<6・真横ノ世界。>

「うっぼほ!?」


 喉から変な声が出て、がばりと飛び起きた。世界が明るい。明らかに、さっきまで自分がいた鬱蒼とした森ではない。


――ぼ、僕……無事?体、いたく、ない?


 崖の上から落ちたのである。夢の中とはいえ、大変なことになることを覚悟していたのに。幸い、僕の服装は“山小屋の怪”のエンヤのまま、そして足が折れていたり腕が動かなかったりなんてこともなかった。冷たい茶色と黒のチェス盤のようなタイルに、大理石の柱が高く伸びている。天井付近には、天使のレリーフ。どこかのお城の廊下にいるらしい、ということはすぐに把握できた。


――ここが……禁止領域?本当に僕、夢本の境界を飛び越えたってこと?


 もっと恐ろしいところかと思っていた。が、よくよく考えてみれば隣の世界がどのような場所であるかは、完全に隣の世界を作った夢本の“作者”とそれを読んでいる人間に左右されるのだろうと思い至る。明るいファンタジーの物語を読んでいる最中なら、そりゃ恐ろしい世界であるはずがないだろう。

 しばらくそのまま呆けていた僕だが、すぐに気を取り直した。どうせ入ってしまったならしょうがない。このまま座り込んでいても意味がないし、悠斗を探す、もしくは元の“山小屋の怪”の本に帰る方法を探す方が建設的だろう。

 僕はお城の中を歩きだした。幸い、他の物語の住人らしき人に遭遇することはなかった。みんな出払っているのか、それとも人が極端に少ないお城なのか、どっちなのだろう。遠足のための軽装である僕=エンヤの姿はあまりにも豪奢なお城とはミスマッチだった。


――なぁんだ。


 歩き始めてすぐ、僕はほっと胸を撫で下ろすことになる。

 お城の廊下の奥の方に、見慣れたロープを見つけたからだ。廊下に渡されたロープには、あの看板が下がっている。


『コノ先、進入禁止領域。絶対ニ、入ルベカラズ』


 その奥の廊下は、こちら側の明るい廊下とは打ってかわって真っ暗になっている。そして耳を澄ますと、カアカア、というカラスらしき鳴き声も聞こえてきた。目をこらせばうっすらと、あの暗い森の光景も透けている。どうやら、この向こうに戻れば僕は自分の世界に戻れるということらしい。


――簡単に、戻れるんじゃん。なら、そんなに危ないことなんて何もないよな。


 戻る方法はすぐそこにある。そう思えば、少々大胆な気持ちになるのが人間というものだ。

 僕はロープの張られた廊下に背を向けて再びてくてくと歩き出した。朝か昼か、窓から差し込んでくる太陽の光が温かい。自分が此処に出たということは、この本を読んでいる誰かさんもすぐ近くにいるはずだ。


――どうせ来ちゃったなら、あいつがどんな物語を読んでるか確かめてやろう!




 ***




 僕は近くの部屋を探し回り、こっそり品物を持ち出したりした。帰ってしまう前に、面白そうなものはかたっぱしから検分してやろうと思ったのである。書庫で見つけた、何語かもわからない辞書のような本。飾られていたレイピアのような剣。それから、かっこよさそうな騎士の盾に、お洒落な誰かのバッグ。小さなものならリュックサックに詰め込んだ。

 元の“山小屋の怪”の世界に持っていけるかどうか試してみたかったというのもある。こういうものが持ちこめたなら、あの物語も単純なホラーではなくなるかもしれない、なんて期待があったがゆえに。それこそ、怪物が現れても僕が剣でばっさり倒してみせたら、ものすごくカッコいいことになるのでは、とか。

 なかなか誰かさんの姿は見つからなかったが、一度城の外に出て庭に回ったことでようやく発見するに至った。どうやら、鍵がかかっては入れなかった玉座の間のようなところに彼はいたということらしい。いかにも“王様です”といった風貌の、白い髭に王冠をのっけたおじいさんと話をしているようだった。窓をちょっとだけ開けてみる。彼等は、何やら深刻な話をしているようだった。


「ギルバート、お前は何を言っているのだ」


 王様は困惑したように、悠斗に言った。お前ギルバートってキャラになってるの、似合わねー、と僕は噴き出してしまう。

 と、そこでふと気づいた。僕は別の物語に入った時、別人の姿に変わっていたはずである。まるまる猫、の話では子猫の姿に。今は山小屋の怪の主人公であるエンヤの姿になっているはず。夢本は、入った人間をその世界に相応しいキャラクターに変化させるはずなのに、なぜ悠斗は悠斗の姿のままなのだろう。普段着に細身の剣、なんて服装がいかにもミスマッチである。

 ひょっとしたらこの夢本の世界では、同じく夢本に入った住人には“相手の本来の姿”が見える仕様であったりするのだろうか。まあ、そんな仕様が発覚するのは、僕のように禁止領域に踏み込んだ人間がいた場合に限定されるだろうが。


「我が王国が晒されている状況はわかっているはず。一刻も早く、魔族の侵攻を止めなければならん。そのためには魔王を倒すより他に手段はない……そのために儂は、お前に聖剣を与えたのだぞ」

「存じております、王様」

「では、何故」

「それでは憎しみが憎しみを呼ぶだけ。世界を本当の意味で平和にすることなど叶わないからです」


 ギルバート、というキャラクターを演じていると思しき悠斗は。うやうやしく頭を垂れて、王様に進言する。


「そもそも魔族が我が国に侵攻してきたのは、我々の国が魔族を“姿が醜く、魔力が高くて恐ろしいから”という理由だけで不毛の土地に追いやったからでございます。彼等は生きるために、不毛の土地を開墾するだけでは足らず、山賊の真似事のようなことをして人々から食糧を奪って生活するしかなかったのです。そのような状況に彼等を追い込んだのは、我々王族と、国民たちなのです」


 ですから、と悠斗は顔を上げる。


「彼等はただ、普通の人間と同じように生きたいだけ。彼等が我々に求めるのは、ただ人間と同じような生活をすることだけなのです。……彼等を“魔族”にしてしまったのは、我々に原因があります。どうか、武力以外の解決を検討してください。きちんと彼等の話を聞いて、彼等に人間と同じ生活を保障し、我々王族が先陣を切って差別禁止を訴えれば……きっと、平和的解決も可能だと思うのです」


 なんとなく、状況に想像がついた。どうやら、王様は魔族を武力で掃討したくて勇者?のギルバートにそれを命じたが。王族であり勇者としての仕事を任されたギルバート=悠斗はそれを拒んで和睦を進言しているということらしい。


――理想論だなあ。


 きっと、人間としてギルバートの考えは正しいのだろう。人をむやみやたらに殺していいなんて僕も思っていないし、戦争なんかしないで平和的に解決できるのならそれが一番いいに越したことはないのだから。

 しかし。人間の意識とは、そう簡単に変わるものではない。現代の世の中だって、やれ人種だ宗教だと差別と偏見に塗れていて、それが時に戦争に発展することも少なくないではないか。

 魔族、と言うからにはきっと人間とはかけ離れた恐ろしい見た目なのだろう。そんな彼等を、人間と同等に扱う、なんて。そのようなやり方に、果たして一体どれほどの人間が納得するのか。差別や、生理的嫌悪のようなものは「はいそうですか」と簡単にやめられるようなものではない。やめられないから、誰もが苦労するというのに。


――綺麗事っていうか、なんていうか。ギルバートの性格なのか悠斗の性格なのかは知らないけど……夢本の中でもそんなやり方を貫かなくちゃいけないなんて大変だろうに。


 現実では納得できることが、本の中でもそうとは限らない。ましてや夢本の世界では、主人公と自分は一体化した存在になる。ひたすらストレスを感じるようなポジションを、どうして望んで演じたいと思うだろう。普通の本を読むのとも違う。自分が入り込むなら――それこそ、普段なら僕もあまり好んで読むこともない“チート無双系のライトノベル”なんかを体験したくなるのが普通ではなかろうか。


――苦労するのが好きなの?ドМってやつ?どうでもいいけど。


 その時ふと、近くの繁みががさりと動く音がした。え、と僕がそちらの方を見れば――灰色の肌に、角の生えた一人の男がしゃがみこんでいるではないか。

 どうやら隠れていたところ、うっかり転んで物音を立ててしまったということらしいが。


「だ、だ、誰だオマエっ!?」


 異形の男は、明らかに焦った様子である。僕はピンと来た。多分こいつが魔族というのだろう。しかも城の敷地に入り込んでいたということは、魔族の偵察のようなことをしていたに違いない。


――そうだ!


 その時、僕の心に悪戯心が芽生えた。窓をそっと閉めて、僕は男に言う。


「お前、魔族だろ?……僕、ここで王様と勇者の話を聞いてたんだけどさ。もうすぐ、魔族の城に攻め込むみたいな話をしてたぞ」


 物語に茶々が入ったらあいつがどうするか、試してやろうではないか。あいつが予想外な展開に慌てふためくのが見て見たいのだ。


「さっさと勇者と王様、ぶっ倒した方がいいんじゃないかな?」


 どうせ、他人の物語。

 どうなろうが僕の知ったことではないのだから。

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