隣国の皇子が余り物の私を主役にするまで

ろくまる

隣国の皇子が余り物の私を主役にするまで

「——いい加減、婚約破棄に同意なさってください」


 突然現れた美しい金髪に隅々まで麗しいの女性、この王国の第二王女様。女神の生まれ変わりとも呼ばれるほど美しい容姿に、儚さと麗しさを演出する青紫色のドレスは、まるで演劇のヒロインであり主役のようだなとぼんやり考えてしまった。


「聞いているのですか、シャルロット嬢!」

「はい、王女殿下。ただいくつか訂正をさせてください、私は婚約破棄大賛成です。家が大反対なのです」

「そんなの貴女が言えばいいでしょう!」


 それで聞いてくれる親なら良かったんですけどね、とは言わずに不甲斐ないです、と返した。

 我が子爵家は、はっきり言って私の婚約者である公爵家と繋がる事でお金を工面していただいているから王女エリザベート様のご命令でも私のせいにして駄々をこねている、という訳です。それに私の婚約者様、貴族子息の中でも綺麗な顔をしていらっしゃいますからね。王族の遠縁ですし、エリザベート様が結婚したいとおっしゃっても法律上なんら問題はないのです。

 そう、エリザベート様と私の婚約者様は、禁断の恋だと盛り上がっていたのにいつしか本気になってしまい、婚約破棄をしろと私と家に吊っているという状況。そして私の意に反して家は拒否している、という最悪の事態。


(顔と出来は良くてもあの人、性格がなぁ)


 婚約者様は私がいたく気に入らないようで、裏で事あるごとに「お前は無能だ」「何も出来ないのだから体力だけはつけろ、子を産むのは大変体力を使うらしいからな」等、エリザベート様はおろかどこの国の女性でもこんなの聞いたら怒るレベルの暴言を吐かれていた。

 表では絶対にそんな事言わないし、私が訴えても子爵家がもみ消したり彼の優秀さから好感を得た相手が狂言だと鼻で笑う。

 名前ですら呼ばせてもらってないのを見て何も思わないのだろうか。いや、私が高慢だから名を呼ばないと言いふらしているのかもしれない。

 お金が無いのに自領の民の為に動く事なく工面していただいたお金を自分達の欲に使う両親は、私を磨かせてくれる事も無かった。自分達にはお金を使っても、一人娘の私にすらお金を使わない姿を見て使用人や領民は私を陰でお可哀想なお嬢様、と呼んでるらしい。

 確かに父に似て丸顔で、父方の祖母のように垂れ目の私は、母やエリザベート様のような艶やかで麗しい女性が素敵だとされるこの国の貴族社会ではあまり評価は良くない。

 むしろ深緑の髪も深い青の瞳も自他共に厳しい父方の祖母にそっくりなので、祖母に良い思いのない両親に黒く染めさせられている髪は傷んでいるし、必要最低限部屋から出るなと言われているので婚約者様や勉強を教えてくださる先生以外の人間との交流は無い。宝石やドレスの店員とすら交流した事は無いし、いつも身に付けてるのも安物の既製品しか母が認めないのできらびやかさはどこのご令嬢よりも劣る。


「無能で不美人で、そんなのだからケビンは貴女が嫌で仕方ないの。お分かり? 余り物さん」


 ——余り物、とは私の事だ。正式には余り物令嬢らしいけど、婚約者様(エリザベート様のおっしゃるケビンとは彼だ)が行き遅れの余り物で可哀想だから結婚してほしいと私の家に言われたのだと周りに話すらしい。実際は父方の祖母に恩義があるからと公爵家の方から打診された婚約なのだけれど。

 そんな訳で婚約者様に付けられた余り物令嬢という名前は貴族ならみんな知っていて、シャルロットよりこちらで呼ばれる事が多いくらい。

 もちろん義理の両親となる公爵夫妻は婚約者様の横暴さや噂を私に謝ってはくれるけれど、それをかき消す事は出来なかった。人間誰しも他人の不幸を欲しており、その不幸を口にする快感は、耳にする快感は、一度味わえば留まることを知らない。公爵夫妻の力だけではどうする事も出来ないほど広まってしまった、という事だ。

 それよりも短い時間でこんな事をするのなら私も慣れてるからいいけど、思ったより時間がかかっている。王城のパーティーを抜け出して庭園で長い事やるものじゃない。


「王女殿下、畏れながら申し上げます。余り物である私に麗しき王女殿下が吊り上げる姿を衆目に晒すのは、王女殿下の名誉に関わると思われます」

「あら。余り物令嬢如きで私に傷が付くと? それに私は貴女に鉄槌を下しているに過ぎません、問題はなくてよ?」

「それは見る者が王国の人間であるのなら、です。今の王城にはお客様が——、」


 私が言葉を続けようとした時、王城の方からいくつかの足音が聞こえた。


「騒ぎを聞きつけてみれば、何事ですか?」


 黒髪に赤い瞳。褐色の肌が黒と赤の礼服の隙間からも見えるが、異国人であるのも抜きにしても男らしい整った見目の、海を挟んだ隣国の皇子、サミュエル皇子殿下その人だった。ものすごく冷たい印象を受ける無表情さで、怒っているのがよく分かる。

 ああ、だから言わんこっちゃない。そう思いながら私は頭を下げて皇子殿下から少し距離を置いた。私は子爵令嬢なので、しっかりと線引きをしなくてはいけません。


「さ、サミュエル皇子……いえ、何もありませんわ。彼女と話をしていただけです」

「話、というのは一方が目尻を吊り上げて話す事が? 王国の話をするというのは我が国で言うところの喧嘩と同意議ですか。それは知りませんでした」

「そんな事より、休憩にお茶でもいかがですか皇子。シャルロット、侍女に言伝なさい」


 ついに駒使いですか。とは言わずにさっさとこの場から逃げ出せるのなら、と私が腰を折ろうとした時だった。


「結構。貴女と話すよりは彼女と話した方が楽しいです」


 サミュエル皇子は事もあろうに私に微笑んだ。さっきまでの表情はなんだったのか、と思うほどの破壊力。


『皇子殿下、お戯れを。王女殿下とのご歓談をお楽しみくださいませ』

『この会話すら聞き取れない王女より、君の方が知識も多く話していて楽しいのは本心だけど』


 帝国の言語で話す私と皇子。確かに、エリザベート様はこの言語を習得していらっしゃらないけど、私への風当たりが強くなるでしょうという言葉は伝わっているのでしょうか。


「私ではご不満、というのは分かりましたわ。ですが、この女は自分が無能不美人である事を自覚せずに婚約者にすがりつくしかない余り物令嬢なのです。貴国にもいるでしょう、頭の悪さで婚姻が出来ない女性が」

「だ、そうですが?」

「……事実にございます。私は余り物令嬢と呼ばれている身、貴族が皆呼ばれるようなパーティーでなければ王城にいる事も出来ないのです。ですので私はこれにて、」


 私がパーティー会場に戻ろうとすると、サミュエル皇子にスルッと手を取られてしまった。流れるようなそれは、まるで片手で剣を扱う帝国の騎士さながらだ。


「では一緒に戻りましょう。それに、俺も発表せねばならないなと奮起しました」

「は。さ、サミュエル皇子! その女では貴方に不釣り合い、」

「付き合う相手は自分で決めます、貴女も体を冷やす前に会場に戻る事を勧めますよ」


 言葉を返すタイミングを失ったまま、私は皇子殿下に連れられてパーティー会場に戻る事になってしまった。

 ああ、目立つだろうなぁ、ただでさえ今日のドレスは何故かサミュエル皇子から贈られたブルーグリーンのドレスで、同じく贈られた赤い宝石は婚約者様の髪の色と言えばそうだけどこの皇子殿下の隣だとその瞳の色だと思われてしまう。しかもその殿下は私のドレスの色と似た色合いの石のブローチを付けている。遠くから見ると婚約関係か? と思われても何も言えない。

 ただ通訳で帝国の言語が話せる者をと王命が上がって、たまたま話せるので報酬金と王からのお褒めの言葉欲しさに両親に連れられて、その言語を話せる中で私と話が合ったというだけでペットのように気に入られてしまっただけなのに。


『シャル、また何か悪い方向に考えてるな?』

『当然です。殿下は元々、亡くなられた第一王女殿下の婚約者でした。なのに婚約者のいる私に誑かされていると悪評を広められたらたまったものではありません。だから今夜は同性の方と参られたはずでは?』

『俺はシャルがいいと再三言っているのに』

『ご冗談を。それと、どちらの言語であってもそのように愛称を使わないでください』


 男性というのは女性相手に口説き文句を言わなければ生きられないのでしょうか。婚約者様は私ではない相手に使っているけど。

 私は会場に入ったので手を離そうとしたが、やはり皇子殿下は離してはくれなかった。エスコートなんてされた覚えがないので恥ずかしいし、殿下はカツカツと王族の皆様の前までやってきてしまった。

 うわぁ目立ってる、ふざけるな、と言いたい気持ちと優しく握られる手が心地よくてどうすればいいか分からない気持ちでいっぱいになった。


「——現国王陛下に申し上げます。先の婚約者の父君にあらせられる貴方より、次に俺が婚約者としたい相手が見つかった際お力添えくださるとおっしゃいましたね。王命で彼女の婚約を白紙にし、婚約者として彼女を貰い受けたい」


 会場の空気が凍った。

 ええ、私もそんな事を言われると思わなくて固まりました。

 そもそも、帝国の直系の子供は婚約者が居ないサミュエル皇子殿下だけ。つまり次期皇帝は彼ですし、その妃になるのは……?


「ふざけるな! シャルロットが皇妃になどなれる訳がない!!」


 怒号にも取れる聞き慣れた声。案の定、人混みから出て来たのは声を荒げた婚約者様と、焦ったそぶりを見せながらニヤついた口は戻らなかった私の両親。何を数えてニヤけているのでしょうね。

 ああ、息子の不敬でも責任を取らねばと公爵夫妻まで来てしまいました、義理の両親は良い人なので出て来ないで欲しかったのですが。


「貴殿がケビン? なるほど公爵家は王族の遠縁だそうですから顔は良い、しかしそれだけのようで何より。子爵家が後回しにしているから破棄されていないだけで、君達は終わっています。別に白紙にしても大丈夫でしょう」

「しかしシャルロットはどこであれ妃になれるような人間ではない、帝国の言語を話せるとしても能力は無い。貴国に役立つ人間では、」

「教養はあり、人より賢い。能力はあります、少なくともこのような場に声を荒げるような真似をする人間よりは」


 ちょっと婚約者様、黙らないでください。少し見直したのに。という目で思わず見ていた。

 私自身賢いとかは分からないけど、皇妃になれる女性ではないのは分かる。少なくとも亡き第一王女殿下には劣ります。それにそんな重責を抱えられる気がしません。

 婚約者様ほら頑張って、と思っていると庭園から戻られたエリザベート様が援護射撃に入りました。


「話は聞きました。シャルロット様がお姉様の代わりになどなれるはずはありません! お姉様は病に侵されながらも優秀で、サミュエル皇子を真にお慕いしていましたのに!」

「変な事をおっしゃる。人はそれぞれ違う、彼女は彼女でシャルロット嬢は彼女ではありません。政略結婚でしたから愛はありませんが、良きパートナーとしての未来を俺も描いていました。しかしもう彼女はいない。ならば残された俺は、俺が良いと思った相手を生涯のパートナーとしたいのです」


 サミュエル皇子殿下は私を見ながらそうおっしゃった。口説くのやめてください不覚にもときめきそうです、いや多分事務的な話だとは思うのですが。

 先程の婚約者様はここで撃墜されていましたが、エリザベート様はひと味違いました。


「ですが! 帝国は魔法の国、王国は魔法を持たぬ国ですから、お姉様ほどの美貌も魔法の素養もない彼女を、味方のいない妃を持てば苦労するのはご自身では?」


 ちょっとエリザベート様が頼もしく思えてきました。

 この世界には魔法というものがあり、帝国に暮らす人々は魔力という力を自身で生成して魔法を扱うと本にはありました。そもそも帝国の成り立ちは魔力を持った人だけで国を興したのが始まりで、帝国が海を挟んでも強大であると周辺諸国に認められているのも、魔法を扱える人間が全て帝国にいるからなのです。

 無論、私は家系図を辿っても王国の人間で、魔力なんて生成出来ません。魔法が生活に根付いた帝国では私は生きられないでしょう。

 しかし、サミュエル皇子殿下はにっこりと微笑んで、爆弾を投下しました。


「彼女は魔力を持っている。それも、帝国でも貴重な魔法を扱えます」


 ──いえ、覚えがありませんが?

 そんな子供のような嘘をついて娶ろうとするとか必死すぎませんか! と言いかけたけど、サミュエル皇子はスッと私の両手を取って、向かい合う形で私に話しかけた。


『シャル、俺の言葉に続いて』

『まさか魔法を使って私が使ったように見せるんじゃあ』

『大丈夫。俺には使えない魔法の呪文だから』


 それって大丈夫なのでしょうか。しかしサミュエル皇子から有無を言わせないという圧を感じたので、まぁ言葉を唱えるだけなら、と了承した。

 どうせ何もないからと私は目を閉じる。


『慈愛はここに。全ては安らぎ、平穏を紡ぐため』

『──慈愛はここに。全ては安らぎ、平穏を紡ぐため』

『癒しをここに。ライトヒール』

『い、癒しをここに。ライトヒール』


 すると瞼の先が少し明るくなって、驚いて目を開けた。私とサミュエル皇子を天幕のような、光で編み込まれた鳥籠のようなもので囲まれていて、なんだか元気が湧いてくるような不思議な気分になる。

 光がふっと消えると、私から手を離したサミュエル皇子は得意げな顔で言った。


「今のは癒しの魔法、帝国でも聖女と呼ばれる特別な人間のみが使える魔法です。もちろん俺は自国でもそういった認定はされていません。今のは確かにシャルロット様が発動させたもの、現に彼女の髪が元の美しい深緑になりました」


 その言葉に、私は慌てて後れ毛を摘んだ。


「う、嘘……あんな時間かけて真っ黒になっていたのに、緑色に……?」

「聖女は帝国で何十年にひとりいるかどうかの大切な人。俺の妻になって敵など出来るはずもない、むしろ歓迎されますよ」


 私と侍女の努力が! と言いたいけど、まず聖女という存在は本で知っていました。

 帝国はそもそも周辺諸国が使えないとした中立の立場にあった土地。作物が育つ暇がないほど自然災害が起こる場所で、その土地で帝国が暮らしていけるのは聖女と呼ばれる癒しの力を持つ人が住みやすい環境にしているからだそう。

 でも私はそんな力を使った事は一度もありません。確かに使用人の間で風邪が流行った時は早く治るといいなぁと祈る事はあったけど、長く拗らせなくてよかったね、という程度だった。

 そんな、誰かの体を治した覚えはないのです。


「シャルロット嬢、その姿は……いや、今までどのような生活をしていたのだ?」


 人生で初めて、国王陛下に声をかけられました。王命で集められた時ですら全体に王命の詳細をなさった程度で、個人としては初の会話。

 子爵令嬢の私では通常あり得ない事が起こり過ぎでは、と思いつつ、畏れながら、と軽くお辞儀をしてから答えた。


「両親には前子爵夫人である祖母にそっくりなこの髪を母と同じ黒に染めるように、と。公爵家に嫁ぐのだから醜聞を避けるよう必要最低限部屋から出るな、とも……皆様のおっしゃるように私には何かしらの能力はございませんから、粗相をしないとも限りません。私も納得の上です。また、部屋の中にいるのだから節制をと言われております」


 嘘、ではありません。実際に両親からの建前でこんな事を言われていました。

 他家から子爵家に短期間で入ってきた使用人にも「この家はおかしい、普通は婚約している娘に金をかけるものだ」「お嬢様は家庭教師が出来るくらいの教養もありますし、使用人にまで優しい心をお持ちですから社交界に慣れれば完璧です」なんて言ってもらえて。最初は謙遜していましたが次第に本気を帯びる発言に、ああ両親のは建前なんだなぁ、と分かっただけです。

 でも言ってから気付きました。

 あれ、この流れもしかして両親が責められるのでは? と。


「で、ですが、清貧に暮らす事が身につけば、公爵家でも問題なく暮らせるのだという両親の教えにございます。公爵夫妻も私に良くして下さいますし、これが正しいのだと思っております」


 流石に子爵家がこんな事で責められるような事があれば領民が更に苦しくなる可能性がある。それは絶対に避けなくちゃいけない、それに公爵夫妻が良くして下さってるのは本当の話です、信じてください陛下。

 そんな私の思いを聞いた国王陛下は、ふ、と息をついた。


「シャルロット嬢。公爵夫妻から気に入られておるのは私も知っている、とても優れた良き義理の娘だ、とな。そして、愚息が振りまいた余り物令嬢と呼ばれている不名誉をなんとかしてやりたいとも」

「……お義父様とお義母様が、陛下にも」


 正直、嬉しかった。どうする事も出来ないと頭を下げて下さっただけでも良かったのに、どのような理由であれ陛下にも頭を下げてくださったのだ、おふたりは。

 胸が熱い、私は公爵家の義理の娘になりたかったから、その想いが通じていたのだと信じたくなった。


「子爵。常より貴殿に問おうと考えておったのだが、何故このような優秀な娘を隠す? やはり実母に婚姻を反対されたからか、それともその反対の直後貴殿の実母──マリー夫人が病に倒れた一因が、何かあるのか」


 祖母が病に? 私はそれを知らなかった。

 ただ、母は商会の娘だったけど市井の出だし、父に婚約者は優秀な娘でなければ認めないと反対されたとは聞いたけれど、それが祖母だったとは知らない。だから私の髪で祖母を思い出したくない両親の思いは、反対された苦い思い出があるから、と結論しようとした時だった。


「マリー夫人はその病に亡くなる直前、私に手紙を秘密裏に寄越した。そこには、意図的な薬の副作用で私は死ぬ、と。病と言われたがこれは王国にはない種類の毒であり、医者と息子と恋人が共謀している。その証拠まで彼女は渡してくれた、これで万が一の事があった時は息子を……現子爵、貴殿を糾弾しろとな」

「母は斯様な世迷言を陛下に……? 信じられませぬ、そこまで母は結婚を反対していたというのか」


 父はそう言って、悲劇の主人公を演じる。エリザベート様の方が上手いし、一度公爵夫妻と演劇を見に行った方が良いのでは、と思う。それくらい嘘っぽいのがありありと分かる。

 国王陛下の視線が鋭くなったのを見て、ああこれ子爵家もう助からないかも、と肩を落とした。

 すると、静かに聞いていたサミュエル皇子が笑う。


「子爵、公爵。取引です。今ここでケビン殿とシャルロット嬢の婚約を白紙にすればどちらの家も違約金を払う事はないよう取り持ちましょう。そして私は彼女と婚約して子爵家に結納金を納める。言い値で払いましょう、それをどう使うかはお任せします」


 言い値で払いましょう、なんて。あの両親がもし国に罰金刑を言い渡されたらそれを肩代わりしますと言うようなものだ。

 つまり、サミュエル皇子はそこまで私を気に入っている、という事。お金で買われるけど。


『殿下。それでは両国間の関係が』

『大丈夫、国王陛下は罰金刑を絶対に言い渡さない。それこそ結納金で大金を手にしても、国王陛下が子爵家の領のために使えるよう取りなせるようこちらも対策させてもらうから』

「……そう、ですか」


 祖母の件が本当なら、私は両親を軽蔑する。どんな事があっても人は人を害してはいけない。それは必ず自分にも周りにもいい結果をもたらさないと、両親を見て学んでいたから。でもそこまで──人でなし、だったとは思っていなかった。

 現に両親は喜んでいる。何があっても大丈夫だと安心している。


 私も彼らの子だ。こんな親はどうでもいい、なんて今思ってしまったのだから。


「子爵の沙汰は後日言い渡す。それまでは王城にてゆっくりとしておるが良い。しかし公爵、貴殿もこの婚約を白紙にして良いと見て構わぬか」

「──畏れながら、陛下。シャルロット様は我が愚息には勿体なきお嬢様です。息子が第二王女殿下と共に彼女を責め立てていると聞いていた時から、いずれ我が家ではない良き家の方との縁談をと探していたのです。皇子殿下であれば彼女も幸せにしてくださるでしょう」

「であれば、誰の経歴が傷付く事もないよう婚約解消と王命で定めよう。当事者のふたりも、それで良いな?」


 私は頭を下げて同意した。むしろ、公爵様の言葉が本当に嬉しくてただただ泣いてしまいそうだった。

 婚約者様──あえてケビン様と呼ぼう。彼も婚約解消に同意した、そもそも婚約解消してエリザベート様と結婚したいのだから。

 しかし、それにトンチンカンな異を唱えたのは、エリザベート様だった。


「認めない、認めません! 婚約解消をした後を認めません! シャルロット様のような方がお姉様の後釜になるなど……!」


 確かに、それについては私もまだ納得していません。しかし自分の身を売れば、子爵家の領民は生きられると思いました。

 元々ケビン様とこのまま結婚しても夫婦の愛は無いだろうなと考えていましたし、実際にサミュエル皇子殿下は私が聖女だから迎えたいのでしょうし。自分がいいと思った相手をパートナーに、というのは建前だとは思います。

 私は両親にも婚約者にも選ばれない、余り物だったから。


「──俺は、彼女と初めて話した時。こんなに美しい声の人と、言語の違和感なく話せる事に驚きました。何度か会話して、やっと彼女の笑顔を見る事が出来たのです。その時にはもう、シャルロット嬢を好きでした」


 サミュエル皇子が私の手を握ります。

 その顔はあまりにも真剣で、私を口説いている時とはまるで違いました。思わず、胸の奥底にしまっていた彼への好意が疼いたような気がして、慌ててこれはお世辞に違いない、と思い直します。

 忌憚なく話せる男性のいなかった私だって、サミュエル皇子に淡い恋心を抱いてしまっていたのです。でも私は婚約者がいましたし、彼には相応しい相手がいると理解していましたから、見ないふりをしたのです。

 そう、見ないふりをしたはず、だった。


「俺が次に婚約者に選ぶのなら、今度こそは愛しあえる女性でありたい……これはこの国の第一王女であった彼女が、俺に遺した言葉でもあります。努力や能力を互いに認めていると分かった上で、俺達は恋愛の関係にはなれないと気付いていたのです。シャルロット嬢が聖女であったのは偶然ですが、身につけた言語を使いこなす努力と才能、柔らかな雰囲気の容姿から優しい心根が見えていました──本当に、どうしようもなく惚れたのです」


 だから、とサミュエル皇子は私に目線を合わせてから微笑みました。


「貴女は自分を売るような気持ちでしょうが、俺は貴女が望むようにしたい。余っていたから選んだ訳ではなく、貴女が良いから選んだと分かって欲しいのです」

「私が、良い?」


 都合の良い夢でも見ているのでしょうか、私が良いと言ってくれる人がいるなんて思えないのに。

 こんなに素敵な方が、私をわざわざ選ぶ訳が、


『シャル、俺は本気だよ。君を愛してる。強引な形になったとは思うけど、君が君自身を犠牲にして良いという考えに囚われたままだった。きっとこれからは自信を持ってもらう必要はあるけど……絶対に、幸せにする』

『サミュエル皇子殿下、そうおっしゃられても私は……貴方の隣に居て良いのでしょうか』

『居て欲しい。シャルがいいんだ』


 帝国の言語で訴えるサミュエル皇子殿下。

 彼は王国の言語ではどうしても丁寧になり、帝国の言語でしか本心を伝えられない。これでは平和協定を結んだ王国との関係に冷たい印象を持たせてしまう、と悩んでいた彼のために今までは第一王女殿下が通訳をしていたのですが、亡くなってからは色んな貴族が担っていました。

 だからこそ今のは嘘偽りない言葉だと分かります。

 サミュエル皇子殿下はとても優しい方だと、この数日でよく分かっていたのですから。



「──婚約を、お受けします」


 嬉しくて涙が出てしまいそうなのを堪えて、私は応えた。


「サミュエル皇子、シャルロット嬢の婚約については追って宣言するが……王国と帝国の交流は盛んになる事であろう! 皆の者、めでたきこの瞬間に拍手を!」


 国王陛下がそうおっしゃると、周りから拍手が鳴り響きました。まさしく「万雷」とも形容するべき音に、笑顔になるどころかこんなたくさんの人の前でなんて事を、と恥ずかしくなって俯いてしまいました。

 すると優しく手を握り直されます。握り直した主、サミュエル皇子をゆっくり見つめると彼は穏やかに笑っていました。まるで、花を愛でるように。


『シャル、もう君は俯かなくていい。この喝采を一緒に浴びて、君は君の人生の主役になってくれ』

『主役、ですか』

『公爵夫妻と見に行った演劇が良かったって言ったろう? 家族に虐げられていた少女が王子様に見初められるお伽噺を題材にしたものが』

『そう、ですね。小さい頃、当時の侍女長が寝物語として読んでくれたお伽噺でしたから』


 観劇後に公爵夫人にその話をしたら、それはとても素敵な思い出ね、と微笑まれたのをよく覚えている。ちなみにこのお伽噺は魔法使いが助けてくれるのもあって、帝国の人達もきっとこの魔法使いのように困った人を助けてくれる人なのかな、と幼いながらに侍女長と話していた事も話した気が。それはサミュエル皇子に話してはいないけれど。


『俺は、主人公がなんだかシャルにそっくりだなと思っていたんだ。頑張り屋で、信頼できる人に背中を押されて、挑戦する事を忘れない。人生がもし演劇ならシャルは、この劇の主役になって欲しい』

『……エンドロールは結婚式でしょうか』

『そうなるなら続編を作ろう。君が老いて死ぬまでの長編だ』


 サミュエル皇子は私の手の甲にキスを落としてそうおっしゃいました。


 私の人生はむしろ、ここから始まったのかもしれません。


 ──帝国に嫁入りして、聖女として国に安らぎを願い、妻として血を繋ぎ続く事を願い……最後はもう、老いた愛する人のそばで死ぬ事を望んだのですから。

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