『壁ドン』・4




 ジークの大きな鱗まみれの手を握った。


 それがなにを意味するのかわからないけど、なんとなく、そうするのがいいと思った。


「無事なら何よりだよ、ジーク」


 牛の頭に目玉がいっぱいあったり、口元が耳まで裂けているせいでわかりづらいけど、ジークがきょとんとしているのがわかった。


「――ああ。これで、三度目だ」


 三度目?なんのカウント?


「ふむ。ただ爆破してやろうと思っていたが、予想外のトラップのお陰で俺は絶好調だ」


「え」


 まるでさっきまでぼうっとしていたのが嘘のようにジークは不遜さを取り戻して、牛頭のまま物騒な笑みを浮かべた。


「今日はなかなかいい物が見られるぞ、ザラ」


 あっ、悪魔がここにいるわ。


 ジークは軽快に腕を回して、「さあて何に錬成してやろうか」などと呟いている。


 まだジークの術についてよく知らなかった私は、まあ爆破よりはいいか、なんて甘い考えで、その場に残ってジークの錬金術を観察しようとしていた。


 ちゃんとわかっていたら、この時止めたんだけどなあ。

 まあ、向こうも悪いことしたからね、仕方ないね。多分。




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.


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 数日後、一人の男子生徒の雄叫びが研究棟じゅうを震撼させた。


 三一二号室、馴手科三年フランク・イリスノヴァによるものである。


 そのとき現場に居合わせたものたちによって、ひとつのフレーズが研究棟で流行語になった。




「僕の工房が何をしたって言うんですかァーーーーッッ!!!!!!」




 絶望を地獄の釜で茹でて、悲壮という縄でふん縛ったような声で泣きじゃくるフランクの姿は、しばらくのあいだ(ごく一部で)反響を呼んだ。




.


.


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「一件落着……かな?」


「だといいが」


 お昼どきの食堂。


 どこからともなくそんな噂を耳にして、私とジークは昼食のデニッシュを片手に顔を見合わせた。


 研究棟三一二号室に工房を間借していたフランク先輩は私とほとんど面識は無かったけど、就職を餌にとある馴手ギルドから、私の魔力を回収するように指示されていたらしいことが、後の調査で明るみになった。


 盗聴紋もあの魔法陣もギルドから支給されたものだから、学校側では情状酌量の余地ありって見解もあるみたいだけど、正直、退学になったほうがましのような気がした。


 だって、フランク先輩の工房は――




「なあ、知ってるか?馴手科の三年、研究棟の部屋、エロ本倉庫にしてたらしいぜ!」


「マジかよ、勇者じゃん!えー、一回見に行っときゃ良かった。停学処分になるくらいって、どんなもんだったの?」


「いや、マジでぜんぶ。部屋じゅう。むしろエロ本以外無かったらしい。エロ本を家具にしてたレベル」


「性豪かよ……」


「しかもぜんぶ同じエロ本だったんだって。怖くね?」


「集合体フェチなの……?怖……」


「つかもうスケベ通り越して闇すら感じるわ」


「ああ……うちの学校やべーよな……」




 他愛の無い男子生徒たちの会話が漏れ聴こえてくる。


 要するに、ジークの手によって、そういうことになってしまったのである。


 で、当のジークはというと、ウサを晴らせてスッキリしたのか、フランク先輩の部屋にあるもの全てを錬成したあと、すっかり元通りのエルフ姿になっていた。あ、正確にはこっちが、ジーク(仮)?なんかよくわからないけど。


 というワケで、フランク先輩は例えこの学校に籍を残せることになっても、卒業するまで――あるいは一生、ヘンな噂が付き纏うことが確約されているのである。可哀想だけど因果応報。


「悪事は良くないな、悪事は」


 当のジークはなに食わぬ顔でコーヒーを飲んでいた。


 それにしても……。


「またジークに助けられちゃったね」


 私は手のひらの中のガラスコップを見つめた。次から次へと、歪んだ黒い制服の生徒たちの像が、ガラスの世界を通り過ぎていった。


「それが、今の俺のやるべきことだ」


「ふうん」


 私はまだ、彼にするべきことをしていない。


 結局今回も、大元の原因は私……というか、私の魔力だったみたいだし。仕掛けられていた罠にまんまと引っかかったのも私なのに、最終的には庇われちゃうし。


「ちゃんと恩返しするから」


 そう言うと、ジークがひとつ息をついて、コーヒーの入ったカップを置いた。いつの間に食堂、使いこなしてるんだろうなあ。


 私は、なんて返されるのかとどぎまぎしてしまう。いらないとか嫁に来いとか彼女になれとかだったら、お答えできない。


「そのうちでいい」


「そのうちっていつ」


「いつかだ」


「いつかって」


「……そのうち」


 埓が明かない!


 それじゃあ私の気が収まらない。別に今すぐお礼をして縁を切りたいだとかそんなことは(あんまり)望んでないけど、どうにも据わりが悪い。

 私ばっかりだ。このままずっと、恩がある、後ろめたいなんて気持ちでジークと向き合いたくないし!


 そう抗議しても、ジークは変わらず言葉を濁すだけだった。


「別にいいだろう。それとも、俺と居るのに理由が欲しいのか?」


「うん!!」


「……」


 私の即答に、さすがのジークも戸惑ったらしい。


「……俺は要らん。お前を守りたいから側にいる」


「……」


 ――。


 今度は私が言葉を失ってしまった。いやいや。駄目だよザラ。まだ早い。まだ早いなー。うん。


 無かったことにしよう。


 そりゃあねアナタ、なんやかんや言いながら男性経験が無いから、そう感じることもあるだけよ。


 告白は受けたこと、あるじゃない?それもちょっと久しぶりだから、免疫の問題よ。冷静になろう、ね。

 これを息切れしながら太ったおっさんのジークが顔を紅潮させヨダレを垂らしている様子に変換してご覧。


 


 ――『ハア……ハア……、俺は要らん。ハア、ザラたゃそを守りたいから側にいるだけですぞ~!フヒヒッ!ハアハア……ジュルッ……今日のパンツは何色でちゅか~!!?』――




 おっしゃー!!キモい!!しっかりキモい。顔面で騙されてるだけだ。これで私はまだジークを受け入れていないことが立証された。大丈夫だ。ちょっと嬉しかっただけだ。


「わたっ、私、授業あるから行くね!!」


「お、おう……」


 足で椅子を蹴っ飛ばしそうになるくらいの勢いで立ち上がって、私は懸命に、したくもない妄想で頭を誤魔化しながら、人ごみの廊下を歩く。


 昔、お父さんが言っていた。




 “人間は、誰かにとってのヒーローであるべきだ。”




 私もその言葉に感化されて、いつしか理想の人間――理想の異性とは、そういうものなのだと刷り込まれていた。


 誰かを助けて、導いて、無償で寄り添い続ける。それこそが最も憧れるべき存在だと。


 ああ。よりにもよって――




 あんなヒーロー、あり?






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