共働きでの子育て

 批判じゃないのです。

 単なる素朴な疑問なのです。

 そこを、まず頭に入れて以下をお読みください。


***


 最近、共働き世帯の方が当たり前の世の中だ。

 わたしは疑問に思う。

 どのようにして、子どもを理解しているのだろうか、と。或いは、みんなそんなに手がかからない子なのだろうか、と。


 というのは、赤ちゃんから幼稚園に入るまでの時期は、ただただかわいい時期で、あのときのかわいさが心に深く残っているので、思春期のいざこざを乗り越えられている部分が、わたしにはあるのだ。

 しかし、その時期から保育園に預けていると、圧倒的にかわいい時間の共有が少ない。そうなると、親側の(!)心のエネルギーの蓄積も少なくなるんじゃないだろうか? 恐らく、日々忙しいし、スケジュール優先して生活しなくてはいけない。「大変さ」の方が「かわいさ」よりも上回りそうである。わたしは、三歳くらいまでは「ただかわいい時期」だと思っている。何をしても許される、唯一の時期だ!(つまり何をしても怒ったりはしなかった。怒るようなこともないし。)


 私の場合、息子たちがちょっと変わっていて、いろいろ大変なのである。

 でも、その大変な部分も、過去の幸福な記憶が支えるのである。

 あそこを、他人に委ねていたら、わたしは今頃崩壊している。


 ……みなさん、どうやって子育てしているのだろう? あの記憶なしに。

 と、思うのである。


 は!

 もしかしてみなさんの子どもたちは変な行動はしないのでしょうか?

(それは充分あり得ることだ。定型からはみ出ないのであれば、大丈夫だから。)

 すみません、自分んち中心に話して。


 それから、わたしは「小学校から帰って来た瞬間の顔」を大切にしていた。

 三十分とか時間が経つとだめ。

 帰宅直後の顔つきが大事なの。

 嫌なことがあると、言わなくてもすぐに分かった。

 特に次男くんが「何も言わない子」だったので、あのときの顔つきを確認するのがとても大事だったのである。


 でも、働いていたら、あの顔は見られなかった。

 ……みなさん、どうやって子どものあれこれを把握しているのだろう? 帰宅直後の顔つきを確認しないで。


 まあ、子どもが自らあれこれ言う子なら問題はない。

 でも、次男くんのように秘密主義だと、いろいろ困る。

 結局「学校行きたくない」に繋がると、わたしは思う。


 中学生や高校生になると、「帰宅直後の顔つき」はもう取り繕われてしまい、判然としない。

 だけど、それまでの経験と、言動のささやかな違いから「大丈夫」「大丈夫じゃない」を見分けている。それはただの勘だ。

 でも、この勘は大事で、わりと信じて任せていたりする。規制もあまりしない。ネットの友だちがいるらしいけれど、「へえ」って聞いている。課金するって言っても「お小遣いの範囲でね」と言って、させている。「夜中にイベントが始まるんだ。今日だけやっていい?」も、OKを出している(すみません)。

 理由はなんとなく大丈夫だと思うから。

 ただの勘。


 ……あの顔つき確認の積み重ねなしで、どうやって勘を育てるんだろう?

 

 は!

 たぶん、わたしがちょっといろいろ気にし過ぎなだけかも。


 まあともかく、うちの場合、わたしがフルタイムで働いていたら(在宅自営業だった)、うちの子たちは(長男は確実に)、今頃ひきこもりで困っていたと思う。そうでなくても、きっと息子たちが分からなくて困っていたし、限界を超えていたと思う。


 あの「何をしても許される時期」の幸福感と、「帰宅直後の顔つき」の確認の積み重ねで、なんとかやれているのだ。

 ……本当に、なんとか。


 子育て、大変です(わたしには)。

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