不寛容社会
日本は不寛容社会だと思う。
子育てをしていて、つくづくそう思う。
公園で子どもを遊ばせていて、怒られる。
幼稚園に苦情が来て、園長先生に「幼稚園帰りに公園に行かないでください」「おしゃべりしないでください」と言われる。コロナ禍のとき、公園で遊んでいる小学生がいると、小学校に苦情が来て「外で遊ばせないでください」というメールが来る。
いずれも実話です。
母親のささやかな楽しみであるおしゃべり禁止、でも子どもの声もうるさかったんだと思います。しかし、おしゃべり禁止って、いったい何でしょう? 公園で子どもを遊ばせている、わずかな時間のささやかな楽しみではないですか。
コロナ禍のときの公園遊びも、目くじらを立てることでもないと思うのです。ずーっと家に閉じこもっているよりは、むしろあまり人のいない公園で少し遊ぶくらい、いいじゃないですか。
でもね、見張られているんです。
見守られているのではなくて。
常に見張られている。
苦情は幼稚園や小学校、中学校に寄せられる。
この辺り、治安もいいし、よい人も多いです。
でも一方、神経質な人も多いような気がするし、注意されたことを真面目に「怒られないように」と守る親が多いです。だから、学校が荒れることは少ないです。ないとは言わないけれど、ほとんどない。
わたしの勝手な分析ですが、恐らく、「駄目な教師」の受け皿にもなっていると思うのです。なぜなら、他の学校でクラス崩壊を起こしても、この地域の小学校なら、そこまで崩壊しないから。親がきちんと子どもを見ていて、いろいろフォローしているので、子どもたちは健気に頑張っているのです。まあ、うちの子はそういうことが出来ない子だったので(でも出来なくてもよくない?)、先生にいじめられるわけですが。
先生にいじめられたことは、親子ともども、大きな傷となりました。
たぶん、ずっと尾を引きます。
「いじめられた」は、教頭先生も認識しています。ちゃんと相談していましたから。
教育委員会?
行きましたよ。
でも、結局、学校側とのやりとりになり、介入してくれるわけではなかったので、教頭先生と仲良くすることにしたのです。わたしはものすごく頑張りました。学校へ顔パスで行けるほど、学校の先生といい関係を結んだのです。
教育委員会というところは、結局、子どもが死んで、そして問題になってからでないと動いてくれないのだ、とそのときに思いました。
それでは遅いのです。
だから、いじめられないよう、努力したわけです、わたしが(子どもはそういう努力はしなくていい)。
教師のいじめを学校側が認識していても、転任させることも出来ないそうです。
先生が進んでいじめる姿を見て育った子どもたちの中には、そういう悪意の種をこころの中に宿した子がいることでしょう。わたしはそのことが一番怖かったです。
もう、二十代後半の息子がいる友だちが、「日本の社会は、いったんレールから外れると、もう駄目みたい」と言っていました。その息子さんは大学を中退したのです。
よく「学校行かなくてもいいよ」というメッセージを見かけます。
小学校は確かに行かなくても平気。
だけど、中学校は休み過ぎると、高校進学に響きます(選択肢が少なくなる)。高校は進級にも響きます。
「学校行かなくてもいい」
でも、その子を誰が面倒をみるのですか?
我が家の場合は、わたしでした。
小学校、かなり休んだので(だって、先生にいじめられているのに、学校行く必要ないでしょう? そのことが尾を引いて、その後もうまく通えなかったのです。それも仕方がないでしょう?)。
小学校くらいだとまだいいけれど、思春期になった中学生が家にずっといるというのは、大変です。親の(母親の)悩みはつきないと思います。
「学校行かなくてもいい」というメッセージはあります。
でも、日本の社会は実際のところ、不寛容社会なので「学校へ行けない、駄目な子」というレッテルを静かに貼られて、静かに排除されると、わたしは思います。
そういうふうに、レールから外れた子に対して、とても冷たい。
そして、誰もたすけてくれない。
ただでも、わたしの場合は、友だち(子どもを介して出来た友だちだけど、心からの友だち)がいて、そこに救いがあります。
フラットに物事を見てくれて、決して「駄目な子」とは言わない。
不寛容社会だけど、個々人には、そういう優しい目を持っている人がちゃんといて、だから生きていられるのだと思う。
カクヨム内でも。
いつも泣き言を聞いてくれてありがとう。
時々、毒を吐いていてごめんなさい。
でもね、「西さんち」も、同時に存在しているのですよ?(笑)
ただ生きているだけでいいって言ってくれて、ありがとう。
多くの人が、そういう優しい眼差しを持ってくれるといいのになあって思います。
あ!
学校というシステムには絶望していますが、個人的には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃいました。そういう方に支えられて乗り越えてきました。「誰もたすけてくれない」とは言ったけれど。
わたし、たぶん、「だいじょうぶな人」に分類されているのだと思います。
なんていうか、カウンセラーと話さなくても、ある地点まで自力で到達できると思われているというか。
たぶん、身内の支えがもっと欲しかったんだなあ、といま、思いました。
カクヨムのみなさんも、本当に支えです。
本当にありがとう。
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