第9話 爺さん、稽古をつける 改

夕刻、孤児院を訪れると少年達とネーヴェが出迎える。

マクシミリアンとゴリアテに引っ張られて中庭へ向かうと、早速稽古を開始した。


「まずはマクシミリアンから全力で掛かってきなさい。」


木刀を握り締めたマクシミリアンが上段から一閃、光の斬撃を放つと周りの見物人から悲鳴が上がる。

戌亥の気刀が斬撃を切り落とす。

マクシミリアンが声にならない叫びを上げた。


「斬撃を切り落とすなんて。」


よほど自信があったのだろう呆然自失した。


「次はゴリアテ、来なさい。」


腰に木刀を構え、姿勢を低くする。

一瞬で間合いに飛び込み横薙ぎ一閃するも、ひょいと後ろに避けられて空振りに終わった。


二人は全力を軽々といなされてしまった事にショックを受けて落ち込んだ。


「もっと強くなれる、自信を持て。」


戌亥は首を垂れる二人をくしゃくしゃと撫でた。


その後、知識と想像力ででっち上げた戌亥オリジナル体術を披露する。

柔道、空手、何かの中国拳法を混ぜ合わせた体術だが、身体能力が高いとそれなりに本物ぽく見える。

実際に組手をしてみたが、背負い投げがイメージ通りに美しく決まった時は自分が驚いた。


瞬く間に時間が過ぎ去り終了が告げられた。


「ありがとうございました!」


二人の顔が紅潮している。


「さあ、就寝の時間です。皆部屋に戻りなさい。」


ネーヴェの声に子供達が一斉に動き出す。

興奮冷めやらぬ声があちらこちらから聞こえた。


「ネーヴェ様、あのような稽古でよかったのですか?」


「十分です。あの二人、実は騎士団でも持て余しておりまして、団長いわく神童だそうです。

その二人相手に余裕で立ち回るイヌイ様は本当にお強いですね。」


ネーヴェはクスッと笑みを溢した。


「とてもありがたい褒め言葉、嬉しく思います。」


「お手隙の時で構いませんので、これからもよろしくお願いいたしますね。」


しばらく子供達を話題にネーヴェとのおしゃべりを楽しんだ。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽


家に帰り身を清め布団の上に腰を降ろす。

懐から林檎とお神酒みきの二つの聖餐を取り出した。


林檎は固く酸っぱく、お神酒みきは白く濁り雑味がする。

自炊をするべきか本気で考えはじめた時に扉を叩く音がした。


無視しようかと思ったが執拗に叩き続けている。

「近所迷惑」の文字が浮かび仕方なく1階に降りた。


「こんな時間に誰だ。」


「ロッタです!お母さんを助けてください!」


扉を開くとロッタ飛びつき手を引いた。


「あれか?」


ミミに担がれた女を見て息を飲む。

顔が無残に腫れあがり呼吸が浅く早い。

おそらく体にも損傷があると推測できた。


その場で治癒を祈ると、みるみる腫れが引き呼吸が穏やかになった。


「すぐに家に入りなさい。ミミも入れて構わない。」


母親を抱き上げるとロッタに入るよう促した。


「ロッタ、扉を閉めて鍵を掛けなさい。」


2階に上がり母親を布団に寝かせる。

ロッタが母親の側に座り込み手を握った。


「ロッタ怪我をしているぞ、じっとしていなさい。」


すぐに手を当て治癒を施した。


「何があったんだ?」


ロッタは酷く落ち込みながら、あの後の出来事を語り出した。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽


皆に散々綺麗だと褒められすっかり気分を良くしたロッタは、戌亥を告発することをすっかりと忘れていた。


帰り道、貰った紙袋に小さなパンを二つ見つける。

気持ち悪いと思い捨てようとしたが腹の虫が拒否した。


(変なものが入っていてお腹壊すの嫌だ。)


(でも、無料で体の傷を癒してくれた。)


(汚い私を洗浄してくれたし悪い人だと思えない。)


頭の中でグルグル考えているうちにパンを咥えていた。


「まあいいか」


気持ちを切り替えるとモグモグと噛みしめ飲み込む。

何かとても嬉しい気持ちになってきた。


(いつも食べているパンより少し美味しい気がする。

でも一つじゃ足らないな。)


モグモグ、ゴックン。モグモグ、ゴックン。モグモグ、ゴックン。


いつまで経っても最後の一口が訪れない。

久しぶりにお腹がいっぱいになり食べ尽くした事に気付いた。


(これ不思議パンだー。)


気分が高揚して面倒くさいことを考えたくなくなり不思議で片つける。

幸せな気持ちで足取りも軽くなった。


夕刻、まだ辺りはかなり明るく家に帰っても誰もいない。

母親が帰ってくるのはもっと遅い時間になってからだ。


共同厩舎にミミを繋ぎ毛を梳かしてから家に入る。

食卓に紙袋を置き、突っ伏したまま母の帰りを待った。


「このパン半分こしたら、二人でお腹いっぱいになるね。

また半分にしたら4人かぁ。」


ロッタは聖餐の本質に気付き始めていた。


物音で目が覚める。

いつの間にか寝てしまっていた。


顔を上げると無精ひげを生やした見知らぬ大男がいた。


「なんだこのパン!食っても食っても減らねえぞ!」


「お母さんと私のパンだ!返せ!」


ロッタは男に飛びかかりパンを取り返そうとして男の手に嚙みつく。

男が激高してロッタを殴り飛ばした。


「躾がなってねえな!俺が躾しなおしてやるよ!」


男がロッタに馬乗りになり、手にしていたパンを食卓に置き顔を平手で叩きだした。


「返せ!返せ!返っ、か」


口の中が切れてしゃべれなくなる。


「女の躾は叩くのが一番だな。お前、俺のガキだろ。

お父ちゃんに感謝しろ!ありがとうございますってな!」


男の目が嗜虐しぎゃく的になっていた。


ぐったりとしたロッタの体を眺めると、年の割に発育の良い体に興奮して良からぬ事を思いはじめる。


「オレのガキにしちゃ上出来だな。

他の奴に盗られちまう前に頂いとくか。」


抱き上げ食卓に乗せるとスカートを捲り上げる。

その時母親が帰ってきた。


「何してるのよ!ロッタから離れろ!」


帰ってきた母親が男に体当たりをするが、ロッタよりも小柄な体では突き飛ばす事ができなかった。


「何すんだ!久しぶりに帰ってきた旦那様に酷くねえか?」


男は母親の胸倉を掴んで持ち上げると頬を叩く。


「ふざけんな!女作って出て行ったのはお前だろ!」


蹴りを入れようと足をばたつかせるが徒労に終わった。


「女とは別れたよ、だから帰ってきたんだろう。」


更に往復で頬を叩いた。


「出ていけ!ここから出ていけ!この屑野郎!」


血の混じった唾を顔に吐きかけると男の顔色が変わった。


「なんだとこのアマ!」


男の拳が母親の顔を殴りつける。


「もう一度躾し直してやる!」


男は食卓からロッタを払い除ける代わりに母親を乗せ、小さく華奢な体を執拗なまでに殴り続ける。

ロッタは男の足元を見ながら肉が叩かれる音を聞いていた。


やがて、ピクリとも動かなくなった母親に飽きた男は、パンを拾うと口に頬張り飲み下した。


「腹いっぱいだ!ごちそうさんよ、また来るぜ!」


男の足音が遠のいていくのを聞き、ロッタはなんとか立ち上がり母親に声をかけるが反応が無かった。


ヒューヒューと荒い息を吐き時折ビクッと体が痙攣する。


「お母さんが死んじゃう!」


そう思ったロッタの脳裏に爺さんの顔が浮かんだ。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽


「そうか、酷い父親だな。」


「あんな奴お父さんじゃない!」


「ロッタ、これを一口飲みなさい。心が休まる。」


「これ何?不思議な味。」


差し出されたおちょこを飲み干すとうえぇと舌を出した。


「お酒だ。」


「お母さんに怒られちゃう。」


母親を見て項垂れる。


「一緒に怒られよう。今日はお母さんと一緒に休みなさい。」


戌亥が頭を撫でると母親に寄り添い、すぐに眠りに落ちた。

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