第2話『カメラと人間偶像』

 人々が神様を信じなくなりつつある現代だけど、だからと言って人は何物にもすがらなくなったわけじゃあない。自分だけを信じて強く生きていける人間なんて中々に少ないし、今でもメジャーな神様に縋ってる人は少なからずいる。……まあ、問題なのは私たちみたいなマイナー神にまで信仰の恩恵が行かない事と、そのメジャーな神様たちが私たちの姿を面白がってさえいることなのだけれど――


「……偶像アイドルのお株、すっかり人間たちに奪われちゃってるのよねー……」


 マウスカーソルを配信準備画面の方から引き戻して、私は一人ため息を吐く。最初にこの機械と向かい合った時はそれはもう戸惑ったものだけど、今ではデュアルスクリーンを使って同時に別々のタスクを進めるのだってお手の物だ。……まあ、それを喜んでいいのかどうかはまた別問題だけど……。


「人間が偶像になって人間がそれを崇拝するって、もはや自給自足じゃない。神様の立つ瀬無くなってるじゃない……」


 急上昇ランキングに並ぶアイドルたちの名前をスクロールしつつ、私はそばに置いておいた紅茶をぐいっと飲み干す。あの時筆子に入れてもらって以来、この紅茶はすっかりお気に入りになっていた。喉を心地よく流れていく感覚に、少しばかり私の憂鬱も晴れていくような気がする。


 人間が人間をより深く崇拝できるようになったのは、きっと人間が増えすぎたからなんだろう。たとえ同じ人間であっても、手の届かない距離まで離れてしまえばそれはもう偶像と変わらない。まあ、昔はそもそも手の届かない距離にいる人間を認識する手段なんてなかったからそれでよかったんだけど――


「……なんもかんも、カメラのせいね」


 カメラという存在に私の思考が到着した瞬間、流れていったはずの憂鬱が私の中に戻って来る。人間世界ではすっかり定着した機械は、神様達にかなり憎まれているものでもあった。


 カメラが生まれたことによって遠く離れた人間の姿を切り取り、そして届けることが可能になってしまったのがその一番の理由と言ってもいい。手が届かないほどに離れた人間の一部分だけを切り取れてしまうからこそ、アイドルはより信仰対象としての適性を増してしまった。


『アイドルはトイレに行かない』なんて通説が誕生しているのがその最たる例だ。切り取られていない偶像の外側に関しては想像するしかなく、結果として『こうであってほしい』なんて理想が知らず知らずのうちに偶像へと付加されていく。……ここまで語って来て思ったけど、ほとんど神に対する人間の期待の仕方と同じなのよね……。


 学問の神様に恋愛を祈っても効果がないのと一緒、的外れな期待をしても偶像は応えてなんてくれないのだ。偶像には偶像毎の役割があって、それ以外のことはできない。……なんて言っても、人間はずっと信じてくれなかったんだけど。


 ちなみにお上の会議の中で『神罰によってカメラという存在自体をこの世から抹消しましょう』なんて提案も出ていたらしいが、その案が出された時にはもうカメラの付喪神が生まれてしまっていたらしい。さすがに同族を殺すのもためらわれるってわけで、カメラは神たちから憎まれながら今日も新しい偶像を生み出し続けてるってわけだ。


「なんていうか、めんどくさい話よね……ねえ筆子?」


 配信準備画面の方にマウスカーソルを戻しながら、私は背後を振り返ってそう呼びかける。その視線の先には、何ともいえない表情で私を見つめている筆子がいた。


 ただでさえ線の細い体をぴったりと壁にくっつけているものだから、まるで壁と同化しようとでもしているかのようだ。私がそれに向かってちょいちょいと手招きをすると、筆子はため息をつきながらこちらに歩み寄って来た。


「最初から聞いてるでしょうに、なんで何も言ってくれないのよ。配信中じゃあるまいし、もっと私に絡んできていいんだからね?」


「貴女の話に巻き込まれることほどめんどくさい事は私にとって中々ないのですが――まあ、カメラが多方面から恨みを買っているのは事実でしょうね」


 肩を竦めながらではあるが、筆子も私の言葉に同意する。淡々と頷くその姿は、どこか感情を押し殺しているかのようにも思えた。


 ……というか、一番カメラにキレていいのは筆子のはずなのだ。……彼女への信仰が薄れたのは、カメラたちの台頭によるものなんだから。


「カメラの技術が上がれば上がるほど、人は写生を必要としなくなる。絵筆の付喪神たる私への信仰が薄れ始めたのは、カメラのせいと言ってもいいですからね。……まあ、最近写実界隈の神がもっぱら目の敵にしているのは液タブと呼ばれるモノたちですが」


「……そう考えると、筆子って思った以上に天敵が多いのね……」


 というか、写実界隈とかあったのか。絵筆とか絵の具とか、そこら辺が寄り集まってるのかしらね……?


「でも大丈夫よ、あたしの活動が上手く行けば筆子の知名度だって上がるんだし。何てったって、あんたはあたしの『ママ』って奴なんだからね」


 胸をドンと叩いて、私は筆子に対して堂々と宣言して見せる。生まれ的には後輩である筆子を『ママ』と呼ぶのは少しばかり違和感があったけど、それもすっかり慣れたものだ。


 私がVtuberとして活動を開始するにあたって、まず最初に突き当たったモデルのデザインをしてくれたのがほかならぬ筆子だ。つまり、私が知名度を上げればそのママである筆子の知名度も上がる。そうすれば、私だけじゃなくて筆子にも新しい信仰が向けられるかもしれないって寸法だ。


「最近のV業界では『ママ』と呼ばれる人たちが自分でモデルを書いて配信したりもするらしいし、筆子もその流れに乗ればいいんじゃない? 大丈夫、そのために私がしっかり道を切り開いてあげるから!」


 あまりにも完璧なその流れに、私は思わずふんぞり返る。自分の知名度を上げながら後輩のサポートもできるとか、なんていい作戦なのだろう。そのきっかけを作ったお上のことも、少しは見直さなければならなそうだ――


「――って、何よその微妙そうな顔。私の作戦に何か欠陥でもあるわけ?」


 際限なく上がっていく私の自己肯定感とは裏腹に、私を見つめる筆子の視線はとても冷ややかなものだ。思わず私が問いを投げかけると、筆子は軽くため息をついて――


「……その作戦自体は悪くないですし、夢がある物だと思いますよ。……ただ、人気を出すために先輩が今日選んだ配信のテーマが『お絵描き』ってのは、私に対して少しばかりリスペクトが足りないんじゃないっすか?」


「……うぐ」


 私の背後にあるスクリーンには、作りかけのサムネイルがでかでかと躍っている。その真ん中には、『画伯の力を見せてやろう』という言葉がわざわざ強調までされたうえで配置されていて――


「ねえ筆子。…………力、貸してくれない?」


 両手を合わせてそう頼み込む私の姿は、はたから見たらどっちが先輩なんだか分かった物じゃなかった。

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