顎クイ・3




 男性が言い残した通り、メインストリートの船倉前までやって来ると、異様な光景が広がっていた。


 花畑の中心にあるニンフの石像の上で、背の小さなスプライトの女の子が足組みをして座っていて――あとは、その場にいる全員が、先ほどと同じように、ピクリとも動かない男性たちだった。種族や年齢は関係ない。『男性』に限られた人たちだけが、彼女を崇拝するように、彼女の周りを円状に取り囲んでいた。さしずめ彼女は、花園の女王。


「あーら、やっぱりそっちから来てくれた」


 女の子の声は、想像よりもずっと甘ったるくて艶っぽかった。


 ふわふわのアッシュブロンドと、前髪から覗く、アイラインキツめの小悪魔メイクの真っ赤なツリ目。


 いかにも男が好きそうな――というかもはや水商売のヒトに見えなくもないファッション。フリルのついた黒いミニスカートの下で艶かしい網タイツが交差するたび、同性の私でさえ生唾を飲んでしまう。


 そして何より――


「……どこ見てる、ジーク」


「……胸だ」


「……私も」


 ボンキュッボン。そう、ボンキュッボンなのである。彼女が着ているのはチューブトップタイプのワンピース(しかもこれみよがしにフリッフリのリボン付き)なので、厭が応にも胸部が強調される。むしろ意図的にそうしているのは疑いようのないことだ。


 縦にも横にも大きく張り、『たわわに実った』という表現がかくも的確に嵌るお胸はこうとあるまい。それでいてだらしのない印象はなく、ツンと上を向いた姿勢は、やわらかいプディングやゼリーを真っ逆さまにお皿に落としたような、まさに理想の巨乳。唯一無二のおっぱい。ワン・アンド・オンリー・パイ。うらやまけしからん。スプライト族の小さな背とのギャップが更に扇情的だ……。


 私を見るな。どうせ私はポンスッスッーみたいな感じだよ。これでもCはあるんだよ!!


「ホンット男って無能。……でもアナタは違うみたいね、ハーゲンティくん」


「何が目的だ」


 ジークが私の前に立ちふさがり、石像の上で不敵に笑う彼女を睨みつける。


「へ~。やぁっぱり。聞いてた通り、アンリミテッドにべったりくっついてお守りしてるのね」


 鼻にかけた、耳にねっとりとまとわりつくような声だ。


 私は確信する。――女に嫌われるタイプね。


「俺をおびき出したかったのか?」


「そうね。アナタ、何故だか探知するのタイヘンだし。だから、そのコをダシにすれば来てくれるかなぁって」


 彼女の判断は正しいかもしれない、と思った。


 仮に彼女がジークを正面から呼び出しても、きっとジークは歯牙にもかけないか――少なくとも自分一人で淡々と処理しただろう。


 だけど、あえて『アンリミテッド』という単語を使って、さも私に矛先が向くような演出をした。そうなったらジークは、私との約束上……というか個人的にも、出て行かざるを得ない。


「デートの邪魔だ。用件次第で始末する」


 こっちはこっちで女相手にも容赦ないわね……。


「カンタンよ。アタシは試したいの。納得したいの。アタシこそが最強の魔導士だってことをね。特待生だか何だか知らないけど、これでアナタもアタシのオモチャにしてあげる!」


 そう言って彼女は、どこからともなく、ハート型の意匠に象られた、淡い色のオーブクリスタルを取り出し、高く掲げた。


 その姿に、私は僅かな既視感を覚える。


「下がってろ!」


「う、うん」


 ジークに従って、大人しく数歩退く。


「“私は華、私は月、汝は虫、汝は信徒、汝らの理性を捧げ祈れ、瞳孔を開け、天に背け、私を求め死肉すら犯せ”!」


「“雄竜の抱擁よ、淫婦の吐息を打ち消せ――アンチマジック領域確定、展開”!」


 両者の詠唱がぶつかる。


 彼女の掲げたオーブからは桃色の霧が噴出し、ジークが放ったここに来るまでに錬成した貝殻のようなモノからは、激しい魔物の幻影が浮かび上がり、刃となって甘い霧を薙いでいく。


 周囲の男の人たちが、霧を吸い込んでは頭を抱えて身悶える。


 強力な魅了魔法使いのスプライト――そうだ。そうだ、“このひとは”。


「思い出した……!シンディ……シンディ・ダイアモンド!呪術科の三年生で、No.2!!」


 私の焦燥した声に、シンディが満足げにぷっくりした唇を釣り上げた。


「なるほど。キョウより上か」


 校内の行事や新聞で何度か見たことがあった。


 年齢や種族に関係なく、“男性を意のままに操ることに特化した魔法”を使う、“女怪”のシンディ。いつも男子生徒の取り巻きを連れ歩いて、楯突いた女の子の彼氏や意中の相手を横取りする。時には力の強い男子を顎で使って、もっと酷いこともするって。


 彼女に関わっちゃいけない。特に、“男として生まれたのなら、それを後悔するほかない”ほどに。


 霧の向こうで、シンディが不機嫌そうに口を尖らせていた。


「ふぅん。大した防御魔法じゃなかったみたいだけど……アタシの魔法にかからないなんて、ゲイか人外か……。それとも両方?」


 赤いツリ目には苛立ちの色が映っていた。


 彼女は見下してる。男も女も、何もかも。ゾッとするような略奪者の視線だ。


「人間の女に恋する悪魔さ」


「なるほどねぇ~」


 シンディが石像から降りて、ジークとの距離を詰める。ジークは私を背にしながら、一歩、また一歩と後退。


「知ってるぅ、ザラちゃん?男ってねぇ、どこまで行っても所詮はただのケダモノなの」


 ジークの背中越しに、シンディと目が合った。


「……どういう意味」


 自分でも驚くほどに、声が震えていた。


「要するにぃ、アタシの魅了チャームにかかった男は……アタシ欲しさに、殺し合うってことよ!!」


 シンディの叫びに呼応するように、ハート型のオーブが輝いた。桃色の霧が一層濃くなって――さっきは虚ろな顔で呻いていた男の人たちが、今度は一斉に、どこへともなく駆け出した。どこへともなく?違う。目の前の相手に向かって。


 雄叫びを上げて、互いの襟首を掴んで、拳を振るう。目を潰す。組み敷く。蹴り上げる。噛み付く。血が出ようが、骨が明後日の方向を向こうが、お構いなし。


 そうして揉み合いながら、男の人たちは、自然とジークのほうへも飛びかかって行く。


 数人の男の人に取り押さえられて、ジークが暴力と砂埃の嵐の中へ呑まれる。


「ジーク!!」


 そうか――これが彼女の魔法の真骨頂!


 男の人の闘争本能を煽って、見境なく暴力を振るわせる。それも全ては、シンディを手に入れるという本能から来るものだ。女はライバルを貶めるけど――男はそうじゃない。譲るか、殺すか。


 理性による歯止めなんか効かず、自分の身体能力の限界すらあっさり越えた状態での暴走。


 ただ目の前の相手を、死ぬまで打ち倒す為だけに動く人形と化す。この女は、魔法ひとつで敵も味方も無い大乱闘を引き起こすことが出来るのだ。


「ちなみにそいつら、たぶん痛みもあんまり感じないから、頑張ってねぇん」


 再び石像まで戻ったシンディが艶かしく嗤う。


 だけどジークだって――負けない。そうでしょ。


 心配する必要もない。あっという間に包囲から逃れたジークが、血を吐き捨てる。


「ハ、仕組みは人間のままだ。アンデッドよりはマシさ」


「ジーク!あんまり傷つけない方向で!一般市民だから!」


「だったらエンチャントの一つでも寄越せ!」


「あ、う、うん!」


 指示された通り、ジークの手足に強化と雷属性の魔法を付与する。相手が電気で気絶してくれれば御の字だ。これくらいは魔道書がなくても出来る。


 ジークが柔術や関節技で、次々と男たちを無力化させていく。腕を取られたら、足を引っ掛けてぶん投げる。足にまとわりつかれたら、背中に靴底のスタンプ。さすが人間の身体能力三倍の魔族。単純な素早さや力だけでは、彼を傷つけることは出来ないだろう。


 ジークの言った通り、狂っただけで強化された訳じゃない、あくまでこの人たちは思考力を失った一般市民だ。だから、打ちどころが悪かったり、足を折れば動くことは出来なくなる。


 しかしそうやって倒しても倒しても、シンディの使徒と化した男の人たちは一向に減らないし、その勢いも衰えない。だって、死ぬまで戦い続けるのだから。


 思う通りにいかないのが歯がゆいのか、シンディが更にオーブに魔力を装填する。オーブは一層強く輝いて、霧は今にも町ごと覆い隠してしまいそうだった。


「アンタも屈しろって……言ってんのよッ!!」


 途端に、空が騒がしくなる。地面が振動する。


「なな、なになになに!?」


 もはや人間だけじゃない。


 恐らく全て雄の鳥が、地下水道に隠れていた鼠が、羽虫が、シンディというメスを争って、ギャアギャア鳴いて、バタバタ走り回って、ブンブン飛び回って、この船倉に集結していた。


 動物も人間も一緒くたになって、血走った目でひたすら目の前のオスを殺そうと踠く。


 人外には通じないんじゃなかったの。もはや生物すら問わないなんて――


 それでもやはり、唯一この場にいる私にだけは、シンディの魔法は届かない。


「これでどぉ?アタシが欲しくて、たまらないでしょ?」


 一度に大量の魔力エーテルを放出した反動か、シンディの頬には一筋の汗が滴っている。


 さすがにこの出力には抗えないのか――喧騒の中、ジークも胸を抑えて蹲っていた。


「ジーク、しっかりして!」


「ぐっ……ザラ……!そうだ……ッ、俺には……!」


 私が呼びかけると、ジークはかぶりを振って立ち上がろうとする。だけど、その足元はおぼつかない。


「アハハッ!無理無理、シンディの魔法にはねぇ、男である以上絶対に逆らえないんだから」


 シンディが男たちを掻き分けて、否、シンディが通ろうとすると男たちは道を開けた。


 膝をついたジークのもとへシンディが歩み寄り、


「ほうら。今にも昇天しそうでしょ?」


「く……そ……」


 ジークの紅潮した顔を指先で撫でた。爪で髪を弄って、首筋に手の甲を滑らせる。私は気がついた。シンディのその手を取りそうになるのを、必死に抑えているジークに。


 その光景に、カッと目の奥が熱くなる。




 何よ。何よ。何よ何よ何よ。




 普段からあれだけ――好きだの嫁に来いだの言っておいて。今日だって間抜けヅラでヘラヘラ笑って、幸せそうにしてたくせに。


 あんな女の魔法一つで、


「よくも、ジークを……罪のない人たちを!」


 自分の中の何かが、ちぎれて溢れ出しそうだ。堪忍袋の緒がのたうち回って、今にも破裂しそう。


「偽善者ヅラうっざ。自分のカレシが魅了されてるのが悔しいって、素直に言いなさいよ」


 奥歯が不快な感覚を伴って擦り合わさる。


 男たちの怒号。動物の臭い。シンディの足元に跪くジーク。それでもジークは、私に“背を向けたままだ”。


 全部が全部、ひどく腹立たしい。


 そうだよ。何が悪いの。あなたは今――私の逆鱗に触れた。


「……そうだよ……。あんたの卑怯な魔法にまんまと乗せられてるあのバカを見て、やっと分かったわ……」


 ああ、ムカツクけどようっくわかった。他人に奪われそうになって初めて、嫉妬で心が煮えたぎるほどジークと離れがたいと思っているなんて。今までジークは当たり前に私を想ってくれているって、自惚れていた。こんな状況で自覚するなんて、ダサいったらありゃしない。


 だけどもう躊躇はしない。心は決まった。


「ジークは誰にも渡さない!!」


 私はシンディを真正面から睨みつけた。


 ジークが欲しい。あんたが私からジークを奪おうってんなら、受けて立ってやる。地獄みたいな場所でも私を守ろうとしてくれている人を、あんたなんかの好きなようにさせない。


「そんでもってあんたは……」


 集中。


 体内じゅうの魔力エーテルが、神経を通って津波のように循環していくのがわかる。


 全身の魔力エーテルで以て、遥か遠くにいる雷雲たちに呼びかける。来て。来て。来て。


 下級魔導士である私は、威力なんか元より期待しない。ただ大きさを。迫力を。光を。


 この女を――ぶちのめせるだけの。


「あ――そんな、……ッ“シールド”っ……」


 シンディの詠唱よりも早く、魔力を解放する。


「ぜっっったいに許さないんだからーーーーーーッッ!!!!」








.


.


.








「あ、覚めた?」


「ザ……ラ……」


 ジークが、私の膝の上で目を覚ました。


 眩しそうに目元を手で覆って、ぼうっと私を見上げる。


「シンディはね、どっか行っちゃった。いま騎士団と聖魔導ギルドが来て、男の人たちを救助してるとこ」


「そう、か」


 私たちの後ろでは、真っ黒焦げになった花畑から、男の人や動物が担架やキャリーで運ばれていく。


「ジークも病院、行く?」


「いや、この程度なら……って、え?」


「どうしたの?」


 目をまん丸くしたジークが勢いよく起き上がる。おっと危ない、体を仰け反らさなければ、うっかり頭突きを食らうところだった。


「お前……何してるんだ……」


「何っ、て……」


 膝枕だけど。


 私の魔法でシンディが気絶したから、必然的に魅了チャームの魔法も切れて、術にかかっていた人たちはみんな、強すぎた魔法の反動で意識を失ってしまったのよね。操られていた糸がプチッと切れた状態というか。


 それで私は――煉瓦を枕にするのは可哀想だと思って。私の大事なヒーローを労って、自分の膝を提供したのだ。


「……フ、ようやく俺の魅力に気が付いたか」


「そうかもね」


「……!?」


 私が笑うと、ジークはよっぽど意外だったのか、言葉を失った。……私に塩対応されるのが習慣化してるのも、どうなんだろう。今後はもうちょっと優しくしてあげよう。


「あはは、デートだから、特別ね」


 感極まったジークのハグを難なく躱して、私はもう少しだけ休むように促した。








.


.


.








 ――後日。ヘルメス魔法学校、校長室にて。


「君たちぃ、どうして呼び出されたかわかるかね?」


「はい……」


「……」


 私とジークは、二人並んで少女の姿をした校長にお説教されていた。


「まず黒魔術科二年ザラ・コペルニクスさん。いくらアンリミテッドって言ったってねぇ~……街中で雷ズドーンはよろしくないかなぁ……」


「すいませんでした……」


「いや、純粋に危ないからね。君も周りも。制御が難しいのはわかるけど、カッとなりすぎないように」


「以後気をつけます……」


 返す言葉もございません……。私は目を瞑って、深々と頭を下げる。


「次に錬金科三年ジークウェザー・ハーゲンティくん。君には、何より彼女が暴走するような事態を未然に防ぐという役割をお願いした筈なんだけれども。その辺どうかね」


「……ああいう手合いが居ることは理解した。今までよりも警戒することを心がける」


 ジークは相変わらず慇懃無礼だ。髪をかき上げながら、苦々しく返事をした。


「よろしい。ま、吹っ掛けてきたのはシンディ・ダイアモンドであって、結果的に一般市民を彼女の魔法から解放したのも事実だ。なのでまあ、イーヴン、今回のみ不問としましょう」


「ありがとうございます」


「ウム。君達が無事で良かった。魔法庁のヤツらはうるさいがね、君達は変わらず、いつもどおり勉学に励み給え。低俗な風評に惑わされるんじゃないよ。ここでは誰もが、君達の味方だ。胸を張っていなさい」


「……はい!」


「アイスキュロス教諭のところで反省文だけ提出して、あとは帰ってよし。ご苦労だった」


 校長先生に背中を押されて、私達は間もなく解放された。


「……相変わらず甘くないか、ここの校長は」


「先生っていうか、魔導士としての先輩だからね。生徒が可愛くて仕方ないみたい」


「なるほど。それなら気持ちはわからないでもない」


「その代わりほら……アイスキュロス先生が……待ってるから……」


「う……」


 ずうん。


 一気に重苦しい雰囲気が流れる。まさにアメとムチ……。


 召喚術科担任講師兼生活指導員、ジョン・アイスキュロス先生。名前を聞いただけで、全校生徒が震え上がる。彼に見張られながら反省文を書く、想像しただけで胃が痛くなってくる。さすがのジークも例に漏れず、アイスキュロス先生にはそれなりの苦手意識を抱いているようだ。だって、召喚術科いちの問題児と友達だもんね……。きっと目ぇ付けられてるもんね……。


「頑張ろうね……」


「ああ……」


 まあでも、いっか。


 ジークと並んでれば、それなりに楽しいから。












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