プロローグⅡ 『目覚め』
魂に不足がある感覚、不完全な気持ち悪さ。それは虫食いのある本に似ている。
自分自身を本に例えると、それは事細かに生まれてからの全てが記載されている備忘録。それが虫食いのせいで文節や意味が通じない箇所が所々にある。
虫食いがあろうと、全体を通して見れば、それがどんな内容の本かわかるように。
一場面を思い出して、物語の全体像を連想するように。
脳が記憶の抜けを補完するのに似て、魂の欠けがあろうと、人としての性格や精神の構築に不足はない。
だが、それは結局、虫食いがあるという事実に目を瞑るに過ぎない。
脳が作り上げる幻覚では、決して魂の穴は埋められない。
虫食いは癒えぬ傷として残り、確実に一部分の意味を喪失させ、全体の完成度を損なわせる。いつかは穴が広がって、全体がボロボロに崩壊するかもしれない。
むしろ、欠けを埋める欲求だけが募り、水を求める飢餓者のように欲求が満たされるまで歩き続けるしかない。
――結局、全部が気のせいで、ただ目の前に広がる、今生きている世界が気に入らないだけかもしれない。
魔法学校小等部 三年生のクラス
授業終了のチャイムが鳴り、日直の「起立」の掛け声と共にクラス全体が席を立つ。
一人だけ、他の生徒と比べてると、頭一つ高い位置に顔がある。
身長が伸び始めたレムナ・スティーは、クラスの中で一人だけ大きいのがコンプレックスだった。
十五分程度の休み時間に入る。
次が移動教室の授業なので、クラスメイトたちが移動を開始する。
レムナもその後に続いた。
彼女の身長は上級生である六年生と同じぐらいだった。三年生までは下級生という扱いで、学校の二階部分が丸々下級生の教室だったので、レムナは特に目立った。
廊下で他人とすれ違う度に、同級生だけでなく上級生までもがレムナを振り返った。
その視線から逃れるため、少しでも低く見えるよう身体を縮める癖が付いた。
振り返られる度に身体を縮こまらせたせいで、レムナは猫背気味になっていた。
レムナの前を歩く二人のクラスメイトが喋りながら歩いている。
「次の授業って何だっけ?」
「待ちに待った魔法学の適性テストじゃない! 自分の魔法適性がわかるのよ!」
「ええー……私、マナが低いから嫌だなぁ」
魔法の原動力は魔素と呼ばれ、自然の中に存在する魔素をエーテルと呼ぶ。
呼吸で取り込む酸素から人体はエーテルを取り込む。人体に蓄えられているエーテルは身体に馴染むように変化し、変化した魔素をマナと呼ぶ。
魔法はこのマナを使って行使され、マナの保有上限は一人ひとりが違っている。
義務教育課程の学校では、マナの保有上限をテストする項目があった。基本的には、入学時の身体測定と同じタイミングで行われる。
魔法適性というのは、魔法の属性系統を判別するためのテストだ。授業としては、判別用の特別な方法があり、生徒たちはそれを楽しみにしていた。
お喋りしている二人の片方がクスクスと笑う。
「何言ってるの。ウチのクラスには、マナが無い子も居るじゃない」
そう言うと、喋っていた二人がチラリと後ろを振り向き――縮こまって歩くレムナを好奇の眼で見る。
マナを保有するのは人体に当然備わっている器官、マナの血管の働きによる。具体的には血管と同様の、身体中を巡る管がある。それをマナの血管と呼ぶ。
魔法の使用にはマナが必要となり、マナの血管を通して身体中のマナを一部に集める事で、魔法の威力や規模などの調整が出来る。
だが、レムナにはマナの血管が無かった。
つまり、レムナに《魔法の才は一切ない》。
当然あるべき物がない。
その事実が判明したのは、入学時の適性テストのタイミング。
当時は周囲の大人たちが大きく騒いでいたが、子供には何の事で慌てているのか理解できなかった。
だが、授業などである程度の知識を身に着けると、レムナのその体質は子供の注目の的になった。
奇妙な者、と言う意味で。
レムナが前を歩く二人の視線に気付くと、二人はすぐに顔を逸らして、ひそひそと声を潜めて話を続けた。
「……」
少し歩く速度を落とす。
レムナは自分の身長も、体質も嫌いだった。
周りと違うから。
好奇の視線に慣れるからと言って、苦しくない訳じゃない。むしろ、その視線に対して敏感になっていく。
許されるなら、身長差を活かして目の前の二人の背中を踏みつけてやりたい気分になる。きっと、潰れたカエルみたいに舌を飛び出させるだろう。
――目の前の二人だけじゃ足りない。
――この学校全部、踏み潰せればいいのに。
そんな想像をすると、少しは溜飲が下がる。
それで良しとして、レムナは今日も身体を縮こまらせて、視線を下げる。
周りに人が大勢いるのに、レムナはひどく浮いていた。
それは、彼女だけがずっと下を見ていたからかもしれない。
とんとんと、レムナの背中を軽く叩く人物が居た。
「レムナちゃん、やっと見つけた」
「あ、ベナちゃん」
レムナと同じぐらいの身長のショートカットの少女――ベナ・ウーランドがにこやかな顔をしていた。
彼女は同級生で、レムナの友達だ。
二人で並ぶと特に目立って、周囲の注目を集める事になるが、レムナが気にされる事はない。
何故なら、ベナは父親が街に駐在する騎士団の団長で、彼女自身も学校で有名人だったから。
ベナと二人で居る時は、レムナも居心地がいい。
二人は廊下の隅に移動する。
「何か良い事あったの?」
「あ、わかる? 実は……」
ベナはズボンのポケットをまさぐる。
レムナが首を傾げて見守っていると、ベナが何かを取り出した。
ベナがゆっくりと手を開くと、そこには飴やらチョコやらのお菓子が握られていた。
「巻き上げてやったわ。身の程知らず共からね」
「また男子と喧嘩したの? 相変わらず無傷だけど」
レムナはベナの服がどこか汚れてないかと、少し眺める。
ベナは舌を鳴らしながら指を振る。
「チッチッチ。前に負かした上級生たちだったから、喧嘩じゃ勝てないって事で魔法で挑んで来たの。本当に馬鹿よね。ダリオ・ウーランドの娘が魔法で負ける訳にはいかないってのに」
ベナは鼻高々な様子で笑い、お菓子の群れをもう片方の手でガサッと掴む。
掴んだそれらをレムナに差し出す。
「んっ」
「またぁ? いい加減にしてよぉ。あ、これ嫌いだから返すね」
文句を言いながらもレムナは差し出されたお菓子を受け取り、その中から要る物と要らない物を仕分けする。
ベナがこうしてお菓子を渡してくるのは、彼女がお菓子の処分に困っている時だ。いつもレムナが半分食べさせられる。
「良い想い出来るんだからいいでしょ。これ、レムナちゃん好きだったよね」
お菓子を交換し終えて、二人はまた歩き出す。
「ベナちゃん、次の授業は?」
「そっちのクラスと合同だよ。だから、こっちで合ってる」
「そっか。この前も凄かったし、ベナちゃんは魔法の実習授業も楽勝だね……」
レムナは少し俯き、そう呟く。
ベナを羨み、ひがんでいると自覚があって彼女の方を見れなかった。
「そうでもないよ。ウーランドの娘だから期待されちゃうし、練習しなきゃいけない事ばっか。けど、仕方ないよね。魔法って、そういうもんなんだからさ」
ベナはレムナと違い、自分の身長を気にするどころか周りより高い事を喜んでいるし、親譲りの魔法の才とそれに負けないぐらいの自負を持っていた。
特に、魔法の実習授業を経験してからは。
一般的に、魔法の才は血筋や遺伝の要素が強く出ると言われている。なぜなら、魔法の才とはマナの血管の総数で決まるからである。
マナの血管の総数が多ければ、自然と魔法の出力限界が上がる。つまり、魔法の才とは個人におけるマナの総量に比例する。
そして、マナの血管が多い両親からはマナの血管が多い子が産まれるケースが多い。なので、魔法騎士や魔法関係者は同職で結婚する事が多い。
ベナもそういう血筋なので、周囲からそういう異物だと見られていた。
彼女に突っかかって来る上級生や男子が多いのも、異物扱いの延長であった。
レムナとベナが仲良くなったのは、互いに異物扱いを受けていたからかもしれない。
だが、レムナの意見はベナと違った。
「……そうなのかな。魔法の才も生まれも、全部下らないよ。何だか後付けばかりで、ちっとも自分のものって気がしない」
「相変わらずだね。じゃあ、レムナちゃんの自分のものは見つかった?」
「全然。何か、欠けた所にピッタリ当てはまるものがある気がするのに……」
「ならやっぱり、私は魔法の才を大事にするかな。レムナちゃんも騎士に目指さない? 魔法が使えなくても、一緒にやれる仕事あるよ」
「運動嫌いだしいいや」
「好き嫌いはハッキリしてるよね~」
話している内に、二人は階段を降りた。
一階に到達した時、先に進んでいたクラスメイトたちが階段横の掲示板の前で湧いているのを見付けた。
掲示板の準備をし終えた教師が、生徒たちに立ち止まらないよう注意していた。
「何だろ?」
「さあ?」
騒ぎがあれば、理由が知りたくなるもの。特に子供であれば、尚更である。
遅れてやって来た二人はクラスメイトの人垣の背後に立つしかない。
同級生たちのつむじの向こうに、掲示板が見えた。
「『将来の夢』だって。上級生のみたい」
「ふ~ん……」
ベナは興味を示しているが、レムナは大して関心がない。
そのまま自分だけでも移動しようかと思ったが、注意を促す教師の言葉に足を止めた。
「ほら、皆立ち止まらない。通行の邪魔になってるぞ。見るのはいいが、いつかは自分も同じ課題をやるんだから、しっかり今の内から考えておけよ」
生徒の誰かが声を上げた。
「将来とかわかんないよねー」
「なら、自分の好きな事ややりたい事、自分の出来る事を意識するといい。社会の役に立つっていうのも立派な夢だ。あ、チャイム。ほら、次の授業が始まるぞ!」
授業の開始時間が近い事を知らせるチャイムが鳴って、蜘蛛の子を散らしたみたいに生徒たちが動き始めた。
しかし、レムナはじっと掲示板を見つめて動かなかった。
その顔は青ざめており、汗で濡れていた。
ベナがレムナの様子に気付き、声を掛ける。
「レムナちゃん?」
「……」
レムナは教師の言葉を聞いた時、教師が言うようなやりたい事や役に立つ事は思い浮かばなかった。
だが、望みがあるとすれば、自分を異物扱いしてくる周囲の環境が破壊されればいいと思ったのだ。
――こんな世界は無くなってしまえ。
その瞬間、レムナは思い出した。
魂の奥底に眠っていた記憶が蘇り――レムナの魂の欠陥が明らかにされる。
車、信号機、道路、マンション。テレビ、パソコン、携帯。どれも魔法が当たり前のこの世界には存在しない物。そういう物の記憶が次々とレムナの脳に刻まれていく。
情報の密度にレムナは立ち眩む。
「ッ……」
「レムナちゃん!?」
突然ふらついたレムナをベナが受け止めた。
何度も呼びかけるがレムナから返事はない。
意識が朦朧としているレムナは小声で何度も同じ言葉をただ繰り返す。
「怪獣……怪獣……」
「カイジュウ? 何それ?」
ベナの耳には聞き馴染みが無く、その単語がどんな意味を持つのかわからない。
だが、魂の欠陥を自覚したレムナにはわかる。
映像も言葉も、自分の魂の欠けた部分から生じる記憶だと。
苦しそうに呻きを上げるレムナ。彼女を支えるベナはただならぬ状態だと思い、保健室に連れていくため教師を呼ぼうとする。
「レムナちゃん。先生――」
ベナの腕をレムナが掴む。ベナがわずかに痛みで顔を歪めるほど力強く。
心配そうな様子でレムナを覗き込むベナ。
「……大丈夫、だから」
そういうと、雑念を払うようにレムナは頭を振る。
混乱する頭も少し冴えを取り戻し、ベナを押しのけて一人で立ち上がる。
「レムナちゃん?」
俯いたままのレムナは、ベナに返事を返さない。
だが、見上げたベナの眼に垣間見えたレムナの顔は、彼女の知るものとは別物のようだった。
「何か……雰囲気変わった……?」
「……やる事を思い出しただけ」
「ねえ、とりあえず保健室で休も? 何か怖いよ」
レムナがベナの方を振り返る。
どこか哀しそうな目を向けて、すぐに顔を逸らす。
「ううん、ごめん。私に魔法は要らない。次の授業サボるね」
そう言うと、ベナが止める間もなく、レムナは足早に学校から抜け出した。
それからというもの、レムナは魔法関係の授業には一切出席しなくなった。学校側も最初は注意勧告をしていたが、彼女の体質を考慮して強制しなかった。
異物。
まさに、この世界において自分はそれだ。
どうしてあのタイミングだったかは不明だが、この世界が自分の居場所じゃないと意識した時、自分の魂の一部が目覚めた。
自分は『転生者』だ。
別の世界で死んだ人間がこちらの世界に魂が転生したのが、レムナ・スティーという人間の正体。
そう解ってから、レムナは生き方を変えた。
魔法は自分のものではないから遠ざけた。
家族や友人と理解し合えない事が増えたが、それも仕方ない事だと割り切った。
他人が自分を異物扱いして、挑発してきたならそれを買ってやった。背中から踏みつけてやるのだ。カエルのように舌を飛び出させてやった。
所詮、相手は別の生き物。大した罪悪感はない。
魔法が使えない体質、マナの血管が無い奇形。
これらにも原因があった。
後にレムナが知った事だが、マナの血管の遺伝は血筋だけでなく、魂の形質にも強い影響を受ける。マナの血管をより多く、より強くするには同質の魂が混ざり合う方が良い影響を及ぼすらしい。
レムナが興味を惹かれたのは、マナの遺伝において魂は乗算で考えられている点だ。
血筋的には弱い家系でも、魂の相性が良かったために生れた子のマナの血管が親の倍程度あったケースも記録に残っていた。
レムナは考えた。
転生者の魂は、魂の式における『ゼロ』なのではないかと。
すなわち、転生者の魂を持つ者はマナの血管を失い、魔法の才を失くす。
それならば、自分の体質や奇形にも納得がいった。
レムナは記憶を取り戻した事で、目標も手に入れた。
現状、取り戻した記憶は完全ではない。
だから、少しでも前世の記憶を取り戻したくて、別の世界にまつわる物や自分と同じ転生者を探す事にした。
少なくとも、転生者に関しては手掛かりがある。
自分と同じように魔法の才が無い人間。その中で、マナの血管を持たない人間は転生者である可能性が高い。
同胞を探す。それが目標の一つ。
もう一つ、それは――
――怪獣を殺す。
―――
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
好評価等、よろしくお願いします。
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