姉の配慮
「たでぃーまー」
綺紗羅のマネージャーさんに送ってもらい、二人と楽しい談笑が終わったあと。
俺は自宅へと戻ってリビングの扉を開けた。
「あっ、葵くんお帰りんごヨーグルト〜!」
リビングのキッチンには姉さんの姿。
エプロンを身に着け、どこかカレーの匂いが漂っていることから夕飯を作ってくれているのだと予想できる。
うちの両親は多忙で、中々家族団欒という時間は少ない。
こうして早く帰る人間が先にご飯を作るという姉弟間でのルールが作られてしまうぐらいには、父さんも母さんも姿をあまり見せないのだ。
「あれ? 今日はカレーなんだ」
「うん、この前のCMでもらったー!」
そういえば『あじまろ』ってカレーだった。
ということはギャラに加えてお礼として商品をもらえたのか。
「葵くんの報酬だね!」
なんと、俺にはギャラがなかったのか。
「頑張ってメディアに顔出ししたのに……ッ!」
「そりゃ、葵くんはプロダクションに所属してないからねぇ。おっきな企業が相手だし、いきなりギャラ云々は通せないよ」
言われてみればその通りなのだが。
しっかり報酬は払うから! という監督のセリフがまさかカレーだとは思わなんだ。
よくもいきなり通せたなぁとは思ったけども。
まぁ、あの時のおかげで色んな知り合いもできたしよしとしよう。今回のモデル撮影ではまとまったお金が出るみたいだし、しっかり聞いていなかった俺の落ち度だと思って納得するしかない。
「それより、今日は帰ってくるのが遅かったね。高校デビュー、ちゃんと成功した?」
姉さんが皿にご飯とカレーをよそいながら尋ねてくる。
「高校デビューが成功したかは分からないけど、遅くなったのはちょっとお仕事をしてたから……」
「お仕事?」
「うん、この前姉さんも綺紗羅と会ったでしょ? その子からモデル撮影の代役をもらってさ」
「モデル!?」
俺がそう言うと、姉さんはいきなり大声を出した。
そして、何故か俺の方へと勢いよく駆け寄ってきて、瞳を輝かせ始める。
「お姉ちゃんとようやく結婚してくれる気になったの!?」
ここまで理解ができない脈絡は珍しい。
「何故そうなる?」
「『モデル=お姉ちゃんと一緒=ずっと一緒=人生のパートナー=結婚』!」
本当にここまで理解ができない脈絡は珍しい。
「飛躍どころの話じゃないけど、身内との結婚はノー」
「そんな……ッ!」
「それに言ったでしょ? 俺は俳優志望なんだって」
膝をついて絶望感漂わせる姉さんを無視して、俺は制服のジャケットをソファーに放った。
将来、姉さんがしっかりと花嫁衣装を着てくれるか心配だ。
「ぐすっ……そ、そういえば言ってたね。でも、この前の件で色んなところからお声がけかかったんでしょ? お姉ちゃんと一緒にいた時も名刺もらってたし」
「もらったのはもらったけど、断ったよ。俺が入りたいのは『フォルテシモ』だからなー」
「ふぇっ? うちに?」
「姉さんと一緒のところの方が安心だろ? 俺も父さん達も」
本当は佐倉と同じ事務所に入りたいだけなのだが、それは別に言わなくてもいいだろう。
弟と結婚しようと口にする人間に「好きな人がいるから」なんて言ってしまえば面倒なことになりそうだから。
それに、どこから話が漏れるか分からないし、綺紗羅に言った時と同じ理由の方が帳尻を合わせやすい。
「確かにお父さん達は安心しそうだよね。まぁ、私の時も二つ返事でオーケーしてくれたから反対されることはないだろうけど」
「でも、早く事務所に入りたいなとは思ってる。仕事の幅っていう面でも」
今回のモデル撮影の件でも、しっかりと報酬が出る分両親の承諾書がいる。
手続きでいちいち親の許可をもらって書いてもらうのも手間にしかならず、互いのためにも省けるなら省きたい。
それに、事務所に入った方が仕事が入りやすいのも本当だ。今までは姉さんと綺紗羅がいたからもらえたのであって、次にどうなるかは分からない。
一応、筒地さんとあの時の監督さん達の名刺はもらったのだが、次があるかは不明なのだから。
「んー……じゃあ、ご希望通りお姉ちゃんのところ入る?」
唐突に、姉さんがそんなことを言い始めた。
「は? いや、そんなに簡単に入れる場所じゃないでしょ?」
「それがね、うちのマネージャーさんが『あじまろ』で葵くんを見て「誘いたい」って言ってたんだよ。可能だったら時間作ってほしいって」
姉さんはあくまでモデル。
元は一緒とはいえ、役者とは部署が違う……と思うだろうが、『フォルテシモ』は少し他社とは違った体制を取っている。
モデル、役者を混在した部署がいくつも存在し、それぞれで売り上げを統括している。
なんでも、社長が「どこで縁が生まれるか分からない」からとのこと。
モデルの仕事を受け持っていてそこで役者のいい人材や仕事が入るかもしれないし、逆もあるかもしれない。
部署が違えば話を通す際にワンクッション間に入ることになるため、そのコストをなくして迅速にチャンスを掴みたい……という方針から生まれたものだ。
前でも結局姉さんのマネージャーからお誘いをもらったし、今回も同じなのだろう。
しかし、まさかこのタイミングでもらえるとは思っていなかった。
「そ、それは願ってもないことだけど……どうして今更? あれから結構時間経ったでしょ?」
「本当は前々からもらってたんだけどねぇ〜、お姉ちゃんとしては「大丈夫かな?」って思って黙ってたのです。ほら、今まで学校で馴染めなかったから、入学のタイミングで変なことを言って差し支えあったら嫌だなって。待ってくれるって言ってたし、だから入学してしばらく経ってから言いたかったというか……」
ごめんね、と。姉さんは申し訳なさそうに謝ってくる。
だが、謝るのは違う。何せ、それは俺のことを心配して配慮してくれたのだから。
姉さんも、俺が中学時代にどんな生活を送ってきたのかを知っている。
泣いていた時もあったし、落ち込んでいた時もあった。
高校デビューをすると言った手前、俺が高校生活を頑張りたいという姿勢を邪魔はしたくなかったのだろう。
ただでさえ入学間もない時期は友人作りや慣れで忙しいのに、更に考えることを増やしてしまうかもしれない。
───きっと、そういう懸念から姉さん黙っていた。
そのことに感謝することはあれど、文句を言うのはおかしな話だ。
「ありがと、姉さん」
「ふぇっ?」
「俺のこと、ちゃんと考えてくれて」
俺は姉さんの方を見て、笑みを浮かべる。
「俺は大丈夫だから……その話、受けさせてほしい」
思ったよりも早く降ってきたチャンス。
確かに入学当初は大事な時期だけども、ここを逃せば次は本当に来期のオーディションだ。
今の俺なら、きっと学校でも馴染めるはずだ。
だから、降って湧いたチャンスを逃すわけにはいかない。
俺がそう言い切ると、姉さんは嬉しそうな顔をして思い切り俺に抱き着いてきた。
「ふへへっ、葵くんはいつの間にか成長したねぇ〜!」
「ちょ、姉さん!?」
「お姉ちゃんは弟の成長が嬉しいぞぉ〜!」
頬を擦り寄せてくる姉さん。
鬱陶しいと感じてしまうけども、嬉しいという言葉がありありと伝わってくる。
そのため余計にも邪険にできず……俺は引き剥がそうと思った気持ちをグッと堪えたのであった。
「あ、ちゅーしていい?」
俺は思い切り引き剥がした。
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