燃えろ!男の出会いは狐色!!・1
とある昼下がりのヘルメス魔法学校校舎。
人間界に現界した悪魔大公ジークウェザー・ハーゲンティの日課は、アンリミテッドたるザラ・コペルニクスの周囲を監視することだった。
ジークの視力なら、自身が立つ東塔の屋上から、中庭を挟んで反対側に位置する黒魔術科の教室をじゅうぶんに確認することができる。
無限にも思えるほどの魔力と、それに起因した特殊な因果律を持つという『アンリミテッド』。
実際にその姿を確認するまでは文献程度の知識しかなかったものの、こうしていざ彼女が置かれている環境を観察すると、なぜあの少女が今まで生きてこられたのかが不思議なほどだった。
ジークの鼻には、ザラの膨大な魔力の“匂い”が、空気中のエーテルを上書きしているようにすら感じる。魔族である自分がこれほどに知覚できるなら、さらに魔力に敏感な魔物たちが、これを見過ごす筈がないのだ。現に、学校の外――結界の及ばない場所には、ザラの魔力によって、強力な魔物たちが引き寄せられている。ジークは、それが気が気でならない。
――今日も無事か。
教室で大きく欠伸するザラを見て、ジークはほっと胸を撫で下ろす。
あとは彼女を狙うモノがないか、と校舎を見渡した時だった。
何気なく見下ろしたすぐそこの人気のない廊下に、ジークを一直線に睨み、仁王立ちする人物があった。
視線が交差する。
瞬間、その人物は口を開く。
「おいテメエ」
黒い制服に身を包んだ、自分と同じ年頃の青年。なるほど考えなくてもわかる、ここの生徒だ。てっきりこの時間は誰もいないと思っていたが。
「ここの生徒じゃねえな」
「ほう」
――どう見てもこっちに話しかけている。
ジークは仕方なく、東塔の屋根を蹴って、青年のいる場所へ着地した。
青年をよく観察する。黒い制服は仕立てがよく、他の生徒が身につけているものよりも上等そうで、首元でしっかり結ったタイと、ピンと伸びた背筋が彼の出自が高潔であることを現している。
背丈や体つきは平均的なヒューマーのそれだ。だが、ぎらついた肉食獣のような瞳と、顔の右半分を覆う、恐らく火傷痕であろう赤い皮膚の隆起が、身だしなみとの食い違いで異様に目立っていた。
しかしそこには何故か、目を背けたくなるような痛々しさはない。彼自身が堂々と、その傷を誇り高い勲章のように提げているからだろう。
青年も同じように、上から下までジークを目で探ると、尋問するように詰め寄った。
「しかも何だ。神霊悪魔の類か?うちの学校に何の用だ」
「なかなか良い目だな、人間」
「答えろ。何者だ」
互いが一筋縄ではないことを悟ると、途端に空気が張り詰めた。
「ただの魔族だ。故あって、ここの生徒の護衛をしている」
ここの生徒、という言葉に青年が反応した。
「護衛だぁ?誰のだよ」
ここで不用意にザラの話題を出す必要はない。ジークは不遜に鼻を鳴らして、
「さあな」
とだけ返した。
その仕草に、青年が苛立たしそうに舌打ちをする。
「チッ。いけすかねぇな。どうやってここに入った」
「貴様に教える義理はない」
もう一度、言い聞かせるように相手を射竦める。
しかし、青年は怯むどころか、ひどく調子に乗ったように笑った。
「この学園で俺に逆らうってことは、モグリか」
「何?」
「自己紹介が遅れたな。俺は召喚科三年ネロ・グリュケリウス。この学園の首席だ。ここに出入りする人間の顔と名前は全員覚えてんだよ。そして全員、俺の顔と名前も知っている」
そういうのが居たか。というのがジークの率直な感想だった。
さすがに自分を怪しむ人間はいるだろうが、まさかこうして真っ向から来られるとは思っていなかった。
「テメエも名乗れ、魔族」
青年――ネロが顎で指図した。
――面白くない。と、互いに直感する。
かくして、俺様VS俺様の戦いの火蓋が切って落とされた。
「俺から危害を加えることはない。大人しく校舎に戻ったらどうだ」
「そうは行くか。侵入者なんて認める道理がねぇだろう。校長の前に引きずり出してやる。つうか俺に命令してんじゃねえよ」
「その台詞、そのまま返してやる。俺と対等に話せるだけ有り難く思え、人間」
「悪魔風情がデケえツラしてんなぁ。それで爵位だ何だとは笑わせてくれるぜ」
「野卑な目だ」
「気に入らねえ」
胸を反らせて対峙する二人。しばらくの沈黙の後、彼らは察する。
――コイツは、俺と同じで、力づくでも黙らせないといけないタイプだ、と。同族だからこそ瞬時に理解し合った。
どちらからともなく、互いの一挙手一投足を見逃すまいと、ジークとネロは睨み合いながらじりじりと間合いを作る。グルグル回っているので、傍から見ると野良猫の喧嘩である。
「なあ、実力行使ってのはどうだ?」
「いいだろう。その場合、勝ったほうが正義だな」
その言葉を合図に、ジークは後方に退く。ジークの錬金術は質量保存の法則に則ったカウンター必須の魔法だ。相手との距離を取るのが定石である。
一方ネロはその場で立ち止まり、召喚の詠唱の準備に入る――とジークは読んでいた。
「顕現しろ、イフリート!!」
「な……!」
実際は違う。ネロは瞬きと共に、その身に炎の化身を宿す。
――召喚じゃなくて降霊だろ、ソレ!
灼熱を纏った拳がジークのこめかみを掠る。ネロの身体は確かに発火しているにも関わらず、本人の皮膚は焦げて溶け出すどころか、炎と同化して、風に揺らめいていた。
距離が近づくことで感じる。ジークの五感が告げた。ネロからは、ネロ一人分の魂と魔力しか感じない。
「イフリート……。他国の魔族か。契約もせず人間の子供に縛り付けられて、何をしている?」
「呪いだよ。此奴と心臓を交換させられたのさ」
ネロの中に居るはずである同郷の魔族に声を掛けるが、返答はその宿主からしか返ってこない。
どうする。
いくら人間の倍以上ある身体能力を持つ魔族でも、この炎の弾丸を避け続けるのには限度がある。
相手をまるごと錬成してやってもいいが、今のジークでは魔力に余裕がない。以前ザラを追ってきた魔物の炎のように生温くもない、本物の業火だ。魔法を発動する前に腕一本灰にされるだろう。
生憎、人間界こちらに持ってきているアイテムも少ない。初手を見誤ったのが失敗だったか。
ネロの猛攻を難なく躱しながら、ジークは走り回る。まずは距離だ。
「テメエッ、躱してんじゃねえ!!」
理不尽も右から左へ。
「チッ――!ならコイツだ!」
近距離の不利を悟ったらしいネロが、今度は遠隔から自分の一部である炎を切り取って、球のように投げつけた。
これを好機と見込んだジークは、手袋に仕込んだ魔法陣に魔力を送り、火球を受け止めるべく真っ向うから立ちはだかった。触れる瞬間に発動すれば、火傷は最小限に抑えられる。
予想通りのコースで火の玉を掴み、その全てを水蒸気に錬成する。煙の中から奇襲を仕掛け、さっさと勝負ケリを着ける――
「クソ錬金術師が!」
「――、」
再びフットワークを踏んで靄のなかで臨戦態勢をとるネロに、音も無くジークが迫ろうとしたとき――
またしても、人気のない校舎から走ってくる人影があった。新手の登場かとジークが懸念を抱いたものの、それはすぐに杞憂であることが明らかになった。
「ちょっと待った~!!!!」
その怒号に、ネロの肩がびくりと跳ねた。
「
ネロがその名を呼ぶ。
人影は徐々に輪郭を顕にしてくる。狐だ。……いや、着物を着た狐の獣人だった。
濡れた鴉のような艶やかな黒い体毛に覆われた長身の獣人が、耳と尻尾をばたばたたなびかせてネロに走り寄って行く。
狐の獣人はジークとネロの間に立ちはだかると、呼吸をおいてからネロに迫った。
「もおぉ、演習抜け出してどこに行くのかと思ったら、また喧嘩かよ!首席なんだからダメだって」
「そこを退け」
「お前が炎を仕舞うべきだろ」
「そのクソ悪魔をしばく」
「しばく前に、話し合ったかい?ネロの悪い癖だと思うんだけど」
「チ、そんなだからゲバラに勝てねえんだテメエは」
「いま関係ないだろ!」
「ケツの穴が小せえんだよ」
……。
突如現れたキツネ獣人とネロが、自分を放って言い争いを始めたので、拍子抜けしたジークはそっと身体の強張りを解いた。いつのまにか、ネロのほうもすっかり弱火なっている。
一通り説教を終えたのか、狐の獣人は今度はジークに向き直った。
「悪かったね。ネロが迷惑を掛けただろ。俺は魔物学科三年の
声色は、彼の毛並みのように柔らかい。
キョウがにこやかに差し出した手を思わず握り返してしまうほどに、人当たりの良い男だった。
「ジークウェザー・ハーゲンティだ……。ジークでいい」
「うんうん、ほら、ネロ。わかってくれそうな人じゃないか」
「テメッ、俺には名乗らなかったクセにその毛玉には名乗るのかよ!」
基本、ジークは敵意のない相手には敵意を示さず、紳士的に接する。そう教育され、そうあるべきだと本人が判断したためだ。なので一方的に押さえつけられた時は、頑なな姿勢を崩さない。
「突っかかるのやめろってば。俺が来たからには、もう喧嘩させないからな」
キョウが食ってかかるネロを諌めた。態度こそ粗暴なままだが、ネロはすっかり元の生身の状態に戻っている。キョウの説教が効いたのか、それともキョウの呑気な雰囲気に中てられたのか、もうジークに挑む気はないようだった。
「二人共、怪我は?」
「する前にお前が来た」
「良かった!ネロが素行不良だと、何故か俺が怒られるんだよね~。俺一応ここの特殊戦術指南役なのにね~アハハ!」
「……」
「……」
アハハじゃねえよ。
ジークとネロは同時にため息を漏らし、居心地悪そうに顔を見合わせた。
「……テメーを見逃すつもりはねえ」
「この期に及んでまだそれを言えるのか……」
「また次だ」
「そうしてくれ……」
かくしてジークはネロ、キョウと知り合うこととなった。
そして三人はキョウの提案で、なぜかその日の昼食を共にすることになるのだった。
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