<4・禁止ノ領域。>

 面白い小説というのは展開の早さ、飽きさせない工夫というのもあると僕は思っている。

 いくら“重厚で読み応えのあるファンタジーです!”“圧倒的技術力でお送りする文学作品です!”みたいな売り出し方をしたところで、やれ世界観の説明だの登場人物だのの解説に何万文字もかけられたら読み手は離脱するというものだ。さっさと、何か面白いイベントの一つでも起こせ、いつまでだらだら説明が続くんだこれ、と呆れ果ててしまうことだろう。

 では、読み手を摑まえておくにはどうすればいいか?僕が思うに、一番手っ取り早いのは“さっさと話を先に進めつつ、世界観の説明もしてしまう”ことだと思うのだ。勿論、言うほど簡単なことではないのかもしれない。でも、読者を置き去りにしてしまう、あるいは離脱させてしまうくらいなら死ぬ気で工夫するべきと思ってしまうのである。と、自分でお話を書いたのが作文しかない僕に、世の作家たちもそんな説教はされたくないだろうけれど。

 で、何故そんなことを思ったのかと言えば。


――この話、小説で読んでも面白いかも。


 なんて感想を持ったからに他ならない。あっという間に、物語が動いたのだ。ほのぼのとしたお弁当シーンの直後に、主人公のエンヤが友達や先生とはぐれてしまう展開が来たのだ。既に今、僕は一人きりで暗い森を進んでいる。さっきまで空は確かに晴れていたし、そもそもまだ日が落ちるような時間などではない。にも関わらず、明らかに世界が暗くなっているのを僕は感じ取っていた。

 じめじめとした地面。何の種類かもわからぬキノコやら落ち葉やらで覆われた木々。運動靴が散らばった枝を踏みしめるたび、得体の知れない虫がぞわぞわと逃げていくのを視界の端で感じ取る。そして、カラスの鳴き声でびくりとして空を見上げたところで、僕は真上に巨大な月が出ている事実を知るのだ。

 そう、いつの間にか夜になっていた、というわけである。明らかに、人あらざる者に誘われ、妙な空間に踏み込んでしまった証拠だ。


――でも、夢本屋の本って、どれもこれも見たことないやつばっかりだし、作者名も知らない名前ばっかりだったしなあ。ひょっとしたら、一般に流通してないのかも。残念。


 カア、カア、カア、とカラスが笑うように鳴きながら飛んでいく。主人公は間違いなく心細くなっているし、一刻も早く元の明るい太陽の下へ戻りたくなっていることだろう。しかし、自分が歩いてきたはずの道さえもはやわからない。何本も枝分かれした道を勘を頼りに進んでいるうちに、本当に道がわからなくなって困ってしまったという流れだ。来た方向へ戻るのも至難の業となっている今、とにかく前へ進んで行くしかないのである。

 このジメジメとした森の向こうに、明るい出口があると信じて。


――あ、山小屋だ!


 そして、坂之上にゆっくりと見えてきたのは山小屋。まだ少し距離はあるが、うっすらと明かりも灯っているし、人がいる望みが強い場所だろう。


――きっとあそこで、何かホラーな事件が待ってるわけだな。ネタバレはここまでしか知らないし……楽しみだなあ。


 今まで何回か本の世界を体験してきてわかったことがある。それは、僕がシナリオを知っている上で抗おうとしても、必ず世界の不思議な力が働いて本筋に戻っていくということだ。

 例えば、“まるまるねこ、チェミーの冒険”の世界では、チェミーが脱走して庭の穴から不思議な空間に落ちてしまうことで物語が進行するわけだが。実は昨日、試しにわざとその物語に逆らってみたのである。つまり、脱走を決行しなかったのだ。これで物語が変化するのかどうかを確かめたかったのである。

 しかし、結局大筋が変わることはなかったのだ。

 翌日、僕はさよりちゃんと一緒に家の中で遊んでいるうちに、箪笥の裏にあいていた不思議な穴に落ちてしまうのである。そう、物語が修正に入ったのだ。僕が齎すことができた変化は、穴の位置が庭の中から家のリビングに変わったことのみ。――つまり、僕がどう逆らおうとも、世界は必ず“まるまるねこ、チェミーの冒険”大筋をなぞるように元に戻って行くのである。

 そして、ネタバレを見ないで、初見で夢本を使ったならば言わずもがな。

 自分の意思で動いていっても、必ず物語は記された通りに展開される。裏を返せば、多少突飛なことをしたところで、ハッピーエンドの物語は記された通りのハッピーエンドで終わるから安心していい、ということなのだ。少々退屈ではあるが、不安なく物語を体験できるというのは悪いことではないだろう。


――よし、あの小屋に急ぐぞ!


 僕は少し足を早めて坂を登ろうとした――まさにその時。


「ん?」


 からん、と鳴子のような音が聞こえた。なんだろう、と思って道の己の右側を見てみた僕は、鬱蒼とした繁みの奥に妙なものがあることに気づくのである。

 それは木と木の間に渡されたロープ。

 そしてそのロープに吊るされている、小さな木の看板のようなものだった。否、内容的には立札に近いものだろう。それにはこう書かれていたのだから。




『コノ先、進入禁止領域。絶対ニ、入ルベカラズ』




 ペンキで乱暴に書きなぐったような文字も、その文字の下に一本引かれた線も、真っ赤な色をしていた。

 進入禁止領域。文字通り捉えるなら、絶対に入ってはならない場所ということらしいが。


「進入禁止って言われると、入りたくなっちゃうんだけど……?」


 そのロープは、木と木と結ぶ形で一定の範囲を囲っているようだった。かなり広いらしく、少しだけロープに沿って歩いてみたものの終わりらしきものが見えない。これ以上歩くと小屋から遠ざかってしまうのですぐに断念した。いくら夢本の世界では本当に疲れることはないとはいえ、やっぱり“疲れたような”気分にはなるのである。

 進入禁止領域。領域、という言葉をわざわざ選んでいるのもなんだか気になる。

 僕はそっとロープの向こうを覗き込んで――驚いて尻もちをついてしまった。


「な、なんだぁ!?」


 なんとロープの奥は、緩やかな崖になっていたのである。下の方には月の光も届かず、はっきり言って真っ暗闇だった。どれだけ深いのかもわからない。

 ふと、僕は自分がいつもプレイするRPGゲームを思い出していた。ファンタジードラゴン。悪の皇帝を倒すべく、レジスタンスのリーダーとなった青年が魔物を倒しながら戦うという話なのだが。マップを移動していると、突然“見えない壁”が出現して、そこから先へ動けなくなることがままあるのである。

 つまり、制作側が“そこから先に行ってしまうと困るから封鎖しておくね”としてあるエリアだ。ぶっちゃけたことを言えば、その奥のマップは作っていないので進まないでください、ということ。グラフィック上は森が続いているように見えても実際はハリボテであり、その先は何もない真っ黒な空間ですよ、なんてこともあるというわけだ。


――これも同じ、かなあ。ここから先はマップ作ってないので、進まれるとマジで何もないですよ、というやつ……。


 もしそうなら、なんだか萎える、としか言いようがない。

 せっかく夢の世界に入ってきて堪能していたのに、一期にここが現実ではないことを思い知らされてげんなりするというか。

 あのRPGゲームだって、入れない空間はせいぜい“見えない壁”を設置することで封鎖するに留めているのに。こんな、露骨な立札なんか建てられたら、一気に眼が醒めるような気分になってしまうではないか。


――あーでも……他の本を体験した時はこの警告見たことないし……この場所も、実は物語に関係してる、とか?マップ作ってませんよ、とかじゃない?


 まあいいや、と僕はくるりと背を向けて、再び小屋の方に歩き出したのである。

 気になるが、まずは本来のシナリオを進める方を優先すればいい。どうせ、ここで崖下を覗き込んでいても何も解決しないのだから。


――次に夢本屋さんに行った時に訊いてみようかな、あの禁止領域ってやつがなんなのか。




 ***





「ああ、そりゃすまんね」


 翌日。夢本屋に行っておじいさんに尋ねると、彼はちょっと困ったように眉を寄せたのだった。


「“山小屋の怪”の話は、ずっと山小屋の中だけで展開したから。あの行く途中のよくわからない警告とかロープとか崖とか、全然物語には関係なかったんだよね」

「だろうなあ。だから疑問に思ったんだろ?」

「うん、今まで体験した他の本では見なかったし。あれはなんなの?」


 そもそも、僕はこの夢本の仕組みがどういうものなのかまったく分かっていない。てっきり、本の世界に僕の意識だとか魂だとかがふよふよふよーと入っていっているのかと思っていたが、それも正しい認識かどうか怪しいのだ。


「そうだな、簡単に夢本の仕組みを説明すると」


 おじいさんは、手元で指をくるくると回した。


「あれだ。夢の世界っていうのは……魔法使い達が作った、大きな大きな空地のようなものなのさ」

「大きな空地?」

「そう。異次元空間に、人が入っても大丈夫な大きな空地を作ることができる偉大な魔法使いがいてな。その魔法使いから、夢本の作者たちが土地を借りるんだよ。そして、そこに小さな世界を作る。いわば、空き地に自分だけの建物を作るようなものだ。そして、夢本を開いたユーザーは、その夢本の作者たちが作った建物に招かれて物語を体験している……というわけだね」


 なるほど、そういう仕組みだったのか。いわゆる、インターネットのサーバーに、いくつもWEBサイトが開かれているようなもの、それを自分たちがクリックして覗くようなもの、だと。


「で、この空地には、夢本の数だけ建物があるような状態なわけだが。……そうなると当然、お隣さん、が存在したりしなかったりするだろう」

「そうだね」

「夢本の世界の広さは、物語の大きさによってまちまちだが。まあ、一つの巨大な空き地を一人ずつ借りているようなもので……一つの夢本の世界のサイズには限度があるわけだ。そして、その夢本同士の世界が、御隣り合わせでくっついていることもある。場合によっては、本当にギリギリの大きさで密着している。……ロープ一本飛び越えれば、別の夢本の世界に入り込んでしまうこともあるほどに」

「!」


 それって、つまり。


「あのロープの向こうには、実は別の夢本の世界が存在してるってこと!?」


 僕の言葉に、いかにも、とおじいさんは頷いた。


「だから、絶対に禁止領域には踏み込んではいけないのさ。何故なら大空君、君は自分の名前で契約した本でしか出入りすることができないし、コントロールができない。自分の呪文で帰ることができるのは、自分の世界にいる時だけ。他の人の夢本の世界へ勝手に入ることはつまり、不法侵入と同じ……どんな目にあっても文句は言えないのさ。何度でも言う、絶対に踏み込んではいけないよ」


 彼はすっと、眼を細めて言う。


「もし、他人の夢本に入り込んで、相手が本を閉じてしまったら……君は永遠に、夢の世界に飲み込まれてしまうかもしれないんだからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る