「体験格差」っていう言葉が気になる

 曰く、貧困世帯は体験が不足している。貧困でない層と比べて、習い事も十分でないし、旅行も出来ない。


 まあそれはそうかもしれない。

 だけど、みんなが同じである必要があるのかな、とわたしは思う。

 うちはよくあるweb記事のくくりでは貧困世帯ではないけれど、スイミングも行かせていなかったし、運動系の地域のチームにも入れていなかった。ピアノは次男がちょっと習って、小学校の途中で辞めた。だからあんまり「習ってました!」感はない。旅行だって、そんなしょっちゅう行けないよ。毎年行けるわけないじゃん。


 そもそも、「貧困層でない世帯」だって、そんなにお金はない。だって、累進課税で所得税持っていかれるし、その他税金だって高い。正直なところ、年収2000万円くらいないと、毎年旅行なんて無理だと思う。或いは、親がお金持ちで「学費は親に払ってもらっているの」とか「家は親に建ててもらったの」とか「毎年生前贈与があって」とかいううちならば裕福だと思う(わたしの周りにはこのパターン多い)。


「体験格差」って、そんなにいけないことなのかな。

 親が得意なことは色々やってあげられるけど、苦手なことはやってあげられないよ。

 運動系の地域チームに入れられなかったのは、わたしが「ママ関係」に耐えられそうにないと思ったから。だって、ママはボランティアで、子どもにずっとかかりきりになるんだよ。平日数日と土日にグラウンドに行かねばならない。

 そもそも、その当時、土日も自営業があったので、そういう意味でも無理だった。「お父さんでもいいですか?」と訊くと、「いや、お母さんでないと」と言われてしまうし。「どうしてですか?」と訊くと、「豚汁作ったりお茶出しがあるから」とか言われ、「え? そんなの、男性でも出来ますよね?」とか空気読めない発言したのはわたしです(すみません……)。


 いいのだよ、息子たちよ!

 母は運動が苦手だ! ついでに体育会系のノリも苦手だ! 多くのママたちとは仲良く出来ない! すまない……!!(平伏)

 と、小学校低学年の息子たちに謝りました。


 工夫次第で、色々な「体験」が出来るよね。

 絵本を読んで、色々なところに旅をしたよ。

 夏休みには毎年ロボットを作ったし、小学生になってからは自由研究もした。研究内容はもちろん、彼らのやりたいこと。だって、押し付けて「研究し給え」って変じゃない?


 習い事も基本的に本人たちがやりたいものをやらせたよ。

 でも「うちはお貴族様じゃないから、習い事は2つまで!」と言っておいた。

 お月謝も大変だけど、送り迎えも大変なのである。


 息子たちの送り迎えがなくなると、わたしの生活はぐっと楽になった。

 たまに送り迎えして「全然平気」と言うのとは違う。

 日常的に組み込まれた、日々のルーチンとしての送り迎えはかなり負担だ。自分の時間なんて、寸断された時間しかなくなる。


 あら、話がずれたわ。

 わたしは、親は無理して色々しなくていいと思うし、お金を遣わなくても、人生を豊かに楽しむことが出来るって思うわけです。



 たぶん、忙し過ぎて時間がないって言う方が、子どもと楽しめないんじゃないかな?

「貧困」には、そういう「時間がない」デメリットもあるのだろう、と思う。

 でも、「時間がない」ことと「お金がないこと」は区別するとよいと、わたしは思うのです。要するに、共働きでお金はあるけれど時間はない親がたくさんいて、そういう子どもたちは本当に豊かなのかどうか分からないって思うから。


 もっと、子どもと向き合える時間がもてるような、そういう心のゆとりがある社会であって欲しい。




(気を悪くされた方がいたらすみません。でも、「体験」って色々だと思うのです。)

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