心の奥底にあるものを暴き立てる
村上春樹が好きです。
彼が描く物語には、わたしの心を強く揺さぶるものがあるのです。
わたしの心には、欠落があって、それはもうどうしようもなくそこにあって、
きっと本当はカウンセリングとかそういうものを受けた方がいいのだろうとはずっと思っていたのだけど、そういう方向には行きませんでした。
どうしようもなく辛く苦しく、精神科に行きたいと母親に言ったら
「そんなキチガイ病院に行ったら、家族全員後ろ指をさされるから駄目だ」
と言われました。
わたしの実家は、汚いものには蓋をして「なかったこと」にして成り立っていました。もしかして、そういう時代だったのかもしれません。だけど、極端な話、生死に関わることでも「なかったこと」にして、「なんでもない」という顔をして生きていたのです。
でも、「なかったこと」になんで出来るはずがないのです。
そのとき「なかったこと」にしても、それは永久にそこにあって、時折存在を知らしめるのです。心が元気なときは乗り越えられるけれど、心に元気がないと引き摺り込まれます。
母親に言われた数々の言葉はわたしの心を支配していて、どうしてこんなに離れていてもわたしを苦しめるのだろう?
虐待されていたわけではありません。
だけど、わたしはずっとさみしかったし、わたしの気持ちを聞いて欲しかったと思います。でも、そういうことは起こらなかったのです。
村上春樹の本を読んでいると、ときどき泣いてしまいます。
わたしは映画を見ても本を読んでも、基本的に泣いたりしません。
だけど、ときどき泣いてしまう本があります。
その一つが、村上春樹の本なのです。
「沈黙」は高確率で泣くのですが、今日「品川猿」を読んで、どうしようもなく泣いたまま近況ノートを書いていて、これは「うたかた」に書いた方がいいと思って、こうして書いているのです。
あやゆることは「なかったこと」にはならないのです。
永久にそこにあるのです。
でも、存在するからこそ欠落があって、既に損なわれているわたしは、その欠落を抱えたまま生きていくしかないのです。
生きていくしかないのだけれど、わたしは小学生のころから、どうして生きていかねばいけないのか? という命題に答えを得られないでいます。
一番好きだった人と結婚した方がよかったのかもしれない、と時々考えます。
一番好きだった人といっしょにいたときが、唯一、その欠落が満たされたように感じたからです。
だけど、きっとそれも幻想でしょう。
子どもたちが小学校に入るまでは、大変だったけど、欠落についてほとんど考えないで済んでいましたが、小学校に入学し、子育てが大変さを増すと、わたしには子育てをする資格がないのだという考えが、わたしを締め上げるのですから。
欠落が自分の親によってもたらされたものであるならば、わたしには愛情というものがほんとうには分からないのです。きっと。
親に向き合ってもらえないまま、優等生として生きてきたわたしには、子どもと向き合うということがよく分からないのです。
どうして生きなくていけないのかも、わたしには分かりません。
ただ、今自死してしまうと、子どもたちの心に黒いものを残すからそう出来ないだけです。
ずっと。
ずっと、事故死するのが夢でした。
それはもう、小学校のころから。
本当は35歳で死のうと思って、そこを目標に生きていたのです。
子どもが出来たとき、生まれたとき。
こんな幸せがあるのかと思いました。
脳内花畑ホルモンが出ていて、ただただ幸せでした。
子どもがいなかったら、わたしはもうここにはいなかったと思います。
そうしてみると、息子たちの存在は、わたしを生へと引き留めているわけです。
同時に、どうしようもなく悲しい思いにもさせるけれど。
時々、大嫌い! と思うけれど。
わたしは他人にあまり興味がないのか、あの感情の高ぶりで他人のことを「大嫌い!」などとほとんど思ったりしません。ケーキ屋さんのオーナーさんのことも、実のところ、ほとんどどうでもいいのです。変わって欲しいとも思っていないし、変わるとも思えないし、わたしがどう対処するかだと思っているので。
世界中で、唯一(二人だけど)わたしの心を大きく揺さぶるのは息子たちだけ。わたしを悲しませるし怒らせもします。
そして、彼らがわたしが生きている理由でもあるのです。
「もう大きいのだから、放っておけばいい」
という意見もあります。
だけど、他の子とちょっと成長の仕方が異なる場合は、「もう大きいのだから」というふうに切り捨てるのは難しいです。
18歳は成人だけど、でも、本当に自立するのは25歳くらいでもいいような気がするのです。そして、その自立が最大の目標であるとすると、今放っておくことはあまりいい結果を生まない気がします。放置した結果が、引きこもりになる可能性は高いと思います。
自立した大人にするための手助けをすること。
簡単に言うけれど、成長の仕方がちょっと違う子にはとても難しいです。
日本には、少なくともわたしが知る限りにおいては、そういう支援は皆無です。
親がなんとかするしかありません。
だけど、時々心が折れるのです。
わたしが「無償の愛」とやらを知っていたら、もっと違ったのではないだろうか。
などと考えてしまうのです。
時々、無様な心のうちを
だけど、わたしは、書くことによって、自分の心を向き合うことが出来るし、そのようにして生き延びてきたのです。カウンセリングには行かなかったけれど、たぶん、書くことが自分と向き合うことであり、カウンセリングのような役目を果たしていたと思います。
どんなに暗いことを書いていても、書いているうちは大丈夫です。
そんなわけで、わたしは、心の欠落を描く話を書きたいと思いました。
どのような角度から書くかは分からないけれど。
「無償の愛はあるのか」もテーマです。
「どうして生きていかねばならないのか」も。
とりあえず、今日、息子たちが帰ってきたら、わたしの気持ちを話してみたいと思います。
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