逃がさない

 その発言に俺はどういう反応を見せればいいのか。

 怒ればいい? 馬鹿じゃないと否定すればいい? その通りだと肯定すればいい?

 期待していた分、綺紗羅の言葉が重く殴られたような衝撃を与えてきた。

 しかし、ただ勝手に期待して、落胆しているだけなのだから……何を言う筋合いなどどこにもない。


「変に考えて、変に纏めようとして、変に綺麗な形で終わらせようとする」


 綺紗羅は俺の反応を気にするわけでもなく言葉を続ける。


「まぁ、あなたの考えも納得できる部分はあるわ。傷つけたのなら筋は通さなきゃいけない、柊夜が自分を思い出すために突き放さなきゃいけない。考えて考えての結果がそれしかなかったんだってことも、葵の様子を見れば分かる」

「だったら―――」

「でも、


 なんで、納得してくれない?

 そこまで納得してくれたのなら、どうして最後まで納得してくれないんだ。

 今の言葉は、まるで俺の方法が中途半端な50点とでも言わんばかりに。


「どうして難しく考えちゃうの? 大人みたいな考え方になっちゃうの? まぁ、そこが葵のいいところで、そういう部分が惹かれる原因なのかもしれないわ」


 綺紗羅は立ち上がり、俺の目の前までやって来る。


「けど、はっきり言ってあげる―――大人みたいに綺麗な纏め方をしようとしているつもりでしょうけど、私からは『逃げている』ようにしか見えない」

「ッ!?」

「だってそうでしょ? 難しく考えて、最後は結局人任せじゃない。あなたは自分で突き放したのに、柊夜を幸せにする立ち位置から背中を向けている。もう慰めても柊夜は境をちゃんと知ってるかもしれないのに」


 透き通った美しい瞳が顔を覗いてくる。

 その目が胸を鷲掴んできているようで、思わず逃げたくなってしまった。

 だが、退路を塞ぐかのように……綺紗羅の手が俺の手に添えられる。


「仮にもう知ってるとしても……俺には、資格がない」

「なんの資格がいるのよ?」

「だから、佐倉を慰める資格が……ッ!」

「それは誰が決めたの?」


 逃げられない代わりに出てしまった言葉も、すぐに綺紗羅が止めにくる。

 顔には優しい笑顔が浮かんでいるのに、今は恐ろしい。


「私が言った? 周りが言った? ましてや……柊夜がそんなことを言ったかしら?」

「……いいや」

「あなただけなのよ、今の立ち位置にいる自分を非難しているのは」


 恐ろしいが―――それでも、綺紗羅は変わらず優しい笑みを浮かべる。


「境が分かるように慰めちゃいけないっていうのも分かるけど、そういうのはあなたが決めることじゃなくて柊夜が感じて一緒に考えればいいものでしょ」


 まるで心の重荷を一緒に持ってあげるとでも言っているように。


「私は当事者じゃないわ。柊夜がどんなことで苦しんだのかも、葵がどんな結論と覚悟を持って行動したのかも、私は人伝手でしか知らない。けどね、傍から見ているからこそ分かるの……今、一番あの子と距離が近いのはあなた。手を伸ばしてほしいと願われているのもあなたなんだから。かっこつけないで、一人で抱え込まないで、自分の考えを信じないでちゃんと話し合いなさい」


 そして、綺紗羅は添えた手をひっそりと握った。


「大人になんかならなくていいから、


 ドクン、と。

 きつく締め上げられた胸が大きく鼓動する。

 何を言おうか、なんて言えばいいのか。口が何度も開いたり閉じたりを繰り返す。


 頑張れって、言われても。


「……俺は綺紗羅が思うほど強くないんだよ」

「だったら私が横にいてあげるわ。私だってあの子のことを人任せにしているんだもの」


 一度大人になったからって根っこの部分は何も変わっちゃいない。


「……逃げたくて逃げているわけじゃないんだ」

「なら私が退路を塞いであげるわ。ついでに背中を蹴り飛ばしてあげる」


 それでも、彼女には幸せでいてほしくて。


「……俺だって、叶うんだったらあの子を俺が幸せにしたいよ」

「それでいいじゃない。誰もダメって言っているわけじゃないんだから」


 あぁ、そうか。

 目の前の女の子は―――俺を本気で逃がそうとしてくれない。

 取り繕った脆い心を、平気で剥がしにかかってきているんだ。


「……人が嫌なところを土足で入って来やがって」

「ふふっ、でも嫌じゃないでしょ?」


 嫌なわけがない。

 手を握ってくれている部分が……温かいのだから。


「もう大丈夫そうね」


 俺の顔を見上げていた綺紗羅がゆっくりと立ち上がる。

 今、自分がどんな顔をしているのかは分からない。

 何を見て大丈夫だと思ったのか、鏡を見ないと理解ができない。

 それでも―――


「……あぁ」


 心が少し軽い。

 それでいて、何をしなきゃいけないのかも分かった気がする。


「ありがと、綺紗羅」

「いいわよ、別に。私がしたかっただけだし。余計なお世話だったら申し訳ないけどね」

「そんなことはない。綺紗羅のおかげで、分かったよ」

「……そっか」


 綺紗羅は俺の頭を優しく撫で始めた。

 優しく、柔らかい瞳を向けながら 。


「ほんと、あの子もあの子なのよ。変に気を使って追い込まれるまで溜め込んじゃって。まったく……羨ましいぐらい自分のことを考えてくれる人が近くにいるっていうのに。嫉妬しかしないわ」


 そう小さく愚痴りながら、綺紗羅はスマホを取り出し始めて耳に当てる。


「あ、もしもし? うん、うん……とりあえず、いいから来なさい。いるから、ここに」


 誰と話しているのか?

 綺紗羅の声だけしか耳に届かない。

 だが、それもすぐに終わる。


「そういうわけだから、じゃあね。逃げずにちゃんと来なさいよ───あ、ごめんなさいね」


 電話が終わったのか、綺紗羅はスマホをポケットにしまった。


「今のは……?」

「あぁ、気にしないで」


 気にしないというのであれば気にはしないが───


「とりあえず、葵はここに残ってね」


 明らか俺に関係ありそうなのだが、気にしなくてもいいのだろうか?


「あ、そうそう。言っておくけど───」


 綺紗羅は唐突に俺の鼻へと人差し指を向けた。


「今回だけだからね、塩を送るのは! 私だってちゃんと見てもらいたいんだから!」


 それは演技のことを言っているのか、それとも別のことを言っているのか?

 分からないが、聞こうと思った瞬間に「じゃあね」と。それだけ言い残して足早に去ってしまった。


(なんだったんだ……?)


 最後のは一体、どういう意味だろう。

 疑問は残るが、とりあえず綺紗羅の言う通り俺は公園に残ることにする。

 あとで誰か来るのだろう。電話越しの相手は誰かは分からないが、綺紗羅が呼んだのであれば待つしかない。


(不思議だな……)


 一人になったというのに、先程までの重く苦しいものは何もなかった。

 不安もある、焦燥だってないとは言い切れない。

 それでもどこか清々しくて、少し肌寒い夜風が妙に心地よく思えた。


 そして、しばらく一人の空間を味わっていると───

















「御崎、さん」

「佐倉?」


 公園の入り口に、彼女が現れた。

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