イケメンでも許されない・3




 黒いベルベットとレースで出来たドームテントの入口をくぐり、店の真ん中に腰掛ける熊の獣人の女性に声を掛ける。


「こんにちは、ミセス・ノワール」


「あら。イザベラの娘ね。久しぶりじゃない」


 老年女性のしゃがれ声。ミセス・ノワールは長いこと、その声で多くの魔導士たちの名前を呼んできた。彼女はその名の通り黒い装束に身を包んでいて、おとぎ話に出てくる悪い魔女のようだ。褐色の毛皮は、いつ見てもつややかだった。


 私は早速、ミセス・ノワールに注文する。今ならちょうど在庫が余っているだろうというお母さんの推察は、正しいものだった。


 ミセス・ノワールはゆったりと腰を上げて、机の下からタグのついた布袋を引きずり出した。


私が手伝いに入ろうとすると、やんわりと断られた。


「そこのボーイフレンドに渡せばいいかい?」


「お願いします」


「よろしくね、色男。あと、そっちの棚と、そこの下。どれもウチ特製の魔法合成繊維で出来てるから、そこの娘だと思って大事に扱ってちょうだい」


「はい」


 ジークはミセスに言われた通りにてきぱきと動く。


 ここ、“黒い聚楽館じゅらくかん”は、ミセス・ノワールが四十年に渡って経営している魔物素材の店だ。


 冒険者が持ち寄った魔物の死体を、彼女が持つ特殊な技術で以てアイテムに精製し、販売している。中には世界中でも彼女しか作り出すことの出来ないアイテムもあって、魔導士界隈ではかなりの有名店でもある。しかしミセス・ノワールの難しい人柄が手伝って、敷居は割と高めだそうだ。


 私は両親が若い頃からお世話になっていることもあって、ミセス・ノワールにはよくしてもらっている。


 ミセスが頬杖をついて、目を細くしながら私を見つめていた。


「ニコラスに似てきたねぇ」


「そうですか?」


「ああ。目元はイザベラそっくりだけどね。髪も佇まいも、話し方も、あの坊主を思い出すよ」


「えへへ……」


 ――ニコラス・セラ・コペルニクスは、私の行方不明のままの父親の名前だ。


 嬉しいな。子供の頃の断片的な記憶しかないけど、冒険者として、父親として、ひとりの人間として、私はニコラスという人を尊敬し、ニコラスという人間が大好きだった。


「もうどれくらいだい?」


「そろそろ十年ですね……」


「まだそんなものかい。あいつにしちゃまだ短いほうさ」


「みたいですね。お母さんも言ってました。お父さんは一日だって同じ場所にはいられない人だって」


「ハッハッハ、そのとおりだ。安心しな。あいつは殺されても死なない。どっかであんた達のこと自慢話でもしながら、気ままに生きてるさ」


「……そうだといいな」


 この十年間、お父さんからの連絡は一切ない。もちろん家に姿を見せたこともないし、見かけた話もまるで聞かない。


 それでも、お母さんは今まで一度も、私の前でお父さんを悪く言ったことがない。ほかの親戚もそうだ。あいつは甲斐性がない、と呆れることはあるけれど、誰も彼も、“ニコラスは父親として相応しくない”とは口にしないのだ。なので私もいつしか、私の父親とはそういうものなのだと自然に思うようになった。それに片親なんて珍しくもないし、私はお母さんと過ごす毎日が幸せだ。


「これで全部か?」


 どっさり荷物を抱えたジークが、私たちのもとへ戻ってきた。


 私は商品を確認して、代金をミセスに渡す。


「ありがとうございました、ミセス・ノワール。また来ますね」


「ああ。イザベラによろしくね」


 ミセスがひらひらと手を振る……と思ったら、ジークの服の裾を引っ張って、何かを耳打ちした。


「坊主。この娘は一家揃って奇妙な運の持ち主だ。覚悟しなよ」


「勿論です」


 二人はなにやら不敵に笑いあう。


「ちなみにお聞きしたいのですが、この辺りで個人と契約してくれる店はありますか」


「あぁ、それだったらあそこの角のギルドと薬屋が人手を探してるよ。ウチもなかなか営業に行けないからね、あんたみたいな若くて優秀な錬金術師が品を卸してくれると助かるんだけど」


「ほうほう」


 あ、ちゃっかり商談してる。


 ミセス・ノワールに別れを告げて、私たちは店を後にした。








 ジークと二人、いかにも女子の買い物に付き合わされている構図で、タワーのように積まれた荷物を抱えて商店街を歩き回ることしばらく。空も少し暗くなってきた。


「少し休憩にしないか?」


 大小の箱越しに、ジークがこちらを伺っていた。


「あ、ごめん。疲れたよね」


「いや、お前も結構歩いたろ」


「そうかも……言われたらなんか足痛い気がしてきた。どっか入ろっか」


「だな」


 ということで、目的でもあった喫茶店を目指すことになった。


 ――席についてそれぞれ注文を終えると、ジークが抱えてきた荷物を眺めながら、しみじみと漏らした。


「それにしても、お前の母親は凄いな」


「なんで?」


「今日納品して、またすぐに製作だろう?しかもこれだけ材料を使って。職人の鑑だ」


「うん……お母さん、うちの大黒柱だから。……私ももっと手伝いできるようにならなきゃ」


 身内を褒められるのは嬉しいものだ。


 行方不明の父からは、連絡もなければ収入も無い。よって我が家の家計はお母さんの収入で成り立っている。私もたまにバイトするけど、到底支えにはならないし、この体質のせいで魔物を呼び寄せたり、魔法や魔導具が暴発したりとで長続きしない。


 家事も仕事もやって、それでもああして愚痴のひとつも零さず毎日ニコニコ笑っているお母さんは、まさに家の中の太陽だ。


 ジークと買ったものを確認したり、他愛のない話をしながらお茶を飲む。頼んだケーキが運ばれてくると、二人して感想を言い合ったりした。ジーク的には、もうちょっと焼いてあるほうが好みらしい。


「出来は悪くないが、いかにも女子供が好みそうな味だ」


「どうせ女子供ですよ……」


 お茶のお代わりを口にしようとしたとき、ふと、店内に見覚えのある子供の姿が見えた。


 大きな革の鞄を背負った、七、八歳くらいのヒューマーの男の子だ。母親と並んで、店から去ろうというところだった。


 男の子と目が合う。


「あ、ウサギのねえちゃんだ!」


 鞄と同じくらい大きな声をあげて、母親を置き去りにして男の子が私に向かって手を振りながら走って来た。


「あぶ、走ったら危ないよ」


「平気平気!」


 ちょうどテーブルに頭をぶつけそうな位置で、男の子は止まった。子供の行動の緩急すごい怖い。


 ――この子は確か、具合悪そうにベンチに座ってたところに声をかけて、家まで送った子だ。


「元気?」


「うん!ウサギがうちに来てから、よく眠れるようになったよ」


 初めて会った時とは打って変わって、快活そうな男の子の満面の笑みに、私もついつられてしまう。


 ジークが私たちのやり取りに、見事なまでの疑問の顔で首を傾げてて、ちょっと面白い。


「良かった。買ってもらえたんだね」


「でも男がウサギはちょっとだせーから、カメレオンとかがいい」


「あはは!カメレオンか……相談してみるよ」


「頼むぜ。でも、ほんとに体も良くなったから。ありがとう!」


 全身で感情表現する男の子とハイタッチをして、喜びを分かち合う。


 どうもこの子がベンチでぼーっとしてたのは、勉強のしすぎによる不眠症が原因だったらしく、その時、お母さんの安眠効果つきのウサギのぬいぐるみを勧めたんだ。私はお母さんの商品を紹介しただけなので、お礼言ってもらうほどのことしてないんだけどね。


「ザック」


 店の入口の辺りで、男の子のお母さんが、慌てたように男の子を呼んでいた。当然だけど、彼を家まで送ったとき、多少怪訝なリアクションをされたので、私は彼の母親がちょっと苦手だったりする。


 男の子はそのときのことを思い出したのか定かではないが、自分の母親に気づくと、鞄を背負い直して振り返った。


「これから塾行かなきゃなんだ!じゃあな、ねえちゃん!」


「うん。気をつけて」


 私は男の子の背中に手を振った。男の子は母親と話しながら、商店街の人ごみに紛れて小さくなっていく。


 よかった。


 幸せな気持ちがあふれて、身体が膨らんでいくようだった。


「良かったな」


「うん、よかった」


 事態をよく把握していないだろうジークでも、私自身でもわかるくらい、私は嬉しそうな顔をしていた。カップの水面に映った自分に、なかなかいい表情してるじゃない、って言ってあげたいくらい。


「……私の夢はね、こうやって魔法をかけたアイテムを、欲しがっている人のところへ届けることなんだ」


「ほう」


「別に笑顔になってほしいとか、幸せになってほしいとか、偉そうなこと言わないよ。結果的にお金は払ってもらうから、ボランティアじゃないし。ただ、“こういうのがあったらいいのになあ”って思っている人がいたら、見せてあげたいんだ。少しでも、お店で商品棚を見てガッカリする人が減ればいいなって」


「ささやかだな」


 ジークの一言にはっと口もとを押さえる。


「……その割にはベラベラ語っちゃった……。恥ずかしいな」


「いいさ。俺は聞けて嬉しい」


「嬉しいの?」


「ああ」


 なんで満足げなんだろうこの人……。気持ち悪いな……。


 思春期にこのテの話はだめですよ。恥ずかしい。


 くすぐったい気持ちが我慢できなくて、私は誤魔化すように話を振った。


「ジークは夢とかあるの?」


「無い」


「きっぱり言い切る人もなかなか居ないね……」


「将来は親父の家業を継ぐのが決まってるしな」


 意外だ。好きなだけ金を使って好きなだけ女を娶る酒池肉林が俺の夢だ、とか堂々と言うのかと思った。実家の家業か。なにやってるんだろう。


 ただ、とジークが続けた。


「……やるべきことをやれたらいい、とは思う」


「へえ……」


「その時、常に俺が出来ることをしたい。そして、そうで在り続けたい」


「どっちかっていうと生きる上での指針だね……」


「そうだな……」


 ううむと呟くジークの眉間に皺が刻まれる。


 私は素直な感想を伝えることにした。


「でも、カッコイイと思うな。ジークに出来ることって沢山ありそうだし」


 向き合った琥珀色の瞳孔が、獲物を捉えた獣のように、引き絞られたような気がした。でもそれは見落としそうな一瞬で、意味を考える頃には、いつもの不遜な眼差しが私を射抜いていた。ジークが得意げに鼻を鳴らす。


「お前にも沢山ある」


「……うん、そうだ……ね……」


 にゅっと。


 私とジークの間のテーブルに、妙な影が伸びた。


 不穏な気配を察知した私の脳は、即座に利き腕へ信号を送る。


 ――防げ!防げ!


「やめて」


 ――やめて。


 咄嗟に、私の頭を撫でようとしたジークの手をすんでのところで掴みあげた。


 ぎりぎりぎり。私に触れようとするジークと、それを許さない私との攻防が、互いの筋肉を牽制し合うために内側で軋む音だ。私の手のひらの皮膚とジークのジャケットの裾が擦れ、いまにも火花を散らしそうだった。


「こっちは時間かけて髪セットしてんの。グシャグシャにしたら殺すから。慣れ慣れしいし。無駄に触らないでくれる?」


 例え好きでも許されない。そう。罪、である。女子の髪に無断で触れるのは、古今東西どこにおいても人間の原初なる罪。


 それはきっと、彼が一番に思い知ったことであろう。


「クッ……今のは割と効いた……!」


 力無く項垂れ、苦い顔でテーブルに拳を叩きつけるジーク。ふふ、勝った……勝ったぞ……。












 ――「今日はありがとう、ジーク」


「いや、当然のことをしたまでだ」


 私の家の前に着く頃には、夕焼けは西側へ落ちて、夜の足音が聞こえていた。今日は雲が少ないので、空には早くも星が輝いている。


 結局喫茶店に行ったあとも三軒ほど回って、関係のない買い物もした。約束通りジークに必要そうな店や施設なんかも教えて、最後は家まで送ってもらった。やれやれ、これじゃ本当にデートだ。


 その間ジークは嫌な顔ひとつせず、買い物袋や箱の塔をバランスよく持ってここまで運んで来てくれたのである。


「あらぁ、ザラちゃんおかえりなさぁい!お母さんもいま帰って来たのよぉ」


「ですよねぇ……」


 玄関口で荷物を降ろしていると、明かりのついた家からひょっこりとお母さんが現れた。


 そして、小首をかしげる。嫌な予感。


「そちらの方は………」


「あ、えっと、学校の!友達みたいな……?」


 私の適当な紹介にもかかわらず、ジークがうやうやしく頭を下げた。


 そういえばジークって何なんだろう……。恋人はもってのほかだし、かと言って友達ともちょっと違うしな……。ジークはジークだなぁ……。


「ジークウェザー・ハーゲンティと申します」


「まあまあ、ザラの母のイザベラですぅ。あら、お荷物持って頂いちゃって。娘がお世話になりましたわぁ」


「俺が好きで持ってるんです」


「あらあらあらぁ」


「二人共恥ずかしいからやめて。お母さんそこジャマだし」


 せめて私がいないところでやってください。


 お母さんは頬を膨らませて数歩移動したものの、私たちが荷物を入れるあいだも、依然としてこちらを眺めていた。しばらく観察していると、お母さんは屈んで荷解きするジークの前に歩み寄り、同じように屈んで目線を合わせていた。いやジャマしないでって。


「よかったらジークウェザーくん、晩ご飯食べて行かなぁい?」


「えっ」


 えっ。私とジーク、どちらともつかない困惑の声。


「今日、お庭で食べようと思ってるのぉ。うちから見える景色、とっても綺麗なのよぉ」


「そこまでお世話になるわけには……」


「どうせザラちゃんも、ちゃんとお礼してないんでしょぉ?」


「う……」


 お母さんがこっちを向いていなくてもわかる。叱られた気分だ。


 そりゃあここまでしてもらってタダで帰す訳にはいかないし、また少しお茶はしてもらうつもりだったよ。でも、ホラ。ねえ。女二人の食卓に男の人を招き入れてもいいものか、とか。感謝はしてるけど、ねえ……。それにこの人、一応私のことが、ねえ。ホラ。いやでも、さすがにこの時間だしなあ。


 ――いいか、ジークだし。


 気まずそうなジークが、どうしたらいいか、と視線で私に訴えているのがわかった。


「ジークがいいなら。食べてってよ」


「あ、ああ……。なら、ご馳走になります」


 難しいことはナシにしよう。なんか癪、とかはもうこの際いい。


 私の答えを伺っていたお母さんとジークが、同時に顔を見合わせて笑っていた。


「わぁ~嬉しい!いつもザラちゃんと二人きりで寂しかったのよぉ~。たまにはこういうのもいいわぁ。お母さん張り切っちゃう!」


 そう言うや否や、お母さんは軽い足取りで台所へ駆け出そうとする。荷解きを終えたジークがそれに続いたので、私もそれを追う。


「俺も手伝います」


「あら、いいのにぃ」


「そういえばジーク、料理得意なんだっけ?」


「人並みには出来る」


「じゃあ、三人で一緒に作りましょぉ~ふふふ!」


「アレ、結局私も手伝うんだ……いいけどね……!?」


 ――久しぶりに、賑やかな晩餐になりそうだった。










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