第3話 なんでもいいや、


 朦朧とした意識の中で、目の前に飛び込んできた"救い"。



 如何に、疲労と空腹がマトモな思考の妨げになるのかを痛感させられる。

 


 使い古した鍋の中には、ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎといった具材が入った、現世でいう所の"クリームシチューとでも言うべき料理。



 牛乳とチーズで煮込んだのか、甘さの中に優しさを感じられる匂いが漂う。



 その主菜のみが並ぶ、シンプルな長方形のテーブル。



 しかし、ご飯やパンなどと言った主食を欲する事などは、決してなかった。



 ……だって、今、目の前に温かい料理がある。



 それが、どれだけありがたい事か……。



 あたしはしみじみとそう思うと、もう一度、感謝を述べた。



「本当に、ありがとうございます……」



 来未ちゃんは、涎を垂らしながらキラキラとした目で料理を眺めていたが、あたしの行為を見ると、ハッと我に返って、慌てて示しを合わせた。


「あ、ありがとうございます」



 すると、そんな二人を見た旦那さんは、笑った。



「ハッハハ!! 気にしなくても良いさ。それよりも、熱い内に食べちゃってくれ! 」



 そう促されると、まだ怯えた表情を見せる先程の青年の視線を横目に、「さあ、お食べ」と、奥さんからよそってもらったそのシチューを「いただきます」と、小さく呟いた後で、口にした。



 ……瞬間、口内には"幸福感"が広がる。



 これまで感じた事がない程の。



 水っぽくて薄味ながら、野菜の旨味が染み込んでいて、それが"優しさ"を演出。



 喉を鳴らす度に、先程までの緊張感は溶かされて行く様な、そんな感覚を覚える。



 ……なによりも。



 多分、今のシチュエーションも含め、これまで生きてきた人生の中で、一番、"美味しい"と思った。



 脳内から大量のセロトニンが分泌されている事が、すぐに分かる。



 それ程に、このシチューは、あたし達を助けてくれた、いわゆる、"救世主"となっていたのであった。



「美味しい……」



 思わず、ボソッとそう零す。



「うんっ! このシチュー、最高だよ!! 」



 目をキラキラさせながら感動する来未ちゃん。



 すると、まだ名前も聞いていないその中年夫婦は、優しく笑いかけた。



「アッハハ〜。それは良かった。まだまだあるから、沢山食べてくれよ! 」


「よほどお疲れだったのね。もし、行く宛がないのなら、今日は一晩、この家に泊まると良いわ」



 とても献身的で、有り難い言葉。



 正直、このまま外で怯えながら夜を明かすのは、危険な気がしていた。



 まだあたし達は、この世界について、何も理解していない。



 それならば、この"慈悲"を受け入れる事こそが、得策なのではないかと思った。



 ……いや、そうするしかないのだ。



 だからこそ、あたしはすっかり膨らんだお腹を少しだけ摩ると、立ち上がって丁寧にお辞儀をした。



「何から何まで、本当にすみません。お世話になります」



 その言葉を聞いた夫婦は、「ゆっくりしていってくれ」と、言った。



 そこから、お互いの自己紹介をしたり、他愛もない話をしたりして過ごした。



 異世界から来た事は、一応、隠して。

 不審がられない様に、遠くの国から来たと作り話をした。


 この世界についての情報が欲しい所だったが、妙な詮索をすると、何かを疑われそうだったので、その話題も避けた。



 彼ら夫婦は、夫エドガーと妻モンテナ。

 それに、すぐにその場から離れてしまった臆病な同い年くらいの息子はヒホン。



 来未ちゃんは、すっかり馴染んでいた。



 でも、そのやり取りの中で、不審な点があることに気がつく。



 ……何だか、違和感があるの。



 この、不自然な作り笑い。

 それに、青年の怪訝な表情。



 何よりも、まるで何かに怯えた様に、全員、ずっと小刻みに震えていたのだ。



 どうやら、この家族は、あたし達を警戒している。


 理由は、分からない。



 ……どちらにせよ、どんな魔物が現れるかも分からない野宿よりは、ずっと安全。



 それを象徴付ける様に、不思議と、彼らからは一切の"敵意"が感じられない事がハッキリと分かったからだ。



 なんで、そこまで明白だと判断出来るのかは、全くの不明だけど。



 自信があった。



 それに、あたしは今まで"直感"を外した事が殆どないという裏付けも相まって、信じる事にした。



 周くんに、告白すると言う選択だけは、間違えてしまったけど……。泣きそうになる。



 何にせよ、妻から小さな物置部屋に通された所で、そう結論を出す。



 すると、モンテナは、相変わらず怯えた雰囲気を隠しながらも毛布を渡した。



「じゃあ、今日は、ゆっくりと休むといいわ」


 額から脂汗を流す彼女にそう促されると、あたしは、「はい、本当にありがとうございます」と、心からの感謝を伝えた。



 ……なんで、ずっと怖がっているんだろう。



 普通なら、そんな人間をわざわざ自宅に招き入れるなんて事はあり得ない。



 どちらにせよ、その謎については一旦、考えないのが得策だと判断。



 ……だって、今は休養が必要だから。



 それに、どんな理由があるにせよ、このエドガーを始めとした家族は、返しても返し切れない程の"感謝"がある訳だし。



 そこは、決して見誤ってはいけない。



 お父さんからも言われていたんだもの。



『無闇やたらと、人を疑ってはいけない』ってね。



 だからこそ、あたしはこの"歪な慈悲"を受け入れる事にすると、すっかり疲れてウトウトとしている来未ちゃんを寝かしつける事にした。



「くるみ、まだ、だいじょうぶだよ……」



 今にも寝落ちしそうな彼女の制服のボタンを二つ空けて衣服の締め付けを緩めていると、そう抗った。



 でも、その発言に、小さく首を振る。



「……今日は、色々疲れたよね。明日からも色々と大変だろうし、ゆっくり寝ようか」



 優しく微笑みながらそう頭を撫でると、彼女はホッとしたのか、「芽衣お姉ちゃんと会えて、良かった……。おやすみ……」という言葉を最後に瞼を閉じたのであった。



 ……疲れ切った顔をして。



 その表情を目の当たりにした時、今日一日の自分を反省する。



 こんなに小さな女の子に、無理をさせてしまったなって。



 それから、薄暗い中、蝋燭が一本だけ灯った部屋で、自分と向き合う事にした。



 ……今日の、今、この場で起きている出来事って、一体、何なんだろう。



 ……あたしは、周くんにフラれて、泣いているところで……。



「もしかしたら、明日になったら、普通に見慣れた布団の上で起きるのかも……」



 ……思考すらもままならない程に疲弊した、頭と身体が枷となると、気がつけば、深い眠りについたのであった。



*********



____「ドォーーーーン!!!! 」



 まるで、この世の終わりの幕開けの様な、激しい轟音が鳴り響く。



 同時に、あたしは飛び起きた。



「えっ?! なにっ!? 」



 すると、視界は眠る前と変わらない、物置部屋だった。


 

 つまり、この現状は、夢ではなかったのだ。



 ……だが、それよりも気になる事。



 今、外から聴こえた音だ。



 明らかに、近くから聴こえる。



 わかりやすく言えば、村の中から……。



 その事実に気がつくと、あたしは途端に、エドガー達の安否が気になった。



 だって、救ってくれた人だもん。



 怖がっていたのには違和感を感じたけど、それは、別の話。



 そう思うと、同じく目を覚ました来未ちゃんの方を見る。



「……何が起きたの……? 」



 完全に怯え切った表情をする彼女。



 もし、屋外で何かの"争い"が起きている場合、子どもである彼女は、真っ先に狙われてしまうであろう。



 だからこそ、あたしは無理やり笑顔を見せた。



「きっと、何もないよ。ごめんね、少し様子を見てくるから、ここで待ってて」



 そう告げると、来未ちゃんは涙目になった。



「本当に、大丈夫……? 」



 まるで群れから取り残されてしまった子鹿の様に、不安そうな目でそう訴えかける。



 だが、あたしは力強く頷いた。



「必ず戻ってくるよっ! だって、約束したじゃない。"必ず二人で元の世界に戻る"って!! 」



 堂々とそう宣言をすると、来未ちゃんは唇を噛み締めながら頷いた。



「分かった。くるみ、芽衣お姉ちゃんが戻って来るまでずっと待ってるねっ!! 」



 その言葉を最後に、あたしは真っ暗な部屋を出た。



 ……憶測通り、家の中にエドガー達の姿はなかった。



 つまり、今、外で……。



 そう思うと、本能的に「助けなきゃ」という思考が全身を支配する。



 昔から、ずっと、抗えなかった"正義感"がそうさせるのだ。



 ハッキリ言って、すごく怖い。



 朝に起きた事を思い出すと、余計に。



 だけど、今、ここで感謝を形にしないと、一生後悔する気がした。



 だからこそ、あたしは覚悟を決めて外に出たのだ。



 ____すると、そこに広がっていた光景。



 数名の村人が鍬や鋤を取って睨みを利かせる視線の先には……。



 十数体の"ゴブリン達"が、柵を破壊した状態で、妖しげに笑っていたのであった。



 その姿は、まさに、今朝あたしが討った者と同じだった。



 両手には、ボロボロの剣と盾。



 つまり、完全にこの村を壊滅させる為に、臨戦体制を引いて来たとしか思えない。



 ……頭の中を"恐怖"が覆い尽くしてゆく。



 "死"という名の終焉が、うるさい程に足音を立てながら……。



 すると、群れの一匹はニヤニヤと笑いながら、一歩踏み出した。



 ……同時に、村人の一人が「全力で此処を守るぞーーーー!!!! 」と、雄叫びを上げる。



 ……その中には、エドガー達の姿もあった。



 だが、あたしは、初めて感じる"生命の危機"を目の前に、腰を抜かす事しか出来なかったのである。


 ただただ、その場で何も出来ずに震えるだけの自分に不甲斐なさを感じる。



 ……そう思っている間にも、村人と魔物による戦闘は、始まったのであった。

 

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