第36話 目的地は

 時は、中華料理店での食事会を終えた翌朝までもどる。

 あれから捜査本部にもどって夜通し詰めていた三國が、唐突にさけんだ。

「あったァ!!!!」

「うっ」

 三國のとなり、長机に突っ伏して仮眠をとっていた三橋の肩がびくりと揺れる。のそりと起き上がった彼女の額には長机に押し当てたことでついた赤い痕。三國は三橋の肩をがたがたと揺らして、二枚の紙をつきつけた。それぞれ緑の蛍光ペンで線が引かれている。

「ンぁ。あった⁉」

「ありましたよ、ふたりの名前。チケット応募者のなかに中田聡美、住所は中野のあの実家。あとはこっちのチャンネル登録者──これがまた骨が折れたんですがねィ。ほらこれ、この“茜佐々木”って名前とアイコン。ガイシャの実家の部屋を見たときにこの人形があったのを覚えていたんで、このアカウントが連携しているSNSまでたどっていったらドンピシャ。千駄ヶ谷住みの被害者と一致することが判明したんでさァ」

「うっそ……あんた根性あるじゃない!」

「見くびらねえでください。そんでもってほら、このSNSの最終更新日」

「三月十七日──それ以前はけっこう頻繁に呟いてるのに。これはもしかすると」

「ええ。中田の方があとに血を抜かれた可能性もありまさァ。ともあれつながりましたよ、姐さん」

 といって隈のひどい目をこする三國。

 三橋は身を起こして、三國が提示した被害者のSNSアカウントを指でスクロールし、すばやくたどる。当時被害者が赤裸々に吐き出したであろう心のつぶやきに、三橋の眉間がけわしくなる。

「チッ。くだらねえつぶやきばっかり……これ、呟き内容だけ抽出して紙に印刷とかできない?」

「そうくると思って早々にzipに落としたデータがありますぜ。これをここに落として検索かけりゃあ──」

 と、三國が迷いなくパソコンを操作して、口に出した通りのことをやっていく。キーボードの上をすべる彼の手の動きはまるで鍵盤を叩くピアニストのよう。検索結果がずらりと出たところで三橋が画面を覗き込んだ。

 検索ワードを絞りました、と三國は指で示す。

「ピアノ、チケット、しおり、史織──いろいろ指定してみました」

「ちょっと待って。これ……」

 三橋の目が画面を凝視する。

 生前、第二の被害者佐々木茜がSNS上になんの気なしにつぶやいた日々の行動。それをたどるうちに、彼女が半年ほど前から月に数回ほどとあるサロンに参加していることが判明。

 それがなんのサロンなのか、なぜかそこだけ意図的にぼかしているかのように、佐々木茜のつぶやきからは情報がない。しかしどうにもピアノに関わる内容には間違いない。三橋と三國は顔を見合わせた。

「どう見ます?」

「真嶋史織の周辺でサロンが開催されているかどうか、調べる必要がありそうね。史織さんが絡んでいない可能性もある。いやむしろ、その可能性の方が高い。くわえて中田聡美もそのサロンに参加していた証拠があれば……ビンゴなんだけど」

「じゃあその点から洗い出すしかないっすね。しかしサロンか。ガイシャのふたりとも、けっきょくリアルの友達なんざほぼいなくて、オンラインでなにかとつながるくらいしかなかったわけだ」

「中田聡美も佐々木茜も、実親からはまったく関心を向けられていなかった。学校でも、職場でも。だから、自分の居場所を見つけ出そうと必死だったのよ。きっと」

 いつになくさびしそうな三橋に、三國はただ下唇を突き出した。


 その後の捜査会議では、新たに判明した被害者のつながりを前に各署員のモチベーションも高まり、合流した沢井と森谷から、三國に対してめずらしく手放しの誉め言葉が下された。

 こうして午後二時ごろ。

 捜査会議によって捜査対象者が真嶋史織、チャンネル運営スタッフ、さらに沢井のプッシュにより愛河裕子の数名にまでしぼられた。一同散会したのち、コンビニで軽い食事を買って車中食。この食事を終えたら愛河家へ行ってふたたび聞き込みを敢行するつもりの沢井ペアと森谷ペアである。

 助手席に座る三國が、あんぱんの袋を開けて後部座席の沢井を見た。

「沢井さんは──愛河裕子をにらんでんスか」

「確信はねえがな。ただ将臣が言ってたろ、愛河は嘘をついているって。証拠がなくて令状までは取れなくてもよ、少なくとも嘘があるなら暴かねえとな」

「ですね」

 運転席の三橋もうなずく。

「それに、おっさんならまだしも……五十過ぎのおばさんが処女崇拝ってのも、かなアり闇が深そうですし」

「それはホンマにその通りやわ」

 森谷が身ぶるいする。

 そんな仲間たちに苦笑した沢井。

 直後その胸ポケットがふるえた。中に入ったスマートフォンである。着信画面に表示された名前は──。

「恭?」

「恭太郎くんですか」

「ああ。……もしもし」

『龍さん』

 電話の奥から聞こえてきたのは、いつもの快活で明るいそれとは似ても似つかぬ、怒気を含んだ恭太郎の低い声だった。つぎに声を聞いたときは、昨夜の夕食会のあとに一花のようすがおかしかったことについてでも問いただそうとおもっていたのに、その声色を前にすっかりその気も萎む。

「なんだ、どうした」

『いまどこ?』

「いまは車ん中だよ。これから愛河邸へ向かう。ようやっと捜査線上にあの先生が乗ったもんでな、任意同行を願おうかと」

『まだたくさん死体が出るかもしれない』

「あ?」

『犯人はその女だ。でも、あそこに行くならもうひとり連れていけ』

「な、おい。てめえ恭太郎。いったい」

『────』

 名前を告げるとつづけて、

『僕らもこれから向かうんだ。向こうで落ち合おう』

 と言うと沢井のことばを聞きもせず一方的に電話を切った。

 しばらく通話が途切れた音がむなしく耳奥に響くのを感じていた沢井であったが、嵐のように通りすぎた電話にだんだんとむかっ腹が立ってきた。

「あんだあ? あのガキャ……」

 ぎりり、とスマホを握る手に力を込める。

 こめかみに立つ同僚の青筋を見た森谷は、助手席に座る三國をちらと見た。この一瞥で理解したのだろう、三國はひょいと手を挙げて車を降りる。

「わかりやした。そいつは重要参考人として任意同行します。本丸で落ち合いやしょう」

「寝不足のとこわるいなァ。たのんだで」

「ういっす」

 なにがなんだかわからない。

 それでも、行くしかない。三橋はハンドルを握りしめた。

「目的地は愛河邸ですね!」

 安全運転で飛ばします、と笑顔を見せて。


 ※

「龍さんたちも来る」


 通話を終えたスマホを見つめ、恭太郎がつぶやいた。

 どうしてその人も、と史織が問うた。声がふるえている。

「わるいこと、したんですか?」

「これに関しては完全に僕の耳だけを信じた判断です。まあ、まちがっていたら怒られるのは警察諸氏ですから、気にしない」

「おまえの耳に引っかかったのなら、真っ白ってことはないだろう。心配ないよ」

 将臣は険しい顔でうなずき、視線をうなだれる由紀子と伸二へもどす。

 いましがた聞き終えた愛河裕子と由紀子との関係。性愛、葛藤、懺悔、悔恨──すべてを聞き届けた雲水風情の将臣は、立ち上がった。彼はあれからずっと由紀子のそばに膝をついていた。

「あなた方がしたことは、いまさら法で裁けるものではありません。八年前に自殺で片付けられたものをいまさら自供したところで、補強法則という決まりがある。ほかに物証がなければ事件の立証すら出来ませんから」

「…………」

「もとよりぼくらは糾弾しに来たわけじゃない。──真嶋さん、これで着地としましょう」

 といって将臣は、史織を見た。

 母親の告白を前に一時は動揺を見せた彼女も、すべてを打ち明けられたいまとなっては、妙におだやかな心持ちですらある。なにより、父が自死でなかったことが証明されて安堵した。父はやはり、父だったのだ。

 史織は胸が詰まって、ことばに窮した。ゆえに深く深くうなずいた。

 フ、と将臣は一瞬の笑みを見せたが、すぐに頬を引き締める。その目は恭太郎に向けられた。おそらく会話をしている。恭太郎はこっくりうなずくと岩渕を見た。

「イワさん。つぎだ、行こう」

「次──?」

「本丸だよ。アンタ言ったろ、助けてやってくれって。グズグズしていられないぞ!」

 といって、恭太郎はさっさと玄関の外へと出ていってしまった。困惑する岩渕が将臣を見た。

 この若き僧侶見習いもまたするどい目つきで袈裟を翻し、背を向ける。が、すぐに足を止めた。

「そうだ由紀子さん。あとひとつ確認がしたい」

 将臣が一花を見た。

 一花の喉からあの旋律が紡がれる。


「♪────────♪」


 背を丸めてうずくまっていた由紀子が、ゆっくりと顔をあげた。

 しかし質問者は背を向けたままである。

「この旋律に、聞き覚えはありますか?」

「……ええ。なつかしい」

 由紀子は微笑む。

「裕子さんが学生時代に作った子守唄です。よく聴かせてもらいました」


 という彼女の言葉に、将臣は宙を仰いだ。

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