第20話 事情聴取

 場は一時騒然となった。

 舞台近くの一階観客は一斉に後方席へと逃げ出したり、照明や音響の係やホール責任者も呆然と立ち尽くしたり、舞台上でへたりこむ真嶋史織にはだれひとり目もくれない。が、舞台袖からひとりの人物が駆け寄った。岩渕である。彼は史織を抱き起こし、すこしでも死体から距離を取る。

 ワンテンポ遅れて、古川と愛河も史織のそばへと駆け寄った。

「落ち着いてください!」

 二階席から声が轟いた。

 コードレスマイクを用いて呼び掛けた森谷である。懐から取り出した警察手帳を掲げて、

「警察です!」

 とさけんだ。

 現場保存のお願いと、ホールから出ることのないよう申し置き、森谷はすばやく一階席へ駆けおりた。現場保存は初動の基本。森谷は簡易的なテープを張って規制線をつくると、舞台上でふるえる史織のもとへ駆け寄る。そばには古川と愛河がぴったりと寄り添って離れようとしない。初めに駆けつけた岩渕は遠慮したか、いまは一歩下がったところでホール全体を見回していた。

「真嶋さん」

「あ──、あ」

「警察です。いうてもたまたま観客で来とっただけなんですが……警視庁捜査一課の」

 森谷はスーツの内ポケットから警察手帳を見せた。

「森谷と申します。現場保存のためにも四人はここから降りていただいて──そうやな、楽屋で待機していてくれますか。……まークン!」

 うしろへ振りあおぐ。

 二階席にいるであろう相手はどこにもなく、代わりに規制線のすぐそばから「はい」と落ち着いた声が返ってきた。いつの間にか二階席からステージ前へ降りていたらしい。両隣には恭太郎と一花もいる。

「この人たちといっしょに、楽屋行ってんか」

「ホールの観客はどうします。ロビーは軽くパニックが起きていたので、いましがた講堂職員の方と収めてきましたが」

「気ィ回るなぁ……助かるわ。応援到着するまではみんなここに軟禁や。ホトケさんの状態によっては全員が容疑者候補になる」

「分かりました。恭と一花、おまえは真嶋さんたちといっしょに楽屋へ戻ってくれ。──すみませんが岩渕さん、ほかのチャンネル運営スタッフもみんな楽屋に集めておいていただけますか。おれは講堂職員の方にホール内もお願いしてくる」

「分かりました」

 岩渕はここでも冷静にうなずいた。

 将臣の仕切りによって、応援部隊が来るまで一同はごたつくことなく、大きな騒動も起こることはなかった。応援に駆けつけたのはやはり──所轄と警視庁の一課連中である。


 ※

 ポケットから取り出した白手袋を装着し、沢井はピアノの脚もとにころがる遺体を覗き見た。先ほど死体をあらためた検視官からは、

「また血が」

 というにがにがしい一言をもらったが、その意味は死体を見れば一目で分かった。胸元にざっくり開いた傷口には赤黒い血が固まり、ピアノ周辺にも血だまりどころかわずかな血痕すら見られない。検視官いわく、死後数週間は経っているだろうとのこと。

 その結果を受け、ホール内で待機する観客の身元を確認したうえで聞き込みを終えた者から帰すことを決定。もちろん主催者の真嶋史織たちはステイであるが。

 三橋が、メモ帳を片手に沢井のそばへ寄る。

「遺体が出現したのは、ホールが暗闇になったほんの一瞬。ピアノの音色に混じってなにかが落ちる音が響いて、女性の悲鳴とともに照明が復活。ホールはその瞬間から阿鼻叫喚──だそうです。音と遺体の位置関係からして……あの」

 くいと首を伸ばして天井を見上げた。

「吊り照明。あのあたりから落ちてきたんじゃないかと」

「あらかじめ吊り照明に遺体をセッティングして、なんらかの方法で落としたってか? クソッタレ。勘弁してくれ──こんな死に方で連続殺人なんざ」

「ここに死体を捨てることに意味があったんでしょうか」

「この会場にいる奴らに見せるため、とか?」

 ピアノの脚部分を覗きながら三國がつぶやく。

 沢井は苛立ちを隠さず、

「なんのために」

 と天井を見上げた。

「そんなこたァ知りませんや。自分は血ィ抜きたがるような変態じゃねえっすから──ともあれ、この場に森谷さんとあのお三方がいてくれたのは幸いしましたねィ」

 三國の口角があがる。

 そっちに話を聞こう、と沢井は疲れた声でつぶやいた。


 スタッフが待機する楽屋では、すでに所轄の刑事が聞き込みを開始していた。中に件の三人組はいない。所轄の高野巡査部長の「となりの控室です」という助言をたよりに隣室を覗くと、高級感あふれる革のソファーにふんぞり返った恭太郎が目に飛び込んできた。

 その両隣の将臣と一花もまた、ぐったりとソファーの背もたれに身をあずけている。一花はともかく将臣のそういうすがたはめずらしい──と思った。沢井の知る将臣はいつでも背筋が伸びていたから。

 扉の開いた音で、将臣がのったりと首を起こす。

「あ。……沢井さん」

「よう。せっかくの時間がお気の毒なこったな」

「まったくだわ!!」

 天を衝くほどの大声でさけんだのは一花だった。

 耳元でそんな爆音を聞かされたものだから、恭太郎は歯を食いしばって一花の頭をはたく。それから、

「なんだ、また血抜かれてたのか」

 と三橋の方を見た。

 しかし視力がわるいため、焦点は定まっていない。三橋の胸のあたりをぼんやりと見つめている。

「三文字割腹のつぎは胸に縦一文字? 吊り照明、ピアノの屋根……うーん。どうもしっくりこないなあ」

「さ、沢井さん──」

 三橋の顔が固まった。

「ああクソ。これも聞こえてんのかよ」

 と、沢井はガシガシと頭を掻いて三橋の肩をぐいと三人の方へと押し出した。

「三橋、こいつらから話聞いとけ」

「えっ」

「三人まとめてで構わねえ。あと、恭太郎のことばは将臣の通訳を頼れ。俺と三國はとなりの運営スタッフの聴取に入る」

「――分かりました」

 不服。

 顔面いっぱいに書かれた彼女の意見は見なかったことにして、沢井は三國を連れてそそくさと控え室を出ていった。つまるところ三橋を生け贄に逃げたわけだ。細く細く息を吐きだして、三橋は一席離れたソファー席へと腰かけた。脚を組み、スマホを見る様はどう見ても聴取中の刑事ではない。

「じゃあ──聴取はじめるけど、ふざけないでね。一応君たちも重要参考人なんだから」

「僕は生まれてこの方ふざけたことはない!」

「…………」

「まず代表として自分から。なにをお答えすれば」

 と、将臣は申し訳なさそうに眉を下げた。

 三橋がスマホをかたむける。

「上演前と上演中、不審人物を見たとか不審な物音を聞いたとか。気になったことはある? なんでもいい」

「おれはとくに。会場も薄暗かったですし、二階席ならまだしも一階席の様子となると分かりかねますね」

「右におなじぃ。あたし途中から目つむってたし」

「クラシックコンサートだものねえ……」

 と、三橋は半ば投げやりにつぶやく。

 期待を一ミリも抱かぬ顔で、恭太郎へと顔を向けたときだった。彼はなんでもないことのように、

「不審人物ならいた」

 と言った。

「えッ……不審人物、見たの!」

「“見た”とは言ってない。“いた”と言ったんだ」

「同じでしょ」

「違う。僕はだれかの声を聞いただけで、それがだれかまではわからなかった。でもたしかにあの場には存在していたんだ。声がね」

 といって偉そうに踏ん反り返る恭太郎。

 わからない。三橋の眉がひそまる。

 すかさず将臣がフォローを入れた。

「恭の知覚の仕方は人とちがうんですよ。ふつうの人は目で見てそのモノの存在を確認しますが、彼の場合はすべて耳でおこなうんです。耳から入ってきた音で知覚し、音を形成する。目がほとんど見えないですから」

 そうそう、と恭太郎がうなずく。

「お、音を形成なんて出来るの?」

「恭はふつうよりも数倍耳がいい。だから例えば――」

 と、将臣は目前にあるガラスの机をコンコンと叩く。

「このような音が聞こえれば、我々はその音を出したモノを見ることで初めて『拳がガラスの机を叩いているな』と理解する。しかし恭の場合、音を聞いただけで何が何にあたったのかが大抵わかる」

 今度は人差し指と小指の爪でカツカツと二回ずつ叩いた。

「これを聞いて、恭は見ていなくとも『最初の二回は人差し指の爪で、次の二回は小指の爪だ』と分かるんです」

「指までわかるの?」

「いや、それを聞いた時点で恭にわかるのは『爪が叩いた』ということだけで、どの指が叩いたかまではわからない。だから実際にやってみるんです、こいつは」

 ちらと恭太郎を見ると、恭太郎はふたたびそうそう、と頷いている。おまえが説明しろよ、という邪悪な目を向けてから将臣は三橋に視線をもどした。

「ときどきこの男が不審者に成りかねないような行動をとるのも、そのせいです」

「へえ……」

 感心する三橋をよそに、恭太郎はソファーの背もたれに首を預け、天井を見上げる。なにかをなぞるように人さし指で宙に一本の線を描く。


「あれは──怯えていたのかなぁ」


 というつぶやきを乗せて。

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