他でもない、俺が
靡くほどの夜風が吹く。
揺れている髪は少しだけ乱れており、急いで来たのだということが分かった。
街灯に照らされた少女はやはり美しく視界に映った。
眺めているだけで胸が高鳴るのだから、本当に惚れているのだと自覚してしまう。
どうしてここに彼女がいるのか? そんな疑問が一瞬湧いてしまったものの、すぐに答えが出る。
(綺紗羅が呼んだのか……)
彼女の行動力には舌を巻く。
当事者じゃないからかもしれないが、まさか話した直後に佐倉を呼び出すとは。
───さっさと解決しろ。
そんな言葉を言われているような気がした。
ウジウジ悩んでいないで前を見ろ、と。背中を蹴られている感覚。
(さて……)
何を言おうか?
目の前でモジモジと居心地の悪そうな佐倉に対して、俺は何を言うべきか。
謝罪? それとも弁明?
(……いや、決まってるじゃないか)
俺は大きく一つ気づかれないように深呼吸をする。
そして、俺は彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。
「あ、あのっ! 御崎さ───」
「昔、一人の女の子に声をかけられたことがあるんだ」
「……えっ?」
突然の話に、佐倉は思わず驚く。
なんの脈絡もなしにそのようなことを言われれば確かに疑問に思うだろう。
それでも、ちゃんと言っておきたかった。
「あの時の俺はお世辞にもまともって言える人間じゃなかった。碌に人とも話せないし、見た目だってこんなんじゃなかった。ましてや俳優になろうとも考えてなかった」
口にしていると、どこか懐かしい気分になる。
もう俺からしてみれば何年も前の話で、とっくの昔に捨てたものだから。
「そんな俺に話しかけてくれた時は嬉しかった。優しくもしてくれた。目で追い始めるなんて時間の問題だった。だが、その子は俺なんかよりも比べ物にならないほど人気者で、手が届かないところにいたんだ」
こんなことを言っても首を傾げられるに決まっている。
タイムリープしたなんて荒唐無稽の話をしたこともないし、もうあるはずもない世界だから。
今の佐倉の中には、あの時声をかけてくれた記憶など存在していない。
「だから諦めた。諦めてそれぞれの人生を歩いていって……それから、偶然にも再会できた。色々な運があったからだと思う。胸に抱いていた気持ちは残っていて、嬉しいと思った時には……もう色々遅かった」
佐倉の指には指輪が嵌められており、佐倉の隣にはもう誰かがいて。
同じ土俵に立った頃には、もう手遅れなんだと気付かされた。
「俺が早く前を向いていたら、自分に向き合って諦めていなかったらって思ったんだよ。だから……俺は後悔したくない。もう、二度と」
わけの分からない突然の話を聞いてくれている佐倉を真っ直ぐに見つめる。
状況がよく呑み込めないのか、小さく瞳が揺れていた。
……懐かしむ話は、もうやめよう。
これからは、今を話すんだ。
「俺は佐倉には幸せになってほしい」
「ッ!?」
「幸せになって、苦しまずにこれからの人生を過ごしてほしいんだ」
並び立ちたいと思った。
好かれて、誰よりも傍で彼女の笑顔が見たいと思った。
けど、それが偶像で、本当の彼女ではなく仮面だったとしたら。
その仮面が剥がせなくて苦しんでいるのなら───俺は助けてあげたい。
だって……俺は佐倉が未だに好きだから。
「そのためにはなんでもいいと思ってた。どんな方法でも、俺じゃなくてもいいと思ってた……だが、それが間違いだったって、難しく考えすぎだって、あいつに教えてもらった」
突き放したことで彼女の境が見つかったのはいい。
でも、そこからを大事にしろと綺紗羅に背中を蹴られてしまった。
横にいてくれるとも言ってくれた……こんな、どうしようもない俺のために。
「だから、さ……佐倉」
震えそうになる声を必死に抑える。
いくら役者だからといって、本心を口にする時は取り繕うのに苦労してしまう。
だって、どこにも
それでも、言うんだ。
「俺は君を救いたい。他でもない、俺が君に」
言った。
言ってやった。
もうこれで後戻りはできない。
手を払われるかもしれないし、気持ち悪いと思われるかもしれない、突き放したのに何を言っているんだと拒絶されるかもしれない。
だが、これが間違いなく俺の本心で。
もう一度彼女に向き合うために───必要なことだと思った。
真っ直ぐに。真っ直ぐに佐倉の顔を見つめる。
そして───
「わ、たしは……」
ポロ、と。
瞳から涙が零れた。
「あなたにそんなことを言ってもらえる資格……ない」
一度流れた涙は止まらなく、ついには両手で顔を覆って蹲ってしまった。
「だって、こんな何もない私だよ!? あの時、御崎さんに言われた言葉は全部合ってる! どれが私で何が私なのか分からないんだよ!? 御崎さんがいなかったら、怒りも哀しみも自覚できなかったのに!」
でも、今の君はどうだ?
皮を被った演技だと、そう言えるのか?
どこからどう見ても、俺には今の君はいつもと違う君に見える。
「どうして、御崎さんは私のためにそこまでしてくれるの……? だって、私はまだ数ヶ月の付き合いなんだよ!?」
そうだ。普通はそう思う。
何せ、この何年も抱いた感情はもうどこにもない過去にあったもので、積み重ねた時間は俺の中にしかないから。
「分からない……私は分からない」
でも、と。
佐倉は嗚咽が混ざった言葉で口にした。
「嬉しい……御崎さんにそう思われて喜んでいる私が、いる……」
俺は顔を隠している両手を手に取った。
剥がした顔にはテレビでしか見せない涙が流れていて。
潤んで透き通った彼女の瞳を覗き込んだ。
「その感情は
「……うん、だと思う」
「だったら───」
そして、にっこりと笑顔を彼女に向けた。
安心させてあげたいという、俺の本心に従って。
「あと一つ……『楽しさ』を俺が教えてやる。そうすれば、佐倉はきっと自分を見つけられるはずだ」
……初めからこう言っていれば、俺の心はこんなにも誇らしく思えていただろうか?
嬉しいと、彼女は言ってくれた。
そんな佐倉の気持ちに応えられるよう頑張ろうと、やる気に満ち溢れたことはあっただろうか?
俺の、するべきことは固まった。
「どう、して……」
潤んだ瞳で、佐倉は俺を見つめる。
「どうしてあなたは……私のためにそこまでしてくれるの?」
どうして?
そんなの、決まっている。
「俺にとって、君が───だからだよ」
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