干渉と無関心

 思えば、母親は過干渉だったし、父親は無関心だった。

「そういう時代だった」と言われるけれど、それはわたしから生きる気力を奪いとるには十分な出来事だった。

 わたしは、きょうだいの中でサンドバッグ的な存在だった。「そういう子っているよね」と言われるけれど、そういう子自身だったわたしは、やはり、根源的な生きる力が欠如していると思う。


 ずっと、早く死にたいなと思って生きてきた。

 親からの無償の愛なんて、なかった。

 ほどほどの愛はあったし、「大学まで出してやった。お金を出してやったのに何が不満なんだ」と言われたくらいには、お金を出してもらったと思う。

 だけど、何かが足りなかったんだ。

 

 わたしの心の中には欠落があって、ずっとそこは埋まらない。

 ワーカホリックなのも恋愛依存症みたいな感じだったのも、その欠落のせいだと思う。だって、徹夜で仕事していたり思い切り恋愛していると、そういう欠落を忘れていられるから。

 人生、生き生きとしていて輝いているような気になるから。


 だけど、欠落はなくなったわけじゃなく、それは永久に埋まらないのだと思う。

 もう自分自身で埋めるのは不可能だし、他の誰かに埋めてもらうものでもないのだと悟った。


 過干渉も無関心も、同じくらい人格否定だと思う。

 ゴミ箱の中身をチェックされたりわたしがどう生きたいかを聞こうともしなかったり。親だから、娘は自分と同じ考えたと思っていると真顔で言われたり、真面目に話そうと思っても聞いてくれなかったり。


 わたしはどうして生きなくてはいけないのかが分からない。

 それは本当に、分からない。

 だって、小学生の頃からずっと死にたいと思って生きてきたのだから。


 いつでも、「もう、いいでしょ?」と思っている。




 自分が親になってなお、かつて親にされたことに今更傷ついたりする。

 そして、自分の親としての自信もない。

 自分がして欲しかったことを、一生懸命やってきたつもりだけど、何も響かない。わたしが悪いのだろうか? と思う。

 親に十分に愛されて育ってこなかったから、わたしには親の愛というものが分からない。


 早くいなくなりたい。



 こういう親としての重圧もみんな、一人で抱えているのは本当にしんどい。

 でも、誰も何もしてくれないんだ、というのが、わたしの感想です。

 子育てはしんどい。ただただしんどい。

 誰も何もしてくれないから頑張ってきたけど、もう限界なんだよ? と言っても、何も変わらない。わたしが死んでも、恐らく変わらない。


 奴隷がいなくなって、困るだけだよね。

 


 どうして生まれてきたのかなあ。

 ここまで頑張ったから、もう頑張らなくていいよね? と毎日思う。

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