登校前の危機

 とうとう入学を迎えた本日。

 ようやく佐倉に会えるのかという嬉しさと反してちゃんと喋られるだろうかという不安が内心を占めて胃がキリキリしていた。

 とはいえ、俺がちゃんと喋られるかはクラスの人間も同じ。

 昔とは違って社会人にもなり、ある程度陰キャ魂は薄れてきたが不安というのはどうしてもつきものだったりする。


 そして、そんな不安を抱えた俺は───朝からピンチを迎えていた。


「今日ね、大学の講義が午後からなんだ」


 学校指定のカバンを肩に提げ、玄関を出ようとしている俺に姉さんが声をかけてくる。

 父さんと母さんはもう仕事に出てしまっていた。家には残すところ俺と姉さんだけだ。


「そうなんだ、姉さんもすっかり大学生だね」


 今年の春から大学生になった姉さん。

 大学の初日は高校よりもだいぶ早く、午後からと言いつつもバリバリにオシャレにおめかししてを抱えた姉さんは朝から大学色に染まっていた。


「お仕事もお休みなんだよ」

「そっか」

「お友達との予定も入れてないんだ」

「うんうん」

「だから葵くんの入学式に行く!」


 神よ、この姉に予定を入れてください。


「ハウス、ステイ、ゴーホーム」

「お姉ちゃん、家にはもういるよ?」

「俺は家から出るなって伝えてるんだ」


 これはピンチだ。

 誰が悲しくて高校の入学式に姉を連れて来させたいというのか?

 加えて、姉さんは迷惑なぐらい目立って可愛く、世間的にも有名だ。こんな人間が高校にやって来ようものなら注目の的になるのは避けられないだろう。

 流石に誰かと仲良くなれるか不安を抱いている若者に初手の注目は耐え難いものがある。


「えー! やだやだー!」


 きっぱり拒否すると、姉さんが駄々っ子のようにゴネ始めた。

 何が一体姉さんをここまで駆り立てるのだろうか?


「葵くんの一番は私ってアピールしたいのにー!」


 なるほど、歪んだ愛情か。


「そういうこと言うから行かせたくないんだが? 少しは注目の的になる被害者の気持ちも考えろよ」

「うぅ……葵くん、俳優志望なのにそんなこと言っちゃうんだ」

「どこからどう見ても、それとこれとは話が違う」


 確かに俳優になるなら世間の目を受けるというのは避けられない。

 前の時だってチラチラと見られることだって多かったし、メディアに顔を出す仕事なら周囲からの目にも慣れておかないといけないだろう。

 けど、注目のされ方が違うのは言わずもがな。不安を抱える若者を追い込まないでほしい。


「でも、葵くんの晴れ着見たいー!」


 晴れ着なら目の前に映っているだろうに。


「はぁ……とにかく、姉さんは大人しく家でお留守番。絶対に来るんじゃありません」

「……こうなったら、隠れてこっそりカメラに収め───」

「こっそり来たら家族の縁を切ります」

「んにゃ!?」


 姉さんが雷にでも撃たれたような顔を見せたあと、すぐさま膝から崩れ落ちる。

 背中からは悲愴感が漂い、クレジットカードを落とした時以上の絶望感が見て窺えた。


「……待って、よく考えれば家族の縁を切られれば正式に結婚が可能?」


 だけど、思わず心配してしまうような相手ではないからありがたい。


「って、やっば。そろそろ学校に行かないと」


 一回目の人生でクラスがどこになるのかとか分かっているものの、念のためクラス分けはちゃんと見ておかなければならないだろう。

 歩いて通学するには二十分ほど時間がかかるし、クラス分けを見る時間も含めればそろそろ家を出ておかなければならない。


 俺はポジティブ精神旺盛なブラコンに背中を向けた。

 すると、姉さんが新品の制服の袖を寸前で掴んでくる。


「まだ何か?」

「……にゅ、入学式には行かないのでせめて学校には送らせてください」


 あのポジティブ精神を抑えて諦めることを選択してくれたのか。

 俺はこれほど姉さんの理性に感謝したことはない。姉さんのせいで危機に瀕していたのだけれども。


「んー……まぁ、それならいいのか?」

「学校に送るだけだったら迷惑かけないし、私だって弟の入学ぐらいは何かしてあげたいんだもん」

「姉さん……」


 はた迷惑なブラコンではあるが、元より優しい姉だ。

 家族想いで、俺が落ち込んでいた時は何度も慰めてくれて、励ましてくれた。

 大人になっても関係は切れず、ずっと仲がよかったのを思い出すほどに。


 ───きっと、なんだかんだ言いながらも俺の新しい門出を応援しようとしてくれているのだろう。

 中学時代が悲惨だったというのは、傍で見続けている姉さんが一番知っていたから。


「分かったよ……ありがと、姉さん」

「うんっ!」


 そう言って、姉さんは嬉しそうな表情を浮かべて立ち上がると、俺の腕を引っ張って玄関のドアを開けた。

 そんなに俺を送れることが嬉しいのだろうか?

 この歳になっても困った姉だな、と。そう思いながらも俺は姉さんの後ろを着いて歩いた。


「姉さん、いつの間に免許取ったの?」

「最近だよ〜! そんで、お母さん達にお金を少し出してもらって新車買ったの!」

「へぇ〜」






 姉さんの車は色の激しい高級外車だった。

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