顎クイ・2
「で。何してるんだ俺達は」
「お店番……?」
「……」
ジークが目を瞑って眉間に皺を寄せた。ごめんってば。
私のお目当てである――個人アクセサリー工房・“アルペジオ”。その露店の前に到着し、さあ買い物だ、と思った矢先の出来事だった。
ここの店主であり、私がリスペクトしてやまないアーティストさんであらせられるユウナギさんが、商品棚の奥で真っ青な顔をして立っていた。
あまりの形相にいてもたってもいられず話を聞くと、ひどい吐き気と腹痛がするということで、とりあえずお医者さんに電話して、ユウナギさんがお手洗いから帰ってくるのを待つ間だけでも、彼女のお店を見張りながら、少しずつ片付けも始めていた。
「で……できれば……少しでも多く……私の商品を……お客様に……と、届けてあげて、ください……」
とは、口元を押さえながらヨロヨロと旅立っていったユウナギさんの談。
彼女の強い使命感に感動した私は、しっかり言いつけを守って、商品やテントの中を片付けながらも、お店の前を通りかかる人には積極的に声をかけていった。
――私のせいで買ってもらえなくても、せめて、ユウナギさんのアクセサリーを宣伝しなくては。
ユウナギさんのアクセサリーは、竹という異国の植物から作った、彼女独自の細かい編み細工が特徴のものが多い。時にレースよりも複雑で、オリエンタルでありながら素朴で奥深い。アルペジオのテントの中は、竹の清々しい香りで満ちていた。
「これ。テーブル畳むから」
「ああ、ここ居たら邪魔だね、ごめん」
そして何だかんだ手伝ってくれるジーク。
「私が勝手にやってることだから、いいのに」
「お前を放っておかないほうがいいってことが、よおっくわかったからな」
「ウッス……」
その爬虫類みたいな瞳をギョロリと向けられると、何も言い返せませぬ。
気を取り直して、私は接客に専念する。
「今は店主さんは居ないんですけど、もし良かったら見るだけでもどうですか!」
ターゲットは友達と喋りながら歩くお姉さん、ちょっと個性的なファッションの同世代女子、おませそうな女の子を連れたファミリー層、一人で歩くモテそうな男の人。(彼女用に、見てくれるかもしれないからね!)
目を皿にして公園内を見渡して、集客の妙を計る。
すると。
湖の柵の前に目に付く人物を発見。恐らく観光客っぽい龍人のスラッとした女性が、地図を片手に空を仰いだり、後ろを振り返ってみたり。
「あの人キョロキョロしてどうしたんだろ……」
龍人の女性は、焦ったように時計を取り出して、今度は涙を目に浮かべていた。こっちがアワワ、とアテレコしたくなるくらいあんぐり口を開けて、そわそわ右へ左へ歩くものの、やっぱり首を傾げながら元の位置へ戻ってくる。
私はテントからするりと抜け出る。
「~……」
ジークが苦々しい顔で、「わかったから、行ってこい」と送り出してくれる。
だから、ごめんってば…………。ありがとう。
私は自分の性さがを噛み締めながら、その場から駆け出した。
「……お前といると退屈しないな」
若干グッタリしたジークと共に、遺跡広場へと向かう、煉瓦で出来た飴色の路地裏を歩く。
「ごめんっ!私……デートなのに」
「謝ることないだろ。やりたいことをやればいい」
皮肉なのか素直なのかわかりにくいんだけど、ジークの声色から察するに、本心なのだろうか。
人の多い大通りを避けてやって来た路地裏だけど、これはこれで、ここに暮らす人々の生活・情緒がある。
見上げれば、街灯や満点の星でもなく、風にはためく洗濯物。
子供達や野良犬が、遊び道具を手に持って、私たちの傍らを駆けていくのが、微笑ましい。
こっち側が表のアパートのベランダになっていて、そこで寛ぐ休日のお父さんもいるのね。
「あの」
「はい?」
そんな風景のひとつだと思って、前を通りがかっただけなのに。
「アンリミテッドのザラさん、ですか」
休日のお父さんはそれまで読んでいた新聞を畳んで、のっそりと熊のように重く立ち上がり、私に迫る。
「え、あの」
夢が現実になったような不気味な感覚が背筋を駆け上がる。
すかさずジークが私を引き寄せて、庇うように代わりに前に出てくれた。
「こいつに何の用だ」
「シンディ……様が……呼んでるんだ……」
「「シンディ様?」」
はて。
虚ろな目をしたお父さんが、聞き覚えのない名前を口にした。
アンリミテッド。シンディ様が呼んでいる。――様って。
誰かが命じて私に接触を図ろうとしている。いち女の子の私ではなく――“アンリミテッドのザラ”と。
でも何だか、この人はおかしい。直感がそう告げていた。
一見はヒューマーの……二十代も中盤くらいの男性だ。サングラスにアロハシャツと短パンで、完全に寛ぎスタイル。だけど――そうだ、この人。視線を感じないし、口もポカンと開いたまま、私を追い詰めようとする割に、体のどこにも力が入ってない。
ジークと男性の対峙はわずか数秒。向こうが先手を打とうとする素振りすら見せる前に――
「チッ。面倒くさいな。――フンッ!」
「ゥフッ……!?」
「ちょっとおおおぉ!!?」
言うが早いか、ジークが男性の首筋に音速の手刀を叩き込んだ。私でなくても見逃しちゃうね。同時に泡を噴きながら、グッタリと気を失う男性。ジークはそれをゆっくりと支えながら、地面に横たえる。
なんでノータイムでそういうこと出来るの……怖い……。
「初見でお前のことをアンリミテッドなんて呼ぶ輩は碌なモンじゃないだろ」
そうですね。あなた然り。特大ブーメランが頭にぶっ刺さってるのに気がついてるアナタ?
「この人……正気じゃなかったみたいだけど……」
倒れた男性の体を、ジークが調べ始める。武器アイテム携帯なし、エンチャントやカースの類も無し、魔法陣も無し、脈の乱れ無し、呼吸も正常。と来れば、魔導士どころかごくごく一般人じゃない。
そして最後に、瞼を引っ張って瞳孔をチェック。
「目が……」
「ハート型だ……」
彼の両の瞳孔は、ピンクのハート型をしていた。さっきサングラスでわからなかったわけだわ。ジーク先生、これは一体?
「
「なんてわかりやすい!!」
マジか。一通り男性の衣服などを調べ終えたジークが、男性を引きずって、路地裏の更に人目に付きにくそうな狭い道へ運ぶ。私はそれを追いかけながら、恐る恐る尋ねた。
「あの……
「当たり前だ。人間の感情を操作する魔法なんて危険極まりない。これくらいのデメリットが無ければ、最悪人類滅亡だぞ」
わ、わてくし専攻は黒魔術ですので……。何となくそういう表現の問題なのかとばかり。
壁を背にして、ぐったりとした男性を座らせる。
こういう時、私達もだいぶ息が合ってきたのか、男性の隣で顔を突き合わせて会議に興じる。
まずは分析。そして対策。
「術者を探せばいいのかな」
何故彼が私を呼ぶように命令されていたのか、理由を突き止めなければ。
ジークが頷く。
「恐らく近くにいるはずだ」
――魅了・毒・麻痺・幻覚といったいわゆる『状態異常魔法』と呼ばれる『呪術』は、その効果じたいが絶大なために、様々な制約がある。……らしい、と、一年の頃大雑把に習った。
それの具体的な“縛り”が、まず“術者と被術者の距離の比例”。戦闘において遠距離を想定した黒魔術や召喚術と違って、呪術はそのままでは、持続が難しい。
他には、ジーク曰く「視覚的効果では毒ならば体が緑色に、混乱ならば頭の周りにヒヨコが飛ぶようになる」
だそうで。
なのでエンチャント付きアイテムを作る場合、呪術師が魔法を起こし→黒魔術師がそれを効果として付与し→錬金術師が呪術の特性を持ったモノを作り上げる、という順番だ。
……ちなみに、なかなか需要のない魔法職業のひとつでもある。呪術を習得する人は、他の魔法と併用しているケースが多いわね。
閑話休題。とにもかくにもその術者を捜さなくては。物騒な予感しかしないのだから。
ジークがおもむろに、自分の懐をまさぐりだした。何やら策があるようだ。
「あ。それこの間買った鍵?」
「うむ」
それは、二人でオクトーバー・ストリートに訪れた際、シェンさんの金属パーツ屋で買った空間魔法の鍵だった。
ジークがそれを何もない空中で、まるでそこに鍵穴があるかのように、差して回し込む。
すると、ポンッ、という軽い音と共に、ジークの手のひらの上で、風もないのにアイテムの写真のようなものが舞い始めた。写真というより切り抜き……?なんだか、平面。
ジークがそれらを指でつつくと、次から次へと浮かび上がるアイテムが移り変わる。
「空き瓶の予備は……あるな。精霊湖の水と……スピリッツ、ムーンハーブ、ニンフの手垢、電気鼠の針、ミミックの舌、真実の血清……味に違和感を覚えられたら面倒だな。蜂蜜でも入れとくか。あ、あとチョークだ」
アイテムの写真だか切り抜きのようなものをいくつか抜粋すると、またしてもポンッ、という軽い音。そして今度はそれと一緒にクラッカーの中身みたいな紙吹雪がいくつか吹き出して、ジークの手のひらに立体化したアイテムが落ちていった。
ジークは取り出したアイテムを一つずつ丁寧に地面に置き、そのそばに白いチョークで魔法陣を描き始めた。煉瓦のうえに描かれた魔法陣は――私が見たこともないようなモノだった。円の中に複雑な直線の交差がいくつもあって、それに比べて周囲のルーンは何だか、妙に簡素だった。私たちの国の字に、似ているような。似ていないような。(あとで聞いたら、ジークの一族だけが使える紋章シジルという形ものらしい。)
ていうか。
「手のひらで錬成できるんじゃなかったっけ?」
「固形物以外は手から溢れる」
「シンプルだね……」
確かジークは普段、両手の手袋に魔法陣を仕込んでいて、そこに触れたものをノーラグで錬成する、という方法を取っているんだっけ。ジーク自身の手が結構大きいのと、身体能力の高さでカバーしてることが多いけど、こうしてちゃんとやろうと思うと意外と面倒なのね。
魔法陣の上に、次々とアイテムが並べられていく。
空のガラス瓶が二本、麻の袋、束ねられた薬草、紐に通した宝石、小さな宝箱、錆びた缶などなど。何が出来上がるのか、低級魔導士も裸足で逃げ出すポンコツ黒魔術師の私にはサッパリ想像もつかない。
ジークが屈んで魔法陣に両手をついて、素早く息を吸った。
「――“我は序列四十八位、地獄の大公である。朝を夜に、心臓を脳に、大地を海に変える者。ヒトに富と知恵を唆し、真理を視る紅き雄牛である。意志なき万物よ、有魂の万象よ、我が手によって汝らが到達すべき姿へと導かん。”」
ごぼ。
地の底から湧くような、粘体状のモノが蠢く音がした。
白いチョークで描いた筈の魔法陣から、血のような赤が滲みだす。
瞬間、ジークの手元が赤黒く照らされて、あたりに熱と煙を吐き出した。
眩しさから覆っていた手を離して様子を窺うと、そこには、黄金と透明、二種類の液体が空だったはずの瓶になみなみと注がれ、行儀よく並び合っていた。逆にさっきまで溢れていたアイテムの山は、その場に自分たちの入れ物を遺して、どこかへすっかり消えてしまっている。
足でも生えたのかしら。――じゃなくて。
錬成完了だ。私も生では久しぶりに見るものだった。
「おお~……!錬金術師って感じ……!」
私の無邪気な感想に、ジークが溜息をつく。
「お前のエンチャントが期待できればもっと良いんだがなあ……」
私は口笛を吹いてその場を誤魔化した。
ジークはまず金色に輝く瓶を手に取って、男性の口元に運んだ。無理やり口をこじ開けて、無理やり謎の液体を流し込む。拷問かプレイに等しい絵面だった。
急激な喉への違和感からか、男性が咳込みながら、ジークの腕の中で意識を取り戻した。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「目が覚めたか」
「お、俺は……ここはどこだ……!?」
目を覚ましたその瞳は、正常なヒューマーのものだった。ハートマークは面影すら無い。ってことは、今飲ませたのは解呪系のポーションか。
「まあまあ、喉が渇いているだろう。とりあえずこれを飲め」
「あ、ああ……」
更に続けて、ジークがもう一本、透明な液体が入ったほうの瓶を手渡す。絶対にただの水ではない筈なのに、男性は躊躇うことなくゴクゴクとそれを飲み干した。ダメですよ、知らない人(しかもそんな悪人面の)から貰ったものにすぐ口つけちゃあ……。ジークが作ったものを警戒もせずにホイホイ食べてる私が言うこっちゃないかもしれませんが。
男性がすっきりした表情で瓶から口を離した。それを見計らったかのように、ジークが男性と目を合わせながら、ゆっくりと質問する。
「あんたは誰に操られた?」
すると。
「わかんねえけど奥さん出張でヒマだから遺跡広場に行ったらスッゲー可愛い女の子がいてその子をナンパした瞬間から記憶があんまないんだよね!!フワフワしたっていうかさ!!あの子の為にやらなきゃーみたいな気持ちになっちゃって!!赤髪のエルフの男を連れた私と同い年くらいのピンクオレンジの髪のヒューマーの女の子捜してほしいってお願いされちゃったから!!路地裏見張ってればその内来るって言ってたしさ!!」
「ええ……!?」
なんということでしょう。正気だったはずの男性は、今度は焦点の定まらない瞳でヨダレを垂らしながら、早口で自分のことを詳細に語り始めてしまったではありませんか。これには匠ジークもしてやったり顔。ていうか奥さんいるのにナンパしちゃ……あ、もうそこから魅了がかかってたのかな……。
「その女の特徴は?」
「ちっちゃいスプライト族でアッシュブロンドの縦ロールにカチューシャと赤いツリ目でボインだ!!服は黒いワンピースだ!!ヒラッヒラだ!!編みタイツがめっちゃエロかった!!声もかわいい!!名前はシンディちゃんだって言ってた!!」
「今はどこに居る?」
「多分遺跡広場のメインストリートの船倉があるとこじゃねえかな!!花畑の横の!!そこで待っててくれるって言ってた気がするから!!」
「なるほどご苦労」
「がふッ……」
男性、ジークのボディーブローで再び沈黙。
「いいいいい今なに飲ませてなにしたの!!」
「
すっっっごい何言ってんだコイツみたいな顔で見られた。何でもないことのように言ってのけられた。生きてる世界が違う……。
ジークは錬金術の道具を片付けると、ジャケットの襟を正して、颯爽と立ち上がった。
「なななななんでそんなものの材料持ってんのよダメでしょ一般人にそんな!!」
「万が一にと思って……とにかく、メインストリートだ」
「ごめんなさいね……お水、置いておくから……」
いっぽう私は近くの水道で空いた瓶を洗って、中に本物の真水を注ぎ、そっと倒れた男性の傍に置いた……。
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