毒効果のある薬草を調合して、野菜ジュースでブレンドして飲みやすくした特製ドリンク。帰ってきたばかりならまだ疲れてるでしょ、通常の回復薬よりも美味しいよ」
「そりゃありがたいけど……」
ベナはコップに満ちるアッサム特製回復ドリンクを凝視する。
回復薬は薬草を煮出して作るのが基本で、飲む事で効果を発揮するが、薬用だからか調味がされずにとても味が悪い事で有名である。
それでも、冒険者や騎士団などは回復するために飲むので、顔を歪めながらも我慢して回復薬を飲む。
ベナも訓練で何度も飲んだ経験から、回復薬は軽いトラウマの対象だ。唾が自然と沢山出る。
しかし、親友の父親が好意で用意してくれた物。それを無下にする気はないので、ベナは意を決してコップを掴み、一気に飲み干す。
「……あれ? 不味くない?」
通常の回復薬はドロリとした舌触りで、野性味のある不味さと薬草独特のえぐみが口内に残り続ける。
しかし、アッサム特製ドリンクは舌触りもさっぱりとしていて、えぐみは完全に消えている。苦味があるものの野菜ジュースの調和のとれた味で元の不味さも誤魔化されている。
ベナは身体が少し温かくなるのを感じ、目も冴えてくるような気がした。
アッサムが微笑む。
「ふふ。回復薬は不味いから商品としても不人気でね。冒険者や騎士団に売れても、普段から売れてくれなきゃ在庫処分行だ。だから、市民向けの味の良い回復薬を調合してみたんだよね。今は試作品だから、支給品として店で出してるんだ」
「いいよコレ。全然飲める。何で、身体が温いんだろ?」
「隠し味にショウガと眠気を覚ますハーブを入れてみたんだ。二つとも、料理で味を調えるのに使われるから、丁度いい感じになる」
「へえ。これが訓練の時に在ればなぁ……」
ベナは自分でおかわりを入れて、もう一度口をつける。
「こういうのはグレイが得意でね。彼女のレシピを元にしてる」
アッサムはそこまで言うと、一瞬暗い顔を覗かせた。
グレイとはアッサムの妻の名前。レムナが産まれてすぐに二人は離縁し、グレイはメリジルを去った。
すぐに笑みを取り戻したアッサムが話題を変える。
「それで今日はどうしたんだい? 騎士団の新人訓練を終えたばかりなんだったら、当分は休みだろ?」
ベナは高等部を卒業後、すぐに父親も所属するメリジルの騎士団に入団した。
メリジル騎士団の新人訓練は実戦形式で、新人だけで組んだパーティーで西の森にあるダンジョンに一か月以上潜る。騎士団が管理するダンジョンだが、モンスターも生息する危険な場所には変わりない。
モンスターとの戦闘とダンジョン攻略を経験させ、新人を一気に冒険者レベルにまで叩き上げるのが目的の訓練。
ベナは訓練をやり終えて、故郷のメリジルに帰ってきたばかりだった。
まだ半分残っているコップをテーブルに置き、ベナは目的を告げる。
「レムナに会いに来たの。居る?」
アッサムは渋い表情を見せる。
「いいや、家には滅多に帰ってこないよ。仕事もまた辞めたみたいだし、この間まで街にも居なかったみたいだ。……どうなってるのか」
疲れた様子で溜息を吐くアッサム。彼の表情からは、自分の娘が何を考えているのかわからないという苦悩が見てとれた。
ベナも困り果てている父親に同情する。
「相変わらずか。私も、もっとあの娘の力になってあげたいんだけど……魔法の使える私じゃ聞き耳持ってくれないから」
「……ベナが気に病む必要はないよ」
アッサムは振り返って、カウンター周りの整理を始めた。
しばらく沈黙が続く。
すると、アッサムが言葉を漏らす。
「……あの子が抱えてるものを話してくれるよう、親の僕が少しでもまともだったら。男親だから魔法が使えるから、あの子の事が理解できないと思い続けた。レムナが何を考えてるのか、僕にはわからない。どういう人生を送りたいのか」
「そんな事ないよ、おじさん。……私も正直、レムナの事がよくわからない。丁度、小等部のあの時から」
ベナが昔――レムナの人が変わった瞬間の事を思い出しながら、そう言葉を紡いだ。
友達だと思い続けているが、ベナもレムナの真意が理解できないと思っていた。
だから、アッサムの苦悩が理解できる。
騎士団に入ってからは会う機会も極端に減り、ベナはこのままレムナとの関係が幻のように消えてしまうんじゃないかと不安だった。だから、今日スティーの雑貨屋にやって来たのだ。
少しでも、レムナとの関係が継続できるように。
調子を取り戻したアッサムが振り返り、明るい声で話す。
「弱音を君に聞かせるなんて、大人の先輩として情けない。こうは言ったがね、僕はレムナには使命があると信じてる」
「スティー家の家訓ね、『生まれたからには使命がある』」
「正確にはグレイだね。僕はそれを気に入ってるだけ」
「私も好き。私が騎士団に入る前は、その言葉に勇気を貰ったし」
そう言うと、ベナは残っていた特製ドリンクを飲み干す。
ある事から失意の渦中にいたベナに、アッサムは何度も励ましの言葉をかけた。
その時、スティー家の家訓に救われたベナは、魔法騎士ではなく一般騎士になる道を選んだ。
それからというもの、アッサムの事をもう一人の父と思い慕っていた。
ベナが伸びをして、首を回す。
特製ドリンクのお陰か、身体に溜まっていた疲れが軽減されたような気がする。
「居ないなら仕方ない。私も作業手伝うよ」
「良いのかい? 帰って来たばかりだろう」
「良いの良いの。レムナが帰ってきたら都合がいいし、騎士団の仕事も非番だしね。家に帰っても母さんが構ってきてウザいから」
「はは、ならお言葉に甘えるよ。よろしく」
アッサムがエプロンを手渡し、回復薬のポーションが詰まった重めの木箱を運ぶようベナに頼む。
冗談っぽく嫌そうな顔を見せながら、ベナは軽々と木箱を運び始める。
ベナが力仕事を中心に手伝う事で作業が順調に進み、日が傾き出した頃には店内の木箱はかなり減り、棚に真新しい商品が陳列されていた。
店の窓から差し込む黄色い日差しを棚に並ぶポーションの瓶が反射する。
すると、外の方が騒がしくなった。
古い商品が詰まった木箱を裏に運ぼうとしていたベナが、外の喧噪に気を向ける。
「?」
木箱をゆっくりと床に降ろし、店の窓から外の様子を伺う。
中央通りでは、ベナと同じように騒ぎに気付いた市民たちが南門の方を見て、急いで道を開けている。
丁度、道の中央が一本道のように
「何?」
ただならぬ様子を感じ、ベナは更に注意深く外を眺める。
――ダダッ、ダダッ
二頭の馬が道路を駆ける軽快な音が近付いてくるように聞こえ、次の瞬間には店の前を人を乗せた馬が通り過ぎる。
一瞬の出来事ではあったが、ベナの眼は、後ろの馬に乗る人物が焦った様子をしている事、服装が役人っぽい物である事を見抜いた。
二頭の馬は
――あっちは……騎士団の本営?
――まさか、どこかの街の早馬……
――あの様子、普通じゃない。
何か尋常でない事態を予感し、ベナはエプロンを脱ぐ。
アッサムが声を掛ける。
「どうした、ベナ?」
「ごめん、何かあったみたい。私――」
「ああ、すぐに行きなさい。ここは良いから」
ベナは頷く。
「ありがと!」
駆け出したベナは店のドアを閉めるのも忘れて、馬を追って騎士団本営を目指した。
胸騒ぎを感じながらも、その正体がわからない事に不安が高まった。
彼女が見かけたのは、モーフォードからの伝令と案内のキャラバン隊隊長を乗せた馬たち。抜け道を抜け、丁度メリジルに到着したばかりだった。
既にキャラバン隊の渋滞も解消されて動き出していたが、彼らの予測通り、全てのキャラバン隊が街に入るにはかなりの時間がかかっていた。
結果として、役人の判断は正しかった。
しかし、役人たちの馬よりも速く、モーフォードを襲った災いの群れは進行している。
既にモーフォードから次の街に移動し終え、もう次の街へ移動を開始していた。
まるで目的地を持った台風のように、魔物の群れは通過する街に深刻なダメージを刻みつけながら一直線にメリジルを目指す。
そして、――
――その群れを追いかけるように、更に『巨大な災い』が瓦礫同然のモーフォードの街を踏み潰した。
_______
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