本読み
『どうして、君はこの林檎を持っていたんだ?』
『そ、それは……』
佐倉が言いたいけど言えないような、そんな口籠りを見せる。
目は少し伏せ、視線が斜め右へと逃げるように逸れた。
まず俺達は先に佐倉の練習に付き合うことになった。
―――『一つの林檎と五人の狼』。
赤ずきんをモチーフにした、現代学園を舞台にした少女漫画原作。
学園の生徒会の秘密である赤い林檎を転校してきた主人公がたまたま拾ってしまい、生徒会の人間が女の子に接近していくという物語だ。
林檎の謎というファンタジーチックな要素もありながら、メインは主人公と五人による恋愛模様を描いた作品なため、ラブロマンスという印象が強い。
ドラマではなく二時間弱の映画に纏めようとしているからか、台本を読んでいると随分早急な展開だなと思った。
その分、メインの男に焦点を当てている。一本という映画の中で、五人という体裁を整えながらも実際はその男と主人公の物語なのだと感じた。
佐倉が演じるのは主人公である転校生の
そして、現在———本作で最も主人公と関係値を作る男である
俺は、その瑛士として佐倉と向き合っていた。
(しかし、流石は佐倉だな……)
見ていても違和感が極端に少ない。
目の前にいる彼女は本当に後ろめたいことがありつつも追い詰められている女の子のようだった。
相対しているだけでどことなく罪悪感が湧いてくる。
『まさか、生徒会室から盗もうと思ったんじゃないだろうな?』
しかし、俺は瑛士だ。
強気で、どこか不遜で、責任感が強い男。
それ故に、初対面の人間に対して親切に接するなど考えられない。
加えて相手は生徒会の秘密である林檎を手に持っているのだ。罪悪感で唸るよりも、強気で攻める必要がある。
だから俺は佐倉の顎を摘んでグッと顔を寄せた。
近くに初恋の相手の整った顔立ちがあることなど忘れて。
『ち、違いますっ!』
『なら、その手に持っている林檎はどう説明する?』
『だから、これはっ!』
対して佐倉も何か思うまでもなく役に徹していた。
必死で言えないけども訴えている様子。カメラが回っているのをしっかり意識して背中を向けないようにもしている。
本来、本読みの場合には動作まで加えることはほとんどない。
セリフを合わせ、役のイメージを共有する。
しかし、もちろん動きまで含めれば効率よく伝達し、具体的な偶像を伝えることが可能だ。
佐倉がやっているなら俺もやる。
ただ―――
(表面、だな)
画面越しからでは分からなかったが、今の佐倉は表面をなぞっているように思える。
茜という役を纏って、台本のセリフを状況に応じて動かしながら口にしているだけ。
もちろん、それが悪いわけではない。
舞台役者とは違って、メディアに顔を出す俳優はカメラの向こう側にいる人間の理想像を纏うことで人気を生み出す。
万人に受けるなどあり得ない。多くの人間に望まれるキャラクターを作ることで誰かの印象に残していく。
それを繰り返していくうちに名前というのが広がっていくのだ。
(今の佐倉も、俺が台本を読んだ時に想像した茜の姿のままだ)
それがどんなに凄いことなのか、同じ土俵に立っていれば分かる。
きっと何度も台本を読み込み、想像して、原作とそれに付随した感想を漁って『多くが望む茜』という偶像を導き出したのだろう。
俺はそのことに感嘆するしかない。
けど、どこか寂しいと思ってしまう俺がいてしまった。
何せ、気のせいかもしれないが……その表面はいつもの佐倉を見ているような気がしたから。
『ついて来い、話は生徒会室で聞かせてもらう』
俺は佐倉の顎をつまんでいた手で彼女の腕を掴み、足を進める。
―――そこで、役に入っていない綺紗羅が手を叩いた。
「はい、じゃあ一回休憩にしましょ」
その瞬間、俺も佐倉もすぐに立ち止まる。
合わせを止め、現実へと戻ってきたからだ。
「分かりました、キリがいいですもんね」
佐倉が小さく笑い、近くにあった椅子へと腰を下ろす。
そして、何故か俺の方へと不思議そうな顔を向けた。
「それにしても……御崎さん」
「ん?」
「一度も最中に台本を見ていませんが、もしかしてあの十数分で台本を覚えたのでしょうか?」
十数分というのは、俺が台本を読んでいた時間だろう。
確かに覚えているが、人よりも少し記憶力がいい程度で驚かれるほどのものじゃない。
それに、佐倉が出ていた作品は大体観込んでいたからな。
ある程度の流れもセリフも頭に入っている。
「気持ち悪いでしょ、こいつ。私の時もほぼすぐに覚えちゃうのよ」
「褒めろよ、俺泣くぞ?」
確かにズルはあるが、気持ち悪いなんて言うなよ。
俺は男の子だぞ? 女の子に言われたらどうなるかなんて分かり切ってるじゃんよ。ばーか、ばーかっ!
「あら、褒めているわよ? ねぇ、柊夜?」
「えぇ、私も驚きました。流石にこのスピードで覚えられる人はいませんよ。加えて、ちゃんと役を作って合わせてくれます。これは正直褒める以外の言葉が見当たりません」
佐倉に言われるとむず痒い。
というより、照れ臭くて顔が熱くなってしまう。
「それで、ここまでで二人は私の演技をどう思われたでしょうか?」
「どうって……相変わらず、舌を巻くような演技としか言えないんだけど」
綺紗羅がそう言うと、佐倉は俺に視線を向けた。
「御崎さんはいかがでしょうか?」
「俺も綺紗羅と同じ……」
……で、言うことがない。
そう口にしようとした俺の言葉が思わず止まってしまった。
「大丈夫ですよ、正直に言ってもらって構いませんから」
「…………」
恐らく、綺麗に褒めたくはなかったのだろう。役者として。
ただ、俺は言ってもいいのか悩んでいた。それを察して、佐倉は真っ直ぐに俺を見つめてきたのだ。
だから―――
「いつもの佐倉と変わんねぇな、って。なんかそう思った」
俺が素直に言うと、佐倉は一瞬だけ目を見開いてしまった。
透き通った瞳には泥水にでもかけられたかのように少し陰りが浮かんでいるような気がする。
しかし、それもすぐにいつもの笑みが戻ってきた。
「ふふっ、心に突き刺さる言葉ですね」
それがどうして胸に刺さってしまったのか?
この場で分かる者はきっと本人しかいなかったと思う。
だからこそ、この話はすぐに違うものへと変わってしまい―――結局、このあとも変わらず本読みを続けることになった。
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