???①
その人は、クラスでも特別存在感のない人でした。
教室にいる時もいつも隅っこにいて、人と話している姿を滅多に見かけません。
クラスメイトだろうが、教師だろうが、彼が口を開いている光景は月に一度見かけるか見ないか。
二年も同じクラスになったというのに、私も彼と話したことがありませんでした。
特段話しかける用事もありませんでしたし、そもそも私があまり人に興味を持たない人間だったというのも理由にあるでしょう。
しかし、三年目に上がった時……私は声をかけてみました。
彼と三年連続で同じクラスになったのです。今まで抱かなかった関心がようやく好奇心という形で芽生えてしまったからかもしれません。
『何を読まれているのですか?』
『あ、いや……その……』
人見知りなのだなと、一言で分かりました。
長い前髪と猫背な姿勢が暗い印象を与え、他者が触れずらい空気を醸し出しているのでしょう。
ですが、話している途中にふと気がついたことがあります。
『前髪、下ろさない方がいいですよ』
『えっ?』
『ふふっ、御崎さん……意外と綺麗な顔をしているのですね』
本当に、私にしては本当に珍しく他人に興味を抱きました。
恐らく、話さない人が私の目の前で話してくれたからだと思います。
しかし、それも仕事や中々二人きりになれない状況のせいであまり回数を重ねられませんでした。
三年間で結局彼———御崎さんとお話しできた時は十数回ぐらいでした。
まぁ、それも些事で後悔と呼べるものではありません。
珍しく抱いた小さなこの感情がもったいないなと思った程度です。
そして、それから数年が過ぎたある日———
『よ、よぉ……俺のこと覚えてるか、佐倉?』
御崎さんが同じ芸能事務所に現れたのです。
それも、今最も人気のある実力派若手俳優として。
舞台上がりでもなく、オーディション上がりでもなく、スカウトされてから一躍有名となった者として。
……驚かないわけがありません。
かつて話したことのある彼からは程遠い姿で、私と同じ世界へやって来たのですから。
狭き門であるはずなのに、数少ない人間しか足を運べないというのに。
今が最高潮、一時の話題……などだったとしても、あの教室の隅っこにいた彼がテレビに映るようになるだなんて。
『ふふっ、久しぶりですね、御崎さん』
だからこそ、初めに抱いた小さな気持ちが大きくなって訪れたのです。
―――この感情の正体を私は知っている。
これが満たされるかどうか、少し楽しみでもありました。
それから、私と御崎さんは以前よりも多くの回数言葉を交わしました。
といってもプライベートで会うほどではありません。同じ事務所で顔を合わせた時に話すぐらい。
本当はプライベートでもお話ししたかったのですが、生憎と私も御崎さんも仕事が多く予定が合いませんでした。
それに、今や私も御崎さんも顔が広がって多くの案件を抱えて、色んな企業の広告塔になっているのです。
ほんの小さな不祥事で事務所だけでなく企業にも迷惑と損害を与えてしまいます。迂闊な行動などできるはずもありませんでした。
故に、数少ない話す機会こそが私の楽しみになり、彼の姿を見る度に浮かれていました。
(あぁ、私にもこんな感情が……)
……あったんですよ、御崎さん。
あなたはどうか分かりませんが、こんな溺れた私にとってあなたという存在は意外にも―――だったんです。
それを、私は伝えたかった。
「本当に、申し訳ございませんでした」
「頭を上げてよ、佐倉ちゃん」
喪服姿の優亜さんが頭を下げる私の肩を掴みます。
その手は酷く弱く、それでいて生きているのかも怪しいぐらい冷たいものでした。
当たり前です、事務所内の誰もが知っているぐらい愛していた弟が若くして亡くなってしまったのですから。
葬儀に来た人にお礼を言っている時の優亜さんの姿は今にでも折れてしまいそうだったのを覚えています。
そして、目の前に映る彼女も……変わらない姿でした。
「別に佐倉ちゃんが悪い話じゃないよ。事故だし、誰が悪いとかじゃないもん」
「で、ですが……御崎さんは、私を庇って……」
「あはは……本当に、かっこよく死んじゃったなぁ、葵くんは。女の子を庇って死んじゃうなんてさ」
優亜さんの瞳に涙が浮かびます。
ポツ、ポツ、と。演出にしてはタイミングのよすぎる雨が涙を消すかのように降り始めました。
ですが、屋外にいる私も優亜さんも……中に入るどころか、傘も差しませんでした。
「よく考えたら、これって葵くんの望む死に方だったのかもしれないね」
「……えっ?」
「知ってた? 葵くん、佐倉ちゃんのこと好きだったんだよ? 多分、女優としての君も一人の女の子としての君も」
その言葉に、私は思わず息を飲んでしまいました。
「好きな女の子のために死んだ……かっこいいヒーローみたいだね」
「……そうですね」
「それで、君はヒロインだ」
私の頬に何か濡れたような感触が下に伝っていきます。
それが雨ではなく涙であることは間違いないでしょう。
ただ―――
「その涙が、葵くんのために流してくれたものだと私は嬉しいな」
「…………」
「佐倉ちゃんは、立派な女優さんだよ。凄い才能を持った役者なんだってのは私だって分かってる。でも、今だけは……役者じゃないことを姉として、は願わずはいられ……ない、なぁ。なんと、なく……そう思う、よぉ……っ!」
そう言って、優亜さんは堪えきれなかったかのようにしゃがみ込み嗚咽を漏らし始めました。
その姿を見て、私はしっかりと言葉を返します。
「大丈夫です、ちゃんと……私として、泣いていますから」
―――あぁ、この感情も本当に久しぶりです。
消えていたと思っていたこの感情が再び戻ってきたような気がします。
嬉しいと、今まで悩んできたものが晴れてくれたおかげで素直にそう思います。
……ですが、皮肉なものですね。
取り戻せたと思ったその時には、感謝を伝えたい相手はいないのですから。
(やっぱり、役者になんて……)
ならなきゃよかった。
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